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1巻

1-3

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「お客さん、だいぶ酔っているけど大丈夫か?」
「……そこまで言うほど、酔っていないしっ」
「酔っぱらいは、みんなそう言うんだよ」

 ラウルの顔は真っ赤で吐く息は酒くさく、どこからどう見てもただの酔っぱらいだ。これがあの英雄ラウル・ルノーだとはだれも思うまい。

(いいや、ほどほどに酔えたし……行くぞ!)

 ほどほどどころではなくだいぶ酔っ払ったラウルは辺りを見回したが、店内には女性の姿はなかった。こんな夜更けに一人で出歩く女性はそういない、必死になりすぎているラウルはそのことにすら気づいておらず、この数日を無駄にしていた。

「次の店、行くか……」

 ラウルはふらふらとした足取りで歩き、扉を開いて外に出る。夜の冷えた風が頬をなで、ほんの少しだけラウルの酔いを醒ました。

「星はきれいだな……」

 憂鬱ゆううつげにため息をつき、ラウルは空を見上げる。ラウルの心とは裏腹に、雲一つない空には星が美しくかがやいていた。
 あの事件が起きて英雄扱いされなければ、ラウルはいまもただの一隊員としてなに不自由なく、女性に振られながらもそれなりに楽しく過ごしていたかもしれない。

(……こんなこと、考えても無駄だな)

 ラウルは再びため息をつき、早々に考えを改める。うつむきながら必死に涙をこらえ、早足で夜の街を歩き続けた。

(もっと、男らしくならないと……!)

 男らしくない。情けない。冗談めかした同僚らのその言葉にラウルは追いつめられていた。酒を呑んで女性と接触しようという考えにいたったのは、追いつめられた精神がゆえにだろう。

「……よし、行くぞ!」

 ラウルは適当な店に入ると一人でいる女性の姿を探し、見当たらなければすぐに出ていくという、店側からすれば迷惑極まりない冷やかし行為を繰り返す。素面しらふであれば小心者のラウルにそんな行為はできなかっただろう。
 時間が時間なだけに一人でいる女性の姿など見つからず、無為に時間だけが過ぎていく。そろそろ諦めるしかないかと思い始めたラウルは、次で最後にしようと、ある店に入った。

(……次こそは!)

 ラウルは気合を入れて扉を開き、すぐに中を見回す。店にはちらほらと客の姿があったが、女性が一人だけの客は見えなかった。連れがいる女性は見つけたが、さすがのラウルもそこに声をかけに行くほど頭が回らないわけではない。

「うぅ……今日も、失敗……か……」

 ラウルはがっくりと肩を落とし、ふらふらとした足取りでカウンターに向かう。途中でテーブルにぶつかってにらまれるが、酔って視野が狭くなっているラウルにはなんの効果もなかった。
 カウンターにたどり着くと、ラウルは目についた椅子を引いて座りそのままテーブルに突っ伏す。その様子にぎょっとした店主はカウンター越しに、心配そうにラウルに声をかけた。

「大丈夫かい?」
「あぁ、道のりは遠い……」
「なに言っているんだい、お客さん……大丈夫かい?」
「大丈夫……酒を……」

 ラウルは顔を突っ伏したまま片手を上げて酒を頼む。あまり大丈夫そうに見えない様子に店主は肩をすくめた。

「お客さんも、もうだいぶ酔ってるね」
「……も?」

 そこでようやく、ラウルは隣にだれかが座っていることに気づいた。店の扉からでは死角になる位置だったため気づかなかったのだろう、ラウルが追い求め続けた、こんな時間に外で一人でいる稀有けうな女性だ。

「……っ」

 ラウルはその存在を認識した途端、悲鳴を上げてその場から逃げ出しそうになった。
 すんでのところで悲鳴を呑み込み、腰を浮かした程度で済ませたラウルに、その女性は億劫おっくうそうに目を向ける。
 まとめ上げられてはいるが少し崩れた金色の髪に、泣き腫らした跡の見える藍色の目。ラウルの目の前には彼に負けないくらい真っ赤な顔でちびちびと酒を呑んでいる女性――アメリの姿があった。

「そっちの人は酔っていそうだけれど……私は、酔っていないわ」

 アメリはラウルを一瞥いちべつすると、そのまますぐに視線を手にした酒に戻す。ラウルはアメリが彼の正体に気づく様子がないことに安堵したが、ふと違和感を覚えて首をかしげる。

(……こんな時間に、どうしたんだろう。なにかあったのかな……)

