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藤の花の季節に君を想う

羨望の先にあるもの①

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「藤姫…」

暁の口から妖の名が零れ落ちた。
少女はそれを聞いて嬉しそうに唇をゆがめた。その唇は赤く熟れた果実のような瑞々しいのに、妙に色気がある。
歳に似合わないそれは、劣情を誘うには十分なものだろう。

「人は皆…私をそう呼ぶ。だけど、本当の名前を呼んでくれる人はいないわ」
「本当の名前…真名ってこと?」
「ふふ…真名…ね。それは今の私の名前ね。人であった頃の名よ。ずっとずっと呼ばれていない」

悲しそうな、それでいて寂しそうな表情を浮かべる。そのまなざしはどこか遠くを見ているようで、暁を映してはいなかった。
藤姫はその視線をゆっくりと背後にある藤の大木に向ける。

「でもね…もういいの。私を必要としてくれて、私と一緒にいてくれる人が居るから」
「!!…吉平!?」

その視線の先には樹に飲み込まれるようにしている吉平だった。ぐったりとして半身を木に覆われ、胸より下は藤の弦が巻き付いていた。
意識は無いようで、暁の声には反応しない。
切羽詰まった声で暁はもう一度吉平の名を呼ぶが反応はなく、代わりに藤姫がクスクスと笑った。

「吉平!!」
「ダメよ。あなたに吉平は渡さない。彼には私が必要。そして私にも彼が必要なの。」
「吉平は私の友達だ。返してもらう!」
「あなたは…全部持っているじゃないの!それ以上欲しがるなんてずるいわ」

今まで吉平を愛おしそうに見て微笑んでいた表情を一変させて藤姫は暁を睨みながら叫んだ。射貫くようなその瞳には憎悪にも似た炎が宿っている。

「あなたは全部持っているのに!これ以上何を求めるの!!」
「全部持っている?」
「そうよ…」

自分が持っている物とは何を指しているのか分からず暁は藤姫を見つめながら考えを巡らした。
藤姫はそんな暁を鼻で笑いながら、侮蔑した表情を浮かべる。

「恵まれてるあなたには分からないのね。恵まれているからこそ自覚もないということなのね。」

藤姫の言葉に暁の心が軋んだ。いや、図星を刺されたようでドキリとしたのだ。
それは先ほど高遠にも言われた言葉だったからだ。


『君は恵まれている』


失踪者3人の心の闇。
優秀なものと比較されることに起因する劣等感から失う存在意義。それはやがて心の拠り所を無くし、孤独に苛まれていく。
きっと彼らがそうであったように、藤姫もそうだったのだろう。
そしておそらく…吉平も。
藤姫の拠り所を無くした魂は仲間を求め、同じような魂もそれを求め共依存することで心を支えることにしたのだ。
一人で背負うにはその孤独は重すぎるから…

「私は恵まれている。でも、それを与えられるほど世界は優しくない!」
「なに…?」
「私は恵まれている。でもそれに対して私は努力している!自分に奢っていては自分を受け入れてくれる場所も無くなるし才能だってダメになってしまう!!あなたは努力したの?あがいたの?」
「それ…は…」
「どんなにどん底に突き落とされても、這いつくばって血を吐いて、それでも諦めずに努力したの?」

自分が高慢なことを言っていることは自覚していた。
恵まれていることも認める。
温かい家族は自分を見守ってくれただろ。だけど、それに甘えていてはいくら家族といえど心が離れていくのは目に見えている。
陰陽師の才能もそうだ。正直暁自身には陰陽師の才能があるとは思っていない。
自分は非力だった。助けてくれた恩人をすくこともできなかったほどに。
だから努力した。それを才能の一言で片づけては欲しくない。

「う…煩い!吉平から聞いてる。貴方には温かい家族も、陰陽師の才能も、それを認めて受け入れてくれる場所も、支えてくれる人たちも…名前を呼んでくれる人も!!全部全部持っている。そんなあなたは、私の辛さなんて分からない!」

藤姫は暁の言葉を振り払うように叫びながら気が狂ったように頭を振った。そして、血走った目で暁を睨みつける。
藤姫の黒く艶やかだった髪は白く変じて、爪はが伸びていく。赤く染まった目はギラギラしているのに、体は力が抜けたようにだらりとして力なくゆらゆら揺れている。

「私から吉平を奪うなら、お前など殺してやる!!」

その言葉を合図のように、藤姫との闘いが始まった。

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