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水神
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半時後、太郎と依織は連れだって家に戻ってきた。
村人の一人が二人に気づいて指をさす。
「いたぞ」
村人達が集まって太郎を取り囲む。庄屋が一歩前に進み出る。
「太郎。お前にはすまねえが……」
「水神の生贄にするのでしょ」
「お前、分かっていて戻ってきたのか?」
「お嬢さんから聞きました」
「依織!? おまえ、逃がそうと」
「お嬢さんを怒らないでください。俺は戻ってきたのだから」
「しかし、なぜ? 生贄にされるのだぞ」
「庄屋さん。俺はこの三年間、餓死するつもりでいました。しかし、いつも空腹に負けて庄屋さんの差し入れを食って生きながらえてしまっていた」
「そ……そうだったのか?」
「生贄にするなら、そう言ってくれたらよかったのに」
「いや、普通そんな事言ったら逃げるだろ」
「そうでしたね。ハハハ」
「なあ、太郎。本当にいいのか?」
「ええ。ただ一つだけお願いがあります」
そう言って太郎は家に入っていった。程なくして出てきた太郎の手には位牌が握られていた。
「母の位牌です。俺が居なくなったら、誰も供養する者がいなくなる」
「分かった。それはわしが何とかする」
庄屋は位牌を受け取った。
「それとですね。俺みたいな痩せ男じゃ、水神様も満足しないかもしれない」
「どうするというのだ?」
「酒を持っていきましょう」
「酒? しかし、水神様が酒を飲むなど聞いたことないぞ」
「お嬢さんに聞きましたが、ここの水神様は蛇紳だそうですね。ならば酒が好きなはず。きっと我慢していたのでしょう。何か事情があって」
こうして、太郎は水神の祠まで連れて行かれた。普通なら生贄は手足を縛られるものだが、太郎は自分から進んで生贄になったのでそれは勘弁してもらった。
「水神様。生贄を連れてまいりました」
庄屋が声をかけると祠の中にある水瓶から巨大な蛇神が姿を現した。
この大蛇が水神と畏怖されているのだ。
水神は太郎を一瞥すると怪訝な表情を浮かべ、人の言葉を話し出した。
「それはなんじゃ?」
「ですから、生贄の太郎でございます」
「たわけ!! 生贄の事を聞いているのではない!! その横にある大きな樽はなんだと聞いている。誰が酒など持ってこいと言った?」
太郎は驚いたような顔をして水神に土下座する。
「これは失礼いたしました。水神様は酒がお嫌いでしたか。みなさん、酒を持って帰ってください」
すると水神は大いに慌てた。
「まて! まて! まて! 誰が嫌いだと言った」
もちろん、水神は大の酒好きである。ただ、過去にこの水神の主であったヤマタノオロチが生贄と一緒に捧げられた酒を飲んで酔いつぶれてしまい、その間に寝首をかかれたという事があった。
それ故に用心深くなっていたのだ。
「おぬしら、何か企んでいるのではあるまいな?」
「め……滅相もない!!」
庄屋は顔を真っ青にして否定する。
太郎もきょとんした顔で。
「企む? 我々がいったい何を企むと?」
「だ……だから、この酒で我を酔い潰そうなどと……」
「お戯れを。水神様がたかが樽酒一つで酔いつぶれるはずないじゃないですか?」
「そうだったな」
水神を酔い潰すにはこの三倍の酒が必要であった。
たかが、樽一つの酒で狼狽えるなどどうかしていると水神は思った。
ヤマタノオロチが酔い潰された時、樽を八つも飲んだのだ。
ヤマタノオロチの首は八つあるが、肝臓は一つである。
それぞれの首は他の首が酒を飲んでいる事に気が付かないまま酒を飲んでしまったために、たちまち酔いつぶれてしまったのだ。
あいにくこの水神の首は一つである。適量以上に飲んでいる事に気が付かないはずがない。
太郎は樽の酒を大きな杯についで水神に差し出した。
「ささ。水神様。今年の新酒でございます」
水神はたちまちのうちに杯を飲み欲した。
「変わった味の酒だな。だが、美味い」
水神は二杯、三杯とお代わりをする。もはや、生贄のことなど忘れて夢中になって酒を飲み続けた。