 ラウルはこんな夜遅くに女性が一人酒場にいることは珍しいと気づいた。普段からその鋭さがあれば、この数日を無駄にしなかっただろう。
 そのことには気づかず、ラウルは酒の力もあったのだろうが、恐怖よりも心配する気持ちが勝ってアメリに声をかけた。


    ◆


「……私は、酔っていないわ」

 アメリはやけ酒をあおっている自覚があったが、エドガールのことを引きずっている自分を認めたくない気持ちで店主の言葉を否定した。
 そのついでにラウルへと目を向けるが、すぐに手元のグラスに視線を落としてため息をつく。ひどく陰鬱な気持ちであったアメリは、これ以上見知らぬだれかと関わる気が起きなかった。

「あの、……どうしたんですか?」

 しかし、関わる気のなかった相手に心配そうに声をかけられ、アメリは再びラウルへと目を向ける。怪訝けげんそうな視線を受けたラウルはびくりと体を震わせ、慌てて言葉を続けた。

「いやっ、その……泣いているから、どうしたのかと思って!」
「……私が泣いていても、あなたは困らないでしょう?」
「そうっ、だけど……えっと、名も知らないような相手なら、言えることもあるだろ……?」
「え?」

 アメリはその言葉に目を丸くし、ぱっとラウルから視線を外す。その言葉と表情から、ラウルが本心から心配していることはわかった。

(どうして……やさしい人ばっかり……)

 アメリは再び泣きそうになり、それを隠そうとうつむく。その反応をどのように受け取ったのか、ラウルはがっくりと肩を落とした。

「あなた……いい人ね」
「えっ」
「名も知らない女の愚痴を、聞いてくれるの……?」

 アメリはそれに気づかず、顔を向けずにラウルへと声をかける。
 お互いまったく関わりのない、名前も知らない、初めて会ったばかりの相手だ。だからこそ、なにを話してもこの場限りの話で終われる。
 弱っているアメリは心の内を、つらくてかなしい気持ちをだれかに聞いてほしかった。そんなアメリにとって、声をかけてきたラウルはまさにうってつけの存在だった。

「いい人……。うん。私でよければ……」

 ラウルは多少にやけながらうなずいた。うつむいていたアメリはそれに気づかずにいくらか気を許し、グラスを両手で抱えてぽつぽつと話し始める。

「……私、恋人に浮気されていたの」
「……えっ」
「ああ、もう……元、恋人かな」

 アメリは力なく笑い、言葉につまりながらも三年間の思い出を語った。
 初めての恋、初めての恋人、なにも知らないまま充実してしあわせだったころのこと。
 ラウルはただそれに相槌を返し、うなずくだけだったが、アメリはなにも言わずに話を聞いてもらえるだけで十分だった。

「……それで、初めて人をたたいちゃった」

 アメリは自分の左手を眺める。掌の痛みと同じくらい、いやそれ以上に胸が痛かった。その痛みにこれが現実だとまざまざと思い知らされ、目に涙が浮かぶ。

「あ、その……」
「っ、ごめんなさい……私ったら、まだ、未練たらしく……」

 現実だとわかっていても、夢であってほしいと願ってしまう。アメリはそんな自分を嘲笑あざわらい、うつむいた。

(……ばかみたい)

 陰鬱な気持ちでしばらく黙り込んだアメリだが、隣で身動きする気配を感じて顔を上げる。そちらに目を向けると、ズボンのポケットからくしゃくしゃになったハンカチを取り出しているラウルが目に映った。

「あっ! い、いや、なんでもないんだ!」

 どうやらラウルはハンカチを差し出そうと考えたようだ。差し出せるものではないと判断したのか、慌ててハンカチをポケットにねじ込んでいる。
 その一部始終を見ていたアメリは小さく笑った。

「……ふふ、やさしいのね」
「んんっ……その……」

 見られていることに気づいたラウルは顔を真っ赤にし、ごまかすように咳ばらいを一つした。そのまま視線をさまよわせ、迷いながらも言葉を続ける。

「その人のことが好き……なんだな」
「……っ」

 まだ好きだったと過去形にできないでいるアメリにはその言葉が響いた。ほろほろと涙を流し、嗚咽おえつし始める。

「……っ、そうなの! こんなことになっても……知ってもっ、まだっ、……彼のことが好き……」

 アメリは最初からだまされ、裏切られていたことを知っても、想いを断ち切れずにいた。
 三年間なにも気づかずに信じ続け、裏切りの真実を知っても未だに想いを抱え続けている自分が嫌でたまらなかった。

