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脱走! 脱走! 大脱走!!

*金星地表*

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 轟音が鳴り響き、辺りの地面が激しく揺れた。
 続いて衝撃波が襲ってくる。ちょうどその時、ゴーダとタルトは小さな窪地の中で、金星服を地面にへばりつかせて爆風をやり過ごしていた。
 金星服は、一般的な宇宙服と全く違う代物だ。普通の宇宙服で金星の地表に出ようものなら、五秒であの世に行く。
 九十気圧、四百℃という地獄のような環境に耐えるための装備は、只でさえ重い気密服をさらに重くしていた。
 さらにそれを使用する環境は、〇・九一Gという地球とほとんど変わらない重力下。とてもじゃないが、人間の力ではそんな物を着て動く事はできない。
 だから、金星服には、関節部に補助動力が組み込まれ、装着者の動きに合わせて動くようになっていた。
 ちょっとした、機動歩兵のような物だ。
 爆弾を落としていった航空機が頭上を通り過ぎたのは、それから五分後だった。
「行ったか?」「行った」
 二人は窪地から這い出した。
「う!」
 窪地から這い出したタルトの目に映ったのは、累々たる死体の山。
 もちろん、死体と言っても、すべて金星服の中にあるので本当に死んでいるかは分からないが、ここでは気密服が破損すれば中の人間はほぼ確実に死ぬ。
「ここまでやる必要があるのかよ?」
 込み上げてくる吐き気をこらえながら、タルトは呟いた。
 その呟きに、ゴーダが答える。
「もちろん、必要があるからやったんだ。分かっていないようだが、お前は凶悪犯罪者達と行動を共にしているんだぞ」
「でも……」
「時間がない。急ぐぞ」
 ゴーダは歩き出した。
 タルトも、その後を追いかける。
「なあ、ぼうず」
 前を歩いているゴーダが不意に話しかけた。
「タルトって呼んで下さい」
「分かった。じゃあタルト、おめえ、本当に教授の子供なんだな?」
「そうですよ」
「じゃあ、おめえもあれができるのか?」
「あれ? あれって、なに?」
 タルトには、ゴーダが何を言いたいのか分からなかった。
「そう……なんて言ったかな? そうだ! テレポーテーションだ」
「瞬間移動? なに言ってるの?」
「だってよお、教授はやってたんだぜ」
「まさか」
「嘘じゃねえ。そうでもなけりゃ、どうやって俺に脱走話を持ち掛けれるんだ」
「ばかな!?」
 実はタルトも、ずっとその事を疑問に思っていた。父が、何度もこの男と面会した事は知っていたが、囚人との面会は当然監視付きである。看守の前でヤバい話を、できるはずがない。
「教授は、何度も面会に来たんだ。もちろん、面会室は監視付きだ。当然、脱走話などできるはずがない。ところが、面会時間が終わって、俺が部屋に戻ると、決まって教授が俺の部屋に先に入って待っているんだ。どうやって、入ったか聞いても教えてくれなかったが、おかげで脱走の打ち合わせができた。そして、話が終わると、決まって教授はいつのまにか消えてるんだ」
「………」
タルトはどう答えていいか分からなかった。
 正直、混乱しているのである。
 ゴーダの話、思いあたるふしはないと言い切れない。
 つい最近、自分達も経験した事だ。もちろん、タルトは生前の父に、そんな能力があるなど聞いたことがない。
 生前の父には……しかし、父がこの男と会ったのは、生きてる時である。幽霊ならともかく、生身の人間にそんな事が……
 あれから、航空機は現れなかった。
 一度、無線で投降を呼び掛けて来たが、それっ切りである。
 歩いている間、タルトの脳裏に疑問がわいてくる。
 脱獄囚がいきなり攻撃を受けるなんて、思っていなかった。
 その理由は簡単。金星自体が巨大な監獄だからだ。
 だから、刑務所自体の警備は手薄で、出て行こうと思えば簡単に出て行ける。
 看守達も脱走者を追跡するなどという無駄な事はしない。
