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予感

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「おはよう、お嬢」

「……おはよう」

 宴会から一夜が明けた。
 着付けを終えて部屋からでると、そこにはセルンの姿がいた。いつもどおり笑顔で朝の挨拶をしてくれる。

 昨日の失敗でセルンに嫌われてしまったんじゃないかと心配していたから、また笑顔が見られてよかったわ。

 ホッとしたところ、セルンが口を開いた。

「今日も図書館に行くのかい?」

 うなずきでセルンに返事をすると、廊下の奥からひどく慌てるメルリンの声がひびいた。

「……はあ、はあ、フェーリ様。ニロ、ニロ殿下がいらっしゃいました!」

「──なに?!」

 私より先にセルンが声を張りあげた。

「はい。その、お嬢様にお会いしたいと、いま、応接の間に……!」
 
 ニロがきてくれたのか……!

 不思議な出会いで、丁度また会いたいな~、なんて思っていたところだ。
 まさかこんなにもはやく会えるなんて、少し意外だけど嬉しい。

 さっそくニロのところへ行こうとしたが、セルンに止められた。

「メルリンさん、お嬢は体調不良でやすんでると王子に伝えてくれ」

「え……?」

「昨日の夜ひどく体調を崩して休んでるって、王子に断ってくれないか?」

 困惑するメルリンにセルンは真顔を向けた。
 
 すごく真剣な雰囲気だ。

 な、なんで?
 昨日一度ニロを怒らせたから、信用されてないってこと……?

「なあ、お嬢は部屋に戻って休んでくれないかい?」

 とセルンが珍しく険しい表情を浮かべた。初めて見た顔だ。

 本気で言ってるのね……。

 確かにニロは王子だから、彼の機嫌をそこねてはならない。
 やはり私を信用していないんだ。

「……お嬢?」

 再び口を開いたセルンに、思いっきりぶんぶんと首をふった。

 ごめんセルン。
 たしかに昨日は失敗してしまったけれど、せっかくニロが来てくれたのに、仮病で隠れるのは失礼だ。

 覚悟して喉に詰まった声を紡ぎだす。

「ニロと、会う」

 がんばってそう呟けば、セルンは更に不安の色を濃くさせた。

 昨日出会ったばかりだけれど、なぜだかニロに妙な親近感を覚えている。

 私の思考が読めるので、楽に会話もできる。
 少しわがままだけれど、私はニロともう一度話してみたいの、セルン……。

「で、ではお嬢様、急ぎましょう」

 申し訳ない気持ちでセルンを仰ぎみてから、メルリンについて長い廊下を通り、木製の厚い扉を開けてもらった。

 大きなガラス窓から差し込んだ眩い陽日のなかに、ニロの姿があった。

 真顔で、重々しげな雰囲気を漂わせている。人によっては、ニロはとてつもなく機嫌悪そうにみえるのだろう。

 いや、本当は機嫌悪いのかも……。

「……おはよう、フェーリ」

 おそるおそる部屋に入ると、ニロは立ち上がって挨拶をしてくれた。

 あれ、礼儀正しい。怒っているわけではない……?

 小首をかしげながら、かるく膝をまげた。

「おはよう、ござい、ます。……ニロ、殿下」

 重たい唇でそう挨拶をかえすと、ニロがぱっと眉を寄せた。

 やっぱ怒ってる……? 
 もうよくわからないよ……。

「フェーリと2人で話がしたい」

 ニロが手をふると、部屋にいた使用人が続々と出ていった。

「……お嬢、大丈夫かい?」
 
 と部屋から出ようとせず、セルンは曇った顔でそう心配してくれた。

 たしかにニロが怒っているように見えて私も少し怖い。でも立ち振るまいからして普通にいい人……だと思う。

 顔は怖いけど……。

 多分大丈夫、自分のカンを信じよう! とセルンに首をたてに振った。

 セルンは横目でニロを睨むと、グッと眉根をさげて部屋をでた。
 怒っているようだけれど、どうしたんだろう……?

