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近いようで遠い

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********【セルン・ガールド】


「……え、キウス様は怪我しても痛がらない子だったのですか?」

 アンジェロの話に反応して、お嬢は興味津々の様子。

「ああ、剣技の習得は空振りより実践のほうがはやい。ただ私の剣はそれなりに重いから、手加減しても当たれば痛いんだ。だから私の訓練に耐えられる子は少ないが、その中で一度も痛いと言わなかったのはキウスだけだ」

「そうなんですか……」とキウスのほうに視線を移して、お嬢がゆったりと微笑んだ。

「キウス様は昔から辛抱強い人だったんだね」

「……私が、辛抱強い?」

 首をひねるキウスに、お嬢がコクコクとうなずいた。

「うん。だって長年キウス様を見てきたけれど、いつも穏やかで、一度も不満をこぼしたことないもの」

「……不満、ですか。うーん」

 とキウスは一瞬悩んでから、ぼんやりした口調で答えた。

「うるさく言ったところで現状が変わるわけではないのですから、不満をこぼしても意味がない気がします」

 その言葉に、お嬢は肩すかしをくらった感じで聞き返した。

「……意味がないから、敢えてしない?」

 そんなお嬢にやや驚いた様子をみせてから、キウスがニッコリと笑った。

「ふふっ、はい。そうかも知れませんね」

 そう返され、お嬢は極わずかに眉尻を下げて、「……そう、なんだ」とだけ呟き、フィンに視線をそらした。

「……厳しい修行のようだけれど、それに耐えぬいたからフィンは戦士長になれたのね」

「う~ん、それでなったのかどうか分からないが、痛みには耐性がついたぜー!」

 へへっ、とフィンが鼻の下をこすれば、お嬢は少しホッとしたように表情を緩めた。
 いつもより元気がないな。キウスと何かあったのか?