 そんな事をしなくても、脱走者は自分から刑務所に戻って来るか、さもなきゃ金星服のエネルギーが切れて動けなくなったところを捕まえれば良いのである。
 なのに、今回に限り攻撃してきた。
 それと、もっと分からないのはゴーダだ。さっき、航空機が現れた時、誰も攻撃されるなんて思っていなかった。
 航空機に手を振っている奴までいた。
 ただ、一人、ゴーダを除いて。あの時、彼だけが窪地に隠れた。
 タルトは爆撃の寸前にゴーダに引きずり込まれ難を逃れたのである。
「遅いな」
 ゴーダは時計を見た。
「ゴーダさん。僕はシャトルには、あんたを入れて三人しか乗れないって言ったはずだけど、覚えてる?」
「ああ」
「じゃあ、なぜ三十人も仲間を連れてきたのさ?」
「別に連れて来たわけじゃない。ただ、あいつら、俺が脱走する計画をどっかでかぎつけてきやがって、勝手についてきたんだ」
「で、説明したの? あの人達に……」
「言えるわけないだろう。『俺も混ぜろ』と言ってくる奴に、『済まねえが、もう席がないんだ』なんて言ってみろ。監守にチクられるぞ」
「そ……それって……」
 タルトの言葉をゴーダは遮った。
「分かってる。黙ってたってシャトルが来れば、ばれる事だ。そうすると、少ない席を巡って争いになる。ところが、幸いな事に、その心配はなくなったわけだ」
「幸いって、あんた……人が死んだんだよ! それを……!」
「なに。気にする事はない。あいつらは死んで当然のクズ供だ」
 ゴーダは吐き捨てるように言う。
「だって……仲間だろ」
「仲間なもんか! あんな……おい、ぼうず。聞こえないか」
「え?」
 タルトは耳をすました。聞こえる。空気を切り裂く音が。
「シャトルかな?」
「違う! この音は……」答えは山の稜線から現れた。さっきの航空機が。「隠れろ!」
 だが、隠れられるような場所はなかった。まごまごしているうちに、機銃掃射が襲ってくる。
「アブねえ!!」
 ゴーダがタルトを押し倒した。その脇を機銃掃射が通り過ぎる。「な……なんでだよ!? なんで撃ってくるんだよ!?」
 遠ざかる航空機に向かってタルトは叫んだ。
「落ち着け!! ぼうず」
「だって、変だよ! 撃つ必要なんかないだろ!」
「いいから、落ちつけ。奴等が撃ってくるのには理由がある」
「どんな理由があるんだよ!?」
「俺達が、金星からの脱出手段を持っている事を、知っているからさ」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿なことはないさ。なにせ」ゴーダは少し勿体を付けた。「なにせ、俺がばらしたんだからな」
「うそ……だろ」
「うそじゃない。逃げる前に、書き置きを残しておいた」
「なんで……そんな事を……」
「考えてみろ。あの人数をぞろぞろ連れて行ったらどうなるか。シャトルに三人分しか席がない事がばれたら、殺し合いになるぞ。そして、殺し会いが収まるまでシャトルは待ってくれん。おそらく、全員置いてきぼりだ。余分な人数を減らすにはあれしかなかった」
「そんな……それじゃあ、あんたは最初からあの航空機が攻撃して来る事を知っていたのか!?」
「そうさ、だから俺だけ隠れたんだ。あの時、お前以外に生き残った奴がいたら、俺の手で始末するつもりだった。それとも、何かい? お前も、一緒に死にたかったか?」
「それは……」
 タルトは答えに困った。
「いいか、タルト。人が他の生物を殺すのが許されるのは、二通りある。一つは食べるため。もう一つは身を守るため。俺は悪党だが、少なくともこれだけは守っていた」
「今回は?」
「身を守るためだ。俺達が助かるためには、あいつらを殺すしか方法がなかった。もし、他に方法があったと言うなら、教えて欲しいくらいだ」
「それは……」
「俺だって、できれば殺したくはない。今までも、俺は人を殺した事があるが、それが楽しいと思った事は一度もない。いつも後悔が付きまとっていた。例えそれが合法だとしても、生き物を殺す事を楽しむ奴は本当のクズだ。そして、この刑務所に来る奴等は、本当のクズばかりだった。どいつもこいつも、シャバでいかに人を殺したかの自慢ばかりをしていた」
