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🎐本章❖第五話🎐

第五話『 友の行方 』 - 01 / 05

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 かけがえのない、今は亡き友の皮を被った化け物。
 それは、雪翔ゆきとが初めてあの夢に落ちた時にもこう言った。
 お前は俺のものだ、誰にも渡さない、――と。
 そして雪翔は、その言葉に酷く困惑したのを覚えている。
 もしもそれが本当に彼ならば、――それが本当にしゅんならば、――そんな事を言うわけがないからだ。
 俊は生前、雪翔以外の人間からは一線を置いていた。
 彼の中で、雪翔だけは特別だったらしい。
 そして、そんな俊は、唯一心を許せるのは雪翔だけだ、というような事も言っていた。
 また、その気持ちがその一線すらも越えさせたのか、高校生の時には、俊の一声をきっかけに、初めて体を重ねたりもした。
 だが、――なぜだかは分からないが、――そこまで距離を縮めても、二人の間に恋愛感情が芽生える事はなかった。
 確かに、お互いに依存心といったものはあったかもしれない。
 ただそうであっても二人は、その本心から、友以外の関係になる事を望まなかったのだ。
 それゆえに二人は、最後の最後まで親友という肩書を変える事はなかった。
 そしてだからこそ、雪翔は夢の中の俊に違和感を感じる事ができたのだ
 それに生前の彼は、そもそも雪翔を独占するような事も、独占欲を誇示するような事もなかったのだ。
――俺を嫌わないで欲しい。この先も俺と一緒に居てほしい。この先もずっと親友で居てほしい。
 そうは言った。
 だが、生前の彼は決して、雪翔を他の者の手から遠ざけようとはしなかった。
(だから、あれはやっぱり、俊じゃないんだ)
 雪翔は、激昂し、雪翔を逃がさないと言ったあの化け物の言葉を思い出しながら、――その事実に安堵した。
(よかった……、悪夢の事はまだ怖いけど……でも、それが分かっただけでも今はいいや……。――あれが俊じゃなくて、本当によかった……、よかった……)
 そして雪翔はそう思いながら、その晩、今は亡き友を想い、禰琥壱ねこいちの腕の中で目を閉じたのだった。
  
