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第一話

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「なに?聖女様にちょっかいを出している馬鹿がいるだと?」


聞き捨てならない話を耳にして、グウェンはぴくりと眉間に皺を寄せながら聞き返した。

グウェンという男は切れ長の瞳が涼しげな、整った容姿をしている美丈夫であった。

しかし彼は普段から険しい表情を崩さない上、鍛え上げられた長躯から見下ろされる圧のせいで、親しみやすさとは対極にあると言ってもいい。

そんな男が不快そうに鋭い視線を向けているのだ、普通の感性をしている人間であれば近付く事すら躊躇してしまうだろうに。


視線の先に立っている男性は、そんなこと気にも留めず会話を続けるのだった。


「ええ、なんでも魔塔から派遣されてきた魔法使いだとかいう男らしいですよ」


というのも、彼はグウェンにとって直属の部下であり、戦場で見せるもっと恐ろしい凶相を何度も見て慣れているからであった。

この程度なら日常茶飯事だからと、あえて話題にして揶揄う事すらしないまま、自称情報通な部下はペラペラと喋り続けている。


「全く、本当にお前はどこからそんな噂話を仕入れてくるんだろうな?」


口に油を塗っているかの如く話し続けている部下に対して、グウェンは片方の唇を吊り上げるようにして笑って見せると、親しみを込めた皮肉を返したのだった。

この部下とグウェンは長い付き合いであり、もちろん彼の情報源が不特定多数の女性であることは承知の上での発言であった。

まあこんな言葉が部下に響くとは思っていないのだが。

案の定部下はへらへらと笑うだけであった。

誰かを傷つけるような付き合い方はしない男だと信じているが、もし何かあったらグウェン自ら性根を叩き直してやる心づもりである。


そんな彼らの背後では幾人もの屈強な男たちが剣を片手に激しい争いを繰り広げており、あちらこちらで呻き声や怒声が響いていた。

ここはグウェンが所属する聖騎士団の訓練場である。

いざという時使える戦い方を学べるよう、訓練は主に実践形式の形をとられている。

どんな事態にも柔軟に対応できてこそ、戦場を生き残れるからだ。

部隊長であれば監督に専念するという名目で同じメニューはこなさずともいいのだが、グウェンは自ら望んでどんな訓練にも参加している。

なのでこうして実践訓練の時に、新人とペアになって絶望されることも多々あるのだが、今回の相手はこのお喋りな部下であった。

グウェンは彼を一切の容赦なく叩きのめしてやったのだが、腐っても副隊長を務めているだけあって、ボコボコにされてもなおこんな噂話をする余裕があったらしい。


また後でもう一度手合わせしてシゴいてやろう、とグウェンが考えているとも知らず、部下は尚も例の魔法使いについて話し続けるのだった。


「つい最近王都に派遣されてきたっていうのに、すでに女性陣の内ではイケメンで有名っていうんですから。
まったく妬ま、羨ましいことですよ、ほんと!」


そう苛立たしそうに文句を言っている男は、子供のように頬を膨らませて不満げであった。

グウェンはそれを見ていると無性に腹が立ってきたので、衝動のままに握っていた木剣でぼかりと頭を叩いたのだった。

痛みに呻いている様を白い目で眺めながら、内心でどうしてこんな男が女性に好かれるのだろうかと疑問に思っていた。

こういう子供っぽいところが母性本能を擽るんですよ!というのが部下の持論であったが、何度聞いてもグウェンにはさっぱり理解できないでいる。


だが実際問題として聖騎士団に所属している者たちが、女性に好意的に思われているというのは事実であった。

聖騎士団の象徴である純白の制服を身に纏った男というのは、ご婦人方の目にはどうも数割増しで魅力的に映っているらしい。

なにしろ自分が近寄りがたい雰囲気があると自覚しているグウェンでさえ、恐れを知らない令嬢から何度か告白を受けた事があったので、制服がもたらす効果を実感している。