水神は知らなかった。この地に隠れ住んでいる間に南蛮交易が盛んになり、日本に蒸溜技術が伝わっていた事を。ヤマタノオロチを酔い潰した八塩折之酒は当時としては強い酒であったが所詮は醸造酒。今、水神が飲んでいる酒は八塩折之酒よりも遥かに強い焼酎だったのだ。
やがて、樽の酒は空になった。
「おい!! 酒がもうないぞ」
「水神様、そろそろ俺を召し上がるころでは?」
「おお、そうであったな。十二年ぶりの生贄……ん? 生贄が八人もいるぞ。待て待て、こんなに食えん。生贄は一人でたくさん……」
そこまで言った時、水神は酔い潰れて地面に倒れた。
大いびきをかく水神に太郎は慎重に歩み寄る。
完全に酔いつぶれている事を確認すると、太郎は懐に隠していた宝剣を水神の首に突き立てた。
「グギャアアアア!!」
その悲鳴を最後に水神はこと切れた。
その直後、水神の力で止められていた水脈が開き、ため池は見る見るうちに水で満たされていった。
「水だ!! 水だ!!」
村人たちは大喜びで、ため池の水を浴びせあった。
やがてため池の水は用水路に溢れ田畑を潤していく。
一方、庄屋は真っ青な顔で立ち尽くしていた。
「太郎! おまえいったいなんて事を……祟られたらどうするんだ」
「庄屋様。祟りなどありません。この水神……いやオロチにそんな力はないのです」
依織が庄屋に駆け寄る。
「お父様。これでよかったのよ」
「依織」
「あたし達は、水神に食われるために生きているのではないわ」
依織はオロチの死体を指さす。
「こいつはいつか、退治しなければならなかったのよ」
太郎は宝剣を手に取った。
「この宝剣は俺の御先祖様がスサノオノ尊より賜った物と言い伝えられています。なんでも人を食らう蛇紳を退治する力があるとか。しかし、今日までただの迷信と思っていました」
太郎は剣を鞘に納める。
「俺はこの時のために生きていたのかもしれません」
そうしている間にオロチの身体は崩れていき砂鉄となっていく。
この後、太郎は依織と結ばれ、村の救い主として生涯尊敬されて一生を過ごすのだが、生贄を捧げていたなどというのは村としても体裁が悪いことから、この事は誰にも伝えられず忘れ去られていった。
ただ、後の世には、太郎は村に水を引くため方法を三年間寝ながら考えたと言い伝えられることになったのである。
了
村人の一人が二人に気づいて指をさす。
「いたぞ」
村人達が集まって太郎を取り囲む。庄屋が一歩前に進み出る。
「太郎。お前にはすまねえが……」
「水神の生贄にするのでしょ」
「お前、分かっていて戻ってきたのか?」
「お嬢さんから聞きました」
「依織!? おまえ、逃がそうと」
「お嬢さんを怒らないでください。俺は戻ってきたのだから」
「しかし、なぜ? 生贄にされるのだぞ」
「庄屋さん。俺はこの三年間、餓死するつもりでいました。しかし、いつも空腹に負けて庄屋さんの差し入れを食って生きながらえてしまっていた」
「そ……そうだったのか?」
「生贄にするなら、そう言ってくれたらよかったのに」
「いや、普通そんな事言ったら逃げるだろ」
「そうでしたね。ハハハ」
「なあ、太郎。本当にいいのか?」
「ええ。ただ一つだけお願いがあります」
そう言って太郎は家に入っていった。程なくして出てきた太郎の手には位牌が握られていた。
「母の位牌です。俺が居なくなったら、誰も供養する者がいなくなる」
「分かった。それはわしが何とかする」
庄屋は位牌を受け取った。
「それとですね。俺みたいな痩せ男じゃ、水神様も満足しないかもしれない」
「どうするというのだ?」
「酒を持っていきましょう」
「酒? しかし、水神様が酒を飲むなど聞いたことないぞ」
「お嬢さんに聞きましたが、ここの水神様は蛇紳だそうですね。ならば酒が好きなはず。きっと我慢していたのでしょう。何か事情があって」
こうして、太郎は水神の祠まで連れて行かれた。普通なら生贄は手足を縛られるものだが、太郎は自分から進んで生贄になったのでそれは勘弁してもらった。
「水神様。生贄を連れてまいりました」
庄屋が声をかけると祠の中にある水瓶から巨大な蛇神が姿を現した。
この大蛇が水神と畏怖されているのだ。
水神は太郎を一瞥すると怪訝な表情を浮かべ、人の言葉を話し出した。
「それはなんじゃ?」
「ですから、生贄の太郎でございます」