 
― 言ノ葉ノ綿-桔梗の夢❖第五話『友の行方』 ―
 

 その日。 
 雪翔は心地よい眠りを経て覚醒した。
 そして、そんな雪翔がぼんやりと目を開けると、白く清潔感のある壁が見えた。
(あれ……?)
 そしてそこで、雪翔は何かを探すようにしてシーツを撫でた。
 そうして撫でた場所には昨晩、禰琥壱が居た。
 雪翔が眠る直前まで、彼は雪翔のすぐ近くに居たのだ。
 だが、雪翔を覚ますと、そんな彼は居なくなっていた。
(禰琥壱さん……?)
 雪翔は、その事に妙に不安になり、やや焦るような気持ちで身を起こし、室内を見回そうとした。
 だがそんな時、雪翔に穏やかな声がかけられた。
「居るよ」
 それは、禰琥壱の声だった。
「あ……」
 雪翔はそれに弾かれるようにして禰琥壱を見た。
 すると、雪翔の背面に位置するベッドの淵に、禰琥壱は腰かけていた。
 そしてそんな禰琥壱はまた、やや大きめの古めかしい書物を膝の上に載せている。
 どうやら、読書をしていたようだったが、覚醒後の雪翔の様子を見受け、彼の不安を悟った為に、“居るよ”と声を掛けてくれたのだろう。
「大丈夫」
 そんな禰琥壱は更にそう続けた。
 そして、安心させるようにして雪翔の髪を柔らかく撫でては、目元にかかった彼の前髪をそっと除けるようにした。
 優しげな双眸。大きな手。そして彼の体温と穏やかな微笑み。
 雪翔は、それらに酷く安堵した。
 だが、そうして安心したからか、雪翔はその後すぐに気恥ずかしさを覚えた。
 心の余裕からか、昨晩の自分の様子を客観的に振り返ってしまったからだ。
 その為雪翔は、目の前の禰琥壱に、まず謝罪を述べる事にした。
「あ、あの、禰琥壱さん……えと――昨日は、すいませんでした……その、色々と……」
 すると禰琥壱はまた笑って言った。
「ふふ、謝らなくて大丈夫だよ」
 雪翔は昨晩、取り乱してもおかしくない恐怖体験をした。
 だからこそ、禰琥壱がそう言うのも頷ける。
 だが、禰琥壱のその様子から見るに、雪翔がどういった気持ちから謝罪を述べているのかをまた察したのだろう。
 その口調は、心労へ――というよりも、その気恥ずかしさへの言葉に感じられた。
「う……すいません」
 そして、そうであろうと察した雪翔は、頬を赤らめるようにしてまた一つ謝った。
 すると、そんな雪翔を宥めようとしてくれたのか、禰琥壱はまたやんわり雪翔を撫でた。
 そして、穏やかに問う。
「あれからは、よく眠れたかい?」
 雪翔は、そうして撫でられる心地よさと、その状況への気恥ずかしさでいっぱいになりながら頷いた。
「はい」
 すると、禰琥壱は目を細めて微笑んだ。
「そうか、それはよかった」
 だが、今の雪翔にはもう、そんな彼に笑顔を返す余裕がなかった。
 そうして撫でられ、優しげに微笑まれるその状況から、心地よさよりも徐々に恥ずかしさが勝ってきていたのだ。
(な、なんか駄目だ……今、禰琥壱さんの顔見れない……別に、禰琥壱さんの事好きになったとかじゃないと思うんだけど……)
 そして雪翔はそう思いながら、なぜかどんどんと火照てってゆく頬に戸惑っていた。
 だが、そんな雪翔の火照りは察してくれなかったのか、禰琥壱は無慈悲にもまた雪翔の名を呼んだ。
「あぁそうだ。雪翔君」
 すると、雪翔の体が無意識に動いた。
 そしてその結果、雪翔は返事と共に、反射的に禰琥壱の顔を見てしまったのだった。
「あ、は、――は……、ぃ……」
 更にそれだけではない。
 雪翔はそうして禰琥壱の顔を見てしまった上、ばっちりと視線が合ってしまったのだった。
 そんな事から、雪翔の頬は更に熱くなった。
 だが、とことん察しが良いはずの禰琥壱は、この状況には酷く不思議そうな顔をした。
「ん? どうかした?」
 しかし、今回ばかりはその事が救いとなった。
「あ、い、いえ! なんでもないです!」
 雪翔は、そこでなんとか視線を反らす事に成功したのだ。
 そして雪翔は、先ほどとは別の意味で安堵しながらも、続きを促した。
「なんであの――さ、さっきの続きをどうぞ!」
 すると、そんな雪翔の様子がおかしかったのか、また一つ笑った。
「ふふ、そう?――ならいいんだけど」
 そして、雪翔に問題があったわけではないらしい事を確認した禰琥壱は、そのまま続けた。
「えっとね――今日、お昼に馴染みの後輩が来る事になっていてね。――それで、君はどうするかなと思って」
「後輩、ですか?」
 雪翔は、そのうち徐々に火照りが治まってきた事に安堵しながら、禰琥壱にそう問うた。
 禰琥壱は頷く。
「そう。うちの学部の四年生なんだけど――一応、彼が居る間は、俺はリビングに居る事になるから――その間、君はどうするかなと思って」
「なるほど」
 雪翔はそこで、一つ悩むようにした。
 すると禰琥壱は続けた。
「――もちろん、君の好きなようにしてくれていいよ」
「好きなように……」
「そう。――こうして二階で自由に過ごしててくれてもいいし、――あるいは、夜桜よざくらさん達が来た時みたいに、また一緒に話をしたりしても大丈夫。――君の体調や気分次第で決めてくれていいよ――どうする? もう少し悩むかい?」
「えっと、じゃあ――」
 雪翔はそこで、心が望むままの答えを告げようとした。
 だが、戸惑うようにして言葉を切り、また考え込むようにした。
(――本音を言えば、俺も一緒に居たいし……話も聞きたい……――でも……院にまで行った禰琥壱さんの後輩って事は……)
 雪翔は想像する。
 そう。この勤勉な禰琥壱の馴染み――と言うくらいだ。
 きっとそんな後輩は真面目に違いない。
(そんでもって絶対地味系だ)
 恐らくだが、その外見は、派手でもなければ、見目もまさに優等生のような人物だろう。
(そんな優等生と禰琥壱さんが話す内容だろ?――俺絶対分かんねぇぞ)
 きっとその日彼らが交わすのは、間違いなく専門的で頭脳派な会話だ。
 そしてそんな優等生な後輩は、これまでの人生をすべて正しく生き、自分のように下らない遊びをしたり、不良学生とは真逆の人生を送ってきたはずだ。
(そんな立派な人生送ってきた人間とこんな俺が同じ空間に居るとか……ダメじゃね……)
 雪翔はそう考えるなり、また虚しさを感じた。
(それに、正真正銘のバカが居たら、邪魔なだけだろうしな――………………でも)
 だが、雪翔はそう思っても諦めきれない気持ちもあった。
 本音を言うなら、夜桜達の時のように、その後輩からも様々な話を聞いてみたいのだ。
 また、四年生という事は、自分よりも一つ上の先輩だ。
 大学の四年間を真面目に勉学に費やし、そして、今、己が少しずつ興味を持ち始めている民俗学という分野に通ずる人だ。
 更には、禰琥壱の馴染みの後輩だという。
 それらの要素を踏まえると、雪翔の好奇心が刺激されないわけがなかった。
 そこで、雪翔はしばし考え抜いた果てに、一つ禰琥壱に尋ねる事にした。
「あ、あの」
「ん? なんだい?」
 雪翔が悩む間も急かさずに待ってくれていた禰琥壱は、また穏やかに応じた。
 雪翔は恐る恐る問う。
「その、それって、俺みたいなのが居ても大丈夫なんでしょうか?」
 すると、禰琥壱は不思議そうな表情をして言った。
「え? もちろん、大丈夫だけど――“俺みたいなの”って、学部外とか、そういう事かい?」
「あ、いえ……その……――」
 雪翔はそれに、少し口ごもるようにした。
(そういえば俺、禰琥壱さんに、勉強は苦手だとは言ったけど――授業なんてほとんど代返で済ませてきたとか、課題もコピーか他人任せだったってのは言えてなかったんだよな)
 雪翔は悩む。
(でも――今更それ言って、禰琥壱さんに呆れられるのも怖いし……このまま夢の事でも見放されたりなんてしたら俺……――)
 そして雪翔はそう考え至り、今はとりあえず、総括して抽象的な回答をする事にした。
「その、なんていうか俺……正真正銘のバカで、中身もクズなんで……そんな俺がそこに居たら、邪魔じゃないかなって思って……」
 すると禰琥壱は、そんな言葉に一つ驚いたようにした。
 だが、それからすぐに穏やかに笑って言った。
「ははは、またそんな事を言って。――大丈夫。邪魔になんてならないよ。――それに、君はバカでもクズでもないよ」
「……――ありがとうございます」
 雪翔は、そんな禰琥壱の言葉に胸が痛んだ。
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