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王国編

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「……大丈夫か、ドナロッテ?」

 気づけば、レスコの腕の中にいた。

「う、うん! レスコは? 腕、大丈夫?」

 レスコはアルス将軍の拳を片腕で軽々しく受け止めたが、その顔はいつもより余裕なさげにみえる。

「意外と、な」

 困った笑顔のレスコを見据えたまま、アルス将軍はしばし固まったが、やがて口元に小さな笑みをこぼした。

「……我の拳を片手で受け止めたな、生意気な小僧め」

 爽快げな声色と共に、その笑顔はみるみる広がっていきーー

「やべっ!」

 逃げるレスコの胸ぐらを掴みあげて、アルス将軍がレスコの額に自らの額を打ちつけた。

 ゴン! と岩塊が打ち合ったような鈍い音がひびく。

「レスコ!」

 焦ったドナロッテを片手で制して、レスコはもう片方の手で自分の額を抱えながら、苛立たしげな声をあげた。

「いきなり何すんだ、ジジィ!」

「ガハハハッ! これでも失神しなかったか、成長したな、小僧!」

 アルス将軍はバンバン! とレスコの背中を叩きながら、豪快に白い歯を輝かせた。

「いて、痛ぇって、手加減くらいしろ!」

 レスコが身をよじって嫌がった。
 
 ーー痛がるレスコなんて、父さんに叩かれる時くらいしかみたことないのに、……
 
 呆然とするドナロッテに気づいたレスコは、戸惑いながら紹介するように言った。
 
「王国では割と知られた話だが、……えっと、このジジイはおやじの師匠だ、ドナロッテ」

「父さんのーー⁈」

「ドナロッテって、やっぱそうだ!」

 驚くドナロッテの声をかき消すように、どっと周囲の熱気が上がった。

「あの赤毛がロレン様の養女、吟遊詩人が謳ってた英雄!」

「一人で帝国の暴君をぶちのめして、四千人の進軍を止めた話よな!」

「しかも手足が拘束されてる状態だったらしいぜ!」

「まじかよ、すんげぇな!」

 ーーちょっと聞き捨てならない尾ひれがついてるけど⁈

 解釈しようとドナロッテが口を開きかけたが、

「なるほど。貴様がロレンの養女か。うむ、それならこの実力にも納得だ」

 アルス将軍にはっきりと認められて、ドナロッテは思わず頬がゆるみそうになった。その時、

「ところで、なぜ貴様に昏睡薬が効いていないのだ?」

 アルス将軍に奇妙そうな顔をされて、ぎくっ! とドナロッテが固まる。

 間違いなく知られればマズイ情報だ。
 瞬時に四方からも疑問の声があふれ出た。

「あの短剣に昏睡薬が塗られてあんだっけ」

「そだそだ、軍団長が数秒で倒れた薬だ!」

「右腕の傷、結構深そうだけれど、……効いてない?」

「そいや、前にも同じことがあったな。おれの昏睡薬をくらったのに、嬢ちゃんがビンビンーー」

 ーーマァァルカスゥゥウ!!

 ドナロッテの形相に気づき、慌ててマルカスが口をひき結んだ。
 
 が、すでにしっかりと聞かれたものだから、「まさか、毒に耐性が、……?!」と人々の憶測が飛びかいはじめた。

 神に愛される特別な存在。
 王国民なら誰しも知っている言い伝えだ。

 このままでは収拾がつかないと思ったのか、

「静まれ!」

 アルス将軍の声がとどろき、異様な静寂が降りかかった。

 場の注目をそらすためか、アルス将軍はマルカスに軽蔑めいた視線を落としながら、宣言するように言った。

「ロレンの娘よ。こやつは命令に従っただけと貴様は言ったが、それは不正解だ。こやつはしっかりと報酬を受けていた」

「そ、それは妹の治療費にーー」

「言い訳はいらん!」

 つい先日うち明けてくれたマルカスの事情を訴えようとしたが、ドスの効いた哮りに断ち切られた。

「こやつは己の利益のために、子どもを裏切った! 同じ王国の血が流れる戦士の恥! 生かす価値なし!」

 五年前。
 マルカスの妹が突如なぞの病いにかかった。

 多くの医師にあたってみたものの、回復の見込みがないとサジをなげられた。

 マルカスはどうにか東西の薬を入手しては飲ませてみたが、妹の容態は悪化していくばかり。

 そうして途方にくれていたところ、王妃に召喚された。

 城の侍女であった妹のことを聞き、大変心を痛めたと言い、帝国王家の秘薬を分けてくれた。

 疑心暗鬼になりながらも、おぼれる者のわらだ。
 
 さっそく妹に薬を飲ませたところ、奇跡的に回復した。
 
 が、その効果は一時的なものにすぎず、薬の再入手には莫大な金がかかる。

『金のために魂を売ったって、妹に知られちまったら、きっと失望されちまう、……それでもおれは、あいつには生きていて欲しいんだ』

 マルカスの憂い顔が頭によぎり、きっ、とドナロッテが唇を噛みしめた。

「……家族を見捨てるのが正義なの?」

「なに?」

「マルカスは妹を見殺しにするべきだって言うのなら、恥じるべきはそっちだ!」

「なん、……だと?!」

「選択肢がなければ、わたしだって同じことをしたはず! レスコを救うためなら、悪魔にだって魂を売るさ、それが家族でしょ!」

 響きわたるドナロッテの怒号に、きらりとレスコの瞳が揺れる。

「マルカスの行いが正義とは言わないけど、彼なりに後悔して子どもの解放に協力してくれた! 事情をいっさい考慮しないで蔑むなんて、許さない!」

 ドナロッテが言い切ったところ、ドォン! と鎖がたち切られた音が鳴りひびいた。

 レスコがマルカスの首を拘束する手枷を切り落としたのだ。

「悪いな、ジジィ。俺はドナロッテと同感だ。こいつは殺させねぇ」

 そう言ってマルカスの襟首をひっぱり立たせると、レスコは鞘をしっかりと握りしめた。
 その隣に移動して、ドナロッテも構えをとった。

 二人は本気で迎え撃つつもりだ。
 アルス将軍は慎重そうな表情をつくり、しばらく考えこんでから、命令するように顎をしゃくってみせた。

 ズン、と兵士らが三人を囲み、いっせいに槍の矛先を向けてきた。

「卑怯だぞ、ジジイ!」

「二対一で構える貴様らが言うか?」

 悪びれる様子もなく、アルス将軍は兵士に向かって指示を飛ばす。

「なるべく怪我させるな。ロレンへの対応がめんどくさくなる」

「待って! 父さんとは関係ないでしょ!」

「なに寝ぼけたことを言っているのだ、小娘。貴様らはロレンの子息、連帯責任を負ってもらうぞ」

「連帯責任、……?」

「なあに、我の軍に協力してもらうだけだ。もっとも、この事態になったのは半分あやつの責任だからな」

 家族思いのロレンのことだ。 
 二人がやらかしたことを聞いたら、きっと駆けつけてくるだろう。

 レスコと二人きりなら逃げ切れるが、マルカスを庇いながらだと自信はない。

 ーー宿屋の子どもと団長のこともあるし、……

「後先考えずにやりすぎた、って顔をしているな」

「…………っ」

「青臭い! ガハハハっ! 嫌いではないぞ。よぉし、貴様らに特別に選択肢を与えよう」

「選択肢?」

「ああ、ここで我と戦って拘束されるか、あやつの命と引き換えに我に協力するか、一つ選べ」

 その提案に、二人は頷くしかなかったことを知っているようで、アルス将軍はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
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