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帝国編
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しおりを挟むドナロッテがふり返った瞬間、扉が開けられた。
ルビッツだ。
慌ててきたのか、息が少し乱れている。
「……ここで何をしているんだ、ドナロッテ嬢」
きょとんとするドナロッテに近づき、ルビッツが険しい顔をつくった。
「えっと、少しコシモの様子を見ようと思いまして」
「彼のことは従者に任せばいい。真夜中に、しかも一人で紳士の部屋に入るのはよくない。君も分かっているだろう?」
口調はいつも通りだが、明らかに怒っている。
おそらくトルマが外で何かを吹聴しているのだろう。
ーー面白半分で変な噂を流そうとしないでよ!
がっくりとしながら、ドナロッテは理由をとりつくろった。
「今回は出発まで時間がないのと、名目上は婚約者ですし、一応はーー」
「名目上は、だろう?」
「え?」
「君が彼と結婚しなければ、とんでもない醜聞になる。もう少し淑女の自覚を持て!」
予想外の厳しい叱責に、ドナロッテの目が丸くなった。
「……すまない。少し言いすぎた」
ルビッツはバツが悪そうな顔をして、声のトーンをさげた。
「い、いいえ。団長の言うとおりでございます」
希望的観測かもしれない。
しかし、もしコシモがあの時の少年なら、すべてのつじつまが合う。
「……ただ、もしかしたら、コシモと結婚するかもーー」
「目を覚ませ、ドナロッテ嬢!」
言い切る前に、がしっと肩を掴まれた。
「マルディチル公は君と結婚する気はない。君の体質を利用したいだけだ。最初からわかっていたことだろう!」
「さ、最初はそう思いましたが、いまはコシモを信じとうございます」
「……彼が君を愛していると言ったからか?」
「言葉だけではございません!」
顔に熱を感じながら、ドナロッテはブンブンと首をふる。
「コシモの表情とか、雰囲気とか、とにかく、嘘には見えのうございまして」
「表情と雰囲気で判別がつくのか?」
「ある程度は、って、団長、……?」
ルビッツに頬を撫でられて、パチパチと瞬く。
太い眉間にグッと力が入り、ルビッツは決意した風で唇をひらいた。
「私のほうが君を愛している、……と言ったら、信じてくれるか?」
「むっ、このくらいで騙され、……」
固い視線からあやしい圧迫を感じて、ふと動揺する。
ルビッツの顔がみるみる近くなってきて、とうとう二人の鼻先が触れる。
唇に熱がこもりーーばっとルビッツが顔をそらした。
「……このくらいで動じるなら、判別がつくとは言えない」
「そんな! 不意打ちは卑怯です、団長!」
「貴族はたいてい卑怯者だ、ドナロッテ嬢。おのれの家名を守るためなら、どんな嘘でも平気でつく。マルディチル公も例外ではない」
「たしかにコシモは平気で嘘をつく人です。しかし、今回ばかりは本心だと信じとうございます!」
「はぁ、……君は人を信じすぎだ」
片方の腰に手をかけて、ルビッツが困った顔をつくった。
「仮に、彼が君を愛しているとしよう。それでも、男爵令嬢の君と結婚するほど、マルディチル公は甘くない」
「…………っ」
平民出身の君ーーとはっきり言わなかったのは、ルビッツの配慮であろう。
どの道、意味合いは伝わった。
ーーわたしはコシモに釣り合わない。
子どもの頃とちがって、現実はそう甘くない。
ーーわたしは姫でも令嬢でもない。分かっているはずなのに、……。
浮かれていた気持ちがサァと冷めた。
悔しげに唇を噛みしめたら、頭上に厚い手がふりかかった。
「そろそろ出発しよう。用意ができたら、港にきてくれ」
どこか心苦しげな声色であった。
ドナロッテは眠るコシモに視線を滑らせてから、弱々しく頷き、ルビッツを追って部屋を後にした。
荷物と言えるものなどなく、装備だけ整えると、ドナロッテは廊下に出る。
レスコが待っている裏門に差しかかったところ、影からジャンが現れた。
「……見送りにきたの、副団長?」
不思議そうに問えば、ジャンは気まずげに目線を落とした。
「勘違いするな。僕は礼を言いにきただけだ」
「わたしに?」
「ほかに誰がいる? ……はあ。この間は、兄上を助けてくれてありがと」
ぶっきらぼうな言い草は、いともジャンらしい。
くすりと笑えば、ジャンが不機嫌そうな顔つきになった。
「副団長は兄が大好きなんだね」
にっこりと微笑みかけたら、かあとジャンが顔を赤くした。
「べ、別に好きとか、そんなんじゃないし! 兄上は立派だから、尊敬しているが、……って、なにニヤニヤしているんだ!」
