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第二話『 泥 』 - 02 /07

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 綺刀が、ベッドでのゆったりとした時間を過ごしながらその香りを楽しんでいると、先ほど禰琥壱が寝室に置いていったスマートフォンが点灯しているのに気が付いた。
 画面を見るに、どうやら誰かからの着信を示しているようだった。
「センセー、着信~」
「んー?」
 風を通す為にと、寝室とその隣の部屋に通ずる扉が開け放されていたので、体の気怠さもあり、綺刀はその場から隣の部屋に居るであろう禰琥壱に声をかけた。
 綺刀が禰琥壱を"ネコセンセー”と呼ぶ理由は、彼が綺刀も所属するその大学にて教授代わりになっている事が由来している。
 実は、禰琥壱が所属する研究室の担当教授が禰琥壱以上の変わり者で、授業以外は文字通り放浪の旅に出てしまう為、教員用の研究室にすらまずいないという自由人なのだ。
 そして、その教授が禰琥壱をずいぶんと気に入り、ある時期から研究室の鍵を託し、彼に留守を任せるようになってしまったのであった。
 ただ、禰琥壱は、その教授を恩師として慕っている為、二つ返事でその留守を引き受けてしまった。その結果、生徒たちからの課題の受け取りや授業の相談などを、教授の代わりに引き受ける始末になったのだが、それすらも問題なく禰琥壱はこなしてしまった。
 そうしてそんな事が知れ渡り、禰琥壱は今、学内の名物院生となっている。
 それにより、禰琥壱よりも三年後に入学した綺刀は、禰琥壱と親しくなってゆく中で、――じゃあ先輩、もう先生じゃん。どうせ教授になるんだし問題ないな――と、禰琥壱の事を"ネコセンセー"と呼ぶようになったのだった。
 そんな禰琥壱は、案の定隣の部屋に居たらしく、綺刀の呼びかけに応じて、やや古びた本を片手に寝室まで戻ってきた。
 そこで、今一度綺刀が着信について告げると、禰琥壱は、ベッド近くの小さなテーブルを遠目に見やり言った。
「――……あぁ、うん。いいよ、そのままで。教えてくれてありがと」
 禰琥壱は、確かに点灯しているスマートフォンを見たものの、それを取りに行く素振りを見せなかった。
 そして、そのまま寝室の扉淵に寄り掛かると、ただ微笑んで礼を言うのみであった。
 そんな禰琥壱は、普段ハーフアップにしている髪を、片側の肩に一纏めにして垂らしていた。
 それにより、普段と少しイメージが違う禰琥壱に目をとられつつも、そのような返答を受けた綺刀は、その着信が誰からなのかを悟った。
 すると、綺刀が禰琥壱の意図を悟った事がわかったのか、彼は今一度にこりと笑んだ。
「さて、朝食は何にしようか」
 禰琥壱は、未だに点灯し続けているスマートフォンがまるで見えていないかのようにそう言った。
「んー……だめだ。なんかあんま思いつかない」
「ふふ、綺刀君、朝食べない子だもんね」
「うん……起きたばっかって咀嚼すんのめんどくさいし、濃い味が入ってくんのも重い……」
「じゃあ、綺刀君は薄味の冷たいスープにでもする? 勿論このまま寝ててくれてもいいけど」
「いや、起きる……スープ飲む……」
「うん」
 自分だけであればきっとこのまま寝ていただろうが、せっかく禰琥壱の家に来ているのだ。寝こけていては勿体ない。そう結論が出た綺刀は、のっそりとベッドから出る。
 その間も、スマートフォンは点灯し続け、画面には着信を知らせる表示が映し出されていた。
 綺刀はそれを横目で確認しつつ、ドアを開けて待っている禰琥壱のもとへと歩みを進め、二人で階下へと降りていった。
 その後、どれほどの時間その着信が続いていたかはわからないが、当分はそのままだったのだろう。
 あの着信が誰からだったかと言えば、特に誰からというわけではない。
