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🍀本章🍀

第二話『 The Hanged Man / U 』 上

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 法雨みのりがあのオオカミ族の青年たちと出会ったのは、今から数か月前のことだった。
 ある時期から法雨に目をつけていたらしいその青年たちは、他の従業員に手を出されたくなければお前の身体を貸せと言って法雨を脅した。
 そしてそんな彼らの脅しを、法雨は“呑んでやることにした”。
 実のところ、法雨は彼らに声を掛けられた時、いかにもといった彼らに抵抗するのは容易だと気付いていたのだ。
 もちろん、もとより家族同然に愛する従業員たちに手を出されるという事だけは絶対に避けたかったが、きっと警察にさえ連絡してしまえば彼らは大人しく引き下がるだろう。
 法雨は直感的にそう感じていた。
 だが、そうしなかったのは、その選択肢を選ぶのには気が進まなかったからだ。
 それに、今回の件は自分の身体ひとつ与えてやれば収まる事だ。
 法雨はその時にそう結論を出した。
 だから法雨は、大した威圧感も感じないそんな彼らの言葉に応じ、彼らが望むがままに自分の身体を与えてやったのだった。
 そしてそんな行為は、彼らがあの倉庫の安全性を過信し、見張りを怠らせるほどに幾度となく繰り返された。
 だが、従業員たちにさえ手を出されないならそれで構わない。
 法雨はそうも思っていた。
 そして何よりも、彼らは法雨を抱くことはしても暴力を振るう事はなかった為、法雨としては、ただ複数人に順々に抱かれているという程度にしか感じていなかったのだ。
 そして、自分を求められている事を感じられ、ある種の満足感も得ていた。
 だからこそ、通報もしなければ被害届も出さなかった。更に言えば、自分がこうして食われていれば、彼らが他の者に手を出す事はないだろうという考えもあり、結局は数か月間、抵抗せずに彼らとの歪な関係を持ち続けたのだった。

 しかし、そんな彼らと法雨の食事会は、その場にあの男が現れた日からぱったりと途絶えたのだった。
 そして、法雨は心なしかその事に少しだけ安堵していた。
 何とも思っていなかったとはいうものの、良い気持ちのするものではなかった。
 だから、
――これで終わったのなら……
 と、法雨はそう思っていた。

 だが、終わりを告げたかのように思われたあの日から、更に一カ月が経過したその日。
 結局彼らは再び、法雨の店へとやってきたのだった。
 
 
― ロドンのキセキ-翠玉のケエス-芽吹篇❖第二話『The Hanged Man/U』 ―
 
 
(……あれで懲りたんじゃなく、ただ警戒して間をあけていただけね……。どうせ繰り返すのよ……もうどうにでもなれだわ……)
 その日、動ずることもせず、他の客と同じように彼らを出迎えた法雨みのりは、心の中でそう達観した。
(今日の服、汚したくなかったのに……)
 その時、法雨は既に抵抗するなどという気持ちは抱かなくなっていた。
 それゆえに法雨はただそんな事を思いながら、その日の業務を通常通りにこなしていった。

 だが、その日の零時頃。
 その青年たちは法雨を動揺させるような行動をとった。
 なんと、いつもなら明け方の閉店間際まで居座っていた彼らが、すでにその時間に会計を済ませ、店を出ようとしていたのだ。
 これまでは毎度のように終業後の法雨を狙って常に閉店間際まで居た彼らが、わざわざ店に来ておいてなぜこのような時間に。
(まさか……他の子に……?)
 法雨は彼らのその行動からそう懸念し、店内の従業員にささやかな嘘の断りを入れ、店を出た彼らの後を追うようにして店を出た。
(他の子にあんな事させるなんて絶対に許さない……)
 そして法雨はそう思いながら、足早に彼らの後を追った。

