上 下
63 / 80

死の森 改

しおりを挟む
イリアたちは森に逃げ込むとすぐに異変に気づいた。
森に入りまだ少ししか進んでないのに腐卵臭が漂っている。

多分これは硫黄の匂いだ。
どこからか硫黄のガスが噴き出しているのだろう。

(硫黄……ということは火山? でもこの辺りに火山があったかしら?)

硫黄独特の腐ったようなむせ返る匂いに思わず顔を顰め、口元を手で覆った。
これをまともに吸い続けていたら、確かに死亡するだろう。

だからこそ、この森は「死の森」と呼ばれているのだろう。

たぶんこの世界の人はこの硫黄ガスの正体が分からず、森に入ると死ぬという事実から、呪いで死ぬと言われているのかもしれない。

「はぁ……はぁ……なんだ、この匂いは。吐きそうだ」
「ちょっと待って。このガスを嗅いでたら死んじゃう。今浄化するから」

イリアは手をゆったりと広げて集中する。
そして大地にと森の上空に温度差を作ると、上空の空気が一気に降りてきた。

びゅうという音がして一瞬、服がばさりと揺れるが、すぐにその風は緩やかなものになってイリアたちを包んだ。

「で、この魔道具で術式を固定して……はい、簡易酸素ボンベの完成」

上空の新鮮な空気と森の中のガスを含んだ空気を常に循環させ、それを身に纏わせたのだ。

これで死の森の中でも硫黄ガスを吸うことなく歩くことができる。

死の森はその名の通り生命というものが感じられない。

酸性雨の影響か、木々は枯れ黒く変色している。
そろそろ日の出であるはずなのに、朝日が射さず薄暗いのは黒くくすんだ空気があたりに立ち込めているからだろうか。
イリアはかつて見たシュバルツバルトの風景に似ていると感じた。

「う……」
「ウィル、大丈夫か? 少し休もう」

カインに肩を抱えられて歩いていたウィルが小さく呻いた。
逃げる時に無理して走ったせいだろう。額に玉のような汗が浮かんでいる。

それを少しだけ拭いながら、ウィルは崩れるように地面に膝を着いた。
カインに介添えされて腰を下ろしたウィルはもう一度顔を顰める。

「傷が開いたかもしれない。少し休むとしようぜ」
「そうね。ちょっと頭の整理もしたいし……軽く何か食べましょ」

ミレーヌが集めてくれた小枝に火をつける。
燃え上がった赤い炎が周囲を明るく照らした。
沸かしたお湯で紅茶を淹れる。

琥珀色の紅茶にグラニュー糖の四角い粒子がさらりと溶ける様を、イリアはぼんやりと見つめ、先ほどのことを思い出していた。

(カテリナ……別人みたいだった)

凍てつくほどの冷たい眼差しの中に殺意があった。

それはイリアの知っているカテリナと同じものとは思えないほどであり、彼女から逃げた今でも夢を見ているのではないかと思うほどだ。

カテリナが優しくシュモンを撫でている光景が思い出される。
一緒に街を回った時、パンを半分こにした時、転びそうなところを助けてくれた時。

どの表情を思い出しても穏やかな感情が現れていた。

何よりもシュモンを見つめる表情は慈愛に満ち、とても人殺しをするような人間には見えなかった。

(……どうして、カテリナは私を殺そうとしたのかしら)

ショックではあるが、無駄に考えても答えは見つからないだろう。
イリアは気持ちを切り替えるように温かい紅茶を一口飲んだ。
そして、焚火を挟んで正面に座っているミレーヌに話しかけた。

「ミレーヌはどうしてこんなところにいたの?」

ミレーヌはエリオット付きの近衛兵だ。なのにどうしてここにいるのだろうか?

「それはエリオット殿下の命令っす」
「エリオットの?」

予想外の回答にイリアは戸惑った。
なぜ国外追放された自分をミレーヌが追ってきたのか……。
その答えはすぐに出た。

「はいっす! 無事にちゃんと国外まで出るところを見届けろっていう命令なんっすよ」

(なるほど! ちゃんと私が国外追放されたのか不安だったんだわ。それで国外まで出ていくのをミレーヌに見届けさせたかったのね)