「たわけ!! 生贄の事を聞いているのではない!! その横にある大きな樽はなんだと聞いている。誰が酒など持ってこいと言った?」
太郎は驚いたような顔をして水神に土下座する。
「これは失礼いたしました。水神様は酒がお嫌いでしたか。みなさん、酒を持って帰ってください」
すると水神は大いに慌てた。
「まて! まて! まて! 誰が嫌いだと言った」
もちろん、水神は大の酒好きである。ただ、過去にこの水神の主であったヤマタノオロチが生贄と一緒に捧げられた酒を飲んで酔いつぶれてしまい、その間に寝首をかかれたという事があった。
それ故に用心深くなっていたのだ。
「おぬしら、何か企んでいるのではあるまいな?」
「め……滅相もない!!」
庄屋は顔を真っ青にして否定する。
太郎もきょとんした顔で。
「企む? 我々がいったい何を企むと?」
「だ……だから、この酒で我を酔い潰そうなどと……」
「お戯れを。水神様がたかが樽酒一つで酔いつぶれるはずないじゃないですか?」
「そうだったな」
水神を酔い潰すにはこの三倍の酒が必要であった。
たかが、樽一つの酒で狼狽えるなどどうかしていると水神は思った。
ヤマタノオロチが酔い潰された時、樽を八つも飲んだのだ。
ヤマタノオロチの首は八つあるが、肝臓は一つである。
それぞれの首は他の首が酒を飲んでいる事に気が付かないまま酒を飲んでしまったために、たちまち酔いつぶれてしまったのだ。
あいにくこの水神の首は一つである。適量以上に飲んでいる事に気が付かないはずがない。
太郎は樽の酒を大きな杯についで水神に差し出した。
「ささ。水神様。今年の新酒でございます」
水神はたちまちのうちに杯を飲み欲した。
「変わった味の酒だな。だが、美味い」
水神は二杯、三杯とお代わりをする。もはや、生贄のことなど忘れて夢中になって酒を飲み続けた。
水神は知らなかった。この地に隠れ住んでいる間に南蛮交易が盛んになり、日本に蒸溜技術が伝わっていた事を。ヤマタノオロチを酔い潰した八塩折之酒は当時としては強い酒であったが所詮は醸造酒。今、水神が飲んでいる酒は八塩折之酒よりも遥かに強い焼酎だったのだ。
やがて、樽の酒は空になった。
「おい!! 酒がもうないぞ」
「水神様、そろそろ俺を召し上がるころでは?」
「おお、そうであったな。十二年ぶりの生贄……ん? 生贄が八人もいるぞ。待て待て、こんなに食えん。生贄は一人でたくさん……」
そこまで言った時、水神は酔い潰れて地面に倒れた。
大いびきをかく水神に太郎は慎重に歩み寄る。
完全に酔いつぶれている事を確認すると、太郎は懐に隠していた宝剣を水神の首に突き立てた。
「グギャアアアア!!」
その悲鳴を最後に水神はこと切れた。
その直後、水神の力で止められていた水脈が開き、ため池は見る見るうちに水で満たされていった。
「水だ!! 水だ!!」
村人たちは大喜びで、ため池の水を浴びせあった。
やがてため池の水は用水路に溢れ田畑を潤していく。
一方、庄屋は真っ青な顔で立ち尽くしていた。
「太郎! おまえいったいなんて事を……祟られたらどうするんだ」
「庄屋様。祟りなどありません。この水神……いやオロチにそんな力はないのです」
依織が庄屋に駆け寄る。
「お父様。これでよかったのよ」
「依織」
「あたし達は、水神に食われるために生きているのではないわ」
依織はオロチの死体を指さす。
「こいつはいつか、退治しなければならなかったのよ」
太郎は宝剣を手に取った。
「この宝剣は俺の御先祖様がスサノオノ尊より賜った物と言い伝えられています。なんでも人を食らう蛇紳を退治する力があるとか。しかし、今日までただの迷信と思っていました」
太郎は剣を鞘に納める。
「俺はこの時のために生きていたのかもしれません」
そうしている間にオロチの身体は崩れていき砂鉄となっていく。
この後、太郎は依織と結ばれ、村の救い主として生涯尊敬されて一生を過ごすのだが、生贄を捧げていたなどというのは村としても体裁が悪いことから、この事は誰にも伝えられず忘れ去られていった。
ただ、後の世には、太郎は村に水を引くため方法を三年間寝ながら考えたと言い伝えられることになったのである。
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