「復縁なんて、絶対にありえない、けれど……、でも……っ、…………さみしい……っ」

 心に大きな穴が空いてしまったような感覚だった。かなしくて、苦しくて、なによりさみしい。アメリは感情があふれて涙が止まらなかった。

「あ……」

 ラウルはアメリに手を伸ばした。だが手が震えて触れることができず、そのまま手を引っ込める。

「……えっと、これ……」

 ラウルは再びハンカチを取り出し、おそるおそるアメリに差し出した。アメリはくしゃくしゃになったハンカチを差し出され、小さく笑い出す。

「……ふっ、ふふ……」
「ごっ、ごめん! 汚くて……」
「ううん……」

 アメリは泣きながら笑い、ハンカチを受け取って涙を拭った。くしゃくしゃで不格好でも、それはやさしくてあたたかい。

「……ありがとう……」

 拭っても拭ってもアメリの目からは涙があふれたが、少し気が楽になった。流れる涙を拭い、落ち着きを取り戻したアメリはぽつりとつぶやく。

「私って、本当にばかよね……」

 まだ未練のある自分が情けなくて、悔しい。そんなアメリのつぶやきにラウルは首を横に振った。

「ばかなんかじゃない……と思う」
「え?」
「頭ではわかっていても……気持ちってうまく切り替えられない、よな……」

 その言葉はアメリの心に浸透していく。
 自分の心だというのにままならないもどかしさ。頭ではわかっていても、すぐに想いを断ち切ることは難しい。

(……この人も)

 ままならぬ心に悩み、苦しみながらも生きているのは自分だけではない。アメリはそう思うと少しだけ気が楽になった。

「……そうなの。……わかってくれる?」

 アメリは力なく笑い、うつむく。自分が情けなくてたまらなかったが、名も知らぬだれかの共感がうれしかった。

「ありがとう……」
「いや……」

 アメリは笑いながら小さな声でラウルに感謝した。ラウルは曖昧あいまいに返すと、手に持つ酒に視線を落とす。それから二人の間に沈黙が流れ、少しの気まずさにお互い手に持つ酒に口をつけた。

「……ねえ」

 沈黙を破ったのはアメリだ。驚いて顔を上げたラウルの顔をのぞき込むと、心配そうに声をかける。

「……あなたも、なにか嫌なことがあったの?」
「え……?」
「だって、あなたも……泣いているでしょう?」

 アメリの言葉を聞いて、ラウルは自分が泣いていることに気づいたようだ。
 ラウルは慌ててハンカチを取り出そうとポケットに手を突っ込んだが、そこに目的のものがなくさらに焦り始める。ハンカチはアメリが持っているのだから、どれほど探しても見つかるはずがない。
 アメリは自分のハンカチを取り出し、ラウルの涙をそっと拭った。

「……っ」

 ラウルは突然のことに顔を赤くし、口を閉じる。顔を赤らめながらもそこには困惑の色が浮かんでいた。

「……名も知らない相手になら、言えることもあるんじゃない?」

 アメリはラウルの言葉を返し、少しいたずらっぽく笑った。お互いの名も知らぬ二人がここで話したことは、今夜だけのこと。明日になれば、もう関わることはない他人だ。

「ほら、酔っちゃってるんだから」
「……私は、酔っていない」
「酔っぱらいは、みんなそう言うのよ。私は、酔っていないけれどね」

 たいていの酔っぱらいは、自分は酔っていないと言うものだ。アメリの言葉にラウルは釈然としない表情であったが、表情に反して口を開き、小さな声でゆっくりと語り出す。ラウルもだれかに聞いてほしかったのかもしれない。

「……最近、女性に声をかけられることが多くなって……」

 ラウルはすぐに言葉につまってしまう。どのようなことを思い出しているのか、その顔は倒れてしまうのではと思うほど青ざめていた。

(……自慢……には思ってはいないようね)

 アメリはそばで見ていてかわいそうなくらいに青い顔をしたラウルが心配になった。相当つらい経験をしたのだろうと想像して、ラウルの顔をのぞき込んでやさしげに声をかける。