「クズなら、殺しても良いって言うのかい」
「そうは言ってねえ」
「まあ、それはしょうがないけど、現実問題として、あの航空機が戻って来たら、どうするのさ? もう、死んだふりは通じないよ」
「ああ、それなら心配ない。あの手の機体には、そんなに弾丸は積めないはずだ。さっきの射撃で、もう撃ちつくしたろう」
「なるほど」
 再び爆音が聞こえてきたのは、ちょうどタルトが頷いた時だった。
「うそつきぃぃぃ!!」
 金星服の運動能力を最大にして、タルトは走った。
 その背後から、土煙の列が迫る。
「ど……どうやら、新型だったようだな」
 同じ様にゴーダも走っていた。
「どうすんのさ!?」
「走れ!! とにかく、全力疾走だ。奴が俺達に追い着くのが先か、奴の弾が尽きるのが先か勝負だ」
 勝負は目に見えてるような気がする。
 タルトがそう言おうと思ったとき、目の前の空で硫酸雲を突き破ってそいつが現れた。
「シャトルだ!!」
 タルトが叫んだ時、シャトルの機首からバルカン砲の火線が伸びた。
 火線は真っ直ぐ、航空機に突き刺さる。
 落ちて行く航空機から、パイロットが脱出するのが見えた。
『やっほー・向かえに来たでぇ!』
 金星服の無線機から、若い女の声が流れた。
「お……遅いじゃないか! ミルさん」
 タルトは、シャトルに向かって叫んだ。
 久し振りに聞いたミルの声に、思わず目頭が熱くなる。もう、何年も会ってなかった様な気分だ。
『すまへんなあ。実はうちらの隠れていた彗星に、キラー衛星が攻撃をかけてきてな。そのせいで少し遅れたんや。堪忍な』
「攻撃!? ネフェ……船は無事なの!? ショコラは!? モンブランは!?」
『二人ともピンピンしとる。もっとも、ショコラは少々拗ねとるけどな』
「そりゃあ、そうだろう。しかし、なんで見つかったんだろう?」
『どうも、どっかで、情報漏れとったみたいなんや』
「ほう」
 タルトは、金星服ごしにゴーダをにらみ付けた。
「どこのどいつだ。情報を漏らした奴は」
 わざとらしくつぶやくゴーダ。
「あんただ。あんた」
 ゴーダの背後で、タルトはぼそっとつぶやいた直後、突然ゴーダが呻いた。
「ぐ!」
「どうしたの?」
「ぼうず、すまねえが背中を見てくれ。妙に熱いんだ」
「背中?」
 タルトは背後に回り込む。
「どっか、穴が開いてないか?」
 タルトは広い金属の背中をくまなく捜した。
 そうしている間にも、ゴーダの灼熱感はますます強くなる。
 一方シャトルも、二人から百メートル離れた場所に着地した。
 その時タルトは見つけた。バックパックに着いた弾痕と、その近くの金星服本体に走る小さな亀裂を。まだ、外気が侵入するところまでいっていないが、すでに断熱材まで亀裂が入ってる。
「あったよ。亀裂だ」
「ふさいでくれ」
 タルトはポーチから補修テープを取り出した。
 だが、テープを貼るより一瞬早く気密が破れる。九十気圧の熱気が、鋭いナイフのようにゴーダの皮膚を切り裂いた。
「ぐおお!」
 ゴーダは絶叫し、苦しそうに地面を転げ回る。
「ゴーダ! しっかりして」
 タルトはゴーダに飛び付き、服の非常停止ボタンを押した。
 暴れ出す前にテープを貼れたので、熱気の流入は止まっていたが、すでにゴーダは虫の息だった。
『どないしてん!? ゴーダはん』
 ミルが心配そうに聞いてきた。
「バチが当たった……ようだ」
 ゴーダは声を絞り出すように言った。
「ゴーダ! 喋っちゃだめだ! 今、シャトルまで担いでってやる」
「よせ……無駄だ。今の俺には、シャトルのGには耐えられん。……ねえちゃん。聞いての通りだ。済まないが……お宝の在処を……教えてやるわけにはいかなくなった」
『なんやて!?』
「だが、心配しなくても良い。少々……捜しにくくなるが、お宝の在処はメモに書いてあんたの仲間に……に持たせてある」
 それが、ゴーダの最後の言葉だった。
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