上 下
30 / 48
帝国編

30

しおりを挟む

 
 ドナロッテがふり返った瞬間、扉が開けられた。
 ルビッツだ。
 慌ててきたのか、息が少し乱れている。

「……ここで何をしているんだ、ドナロッテ嬢」

 きょとんとするドナロッテに近づき、ルビッツが険しい顔をつくった。

「えっと、少しコシモの様子を見ようと思いまして」

「彼のことは従者に任せばいい。真夜中に、しかも一人で紳士の部屋に入るのはよくない。君も分かっているだろう?」

 口調はいつも通りだが、明らかに怒っている。
 おそらくトルマが外で何かを吹聴しているのだろう。

 ーー面白半分で変な噂を流そうとしないでよ!

 がっくりとしながら、ドナロッテは理由をとりつくろった。

「今回は出発まで時間がないのと、名目上は婚約者ですし、一応はーー」

「名目上は、だろう?」

「え?」

「君が彼と結婚しなければ、とんでもない醜聞になる。もう少し淑女の自覚を持て!」

 予想外の厳しい叱責に、ドナロッテの目が丸くなった。

「……すまない。少し言いすぎた」

 ルビッツはバツが悪そうな顔をして、声のトーンをさげた。

「い、いいえ。団長の言うとおりでございます」

 希望的観測かもしれない。
 しかし、もしコシモがあの時の少年なら、すべてのつじつまが合う。

「……ただ、もしかしたら、コシモと結婚するかもーー」

「目を覚ませ、ドナロッテ嬢!」

 言い切る前に、がしっと肩を掴まれた。

「マルディチル公は君と結婚する気はない。君の体質を利用したいだけだ。最初からわかっていたことだろう!」

「さ、最初はそう思いましたが、いまはコシモを信じとうございます」

「……彼が君を愛していると言ったからか?」

「言葉だけではございません!」

 顔に熱を感じながら、ドナロッテはブンブンと首をふる。

「コシモの表情とか、雰囲気とか、とにかく、嘘には見えのうございまして」

「表情と雰囲気で判別がつくのか?」

「ある程度は、って、団長、……?」

 ルビッツに頬を撫でられて、パチパチと瞬く。
 太い眉間にグッと力が入り、ルビッツは決意した風で唇をひらいた。

「私のほうが君を愛している、……と言ったら、信じてくれるか?」

「むっ、このくらいで騙され、……」

 固い視線からあやしい圧迫を感じて、ふと動揺する。

 ルビッツの顔がみるみる近くなってきて、とうとう二人の鼻先が触れる。

 唇に熱がこもりーーばっとルビッツが顔をそらした。
 
「……このくらいで動じるなら、判別がつくとは言えない」

「そんな! 不意打ちは卑怯です、団長!」

「貴族はたいてい卑怯者だ、ドナロッテ嬢。おのれの家名を守るためなら、どんな嘘でも平気でつく。マルディチル公も例外ではない」

「たしかにコシモは平気で嘘をつく人です。しかし、今回ばかりは本心だと信じとうございます!」

「はぁ、……君は人を信じすぎだ」

 片方の腰に手をかけて、ルビッツが困った顔をつくった。


に、彼が君を愛しているとしよう。それでも、男爵令嬢の君と結婚するほど、マルディチル公は甘くない」

「…………っ」

 平民出身の君ーーとはっきり言わなかったのは、ルビッツの配慮であろう。
 どの道、意味合いは伝わった。

 ーーわたしはコシモに釣り合わない。

 子どもの頃とちがって、現実はそう甘くない。

 ーーわたしは姫でも令嬢でもない。分かっているはずなのに、……。

 浮かれていた気持ちがサァと冷めた。
 悔しげに唇を噛みしめたら、頭上に厚い手がふりかかった。

「そろそろ出発しよう。用意ができたら、港にきてくれ」

 どこか心苦しげな声色であった。

 ドナロッテは眠るコシモに視線を滑らせてから、弱々しく頷き、ルビッツを追って部屋を後にした。

 荷物と言えるものなどなく、装備だけ整えると、ドナロッテは廊下に出る。
 レスコが待っている裏門に差しかかったところ、影からジャンが現れた。

「……見送りにきたの、副団長?」

 不思議そうに問えば、ジャンは気まずげに目線を落とした。

「勘違いするな。僕は礼を言いにきただけだ」

「わたしに?」

「ほかに誰がいる? ……はあ。この間は、兄上を助けてくれてありがと」

 ぶっきらぼうな言い草は、いともジャンらしい。
 くすりと笑えば、ジャンが不機嫌そうな顔つきになった。

「副団長は兄が大好きなんだね」

 にっこりと微笑みかけたら、かあとジャンが顔を赤くした。

「べ、別に好きとか、そんなんじゃないし! 兄上は立派だから、尊敬しているが、……って、なにニヤニヤしているんだ!」
 
「うふふ~ん、兄弟仲がよくていいじゃん」

「よくは、……ない」

 怒ったかと思えば、急にジャンが悲しそうな顔をして、握り拳をつくった。

「兄上からすれば、僕は迷惑な弟だ。今まで笑って許してくれたが、今回はそうもいかないだろう、……」

「わたしに弱音? 珍しい」

「はあ⁈ 事実を言っただけだろ!」

