上 下
13 / 49
🎐本章❖第二話🎐

第二話『 亡霊との逢引 』 - 02 / 07

しおりを挟む
「あ、はい! 大丈夫です! どのくらいで着きそうですか?」
『ん~、あと五分くらいかな』
「わかりました。お待ちしてます」
『うん。それじゃあ向かいます』
「はい!」
 雪翔ゆきとは、そうして禰琥壱ねこいちとの通話を終えると、気怠い体を起こし、ざっと身支度をした。
 雪翔が初めて禰琥壱と出会ってから数日が経過したその日。
 雪翔は、今度は雪翔の家で、禰琥壱と会う事になっていたのだった。
 
 
 
「お邪魔します」
「はい、暑い中ありがとうございます」
「いえいえ」
 宣告通り、禰琥壱はおよそ五分と少し経過した頃に、雪翔の家のインターホンを鳴らした。
 そんな禰琥壱に、雪翔はおぼつかない手つきでスリッパを出した。
「えと、どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
 禰琥壱はそれに礼を言い、丁寧に履いた。
 そして禰琥壱は、次いで手に持っていた上品な紙袋を差し出して言った。
「これ。お口に合うか分からないんだけど、もし良かったらご家族と」
「えっ……あ、ありがとうございます。暑い中来てもらってるのにすいません……」
「いやいや、俺が勝手に思った事だから」
 雪翔の両親は共働きである為、その日も家に居ない事は禰琥壱にも伝えてあった。
 だが、禰琥壱はいずれにしても手土産を持ってくる予定だったのだろう。
 そんな禰琥壱に恐縮しつつ、雪翔は有難くそれを頂戴して、そのまま冷蔵庫に入れた。
 こういったやりとりを久方ぶりにした雪翔は、改めて禰琥壱の“大人”な部分に恐縮した。
「――あの、俺、全然こういうのできなくて……今出せるのも、作り置きの烏龍茶とかしかないんですけど……」
 そして、共にキッチンまで連れ立った禰琥壱に、またたどたどしく振舞いながら雪翔は言った。
 すると、禰琥壱はまた首を傾げるようにして笑み、楽しそうに言った。
「あはは、ありがとう。――でも、そんなにかしこまらないで大丈夫だよ」
「は、はい」
 雪翔はそれに安堵しつつ、母お手製の烏龍茶をグラスに注いだ。
 そして、グラスの氷が程よく溶けたのに満足した雪翔は、その足で禰琥壱を自室へと案内した。
 その後、雪翔に案内され、程よく冷やしておいた部屋に辿り着いた禰琥壱は、背丈の低いテーブルを挟み、雪翔の向かいに腰を落ち着けた。
「頂きます」
 そして、また丁寧にそう言った禰琥壱に、雪翔は慌てるようにして言った。
「あ、はい! どうぞっ」
 禰琥壱は、そんな雪翔を微笑ましく感じたのか、また楽しそうに、ふふと笑った。
 雪翔は、そんな禰琥壱の笑い方一つにすら上品さを感じ、どぎまぎとした。
 そうして雪翔が妙な気恥ずかしさすら感じている中、一息ついたらしい禰琥壱がそっと口を開いた。
「――それで、まだ数日だけど、あれからどうだい?」
 禰琥壱は、案じるような表情ではあったが、あくまでも穏やかにそう問うた。
 雪翔はそれに、少しぎこちなく答える。
「あ、えっと……夢は……相変わらずです」
「そうか……」
 その答えを受け、禰琥壱は心配の色を濃くしてそう呟いた。
 雪翔は、そんな彼の表情にチクリと心が痛んだ。
(多分禰琥壱さんは、あれからも“毎晩、悪夢を見てる”って思ってるよな……)
 禰琥壱の表情から、雪翔はそう思った。
 だが、実際は違う。
 あれから今日までの間で、例の悪夢を見たのは、今日の昼に見たあの一回だけだ。
 ここ最近、雪翔は睡眠薬を服用して眠っている。
 その為、今日のようなミスを犯さなければ夢を見ずに済んでいるのだ。
 だが、雪翔はその事を言い出せなかった。
 その事を話せば、禰琥壱に止められると思ったからだ。
 禰琥壱は理解者だが、それ以前に常識人で、大人だ。
 よって、そんな人間が、睡眠薬の過剰摂取を良しとするわけがない。
 だからこそ、その事は伏せようと思ったのだ。
(どうしても言わなきゃいけなくなったら言おう。だから、とりあえず今は黙って――)
「――確か、限界まで眠らないようにしていると言っていたけど、体調は平気かい?」
 だが、そう決意した雪翔の心を覗き見たかのように、禰琥壱はそんな問い掛けをした。
 雪翔は、それに思わずドキリとしたが、なんとかすぐに答えを返す事に成功した。
「は、はい! それは大丈夫です。一応、寝てはいるので」
「そうか」
 すると幸いにも、禰琥壱はその返答に納得してくれたようだった。
 雪翔はそれに安堵した。
(……そうだ……一応、限界まで起きてるって事は話してたんだよな……)
 だが、そうして安堵する雪翔に反し、禰琥壱はなぜか少し苦笑するように微笑んだ。
