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帝国編
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しおりを挟む「どうしてそんな悲しい顔をするのですか?」
退屈な宴会の最中。
珍しくかけられた声は柔らかく、異国の訛りをおびていた。
「朕が、悲しい顔ーーんん⁇」
言い終える前に、スルッと口の中に何かを押し込まれた。
「悲しい時の特効薬ですよ」
そう言って、男の子は自分の口の中にも同じものを押しこんだ。
にっこりと細められた蒼い瞳と目があった瞬間、周囲の騒音がとぶ。
「まあ、コシモ。ロイ殿下になんてこと!」
あの夜、舌の上に溶けた琥珀色の飴玉は甘く、濃厚なハチミツの香気がしたーー
ヴァルワ邸の高塔。
十日も軟禁されていたロイの顔に、初めて驚愕の色が浮かぶ。
「朕ともう会うことはない、……?」
コシモの言葉をおうむ返しにくり返すと、扉の向こうから素っ気ない声がひびいた。
「ヴァルワ公を支持する複数の文書が届いています。議論はこれからですが、どの道、ヴァルワ公が帝位につき、あなたは幽閉されることになるでしょう」
平素の悪評に加え、ロイは身柄を拘束されている。
最初からこの結果は予測できた。
ただ一つの誤算はーー
「そなたは朕の極刑を要求しない? 母の仇はもうよいと、そう言っているのか、……?」
コシモを手に入れるか、その手で果てるか。
ロイの計算では、そうなるはずであった。
「ああ。私がいま望むものはただ一つ。帝国がドナロッテから手をひくこと。ほかは興味ない」
「ドナロッテ、……」
ふっと面白くない感情がロイのなかに湧きでる。
「そなたの母に花粉の毒をそそのかしたのは朕だと、そう知っての発言か?」
二人の間を隔たる鋼鉄の扉はひんやりと冷たい。
ロイは閉めきった覗き窓に指を伸ばしてみたものの、鉄格子に阻まれて届かない。
ちっ、と内心で舌打ちして、ロイは平然を装う。
「迷子になったフリをして、そなたをあの木の下へ連れていったのも、そなたの父の前で毒入りの菓子を試食したのも、すべて朕の策の一環だ」
どうにかしてコシモの興味を引かなければ、宣言どおり二度と会えなくなってしまう。
これで少しは動揺してくれるだろう。
そう思ったが、
「……そう、でしたか」
期待とは裏腹に、平坦な反応が返ってきた。
「激怒して去っていくと思ったが、ずいぶんと冷静だな」
「寝込んでいる間、色々と考えたのですよ。結局、父を手にかける決断をしたのは母です。うまくやり遂げず、あなたの知謀に負けて利用された。真相は案外つまらないものですね」
真に吹っ切れたのか、はたまた演技なのか。
コシモの表情を確認できず、ロイは奇妙な焦りを感じた。
「朕がそなたの母に再婚を強要したゆえ、異国で果てることになったのだぞ?」
「とはいえ、あなたは事故の偽装に関与していない。それに、あなたはフリンスの皇太子です。国の利益のために動くのは当然。それを理解できず、勝手に勘違いして、裏切られたと恨む私のほうが可笑しかった」
「勝手な勘違い、……?」
「ああ。そもそも、あなたと私は友人でも、なんでもなかったのですから」
バクン、とロイの心臓が痛いくらいに跳ねあがった。
ロイは先代皇帝が三度目の再婚をへて、ようやく恵まれた皇太子だ。
妬まれていつ暗殺されるか分からない。
過保護な母の強い要望で、ロイは生まれてすぐ隔離生活を送った。
長すぎる授業時間。
会うたびに嫉妬羨望に歪む異母姉の顔。
夜な夜なとどろく母のヒステリックな金切り声。
離宮での日々は無聊を極め、ロイは身体の芯まで言いようのない倦怠感に侵されていた。
周囲がここまでロイに興味を示し、取り巻いているのは、すべてロイが『フリンスの皇太子』であるがゆえ。
何かの欠陥で皇帝になれなかったら、みな全員ロイを見捨てるだろう。
少なくとも、おのれの生母は確実にそうするはずだ。
それなのにーー
『ロイが皇帝になれなかったらどうする、ですか?』
ロイの質問に、幼いコシモが悩むそぶりをみせた。
柔らかそうな銀髪を左右に揺らして、ロイを見上げる。
『ロイが皇帝になれなかったら、ここを出られますか?』
『離宮か? うむ。守護する価値がなくなるゆえ、そうなるであろう』
『本当⁈ そうなったらぼくの家に来てくれますか?』
『そなたの家?』
『うん! そしたらずっと一緒に遊べますね?』
古い記憶とともに、どっと苦い感情が込み上げてくる。
誰よりもコシモの一番近くに居たい。
願うものは、たったそれだけなのにーー
「……いな、帝国の利益のためなどではない」
しっかりと握った鉄格子にロイの熱が滲む。
さっきから何度か揺らしてはみたものの、鉄扉は重く、ピクリともしなかった。