「悩みにしか聞こえなかったけど」

「勘違いだ!」

 ぷんぷんとジャンが声を荒げた。

 ヴァルワ公の次男として、副騎士団長に選ばれたが、ジャンはまだ十八歳。
 ルビッツのような落ち着きはない。

 自分と似たような匂いがして、ほっこりとドナロッテが微笑む。

「まあまあ、たまには良いんじゃない?」

「……なにがだ?」

「弱音を吐くことだよ。反省してちゃんと謝れば、笑って許してくれる」

「そんな上手くいくわけないだろう」

「上手くいくよ。だって、家族なんでしょ?」

「…………ッ」 

 ジャンは数秒ほど沈黙してから、ぷいと外方をむいた。

「他人事だから、言える言葉だな」

「だって他人事だもん」

「っ、……。も、ものを言うようになったな、ドナロッテ卿。いつもの硬すぎる敬語はどうした?」

「副団長とは同い年だし、いいかなって。どうせ騎士団には戻らないから」

 思い当たる節があるのか、にんまりとジャンが相好そうごうを崩した。

「戻らないじゃなくて、戻れないだろう? 君が皇帝を蹴って失神させたって本当か?」

「……え、なんで知ってるの?」

「君らが到着して早々、噂が広まったぞ」

「昨日の今日で? 速すぎじゃない⁈」

「まあ、港湾都市を閉門する大義名分が必要だったから、父上も加担したんだ」

 戸惑ってから、ドナロッテがボソッと訊いた。

「加担って、なに、……」

「多少脚色しただけだ」

「響きから怪しいけど」

「失礼だな。ちゃんと君を持ち上げてやったんだぞ。暴君に立ち向かい、ヴァルワ兄弟を救った、勇敢な女騎士様ってな」

「なにそれ、美化しすぎじゃない⁈」

「あながち嘘でもないからな。今度は僕か兄上から求婚されるんじゃないかって、街中の女性が騒いでいるぞ」

「演劇の見過ぎよ~~!」

 頭を抱えるドナロッテをみて、クククッとジャンが片頬に愉快げな笑みを吊り上げた。

「君がマルディチル公に捨てられたら、僕が拾ってあげよう」

「…………要らないし。カッコつけたいなら、せめて手合わせでわたしに勝ってからにしなよ」

「ぼ、僕が本気を出せば、君が怪我すると思って、遠慮していたんだ、……って、なんだその白けた顔は、むかつく! 今度こそ僕が勝つから!」

「へえ~。楽しみだね」

「くっ、……。あー、分かった。勝つ、絶対に勝つから、その時は『ジャン様、拾ってください~』って、頭を下げるんだな!」

「逆に負けたら、『ドナロッテ様、生意気な僕をお許しください』って言ってくれるの?」

「おお、乗った! すべてが終わったら公国へ行くから、待っていろ!」

「のんびり待ってるよ」

 挑発的な笑みを作ってみせると、ジャンが意外そうな顔になった。

「……ただの堅物で愛嬌がないと思ったが、素はこんなやつなんだ」

「ありがとう」

「褒めてないぞ」

 真顔で数秒ほど見つめ合うと、二人がクスリと笑いあった。

「おい! 何してんだ、ドナロッテ。皆が待ってるぞ!」

「あ、レスコ! ごめん、今行く!」

 アーチ型の門から入ってきたレスコをみて、ドナロッテが慌てて走りだす。

「じゃあね、副団長ーー」

「ーーじゃなくて、ジャンだ!」

 ドナロッテの声に被せて、ジャンが叫んだ。

「僕も騎士団には戻らない。あとで皇帝を蹴っておくから、優越感に浸るのも今のうちだぞ!」

 ジャンに振りかえることなく、ドナロッテは手を大きくふった。
 その口元には、小さな笑みが浮かぶ。

 そうして港へと到着して、急いで船に乗れば、どっと子どもの歓声が上がった。

 ぱちぱちと瞬くドナロッテの周りに、子どもがワイワイと囲み、興味津々で皇帝との経緯を問う。

 ーーここまで噂が浸透してるの、……!

 一度盛りあがった風聞を消すことは簡単ではない。
 
 特に今回のことは、武勲詩ぶくんしや劇のタネとして、潤色じゅんしょくしやすい。

 これから更に誇張して、喧伝けんでんされることになるだろう。

 ーーうまい具合に収まってくれないかな、……。

 子ども一人ひとりを相手にしながら、ドナロッテは明後日の方向をみた。

 帝国の君主交代のキッカケとなったこの事件は、のちに『港湾の変』と名づけられた。

 おのれの噂が四国の勢力均衡に大きな衝撃を与えることになるとは、ドナロッテはまだ知るよしもなく。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】転生少女は異世界でお店を始めたい

梅丸
ファンタジー
せっかく40代目前にして夢だった喫茶店オープンに漕ぎ着けたと言うのに事故に遭い呆気なく命を落としてしまった私。女神様が管理する異世界に転生させてもらい夢を実現するために奮闘するのだが、この世界には無いものが多すぎる! 創造魔法と言う女神様から授かった恩寵と前世の料理レシピを駆使して色々作りながら頑張る私だった。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...