相性って大事

茜菫

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婚約までの道のり

ニーナの憂鬱(1)

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 一人の女性が仕事を終えて、暮れゆく街並みを眺めていた。彼女はぐっと体を伸ばし、大きく息を吸って、空を見上げる。その目には見事な朱が映っているが、暫くすればそれは黒に染まるだろう。その前に家路につくべきだが、彼女は帰りたくなかった。

 彼女は家に帰れば、明後日の朝、再びここに出勤してくるまでずっと一人だった。寂しくて、人肌恋しい、いや、もう、正直に言えば。

「…あぁ…男が欲しい…せめて男のナニが欲しい…」

「…ちょっとは慎んだらどうだい、ニーナ」

 彼女、ニーナの深刻なつぶやきを耳にした彼女の師は、呆れたように息を吐いた。



 四ノ宮しのみや初奈にいなは、異世界から召喚された人間だ。彼女は今、師匠と呼ぶ人物の元に保護されているが、その理由を彼女は知らない。彼のおかげで、ニーナは路頭に迷うことなく、そこそこ真面目に働いて、そこそこ幸せに過ごしていた。

 師匠は医師で、ポードという名の国の王都で診療所を開いており、ニーナは彼の元で治癒師として働いている。治癒師は治癒魔法を使い、医師の指示の元、治療を行う者だ。治癒魔法というのは驚く程魔力を使う魔法であり、その上向き不向きもあり、使える人間は限られている。

 ニーナはそんな治癒師がまさに天職と言える程に、治癒魔法の適性があり、魔力があった。というのも、異世界人というのは魔力を膨大に持ち、その上無尽蔵に生み出す。彼女もその例に漏れず、魔力が有り余っていた。彼女はこの事実を師匠から教わったが、彼女自身は自覚が無く、この世界のことはよく知らないので、そういうものかと納得するしかなかった。

 そんな日々の中で、ニーナには悩みがあった。治癒師は稀少で重宝され、また、仕事の内容から感謝や敬念を抱かれやすい。そのため、彼女は皆から壁を一枚隔てたような、綺麗なものを扱うような、天上のものでも見るかのような、綺麗なイメージができあがりすぎて、距離を置かれているように感じていた。

 元々、治療師という職業に清廉潔白なイメージがあったり、そういった憧れを抱かれやすいということも大きいだろうが、彼女が二年程前に呪いによって大怪我を負った騎士の治療にあたった時から、更に加速して神格化されていた。

 ニーナは皆、勘違いをしていると常々思う。彼女は当時、呪いを恐れてその騎士に触れることも嫌であったし、逃げ出したくも思っていた。見捨てる訳にもいかずに、我慢して仕事しただけだ。ただ、彼女はその時の自分が後暗く、誰にも言えずにいた。

(そういえば、あの騎士は今頃どうしているのかな…)

 呪われた騎士は非常に稀、いや、その一度きりだったが、診療所には騎士が負傷してやってくることもある。ニーナはそんな彼らの肉体美を舐めるように眺め、触って役得だと内心ほくそ笑み、煩悩に塗れていた。

 そんな彼女の本性を知っているのは、師匠くらいなものだ。ニーナは心清らかな乙女の治癒師のように扱われることが、非常に心苦しかった。

(うん、辛い)

 かといって、開放的にもなれなかった。そんなことだから、男女の関係になるような出会いもなく、ニーナは独り身の日々が続いている。

「はあ、つらぁ…」

 ニーナは性欲が強い。とても、性欲が強い。彼女はこの世界にやってくる以前にお付き合いた男性がいたが、その性欲が原因でお別れになってしまった。彼女は毎日でもしたいし、朝まで寝かさないコースでもどんと来いくらいの勢いだったが、如何せん、恋人はそうではなかった。週末にお泊まりした時の一回、寧ろ月に一回きりで十分だという恋人とは、性活が全く合わなかった。

 愛と情欲は必ずしもイコールではないが、切っても切れないものではある。ニーナは恋人のことが好きだったので、情欲を我慢し、満たされない体を自分で慰めることでお付き合いを継続していた。だが、結局は上手くはいかなかった。こればかりは仕方がないと、彼女も諦めている。

 恋人とお別れしたその当日に、彼女はこの異世界にやってきたので、それからずっと男日照り、欲求不満だった。こちらの世界では、元の世界の優秀な彼女の相棒、もといオモチャたちが無いため、一人で慰めるにしても物足りなさを感じていた。

(…そりゃあ私だって、できることなら恋人とひたすらいちゃいちゃして、エッチなことをしたいけど!)