 酒杯をかたむけながら横目でお嬢をみていれば、アンジェロの満足そうな笑顔まで目に飛びこんできた。

 なにニヤニヤしてんだよ、ムカつく。

 バッと眉根をしかめて、一気に酒をあおった。

 アンジェロはガールド本家の長男。
 セデック家ほどではないが、王国の中では絶大な影響力を持っている。

 しかし、年々勢力を拡大するセデック家に圧倒されて、ガールド家はかなり焦っていたのだ。

 とはいえ、旧帝国の血統を大事にしている武家は、伝統どおり同じ血筋をもつものとしか婚姻を結ばない。

 それで派閥の基盤を固めるための捨て駒が必要になり、ガールド家は見込みのある子どもを養子に迎えはじめた。その中の1人がオレだ。

 他人の権力争いの手駒になるくらいなら貴族を辞めてやる。
 
 そう決めたからオレは剣の腕だけではなく、文家貴族の教養も必死に勉強してきた。これでどこへ行っても生活に困ることはない。

 そうして副騎士団長になり、嵐のように舞いこんできた縁談をすべて断ってやったのだ。

 騎士団から離脱したあとも、オレはひたすらガールド家から逃げまわった。

 そうして縁を切られそうになったところ、ドナルド様からの声かけがあったのだ。

 それでコンラッド家といい関係を結ぶための駒として、ガールドの名は残された。
 でもまあ、領地は絶対にもらえないだろうから、極端にいえば名ばかりの貴族だがな。

 結局いいように使われて、嫌な気持ちは勿論ある。

 だがその反面、ガールドの名前にある程度の恩恵はあるわけだし、お嬢のそばにいられるから文句を言えない。

 そうしてごくごくと酒を飲んでいると、いつの間にか深夜になったのだ。
 本来もう閉店の時間だから、ほかの客はぞろぞろと出ていった。

 それに気づかないお嬢はまだフィンの話に耳を傾けている。

 街に広まっている噂はだいたい酒場に集中して、拡散される。だから当然、規模を問わず多くの酒場はコンラッド家と関わっているのだ。

 そしてここもその中のひとつ。
 だから安全っていえば安全だが、巷の酔っ払いもいるから安心できない。

 いつも屋敷の中に閉じ込められて可哀想だが、お嬢のことを考えると、やはり外に出回らないほうが無難だ。

 今回、どうしても街を観光したいとキウスがドナルド様に無理を言ったから、お嬢がこうして外に出られたのだ。

 かなり無謀な甘やかし方だが、キウスは一応お嬢の気持ちを考えて行動している。

 いつもボケっとしていてよく分からないやつだが、お嬢を愛しているのは間違いない。

 あー、なんだか厄介なことになりそうだ……。

 こっそりため息をついた時、あくびを噛み殺すお嬢の姿が視界に入った。同じことに気づいたキウスがおもむろに立ちあがる。

「フェーリ様。そろそろ帰りますか?」

「あ、ごめん。もう少しだけ、居てもいいかな?」

 チラチラとオレの顔をみて、お嬢が断った。

 なんでこんな無理をするんだ。
 オレがアンジェロと話さなければ帰らないとでもいうのか、はあ……。

「……オレは酒が飲みたいから、もう少しここに残る。お嬢は明日の式典もあるから、先に帰ってくれないか?」

 諦めてそう言うと、お嬢は「分かった」と嬉しそうにうなずいた。

 そのままフィンもお嬢と一緒に帰り、お店がしーんと静まりかえったのだ。
 結局アンジェロと2人きりになってしまったな。

 はぁああ、とガックリしてから、酒杯をテーブルにおいた。

「……騎士団を抜けた後、お前がどうしてもガールド家に戻らないから心配していたが、コンラッド家にうまく馴染んでいるようでよかったな、セルン」

「ああ、これもすべてお前のおかげだ。オレの知らないところでコンラッド家とだいぶ親しくなったようで、お前がドナルド様に話を通してくれたから、あのまま平民にならずにすんだ。まじで助かったよ」
 
「そう意地を張るな、セルン。お前はガールドの名を惜しまないだろうが、持っていて損することはない」

「……は、ガールド家を見捨てたやつに言われてもな」

 刺々しくそう返せば、

「……ああ。たしかにそうだな」

 とアンジェロは後ろめたそうに口角をあげた。

 そんなアホみたいな顔をされても、オレの腹の虫がおさまらねぇよ……。

 ガールド家に入った当初、周りの親戚から使用人にまで白い目で見られて、オレはかなり気を病んでいた。

 気後れするオレを変に気づかうことなく、アンジェロはごく普通に接してくれた。

 オレより全然強いくせに、手合わせでいつも本気をだしやがる。
 毎回ボコボコにされるだけだが、アンジェロのお陰でここまで強くなれたのだ。

 上達すれば普通に褒めてくれるし、諦めそうになったらギャーギャーとうるさく説教してくる。

 ガールド家の中で、アンジェロだけがオレを本当の兄弟として受け入れてくれた。

 こいつの優しさには感謝している。
 でもだからこそ、許せない気持ちもある。

「……お前が勝手に消えたせいで騎士団までセデック家の縄張りになった。それでガールド家がさらに傾いてしまったが、ぶっちゃけそんなのオレと関係ねぇ。オレはそれで腹を立ててんじゃねぇって、お前も分かってんだろ?」

 硬く酒杯を握るオレの手に視線を固定したまま、アンジェロが沈黙した。

「12年前、なぜオレに何も言わずに消えた? オレはお前の兄弟、いや、友人でもねぇってのか? あの状況でお前に何もしてやれねぇだろうが、話くらいは聞いてやれたのに…っ」

 悔しい気持ちを露わにしてそう訊けば、

「……ああ、たしかに事情は事情だったが、それでもお前を信用してないような真似をしてしまったな。……すまない、セルン」

 とアンジェロは苦い顔をして頭を下げてきた。

「いや、別に謝って欲しいわけじゃねぇよ。事情っつったって、お前と彼女の関係くらいオレは知っていたし……。ただ全部放りだすなら、せめてオレに一言いってくれると信じていた。だから敢えて知らないふりをして待ったのに、その結果がこれ…っ」

「……ああ、去るならお前に一言でもいうべきだった。ただ、お前に引き留められると思って、なにも言えなかったんだ……」

 そう言ってアンジェロがテーブルに視線を落とした。

「……引き留める、はっ? かけ落ちならまだしも、あれで行くなっつってもお前は行くに決まってんだろ! そのくらい当時のオレだって分かってんだよ。引き留めはしねぇが、代わりにバカ野郎!って、何発も殴ってから2人の元へ見送ったと思うぜ?」

 オレの真顔をみて、アンジェロはふいを突かれた風で

「……ふたり。……そうか。お前はもうあの子のことを知っているのか」

 と苦笑いした。

「ああ、たしかにお前に殴られたら少しは気が楽になっただろう。だがあの時、お前を見たらまた心が揺れてしまうからダメなんだ、セルン。ガールド家か、彼女か。最初から迷わなければ、こうなることもなかった……」