 パタンと閉められた扉を眺めていれば、背後からニロの不満げな声が聞こえてきた。

「昨日も言ったが、敬語はよい、余のこともニロでいい」

 あ、そうか敬語……! それでむくれているのか。

(忘れてごめん)

「……なんども言ったが不要に謝るな。余は別に怒ってはいないのだ」

 ニロはやや眉をさげて、ふっと鼻で息をもらした。

(そ、そう? でも表情が険しいから、その、また怒らせてしまったのかなって……)

「勘違いだ。余は怒っていない」

 真顔のまま、ニロは落ち着いた様子で静かに紅茶をのんだ。
 やはり顔は怖いけれど、一挙一動に品があって凛然としている。

(……そう、なんだ)

「ふむ。生まれつきでこの調子だ」

(生まれつき? も、もしかして、それはタレントの影響、とか……?)

 そういえばニロもタレント持ちだ。
 ニロの重々しげな雰囲気もタレントのせいであれば、私の仮説を証明できるかも!

 ドキドキそう尋ねたが、ニロはなんだか気まずそうな風でかぶりを振った。

「タレント、ではない……と思う」

 なんだ、ちがうんだ。
 少し残念だが、それより……

(表情のせいでいつも誤解されちゃうのは大変だね……。なんども怒ってないって言ってくれたのに、すぐに信じられなくてごめん)

 私も表情に苦しまれているのに、ニロを分かってあげられなかった。少し悔しい。

 自分にがっかりしていると、ニロは問題ないと肩をすくめた。

「謝らなくてよい。特に大変なことはないのだ。ただ人から避けられたり、変な噂が立ったりしているだけだ」

 めちゃくちゃ大変そうに聞こえるけど……! ってツッコミを入れたいが、そんな雰囲気ではない。

 変な噂、か……。

 そういえば、コソコソとニロのことを話していた人たちがいたわ……。

 あっ、やってしまった! ついついニロの瞳を見てしまった。
 もしかして、いまの思考が届いてしまったのかな……?

「気にならないゆえ、気づかわなくてよい」

 焦っている私をみて、逆にニロがフォーロしてくれた。
 私の方が大人なのに、うぅ、情けないわ……。

 今後余計なことを考える時はちゃんと目を閉じよう。
 そう決めてから再びニロの目に視線を動かした。

(……ありがとう、ニロ)

「よい。お前のおかげでただの噂だと分かったゆえ、余も安心したのだ」

 私のお陰で安心した? 
 
 どういうことだろうって、聞いてもいいのかな? 
 口調からしてニロはいい人みたいだし、普通に教えてくれそうだけど、どうだろう……。

 よく分からず戸惑っていると、なにかを察した風でニロは眉を八の字に下げた。

「そうか。お前は知らなかったのか……」

 いまの考えが届いてしまったようだ。

(う、うん。噂されているところは見たけど、内容はさっぱりわからなくて……)

「そうか。なおさらお前に悪いことをしたな……」

(ううん、私はもう気にしてないから全然いいよ。それで、あの、どんな噂か、聞いてもいいかな……?)

「ふむ。いずれ耳に入るだろうから別によいのだ」

 ニロは私から目を逸らすことなく淡々と続ける。

「見てのとおり余の瞳は変な色をしている。それゆえ余の瞳を直視すれば死ぬと昔から噂されてきたのだ」

 目を直視すれば死ぬって、そんな……! 

 昨日から私はずっとニロの目を見てきた。
 私のおかげで噂だと分かったとはそういうことだったのか……っ

(ひどい……っ!)

「その通りだ。余はお前にひどいことをした……」

(そうじゃなくて! 一番の被害者はニロだよ! なんてでたらめな噂なの、本当にひどいわ!)

 ニロはまだ子供なのに、こんな噂……ひどすぎる! 