 その後、法雨はすぐに彼らに追いついた。
 次いで、その背に向かって強い口調で言い放った。
「待ちなさい!」
 すると、青年グループの何人かは肩をびくつかせるようにして恐る恐る振り返った。
 そして、戸惑うようにしながらも法雨の制止に応じた彼らは、それぞれ法雨の事を見るなり、気まずそうに目を反らしていった。
 そんな中、あのリーダーの青年が、その灰色の毛並みを揺らがせ、仲間たちの間を割るようにして歩み出てきた。
 そして彼は、何か強い意志をもったような表情で、法雨と向き合うようにした。
「何だよ。今日は何もしてねぇだろ」
 リーダーの彼は、硬い表情のまま静かにそう言った。
 だが、法雨はそれに反発するように強い口調で言葉を返した。
「今は……いえ、“アタシには”ね。――これは一体どういう風の吹き回し? まさか、今度は別の子に手を出してるんじゃないでしょうね」
「してねぇよ」
 そんな法雨の言葉に、彼は苛立たしげにそう言った。
 だが、法雨は黙したまま彼を見返す。
「………………」
「……んだよ」
 そして、あくまでも平静を装うとしているのか、彼はそんな法雨を牽制するようにそう続けた。
 だが、法雨の責めたてるような視線についに耐えられなくなったのか、今度は声を張りげるようにして言った。
「――ッ、なんもしてねぇって言ってんだろ! 疑うなら確認してみろよ!!」
 だが、法雨はそれに一切動じることなく冷淡に言葉を返した。
「そんなの無駄じゃない? どうせアタシの時と同じように、口封じ済みでしょう?」
 すると、そんな法雨の言葉に更に刺激されたのか、動揺する仲間たちに構わず彼は再び怒鳴りながら訴える。
「んだよ、マジで何もしてねぇよ! アンタなら話せば嘘つかされてるかも分かるだろ! 信じろよ!」
 だがそんな彼に呆れたように笑い、法雨は言葉を返す。
「信じる? どうやって? 信じて貰えるような人徳がアナタたちにあるとでも思って?」
「それは……」
 すると、そんな法雨の言葉についに叩きのめされたのか、彼は苦しげな表情のままそう言い、その後言葉を失ったかのように押し黙った。
 そして少しの間その場に沈黙が流れた。
 そんな中、今度はリーダーの傍に居たもう一人の青年がおずおずと彼に声をかけた。
「な、なぁみさと……やっぱちゃんと言おうぜ……。店長サンの言う通りさ……俺らがいくら言っても信じて貰えるわけないって……何もしないだけじゃやっぱ無理だよ……分かってもらえないかもしんないけど……やっぱ離した方がさ……」
 どうやらリーダーである彼は“京”という名らしい。
 その京は、そんな仲間の言葉に何かを迷うようにして言葉を返す。
「でもよ……」
 しかし、何やら相談し合っているらしい彼らを、法雨はその視線で更に追い立てるようにする。
 すると、それに耐えきれなくなったのか、別の青年が法雨に言った。
「あ、あの、俺たちその……こないだあの人に――」
「おい馬鹿! それは言うなって言われただろ!」
「えっ……あ……」
 ただ、そんな彼の発言は何やらまずい内容だったのか、京がその青年を嗜めるように制した。
 だが、法雨はそれをみすみす逃がすつもりはなかった。
「何? もう遅いわよ。洗いざらい全部話してちょうだい。――それができないなら……、これまでの事をすべて警察に報告するわ」
「……っ」
 すると、そんな法雨の一言がとどめとなったのか、京は法雨にしぶしぶと承諾の意を返した。
「いいでしょう。じゃあ、今からアナタたちがお気に入りだったあの倉庫に行ってちょうだい。話はそこで聞くわ。アタシはお店に一度戻ってから向かうから、大人しくそこで待ってなさい。――もし逃げたら承知しないわよ」
「わ、分かったよ!」
 法雨を囲んでは欲のままにその体を貪っていた時の余裕はどこへやら。
 彼らはすっかり法雨の気迫に屈し、叱られた子供のように尾と耳を垂れさせながら、馴染みのあるであろう倉庫へと向かったのだった。
 
 
 
「あぁ良かった。ちゃんと居たわね。偉いわよ」
 数か月前と打って変わり、倉庫に入ってきた法雨からそんな言葉を受けても、オオカミ族の彼らはただ気まずそうにしてその場に佇んでいるだけだった。
 数か月前ならばきっとそのまま法雨を囲んで押し倒すくらいしていただろうが、今はまさに、それが形勢逆転といった具合であった。
「突っ立ってられても話しにくいわ。適当に座んなさいな。商品や備品の上じゃなきゃ腰かけても構わないわ」
 彼らの退路を塞ぐようにして、倉庫の入口である鉄扉に寄り掛かり腕を組んだ法雨がそう言うと、彼らは大人しくそれに従い、それぞれ床や縁などに腰を落ち着かせた。
 そして、法雨は彼らが落ち着いたところで、京に問うように言った。
「それで? アナタたちが突然お利口さんになった理由は何なのかしら?」
「………………」
 すると、そんな法雨の言葉に一度目を反らし、戸惑うような沈黙を置いた後、京はぎこちなく言葉を紡ぎ始めた。
「……店長サンは……獣性異常じゅうせいいじょうって知ってますか……」
 彼は法雨に対し、最早反抗心すらないのか、先ほどとは違う丁寧な口調でそう問うた。
 そしてそんな彼の言葉を聞き、法雨は微かに目を見開く。
 それは、彼が突然そのような態度をとったからではない。
 その獣性異常という単語を聞き、なんとなく彼らの背負っていた事情を察したからだった。
「……えぇ、専門家ほどではないけど……アタシたちネコ科も獣性が強い種族だからね……無縁のヒトたちよりは知ってる事は多いわ……」
 法雨や、彼らの暮らすこの世界には、けもの族と亜人あじん族と呼ばれるに種族が存在する。獣族は、その身体全体が毛や鱗で覆われた、言語や文明を持たない種族で、対する亜人族は、法雨たちのように言葉を駆使し、更には多くの文明を築き、様々な発展を遂げてきた種族だ。
 またその亜人族は、ヒトの体をもちながらも、その体の一部に獣族の名残を残したままの外見が特徴的で、主に耳や尾が獣族のそれと同じ様相をしているのである。
 因みに、彼らの住む世界は《Lunaルーナ》と呼ばれているが、その《Luna》には人間という種族は存在しない。
 もちろん多くの微生物をはじめ植物なども存在するが、その世界において生態ピラミッドの上位に位置するのは、この亜人族と獣族だ。
 そして文明を発展させてきた事で力を得た為、現在頂点に位置するのは、亜人族と言っても過言ではない。
 だが、そんな彼らは獣族を先祖とする故、ヒトの形をとるようになった今でも、獣の名残を残している部分はいくつかある。
 それが、主には尾や耳、目などというわけだが、それ以外にも、欲求に対する本能が名残を残している事も多いのだ。
 そして、亜人族たちはそれを“獣性”と呼んでいる。
 また、この獣性は草食科の亜人より、雑食または肉食科の亜人が多くもつという事が医学的にも証明されているのだ。
 その中でも特に、肉食科は獣性が強いだけでなく、自制が困難な“獣性異常”と呼ばれる体質をもって生まれてしまう事もあり、イヌ科が最もそうなりやすく、次いでネコ科やクマ科、その他猛禽類に属する亜人たちもそのリスクが高いとされている。
「もしかして、アナタ……獣性異常なの……?」
 
 
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