「うふふ~ん、兄弟仲がよくていいじゃん」
「よくは、……ない」
怒ったかと思えば、急にジャンが悲しそうな顔をして、握り拳をつくった。
「兄上からすれば、僕は迷惑な弟だ。今まで笑って許してくれたが、今回はそうもいかないだろう、……」
「わたしに弱音? 珍しい」
「はあ⁈ 事実を言っただけだろ!」
「悩みにしか聞こえなかったけど」
「勘違いだ!」
ぷんぷんとジャンが声を荒げた。
ヴァルワ公の次男として、副騎士団長に選ばれたが、ジャンはまだ十八歳。
ルビッツのような落ち着きはない。
自分と似たような匂いがして、ほっこりとドナロッテが微笑む。
「まあまあ、たまには良いんじゃない?」
「……なにがだ?」
「弱音を吐くことだよ。反省してちゃんと謝れば、笑って許してくれる」
「そんな上手くいくわけないだろう」
「上手くいくよ。だって、家族なんでしょ?」
「…………ッ」
ジャンは数秒ほど沈黙してから、ぷいと外方をむいた。
「他人事だから、言える言葉だな」
「だって他人事だもん」
「っ、……。も、ものを言うようになったな、ドナロッテ卿。いつもの硬すぎる敬語はどうした?」
「副団長とは同い年だし、いいかなって。どうせ騎士団には戻らないから」
思い当たる節があるのか、にんまりとジャンが相好を崩した。
「戻らないじゃなくて、戻れないだろう? 君が皇帝を蹴って失神させたって本当か?」
「……え、なんで知ってるの?」
「君らが到着して早々、噂が広まったぞ」
「昨日の今日で? 速すぎじゃない⁈」
「まあ、港湾都市を閉門する大義名分が必要だったから、父上も加担したんだ」
戸惑ってから、ドナロッテがボソッと訊いた。
「加担って、なに、……」
「多少脚色しただけだ」
「響きから怪しいけど」
「失礼だな。ちゃんと君を持ち上げてやったんだぞ。暴君に立ち向かい、ヴァルワ兄弟を救った、勇敢な女騎士様ってな」
「なにそれ、美化しすぎじゃない⁈」
「あながち嘘でもないからな。今度は僕か兄上から求婚されるんじゃないかって、街中の女性が騒いでいるぞ」
「演劇の見過ぎよ~~!」
頭を抱えるドナロッテをみて、クククッとジャンが片頬に愉快げな笑みを吊り上げた。
「君がマルディチル公に捨てられたら、僕が拾ってあげよう」
「…………要らないし。カッコつけたいなら、せめて手合わせでわたしに勝ってからにしなよ」
「ぼ、僕が本気を出せば、君が怪我すると思って、遠慮していたんだ、……って、なんだその白けた顔は、むかつく! 今度こそ僕が勝つから!」
「へえ~。楽しみだね」
「くっ、……。あー、分かった。勝つ、絶対に勝つから、その時は『ジャン様、拾ってください~』って、頭を下げるんだな!」
「逆に負けたら、『ドナロッテ様、生意気な僕をお許しください』って言ってくれるの?」
「おお、乗った! すべてが終わったら公国へ行くから、待っていろ!」
「のんびり待ってるよ」
挑発的な笑みを作ってみせると、ジャンが意外そうな顔になった。
「……ただの堅物で愛嬌がないと思ったが、素はこんなやつなんだ」
「ありがとう」
「褒めてないぞ」
真顔で数秒ほど見つめ合うと、二人がクスリと笑いあった。
「おい! 何してんだ、ドナロッテ。皆が待ってるぞ!」
「あ、レスコ! ごめん、今行く!」
アーチ型の門から入ってきたレスコをみて、ドナロッテが慌てて走りだす。
「じゃあね、副団長ーー」
「ーーじゃなくて、ジャンだ!」
ドナロッテの声に被せて、ジャンが叫んだ。
「僕も騎士団には戻らない。あとで皇帝を蹴っておくから、優越感に浸るのも今のうちだぞ!」
ジャンに振りかえることなく、ドナロッテは手を大きくふった。
その口元には、小さな笑みが浮かぶ。
そうして港へと到着して、急いで船に乗れば、どっと子どもの歓声が上がった。
ぱちぱちと瞬くドナロッテの周りに、子どもがワイワイと囲み、興味津々で皇帝との経緯を問う。
ーーここまで噂が浸透してるの、……!
一度盛りあがった風聞を消すことは簡単ではない。
特に今回のことは、武勲詩や劇のタネとして、潤色しやすい。
これから更に誇張して、喧伝されることになるだろう。
ーーうまい具合に収まってくれないかな、……。
子ども一人ひとりを相手にしながら、ドナロッテは明後日の方向をみた。
帝国の君主交代のキッカケとなったこの事件は、のちに『港湾の変』と名づけられた。
おのれの噂が四国の勢力均衡に大きな衝撃を与えることになるとは、ドナロッテはまだ知るよしもなく。
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