中でも副隊長であるこの部下など、しょっちゅう違う女性と交際しては破局を繰り返していると聞く。


そんな男が嫉妬して警戒するほどの美男が、聖女と呼ばれる女性に近づいていると聞いて、グウェンは内心強い不快感を覚えた。

突如現れた不穏な存在について、部下に今すぐに詰問したくなる気持ちをぐっと抑え、他の者達の訓練の様子を見守っている風を装って誤魔化す。


グウェンは誰にも、この気持ちを悟られるわけにはいかなかった。



幸い部下は自分の頭を襲った痛みに意識が集中していたおかげで、グウェンの動揺には気づかなかったようだ。

彼は薄ら涙目になりながらも、懲りもせず噂話を続ける。


「ま、相手は聖女様ですから。狙ったところで上手くはいかないでしょうけどね。
なにしろ彼女が操を立てている相手は神様ですもん」


彼の言う通り、聖女と呼ばれ民衆からも支持を得ている女性とは、教会に所属する1人のシスターのことであった。

彼女は秀でた治癒の力を持っており、その聖力の高さは教会に在籍するシスターの中でもずば抜けているそうだ。

かつては田舎の教会で平凡な生活を送っていたらしいが、突如その能力を開花させ、話を聞きつけた教会が大喜びで王都へとその身を移させたという。

なにしろ彼女はどんなものにも平等に接する心優しさだけでなく、咲き誇る花のように可憐な容姿を持ち合わせているのだ。

『人々を癒してまわる心優しき聖女様』

教会としては民衆から支持を集める、ちょうどいいアイコンになるからだ。


そんな魅力的なうら若き乙女を前にして、男達が放っておくはずもない。

当然のことながら王都にやってきた聖女の元には、数えきれないほど多くの男達がやってきては愛を囁いた。

中には心揺らぐ誘いもあったろうに、清らかなる乙女は決して差し出される手を受け入れる事はなく、今日まで変わらず神へその身を捧げている。


それが王都にいる者なら当然知っている噂話であった。



(…本当にそうだろうか?)



もしかしたら今までの男とは違う何かが、その魔法使いにはあるとしたら。

グウェンは自身の胸に巣食った疑念を、無視しきれずにいた。

そこまで不安になるのは、聖女の噂には例外があったという事実を、彼だけが知っていたからであった。


「…そんな風に気安く言うもんじゃあない、不敬だろ」


思っている事をそのまま口にすることはできないので、グウェンは適当な言葉を返してその場を濁す事にした。


それに対して部下はにやりと笑みを浮かべ、揶揄うようにしてこう言った。


「はーい、隊長は真面目ですもんね。聖女様に近づく変な男がいたら、教会の品位に関わるとか思ってるんでしょ」


実際にはその答えは見当違いなものであったが、あえて否定することなく無視していると、無言の肯定と見做した部下が笑みを深めたのが横目に窺えた。


無性に腹立たしくなる顔に、グウェンはそばにあった部下の襟首を鷲掴んだ。

訓練場の空いたスペースを目視で確認し、引きずるようにして部下を引き連れて歩いていく。

突如襲った出来事に、副隊長は目をまんまるくさせて驚いている。


「え?なんです?俺らの訓練はもう終わって、」

「そこまでお喋りが出来るくらい余裕が残ってるみたいだからな。
喜べ、特別に付俺がきっきりで相手してやる」


なすがままになっている腹心に対して、グウェンは渾身の微笑みを持って告げた。

太陽を背にして微笑むグウェンの顔は、惚れ惚れするほど美しい笑みを形作っていたが、その瞳はちっとも笑っていない。

凄みのある表情を間近で目撃する事となった件の部下は、これにはたまらず冷や汗を掻いた。

これから自分が死ぬほど叩きのめされる事になるとはっきりわかっていたからである。

慌てて部下は必死にあの手この手で説得を試みるのだが、グウェンはというと全く耳を貸さぬまま、軽々と成人男性の身体を片手で引きずって歩き続けるのだった。

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