「……話せば楽になるかもしれない。けれど、話すことがつらいのなら……無理しなくていいのよ」

 ラウルは目に涙が浮かび、慌ててそれを袖で拭った。やさしい言葉をかけられ、堪えようと踏ん張っていた気持ちが緩んでしまったようだ。

「う……っ」

 ラウルははなをすすりながら、涙を隠そうとうつむく。アメリはそれに気づいていないふりをして、手に持ったグラスを傾けた。

「……その」

 しばしの間が空いたあと、ラウルが小さな声で話を続ける。アメリはなにも言わず、ただラウルの言葉に耳を傾けた。

「ある人に告白、されて……、付き合う気も、結婚する気もないって断ったんだ……」
「……どうなったの?」
「薬を盛られて……お、犯されそうに」
「えっ!?」

 アメリは想像していなかったことの展開に驚きの声を上げてしまう。その声を別の意味に受け取ったのか、ラウルは両手で顔を覆いながら言い訳を口にした。

「自分でも、わかっているんだ! 男なのにまだ引きずっているなんて、情けないって……」
「あなた……」
「ごめん、どうしてこんなに情けない……情けないんだ、私は……っ!」

 ラウルは自分を責め続ける。
 アメリは静かに首を横に振り、その言葉を否定した。

「そんなことない。情けなくなんかないわ」

 ラウルはアメリの言葉を聞いて勢いよく顔を上げる。聞こえた言葉が信じがたかったのか、目を見開きしどろもどろになりながら言葉を続けた。

「そっ、……で、でも、私は男で……男だから、こんなこと」
「男とか、女とか……関係ないじゃない。あなたは理不尽な暴行を受けたんだから……怖かったでしょう?」

 ラウルは再び目を見開き、言葉を失った。潤んだ目から涙がこぼれ落ち、ほろほろと流れ落ちる。

「……そ……う……っ、うぅ……っ」

 それから、体裁も気にせずに泣いた。アメリはその姿を笑ったり馬鹿にしたりなどせず、ただその隣で心に寄り添う。

「……怖かったんだ……私は……」
「……うん、そうだね」
「いまでも思い出して……、もう、酒、呑まないと、女の人に話しかけられないし……」
「……つらいよね」
「もう三年も! 勃たなくなったし!」
「……そ、それは……つらい、ですよね」
「つらいっ! 女の人怖い! でも女の人が好きだ!」
「うん、うん」
「このまま一生童貞なんて、いやだあぁ……」
「……うーん」

 酒と感情の暴発でとんでもないことを暴露しているラウルだが、本人はまったく気づいていない。そのまま顔を両手で覆い、さめざめと泣き続ける。

(本当に、つらかったんだろうな……)

 アメリは男性特有の悩みについては共感できないものの、ラウルが三年間苦しんでいたことは想像にかたくなかった。少し困ったように首をかしげると、彼女は手に持っていたグラスをテーブルにそっと置く。

「……怖かったね、つらかったね」

 そしてラウルのすぐ隣に移動すると、両腕を広げて彼の頭を抱き、その髪をそっとなでた。

「へ……」

 ラウルは気の抜けた声を出して固まった。そのまましばらく固まっていたが、ややあってアメリの胸に顔をうずめる。アメリが慰めるように頭をなでると、ラウルが小さな声をもらした。

「……た……」
「た?」
「……勃ちそう……」
「えぇっ!?」

 アメリが腕を離して身を引くと、ラウルは自分の股間に目を向ける。

「……どうしよう」
「えっ!? ……私にどうしようと言われても……」

 涙目で自分の股間を見つめるラウルに、アメリは反応に困って視線をさまよわせた。この流れだ、ラウルが自分に反応したということはわかる。

(……そういう意味……ではないようだけれど……)

 ラウルはアメリに目もくれず、ただ自分の股間を凝視している。彼は誘っているわけではなく、本当にどうしていいのかわからないようだ。
 二十四年間、女性とそういった関係になったことが一度もない男が、そのような誘いなどできるはずもない。

(だからって……じゃあ、とはならないわ)

 アメリはラウルが三年もの間苦しんでいたことは不憫だと思っているし、このまま一生童貞だと嘆いていることも哀れだとは思う。
 だが、それとこれとは話が別だ。
 アメリはそっとしておこうと思ったが、ほんの数時間前のことを思い出して考え直した。

(……いえ、もう私は……一人だもの)

 みさおを立てる相手はもういない。アメリはやけになっている自覚があったが、自分にやさしくしてくれた不憫な青年を元気にできるのならと考え、小さな声でラウルに提案する。