 雪翔はその表情に、また冷や汗をかいたが、恐らくそれは、睡眠薬の事を勘付かれたのではなく、空元気のような対応をしてしまったからだろう。
(もしかして、無理に元気そうにしてるって思わせた……?――だとしたら余計心配させちゃったな……ええと――と、とりあえず話題を変えよう)
 そこで雪翔は、あえて明るすぎないように言った。
「え、えっと……、今見た感じ、――部屋の中とか、家の中は大丈夫そうですか」
 すると、急な話題転換にも関わらず、禰琥壱は訝しむ様子もなく雪翔に笑顔で応じた。
「あぁ、うん。そうだね。この家にも、この部屋にも、――特に悪い物があるとか、悪霊を呼び込むような物はないようだね」
「そうですか……良かった……」
「うん。安心して大丈夫だよ」
 それは、無理矢理は話題転換ではあったものの、それはそれで、雪翔が非常に不安に思っていた事だった。
 その為、禰琥壱の言葉を受け、雪翔はそれにほっと胸をなでおろした。
 そしてそれにより、その日の主目的が一つ果たされたのであった。
 実はその日、禰琥壱が雪翔の家に来たのは、雪翔にとある不安があったからであった。
 そして、その不安というのは、あの悪夢が、雪翔の実家や、この部屋が原因で起こっているのではないか、というものだった。
 雪翔を悩ませるあの悪夢は、雪翔が実家に帰ってから見るようになった。
 とはいえ、大学生になるまでの間には、実家に居ようともこのような事はなかった。
 その為、雪翔自身も、その可能性は低いとは思っていた。
 だが、雪翔は大学生になって以降、ずっと家に居たわけではない。
 それに、雪翔は一年間も行方不明になっていた期間がある。
 その為、その一年間の間に実家に何かあった可能性はなくはない。
 そして、もしそうでなかったとしても、雪翔はあのアパートで女の霊に遭遇しているのだ。
 その為、もしかしたらあの女は自分に憑いてきてしまったのではないか。
 そして、“雪翔自身があの女を家に連れ込んでしまった”事で、今度はこの家や雪翔の部屋に棲み憑いてしまったのだとしたら、いずれは雪翔だけでなく、両親にも被害が及ぶかもしれない。
 雪翔はそう思ったのだ。
 だからこそ雪翔は、無理を承知で禰琥壱に頼み、実家の中を視て貰おうと思ったのだ。
 もちろんのこと、雪翔は元々、霊視ができるだとか、霊感があるなどと言われても、インチキだと決めつけてかかるタイプだった。
 だが、禰琥壱のその異様な程に浮世離れした雰囲気からすっかり盲信してしまった事もあり、今の雪翔に彼の力を疑う余地はなかった。
 そして、そんな禰琥壱に因れば、やはりこの家にも、雪翔の部屋にも、そういった“何か”は居ないと言う。
 雪翔はそれにより、ざっと部屋の中を見回し、今一度安堵の溜め息を吐いた。
 そして、ふと思った事を口にした。
「あの、禰琥壱さん」
「ん? なんだい?」
「えっと――今更なんですけど……、禰琥壱さんって、幽霊を視る事ができる、んですよね」
 雪翔はぎこちなく問うた。
(家に何かいないか調べてほしいとは言ったけど……幽霊が視えるのかって訊いてなかったから、気になってはいたんだよな……)
 すると、そんな雪翔の問いに、禰琥壱は顔色一つ変えずに答えた。
「あぁ、うん。そうだねぇ……視えると言えば視える、のかな」
「ほぁぁ……」
(すげぇ……なんか今のすげぇ本物っぽい……)
 そうして、穏やかな微笑みと共にそう答えた禰琥壱に、雪翔は思わず気の抜けたような感嘆の声を漏らし、勝手に感動していた。
 すると今度は、そんな雪翔に禰琥壱が問うた。
「念の為にだけど――この部屋では、降霊術みたいな危険な事はしてないんだよね」
 雪翔は、己やしゅんもまた“視てしまった”側の人間であるというのも忘れ、初めて出会ったと思い込んでいるその“本物”の禰琥壱に対し、すっかり呆けていた。
 だが、そんな禰琥壱からの問いにより現実に引き戻された。
 そして、また慌てるようにして答える。
「あ、は、はい。ここではそう言う事はしてないです。――それに、そう言う事してた時も、家族とか、他人を巻き込む可能性がある場所ではやらないっていうのは決めてたので」
「そうか」
「はい」
 禰琥壱の言った“危ない事”――というのは、先に挙げられた降霊術や、あるいは呪術のようなものの事だ。
 実は一年前、――あのアパートに住む前から――雪翔と俊は非常に馬鹿な遊びを繰り返し行っていた。
 そして、その馬鹿な遊びというのが、素人知識でやる降霊術や呪術と云ったものだった。
(今でこそ、あんなの馬鹿がする遊びだと思うけど――あの時は、そんな事思わなかったもんな――むしろ、危険だからこそスリルがあって面白いって思ってたくらいだし……)
 雪翔は、一年前までの自分達を振り返っては心の中で溜め息を吐いた。
しおりを挟む

処理中です...