確かに愛するアリシアを害した(と思われている)イリアがこの国に潜伏しているかもしれないと思ったら、気が休まらないだろう。

「うーん、信頼ないなぁ……心配しなくてもちゃんと出ていくのに」

こちらとしては死罪にならずに国外追放されただけで万々歳である。

下手にガイザール国に居たくはない。
にしても、イリアがアリシアやエリオットの仲を裂こうとしているのだと疑われるのは若干心外である。

「あれ、聖騎士だろ? 王都で襲ってきた時といい、なんで俺たちを襲ってきたんだ?」

「やっぱりあれと関連あるのかしら。でも聖騎士が襲ってきたのってあの一回だけよね。どうしてこのタイミングなのかしら?」

「実はそのことっすけど、聖騎士はずっとイリア様のことを狙ってたんっすよ。あたしが返り討ちにしてたんで」

「そうだったの!?」

全く気付かなかった。
順調な旅だと思っていたのだが実はミレーヌが人知れず守ってくれていたおかげだったのだ。

「でも……今回は助けるのが遅くなってしまいまして申し訳なかったっす」
「ううん、来てくれて助かったわ。ありがとう!」

ここでイリアが分かったのは、聖騎士……いや、多分教皇カテリナが自分を殺そうとしているという事実である。

ウィルは焚火を見つめていたが、その表情には動揺と不安が見て取れた。

そんなウィルにあることを確かめたくて、イリアは声を掛けた。

「ねぇウィル。今回、カテリナは私を殺そうとしてた。でもあなたのことも殺そうとしていた。ウィルが逃げていたのは教会……いえ、教皇カテリナからだったんじゃない?」

「!」

はっと息を呑む音。
動揺からかウィルの呼吸が浅くなる。

「これは私の想像なんだけど、あなたが持っている魔法陣。それと関係があるんじゃないかしら?」

イリアの問いには答えないウィルに対し、イリアは一つの仮説を投げかけた。

「ごめんなさい。見るつもりはなかったんだけど、不可抗力でウィルの持っている書類を見ちゃったのよ。あれは、人の命によって魔石を生み出すものじゃないの?」

その言葉にウィルは目を泳がせる。
右へ左へ、上へ下へ、視線を忙しなく彷徨わせたウィルは、突然頭を抱えて慟哭した。

「うわあああああああ!」

叫びながら頭を抱え蹲るウィルの傍に、イリアはそっと身を寄せると彼の肩を抱き寄せた。

肩を上下させ、酸素を求める魚のように口をパクパクさせている。

(私の仮説は正しかったのね……)

現時点でイリアとウィルを結ぶ点があるとするならば、二人ともあの魔石を知っているという点だ。

「落ち着いて。話してくれる?」
「……。あれを生み出したのは偶然だったんだ」
「あれ、というのは魔石のことね」

「うん。ボクはトリアスという街の魔法ギルドに入ってて治癒魔法の魔道具の研究をしていたんだ。そこにある日カテリナが治癒魔法を増幅させる魔道具の作成を依頼してきたんだ……」

「カテリナが依頼してきたの?」
「そうだよ。女の子を連れてきて、その子の治癒魔法を増幅させて欲しいって」

そうしてウィルは静かにその過去を……罪を語り始めた。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

【完】ええ!?わたし当て馬じゃ無いんですか!?

112
恋愛
ショーデ侯爵家の令嬢ルイーズは、王太子殿下の婚約者候補として、王宮に上がった。 目的は王太子の婚約者となること──でなく、父からの命で、リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢を婚約者となるように手助けする。 助けが功を奏してか、最終候補にシャルロットが選ばれるが、特に何もしていないルイーズも何故か選ばれる。

性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~

黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※ すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

闇黒の悪役令嬢は溺愛される

葵川真衣
恋愛
公爵令嬢リアは十歳のときに、転生していることを知る。 今は二度目の人生だ。 十六歳の舞踏会、皇太子ジークハルトから、婚約破棄を突き付けられる。 記憶を得たリアは前世同様、世界を旅する決意をする。 前世の仲間と、冒険の日々を送ろう! 婚約破棄された後、すぐ帝都を出られるように、リアは旅の支度をし、舞踏会に向かった。 だが、その夜、前世と異なる出来事が起きて──!? 悪役令嬢、溺愛物語。 ☆本編完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。  しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。  冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!  わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?  それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?

婚約破棄をしてくれた王太子殿下、ありがとうございました

hikari
恋愛
オイフィア王国の王太子グラニオン4世に婚約破棄された公爵令嬢アーデルヘイトは王国の聖女の任務も解かれる。 家に戻るも、父であり、オルウェン公爵家当主のカリオンに勘当され家から追い出される。行き場の無い中、豪商に助けられ、聖女として平民の生活を送る。 ざまぁ要素あり。

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

処理中です...