 綺刀がその着信表示に気付いてから、数分経過してもあの着信表示は表示され続けていた。本来ならば、留守番サービスに接続が切り替わるほどの時間が経っても、一切切り替わる事なく着信表示のままだったのだ。
 なぜそうだったのかといえば、それは、スマートフォンが故障したからでも、通信サービスが障害を受けていたからでもない。単純に、あれは、人間から発信されているものではないから、というのがこの現象の答えだ。
 だからこそ、禰琥壱はスマートフォンのディスプレイが目視できるような距離でもない場所から、そのままでいい、と言ったのだ。
 この家では、――というより、禰琥壱の周りでは――このような事は日常茶飯事である。
 死者、またはそれ以外の見えざる者たちは、自らを認知できる生者を見つけると近寄ってくる。
 自分の存在を知ってほしい。思いを知ってほしい。声を聴いてほしい。願いを叶えてほしい。意図はそれぞれだが、何かしらの思いを抱き、彼らは近寄ってくる。
 それにより引き起こされる怪異的な現象が、禰琥壱の身にはかなり起きやすいのだった。
 だが、綺刀は禰琥壱がそれらに対し動じたところを一度も見た事がない。
 それどころか、それらに対し、禰琥壱はいつも穏やかに対応し、時には構ってやるほどの余裕まで持っている。
 そんな事を綺刀がやろうとすれば、いくら犬神いぬがみという番犬を飼っているとはいえ、とてもじゃないが心身共に耐えきれないだろう。
 だが、禰琥壱はそれをやってのける。おそらくそれもまた、禰琥壱が"人間であって人間でない"からなのだろう。
 これ以上の事は自分もわからないが、禰琥壱はそういう"特別な存在"なのだ。
 だから、"この家"にも住んでいられる。
「どうかな、それなら食べられそう?」
「うん、うまい。ありがとセンセ」
「どういたしまして」
 テーブルの向かい側に座った禰琥壱は、ロールパンを手に取り微笑んだ。
 禰琥壱は、いつもそうして安心させてくれるような笑みを向けてそばに居てくれる。
 きっと、禰琥壱のような特殊な人間でなければ、この家に居る限り微笑んで生活するような事はできないだろう。
 綺刀がこうして、何の気なしにこの家に寝泊まりできるのも、禰琥壱が居るからだ。
 綺刀は、禰琥壱がいない時には決してこの家に立ち入ることはない。また、それは、禰琥壱からも固く禁じられている事でもある
 その理由はただ一つ。この家が、"よろしくない家"だからだ。
 今でこそ禰琥壱による封がなされているが、禰琥壱がこの家を譲り受けなければ、ここは今頃、誰も住む事のない空き家として老朽化していた事だろう。
 この家は、一見すれば住宅街にあるやや立派な一軒家なのだが、その実態は、これまでの持ち主が次々と不幸に見舞われ、その度に安値で売られて来たというような物件だ。
 そして、最終的には、今の一つ前の持ち主である霊能者が持つ事になったのだが、その霊能者も、この物件を所有していたというだけで、この家に住んだ事は一度もないのだそうだ。
 また、その霊能者の話によれば、当時はこの家に近付くだけでも体調に害が出るほどだったという。
 だが、そんな強力な負の力で満たされていたこの家も、禰琥壱が浄化や封をした後に住み続けた結果、このように負の力に当てられやすい霊能者であっても、何の問題もなく過ごせる家になったのだ。
 これもまた、人間であって人間でない禰琥壱の力なのだろう。
 実のところ禰琥壱には、この家の他に、彼が兄弟たちと暮らしている実家がある。
 ゆえに、この家がある程度浄化されて以降は、ここに居座る必要がない限りは実家の方で生活をしているのだった。
 その為、普段は実家には置けない大量の資料を保管する場所として使い、後はこのように綺刀や友人たちと過ごす際や、集中して研究に時間を費やす際などにこの別宅を利用しているのだそうだ。
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