 憂いを含んだ表情で、アンジェロが握り拳をつくった。

 こうなることもなかった、か。

 ……そうだな。

 あの時、自分のことだけではなく、オレがちゃんとアンジェロの背中を押してやれば、こうなることもなかったんだろう…っ

 やり場のない後悔に胸がつまり、さらに酒杯を握りこんだ。

 アンジェロはガールド家長男としての責任感が強く、子どものころから王国騎士団の団長になろうと人一倍の努力を重ねてきた。

 そうして21年前。
 騎士団に入り、アンジェロが順当に団長になって早々、ある女と意気投合して恋に落ちたのだ。

 身分の差……というより、もっと複雑な事情で2人は絶対に結ばれることはない。

 彼女は王国の生け贄。
 それは生まれた時からの定めなんだ。

 それに当時、2人ともすでに婚約が決まっていたから、アンジェロもバカなことはしないだろうと、オレは2人の逢瀬を見てみぬふりをした。

 8年の間、彼女の運命を変えるために、アンジェロは必死に4家をまとめようとしたが、すべて水の泡。

 そうしてギリギリまで時間を稼いだ努力も虚しく、彼女は当初の予定どおり王国を去ったのだ。

 それから1年がたち、不気味な噂が耳に入った。
 だが、ただの偶然だとオレはひたすら否定した。

 もし本当にアンジェロがやらかしてしまったなら、いずれオレに相談しにくるはずだ。あいつが口を開くまで待ったほうがいい。そう決めた、その矢先のことだった。

 なんの前触れもなくアンジェロが行方をくらましてしまい、オレはひどく焦った。

 裏切られたようでふざけんなという気持ちもあった。

 だが、そうなるかもと薄々気づいていたのに、そもそもオレにできることはないと、自分に言い訳した当時のオレに一番腹が立つ。

 グッと込み上げてきた苦い感情を流そうと酒杯をあげたら、アンジェロの悲しい声が聞こえてきた。

「……無責任だと分かっている。だが、それでも私は彼女たちの近くにいたいんだ、セルン。いまのお前なら、この気持ちが分かるだろう?」

 オレを見つめてくる真っ黒な瞳の深い底には、孤独と寂寞せきばくの色があった。

 オレに共感を期待してもな……。

「オレはお前とちがって背負うものがねぇから、分かんねぇよ。つーか、せっかくの地位と権力を全部捨ててまで近くにいたいっつっても、毎日会えるわけじゃねぇだろ? 全然近くもねぇじゃねぇか、バカ野郎ッ」

「……ああ。たしかに、近いようで遠いんだ。そう考えるとお前が羨ましいな、セルン。……あ、でも逆を言えばお前も同じか。お互い近いようで、遠い。まるで夢みたいだな」

「いや、なに勝手に納得してんだよ、意味わかんねぇ。だからオレはお前とちがうから一緒にすんなって。オレはそばにいられればいいって割りきってんだよ。つーか、いじいじして中途半端に手を出すくらいなら、最初から攫って逃げただろうし」

 そう断言してぶどう酒を流しこむと、アンジェロが可笑しそうに笑った。

「どこまで本気なのか分からないが、たしかにお前ならやりかねない」

「……オレならやりかねない? ああ、そうだな。オレは不真面目だから、それはごもっともだな。そして立派なお前ならバカなことはしない。オレもそう信じていたぜ?」

 皮肉めいた口調でそう言うと、アンジェロは困ったように眉をよせた。

「私はそういう意味で言ったんじゃない、セルン。お前は思い立ったらすぐに決行するやつだから、やりかねないと言ったのだ」

 その真摯な態度に思わずため息がこぼれでた。

 こういう冗談の通じないところはあのバカ王子と似ているんだよな、はぁ……。

 なんでオレの周りにこんなやつらしかいねぇんだ?

「……ただの憎まれ口でマジになるな、バーカ。だからオレは真面目なやつが嫌いなんだよ。普段から責任だのなんだの言うくせに、崖っぷちに立たされたらやけくそになって何をしでかすか分かりゃしねぇ。ガチでめんどくせぇよ」

 酒を注いでもらいながら、アンジェロに呆れた顔を向けた。

「……ああ、それは本当かもな」

 噛みしめるような口調に混じって、喜びのようなものがあった。

「お前は少しも変わってないな、セルン。いつも自分の気持ちに素直で、はっきりしている。お前のそういう愉快なところを昔から羨ましいと思っていたんだ」

 ガキのころと変わらないその爽やかな笑みに、ふと胸が揺れた。

「……後悔するくらいなら勢いよく突っ走るだけだ。羨むことなんてねぇよ」

 照れ隠しで酒をぐいと呷った。するとアンジェロは笑顔のまま、無言で酒杯に口をつけたのだ。

 そうしてしばらく飲んでいれば、長年心の底にわだかまっていた歯がゆい気持ちが徐々に収まっていったようで、胸がだいぶ軽くなってきた。

 そういえば騎士団にいた時もそうだったな。

 時に騒ぎ疲れて、ダンマリと1人で酒を飲めば、アンジェロは必ずオレの隣にきて、静かに座ってくれた。2人でこうしていると、なんだかあの時に戻ったようで懐かしいな……。

 黒く濁ったぶどう酒をゆっくりと揺らしながら、中で円を描くように動く蝋燭の灯を目で追った。

「……なあ。お前はさ、……これでも幸せといえるのか?」

 数秒ほどの沈黙を予想していたが、答えはすぐに返ってきた。
 心のこもったアンジェロの声色に、ふと口元が緩んでくるのを感じた。

「……そうか」

 それだけ呟くと、オレは一気にぶどう酒を流しこんだ。
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