 思わず拳をにぎると、ニロは目を大きく見張って固まってしまった。
 驚かせてしまったのね……!

(ご、ごめん……!)

 慌ててそう謝ったが、その前にニロが目をつむってしまい、言葉が届かなかった。

 ああ、やってしまった。
 被害者だなんて、私が偉そうに言える立場ではないのに、ニロの気分を害してしまったのかな……?

 かたずを呑んでじっとするニロを見つめていれば、

「……かたじけない」

 そっと瞼を開けて、ニロが微笑んだ。
 愛らしい笑顔……じゃなくて、怒ってないみたい! よかった……。

(私も表情動かせないからさ、分かるというか……)

 変な噂はまだ立っていないようだけど、苦労はそれなりにある、と思う。まあ、ニロと比べられないだろうけれど……。

 視線をそらしつつそう思ったところ、「そうなのか?」とニロのやや意外そうな声が耳に飛びこんだ。

(うん)

「お前もそうか……。なら余の仲間だ」

 そう囁いてニロはニッコリと口元をほころばせた。
 やはり笑うと可愛いらしい子だ。

 優しい色を浮かべた銀色の瞳は光を反射して、一瞬輝いてみえた。
 綺麗だ……。

「何がきれいだ、フェーリ?」

 ニロに気づかれてしまい、かぁと顔が火照る。

(ううん、何でもないの……!)

「嘘は感心しないぞ」

 子どもに怒られた。
 うぅ、と小さく唸ってから、観念してニロの目をみた。

(ニロの目だよ。昨日から綺麗だと思ったの……)

 予想外の答えだったのか、ニロがぱちぱちと目を瞬かせた。
 それから睫毛を伏せて、ニロが黙りこくった。

 ニロは瞳のせいで苦労したのに、綺麗だと褒めるなんて非常識すぎる。

 怒らせちゃったかな……?

「……そういえば、昨日の詫びとしてお前にケーキを用意したのだ」

 ややあって、ニロがゆっくりと目を開けた。いつも通り平然とした口調だが、その顔はほんの少し桃色に染まっている。

 気を使って話題を変えてくれたみたい。
 9歳なのに大人っぽいわ……って、
 
(──け、ケーキ……⁈)

「? ……どうした?」

(そのケーキって、甘い、かな~、なんて……)

 遠回しに言っても通じないだろうな……そう思ったのに。

「なんだ、甘いものは苦手か?」

 ニロはわかった風でそう言ってきたのではないか!

(え?! 分かるの?)

「なんとなく」

 この世界に転生してから、いくら婉曲に断っても伝わらなかった。
 それなのに、ニロはすぐ気づいてくれたんだ。これは嬉しい……!

 ぽぅっと感動していれば、ニロは「ふふふっ」と可笑しそうな風で笑った。

「安心したまえ。今日用意したケーキは甘くない。余も甘いものが苦手だ」

(本当? ならいただくわ!)

 なぜだか分からないけれど、やはりニロとは親近感をおぼえる。

 先ほど <仲間> と言ってくれたからかもしれないけれど、なによりその礼儀正しさ、そして心遣いのできるところ! 

 素晴らしい~
 9歳にしてはできすぎね。

 まるで日本人みたい。なんてね、うふふっと浮かれつつ、ケーキを一口食べた。

 クリームを舌の上にのせると、ふわっと口の中に香ばしい紅茶の香りが広がった。

(んー! 本当だ。全然甘くない。おいしいね~!)

 満足げにコクコクうなずいたが、目の前のニロはギョッと目をむいていた。

 もしかしてケーキのリアクションを間違えた……? 
 ぎくっと身を震わせたところ、ニロが驚愕したような声を発した。

「……フェーリ。お前はなぜ <日本人> を知っているのだ?」

「──え?」

 いつもなら重たい唇が妙に軽くなって、変な声が漏れてしまった。
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