「……なら、試してみちゃう?」

 ラウルはアメリの言葉の意味をすぐには理解できず、ぽかんと口を開いて固まる。ややあって理解できたのか、勢いよく身を乗り出して大きな声を上げた。

「い、いいのかっ!?」
「ちょっ、……声が大きいわ……!」
「えっ!? あ、……ごめん」

 ラウルは慌てて両手で口を押さえ、椅子に座り直す。その目が期待に満ちているのを見て、アメリは小さく笑った。

「あなた、いい人だし……私ももう一人になっちゃったから……ね。今夜だけ、忘れさせてよ」

 アメリは三年間の思い出を、ラウルは三年間の苦しみを忘れるために。お互いに慰め合う、今夜限りの関係だ。

「……お願いします!」

 ラウルは立ち上がると、アメリの前に直立して深く頭を下げた。アメリは目を丸くして呆然とラウルを眺めていたが、しばらくして噴き出す。

「っふ、ふふ。もう……」

 雰囲気もなにもない、けれどもその必死な様子がアメリには不思議とかわいく思えた。
 アメリが席を立つと、ラウルは二人分の金をカウンターに置く。

「じゃあ……!」

 ラウルはアメリの手をつかみ、足早に酒場を出た。アメリは逆らうことなく笑いながら従い、二人は近くの宿に入っていった。


 二人が入ったのは近くにあった安宿の一部屋。壁は薄くベッドは簡素なものだ。それらが気になったアメリは荷物の中から小さな箱状のものを一つ取り出した。

(使えるかな……)

 それはアメリが試作した魔道具だ。狭い範囲ではあるが、一定時間、音を遮断する結界を張る魔法を発動させる。元はエドガールがこんなものがあったら便利じゃないかと提案したものだった。

(……まさか、こんなところで使うことになるなんて)

 エドガールにお披露目する機会は未来永劫なくなり、まさか別の男と使うことになるとは、とアメリは内心で自嘲じちょうした。
 そんなアメリの様子に気づくこともなく、ラウルはベッドの前でおおいに焦っている様子だった。きょろきょろ辺りを見回して、額には汗が浮かんでいる。

「……ねえ、あなた」
「えっ!?」
「気分悪くなったりしていない?」
「あ、……だっ、大丈夫だ、問題ない!」

 問題ないという顔ではなかったが、アメリはそれ以上なにも言わなかった。
 ラウルの顔は真っ赤だが、気分が悪くなったわけではなさそうだ。自分で童貞だと暴露していたので、初めてのことにどうすればいいのか戸惑っているのだとアメリは受け取った。

「服、脱いじゃおうか」
「あ、あぁ! うん。そうだなっ」

 ラウルは帽子を目深まぶかにかぶったまま上の服を脱ぎ始める。アメリはその様子に小さく笑いながらそっと近づき、帽子に触れる。

「先に、こっちじゃない?」
「……あっ、忘れていた……」

 アメリが帽子を脱がせて眼鏡を外すと、ラウルはゆっくりと顔を上げた。琥珀色こはくいろの目と目が合い、アメリは思わず息を呑む。
 くるりと巻いた金色の髪はつやがあり、同じ色のまつげもくるりとカールしている。肌は白くきめ細やかで、鼻筋がすっと通ってとても整っていた。

(……女性から言い寄られるって言っていたけれど……うん、たしかに納得の顔ね)

 帽子と眼鏡の下に見えていた顔でも十分に美しく見えていたが、アメリはその全貌を改めて目の当たりにして感嘆する。酒に酔っていて顔が真っ赤でも、十分に美しいと表現するに値するだろう。

「……あの……」
「……えっ? あ……ええと、どうしたの?」

 うっかり見惚れていたアメリはラウルの声で意識を引き戻す。顔を真っ赤にしたラウルはおそるおそるといったようにアメリに問いかけた。

「……キス、していいか……?」
「えっ、キス?」

 ラウルは気恥ずかしそうに、視線をさまよわせてもじもじとしている。

(……その顔なら、なんでも許されそう)

 キスは好きな人としかしないとみさおを立てる必要もなくなったアメリは、悩むことなくうなずいた。

「あなたがしたいなら、どうぞ」

 アメリが許可した途端、ラウルはぱっと表情を明るくする。ラウルはがちがちに緊張したままぎこちない動作でアメリの肩をつかみ、唇に自分の唇をそっと押し当てた。

「……大丈夫そうね」
「あ……ああ」
「じゃあ、もうちょっと……」

 アメリは両腕を広げてラウルの背に回した。ラウルの反応をうかがい、恐怖や拒絶がないことを確認しながら目を閉じて唇を差し出す。ラウルもアメリの背に腕を回し、二人は抱き合いながら軽い口づけを交わした。


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