「朕は単に、そなたを手に入れたかった、…っ」
コシモはマルディチル家の次期当主で、片方のロイはフリンスの皇太子。
生活拠点が異なるゆえ、成長すれば会えなくなってしまう。
なにより、二人は義務として世継ぎを作らなければならない立場。
コシモが誰かと結婚して、家族を作る。
その思考だけで気が狂いそうになった。
どんな手を使ってでも、その事態を防がなければならない。
たとえ、マルディチル家を潰すことになってもーー
ロイはコシモの父を排除して、その母に再婚を迫った。
そうすれば、コシモは共和国を離れ、戦時中の王国へ赴かなければならなくなる。
あとは乱世に乗じてコシモを攫い、離宮に隠せば良い。
そうすれば、コシモとずっと一緒に居られる。
拳を震わせながら、コシモに洗いざらい吐けば、重たい沈黙がおりた。
さすがのコシモも戸惑ったか、と思いきや、
「あの時、私を誘拐しようとしたのはあなただったのですね」
まるでパズルのピースが全部はまったかのように、コシモがつぶやいた。
「……ふぅん。なるほど。その点だけは、あなたに感謝しないといけませんね」
「朕に、感謝、……?」
「ああ。お陰で私はドナロッテと出逢えたわけですから」
発された名前の響きに、じりじりと燻っていた感情が燃えあがり、冷たい業火となる。
「残念だが帝国がドナロッテから手をひくことはない。彼女の出身を知れば、叔父は必ず彼女を囲い込もうとするであろう」
口を止めたければ、ここから出すことをコシモに要求する。
帝都へさえ帰還できれば、まだ巻き返せるかもしれない。今度こそ、コシモをーー
「……なるほど。やはり鍵はそこなんですね」
「やはり?」
「ああ。実は婚約した時からドナロッテの調査を命じたのですが、収穫がなくて困っていたのです」
予想外の反応に、ロイは面喰らう。
「つまり、そなたは朕から情報を引き出すために会いにきた、……?」
「もともと予想はついているのですが、確証がなくて。時間もないものですから、可能性を絞りたかったのですよ」
そうでなければ、ロイと会話することもなかっただろう。
そう付け加えられ、ドンドンとロイが扉に怒りをぶつける。
「朕が叔父に直訴する! そなたと彼女はーー」
「何をしても、あなたはここから解放されることはないですよ?」
返された現実に、ロイが言葉に詰まる。
「ドナロッテのことを知ったら、帝国が更に混乱するだけ、……と釘を刺したいところですが、私の邪魔さえできれば、あなたは喜んで情報を流すでしょう。その前に対策を考えないといけませんね」
そう呟くコシモの声が確実に遠さがっていく。
「待て、コシモ! どこへ行くのだ? 話はまだ終わってないぞ!」
「とっくに終わっていますよ? どの道あなたとはもう会うことはない」
「本気で言っているのか? コシモ、……?」
返事の代わりにコツコツと階段を降りる足音が響き、ロイが焦りだす。
「待て! 朕が悪かった、過去のことは反省する! 頼む、せめて最後にもう一眼だけ、朕は真にそなたのことが、コシモーー!」
ロイは叫び続けたが、返事が返ってくることはなかった。
高塔を出て、客室に到着したコシモの前に、トルマが駆け寄ってきた。
「おかえり、若閣下。何かいい情報が聞けたのか?」
「ああ。大体予想どおりでした」
「まさか! くっ、ロレンの野郎、ずっと俺らを騙してきたのか、……っ」
「それなりの事情があるのでしょう。それより、まずは逃げた婚約者を捕獲しないと」
「捕獲って、……悪いが、いまの情報が本当なら、俺は子猫ちゃんの味方をするしかなくなるぞ」
「ふぅん? まぁ、そうしてもらって構わない。ただ、最後まで戦わせてもらいますよ」
「王国戦士全員と戦う気か?」
「必要であれば」
「うあぁ、執念深ぇな、……」
ふっ、とコシモは鼻で笑う。
「何を今さら? 私は冷酷で執念深いことで有名ですよ? 必ず勝って見せます」
コシモの清々しい微笑みをみて、トルマはやや意外そうな顔になった。
が、すぐさま口元をゆるめ、温かい目でコシモをみる。
「まずは子猫ちゃんの心を勝ち取れや」
「そうですね。二度と私から離れられないように、いろいろと仕込みましょう。疎かにしてきた分、勉強することが多そうですね」
「いや、俺は心っつったが、……」
「さて、出航の準備です」
トルマを素通りして、コシモはテキパキと侍従に指示を下しはじめた。
【後書き】
いつもお読みいただきありがとうございます♪
帝国編が終わり、次回から王国編に突入します。
王国編は展開重視で書きました。
ストックも残りわずかで毎日更新も来週くらいまでかと思います。
遅筆ですが、最後までお読みいただければ嬉しいです (*´꒳`*)
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