 残念ながら、ニーナには肝心の恋人がいない。一時の気の迷いで誰でもいいから男が欲しい、そんなことを考えてしまっても仕方がないだろう。まだ、考えるだけで実行に移していない。

(今日もおひとり様かあ…)

 ニーナは深々とため息をつくと、家に帰る道すがら、落ち着いた雰囲気の酒場に入る。一週間に一度、明日が休みだという日にこうして酒場で冷えたエールを一杯と美味しい食事をするのが、彼女の楽しみだ。

 何時ものカウンターの席に座ると、マスターにエールを頼み、おすすめの料理を出してもらう。今日のおすすめは、魚介のアヒージョのようなものだった。

(…まあ、ひとりでもなんとでもできるけどね…)

 彼女は十代後半に異世界にやってきて五年近く経つが、恋人はできそうになく、代わりに仕事にやりがいはあるので、このまま仕事に生きて一人で楽しむのもいいかと思い始めていた。

「お隣、いいですか」

 ニーナが料理に舌鼓を打っていると、誰かに声をかけられた。聞き覚えのない声に彼女がそちらに目を向けると、騎士の制服を着た男が立っている。緩く波打つアッシュブロンドの髪と、エメラルドグリーンの切れ長の目をしていて、顔の左半分が前髪で隠されているが、美しい男だ。彼女はちらりと辺りを見回すが、混雑している訳でもなくカウンターも殆ど空いている。

(…えっ、ナンパ?)

 ニーナはこの状況でわざわざ隣を選ぶなんて、ナンパだろうかとも思ったが、相手に困らなそうなこんな美人に声をかけられるとは到底思えず直ぐに自分で否定して、話し相手でも欲しいのかと頷いた。

「…あの、ここにはよく来られるのですか」

 男は隣に座ると、改めて彼女に声をかけた。

(顔も良くて声も良い、天は二物を与えずなんて、全くの嘘よね…)

 高くもなく低くもない、惚れ惚れするような美声に、ニーナは羨ましさを覚える。

「はい。ここ、私のお気に入りなので、毎週来ているんですよ」

「そうですか。何かオススメは、ありますか?」

「うーん、私はいつもマスターのおすすめを頼んでいます。…これ、美味しいですよ」

「成程。では私も、エールとそれをお願いします」

 男は同じものを注文し、運ばれたエールをぐっと呷った。ニーナはいい飲みっぷりだと眺めたが、彼はそのまま正面を向いて、手にしたエールをじっと眺める。

(…なんだ、オススメ聞きたかっただけ?)

 どうやら、彼はこの店に来るのは初めてなようで、オススメが聞きたかっただけなのかと彼女は少しガッカリした。

(どうしたものかなぁ)

 そのまま喋ることもなく、ニーナは黙々と料理を食べながら、内心ため息をつく。混雑しているならまだしも、こう空いている状態で隣に座られると、少し居心地が悪い。

(ここでゆったり過ごすのが好きなんだけどなあ)

 ニーナは食べ終わったら早めに切り上げて帰ろうかなとぼんやり考えていた。

「…駄目ですね」

「え?」

 すると、男がそんなことを言ってため息をついた。なんだろうと彼女が、首を傾げてそちらを見ると、彼は彼女へと向き直る。

「…私は、あなたに声をかけたくて、ここに来たのです」

「え?」

 一体これは何事だろうかと、ニーナは手の甲をつねってみる。痛かったので、夢ではないようだ。あまりにも男が欲しいと欲求が爆発しすぎて、見えて聞こえてしまった幻覚幻聴だろうか、彼女はそう思ってマスターの方を振り返ったが、笑われてしまっただけだ。

「あの、私は…フェリクスといいます」

 男、フェリクスは名乗って、その、と少し俯いた。髪の合間から見えた右の耳が赤く染っている。

(…え、え?)

 ニーナは顔には出さないで済んだが、内心驚きだった。先程の台詞とこの耳の赤さから、彼が彼女に好意を持っていることが察せられる。

(…なんで?)

 だが、彼女にはその理由がわからなかった。自分の見た目はそんなに悪くないとは思っているが、かといって一目惚れされる程の美人ではない、それがニーナの自分の評価だった。

 ニーナにフェリクスという名前に覚えはなく、診療所に治療にやって来ていた騎士にも心当たりがない。少なくとも、こんな美人を見たら忘れられないはずだと彼女は思う。しかし、美人に声をかけてもらって悪い気はしないので、ニーナはエールの入ったグラスを掲げる。

「私は、ニーナ。はじめまして」

 彼女がそう言うと、フェリクスは少しだけ困ったような顔をして、同じように手にしたグラスを掲げた。
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