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第一話『 観 』 - 04 /06
しおりを挟むその日。
梓颯たちは、その少女と出会ったのを最後に、廃墟を後にする事となった。
そうして三人が廃墟を去る頃には空はすっかり赤く染まり、その色でその時の時刻を示しているようだった。
梓颯は、帰路を辿る車内でその光景を思い出しながら、運転中の禰琥壱に話しかける。
「あの、禰琥壱さんは、黄泉送りも出来るんですよね」
「うん。一応、それに似たような事はできるよ」
やり方は違うけどね、と禰琥壱は言い添えた。
「あの、じゃあどうしてあの子をあのままに?」
その日、廃墟の屋上で出会った少女は、意識が途絶える瞬間を感じたいが為、霊になってもなお、あのように自殺を繰り返しているそうなのだ。
だが真実、どんなに頑張っても、そんな事はできはしないのだ。
それは禰琥壱もわかっているはずなのに、なぜ彼女をこの世に留めたまま放っておくのか。
梓颯は、その理由が知りたかった。
彼女は、いわゆる地縛霊だ。
ただ、一口に霊と言っても、彼女の場合は魂ではなく思念体としてこの世に残っているという形なのだが、そんな彼女が何度も何度もあそこから落下する事により、彼女の思念があの場所に根を張ってしまった。それゆえに、――彼女自身が気付いているかはわからないが――、彼女はもう、あの場所以外に行けなくなってしまっているのだ。
そんな彼女を案じた梓颯の問いに、禰琥壱は少し考えるようにして答える。
「ううん、そうだねぇ。――必要がないから、かな」
「必要がない?」
「うん。今日、あの子の話を聞いていてわかったと思うけど、あの子は自分の意思であそこにいるわけだ――」
「はい」
そう。確かに、あの少女は、そこから離れたいとも、あの状況から解放されたいとも言ってはいなかった。
だが、だからといってあんな孤独な状況で永遠と死に続けるなんて苦痛でないはずがない。それに、彼女はもう、他の人間がどうにかしてやらない限りは、あそこで死に続ける以外に辿れる運命はないのだ。
梓颯は、改めてその事を考え、それなのに今回もまた何もできずに帰ってきてしまったのだと再び後悔の念に駆られた。
そんな梓颯に、禰琥壱は言葉を紡ぐ。
「そうだな。――例えばだけど、今、梓颯君の目の前に大きくて立派な椅子があるとしよう。そして、その椅子の上では、一匹の仔猫が気持ちよさそうに眠っている。――ではそんな時、梓颯君は、その椅子からその仔猫を無理矢理どかそうと思うかい?」
「えっ、い、いえ。そんな可哀想な事は……」
「うん。つまり、そう言う事」
「え?」
不思議そうにする梓颯に、禰琥壱は続ける。
「仔猫は、心地よいからこそ、その椅子で寝ている。でも、その椅子は、仔猫にとっては大きすぎる。なんたって人間用だからね。――でも、それを、大きすぎるからとか、人間用だからと言って無理矢理どかすなんていうのは、その人間の価値観しか考えない“自分の為だけの行動”だ。――さて、この考え方ついては、君も共感してくれるかな?」
「はい」
「ありがとう。じゃあここで、その仔猫と、あの子を置き換えてみて。――どうかな? あの子はあの屋上に居たくて居る。あの屋上で己の死を探求したくてあそこに居る。そして、この世に居たくてこの世に居る。でも、あの子は死者だ。世俗としては、死者は皆、黄泉の国に行くのが当たり前だ。そうするとその場合、世俗の都合上、この世もあの屋上も、あの子には相応しくない場所となるわけだ……――うん。そうなると、世俗の都合でいうならば、あの子を黄泉送りにして、あの場から無理矢理どかした方があの子の為だな。よし、ではあの子を無理矢理にでも説得して黄泉に送ろう――」
禰琥壱は、一度そこで言葉を切り、よりゆっくりと言葉を紡いだ。
「俺が思うに、――それは、さっきの仔猫を無理やりどかすのと同じ。その人間の価値観でしか死者の事を考えない、自分の為にしからなない行動だ」
「…………」
「現状のあの子に対し、俺が黄泉送りをするというのは、つまり、そう言う事になるんだ」
梓颯は、禰琥壱の言葉を聞き、己を恥じるような気持ちになった。
梓颯は、彼女の為にと思えばこそ、なぜ彼女をあのままこの世にとどめておくのか、死者ならばあの世に送ってやるべきではないのかと思っていたが、それは梓颯の物差しによる勝手な考えなのだ。
だが、この世に残りたいと思っている彼女からすれば、それはお気に入りだからこそ好んで座っていた椅子から、無理矢理引きずりおろされるのと、何ら変わりのない事なのだ。
そんな事にも考え至れなかった自分を恥じていると、そんな梓颯を知ってか知らずか、禰琥壱は再び言葉を紡ぐ。
「まぁ、俺があの子を黄泉送りしない理由は、あの子の意思を知っているからというのもあるんだけど、もう一つ理由があってね」
「もう一つ?」
「うん――俺はね、そもそも、あの子を死者だとは思ってないんだ」
「……え?」
すっかり俯いてしまっていた梓颯だったが、禰琥壱の予想外の言葉に思わず顔をあげる。
「ここから先は、俺の勝手な戯言だと思って聞いてくれればと思うんだけど、俺はね、この世にとどまっている魂や思念はすべて生き物だと思ってるんだ」
「生き物……」
「そう。別にこの思想を誰かに理解してもらいたいわけでも、学会でこの定義を確立したいわけでもない。――だから、個人的な考え方としてだけど、俺はそう思ってる。つまり俺にとってあの子は生者なんだよ。今はもう、人間ではなく思念になってしまって、肉体も魂もないけど、あの子は今や、会話もできるし意思もある。だから、今のあの子は、思念という形の生き物であり、生者と代わりない存在であると、俺は思ってるんだ」
梓颯は、ただ後部座席から見える禰琥壱の横顔を見ながら、彼の話に耳を傾ける。
その様子をミラーで確認した禰琥壱は、ふと微笑んで話を続ける。
「例えば人は、生者から魂が抜けたらその生き物が死んだと言う。でも、それは人間が作った定義からの判断にしか過ぎず、死という概念もまた同じ。――例えば、機械が壊れて機能停止した場合、“故障した”とか“壊れた”と言うけれど、霊魂が宿っていると思っていない人でも、ある人は、その状態を見て、機械が"死んだ"と言ったりする。――死という概念、生きているという概念なんてのは、結局はそんなものだ」
「考えてみれば、そうですね……」
梓颯は、禰琥壱の言葉を一つずつ丁寧に噛み砕き、ゆっくり呑み込んでみる。
禰琥壱は、そんな梓颯をミラーで確認しながら、ゆっくりと話を進める。
彰悟は、ただ黙ってその梓颯の横で夜空を眺めながら、二人の会話に耳を傾けている。
「だから俺は、あの子を生者だと思っているし、例え死者だと思っていても、誰かが望んでとどまっているなら、その意思を尊重したい気持ちは変わらない。――とはいえ、迷惑をかけていたり、誰かを傷つけていたなら話は変わって来るけどね。まぁ、これはまたケースバイケースかな。――でも、誰に対しても問題がないなら、彼らの好きにさせてあげればいい。だから、あの子が望まない限りはあの世への手助けはしない。――と、俺があの子をに送らない理由はこんなところだね」
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