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18. 事実無根
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********【ジョセフ・オーウェル】
イグと共に二階の部屋に入ると、そこには案の定ドナルドの姿があった。
厚みのある柔らかい絨毯を足で踏みながら、順序よく並ばれている豪華な書棚を通り過ぎる。
ソファに腰をおろすと、ガラステーブルの上に用意された上質な紅茶の香りがふわりと漂ってきた。
落ち着いた雰囲気で辺りを見渡せば、綺麗に収納されている数多くの書物が目に映った。書類で溢れ返る聖女のところと違って、整理整頓されているこの部屋は多分ドナルドの書斎だ。
「ジョセフ殿下。貴重な時間を感謝する」
「いいえ」
正面のソファに座っているニロ王子とドナルドに軽く頷き、
「それで、私と話したいことは何ですか?」
用件に入ることを促す。
この二人と同じ空間にいるだけで息が苦しい。
急な会話で何を狙っているのかわからないが、きっと私が得するような話ではないだろう。
「ふむ。そうだな。甘んじて単刀直入に言おう。ジョセフ殿、余は貴殿の誤解を解きたいのだ」
「私の……誤解?」
藪から棒の話にすかさず眉をしかめる。
「ふむ。まずはこれを読みたまえ」
そう言って王子は一枚の紙を差し出してきた。これは……令書? 紙の端に押された王国の印影が目に飛び込み、更に眉根を寄せてそれを手に取る。
「ストロング一家の追放令?」
忌々しいあの一家の名前を目にして、不愉快な口調で聞き返す。今更8年前に発布されたこの令状を見せてどうするつもりだ?
最初から我が国を苦しめた内戦の一部始終を企てたのは王国だ。そのことを私が把握していないとでも思っているのか?
「まあそう焦るな。ここを見たまえ」
不快に思いながら、王子が指差すところに目を落とす。
「追放先……プロテモロコ……?」
「そうだ。この通り当初の予定では貴殿の国、テワダプドルではなく、彼らの追放先は西に位置するプロテモロコと決めていたのだ」
「……即ち彼らは自らの意思で我が国を選んだ、王国とは関係ない、と言いたいのですか?」
「ふむ。そうさ。貴殿も存じの通り、そもそも事前連絡もなしに罪人を他国に送り出すことなど尋常ではない」
王子の言う通り、基本的に外交のない国の罪人を受け入れることはない。にも関わらず、ストロング一家はノコノコと我が国にやってきては何一つ不自由なく宗教活動に専念できた。それはなぜだ?
水面下で我が国の貴族と交流を持っているコンラッド家が後ろで糸を引いているから可能になった。それしか方法はないだろう? そして当たり前だが、金が無ければ戦争には勝てない。
6年に及ぶ宗教戦争で聖女教が負けずに耐えられたのも恐らくコンラッド家からの金銭的な支援があったからだろう。
新しい国教を迎え入れて混乱する我が国をどう利用するつもりかは不明だが、すべては王国が企てたことに違いない。
「ジョセフ殿下。貴殿はどうやらまだ勘違いをしているようだからはっきりと言わせて貰おう。王国は貴殿の国で起きた内戦とは一切関与していないのだ」
「……ああ、そうですか。それが誤解ですか」
追放令をテーブルに戻して軽く鼻先で笑う。
王国との外交関係が悪化しても自力で経済の復興をどうにか図ることはできる。しかし、既に国教となった聖女教とうまく付き合っていかなければ我が国はいつまで経っても安定しないだろう。
だから当然ながら次期国王である私は聖女、ひいてはその背後にあるコンラッド家と良い関係を結ぶ必要がある。王子はそれをわかった上であくまでも善人を演じたいのか? 何が誤解だ、馬鹿馬鹿しい。
異論を唱えることなく、もうわかったから話をささっと終わらせてくれというつもりで二人を見つめる。
「ジョセフ殿下、冷静になって話を聞きたまえ。王国もコンラッド家もストロング一家を支援していない、これは紛れもなく事実だ」
誠実さに満ちた王子の面持ちに呆れ果てて、到頭心の奥底でくすぶっていた感情を抑えられなくなった。
「ここまで言うなら私も率直に言わせてもらいます。ニロ王子。何の支援もなしにストロング一家が我が国に堂々と入国して宗教戦争に勝つことはまず有り得ません。それをわかった上で関与を否定しているのですか? そもそも聖女教が国教となることで一番得しているのは誰ですか? 王国ではないとでも言いたいのですか? コンラッド家は聖女の影響力を使えばある程度我が国を束縛できるのですよ? わざわざ自分の娘を聖女に祭り上げて無知な──」
「──ジョセフ様!」
勢いで語気が強くなったところ、背後からイグに肩を掴まれた。
あ、やってしまった。
王子とドナルドの前で素直な心情を漏らしてしまった……。これはとんでもない失態だ。
戦争で苦しむ人々のことを思うと、つい冷静でいられなくなってしまう。これは、もはやただの悪い癖だ。
ぎゅっと拳を握って、静かに息を整える。
イグの言うとおり、国民にとって聖女の存在は大きい。
聖女教を国教とした時点で我が国の負けだ。ここで戦争の責任を追及しても仕方がない。
落ち着きを取り戻し姿勢を整えると、
「娘の影響力で束縛ね……。ええ、確かに利益の面で考えると、興味をそそられる話です。しかし、残念ながら、それでもあの一家を支援しようとは思えませんね」
一口紅茶をすすり、はすむかいのドナルドが柔らかい笑みを浮かべて見せた。
「……それは何故ですか?」
訝しげにそう訊ねると、ドナルドはカップで口元を隠して、言った。
「そうですね。……なぜなら、娘に怖い思いをさせた彼らに豊かな暮らしをさせるほど、私は寛大ではないからです」
温厚な語調だが、激しい怒気を帯びていた。
……ドナルドが、激怒している?
娘の話になると案外感情的になるんだな。
どうやら、ストロング一家が不純な動機で聖女を誘拐したというのは本当だった模様。
そしていまのドナルドの反応からすると、即座に死刑を実行しようとしたのもまた事実か。
なるほど。それで聖女の許しを得てあの一家は命拾いをした。ただの噂だと思ったのだが……。
全ての罪を許す救いの手、まさか聖女教の謳い文句にもある程度の真実を含んでいるとは。
しかし命を救われたとはいえ、最終的には爵位を剥奪され、彼らは国外に追放された。全ての罪が許されたわけではないのに、それでもストロング一家は彼女を崇拝して聖女に喩えたというのか? ……それだけで?
ちらりと2人の様子を確認すると、私の視線に気づいたニロ王子はおもむろに唇を開いた。
「実を言うと、いかなる経緯で彼らがフェーリを聖女にしたのか、余もよく分からない。ただし一つだけは断言できる。それは我々とは関係ないことだ」
誠意の込めた口調だった。
もしこの2人が偽りを語っていないのであれば、何だかの理由でストロング一家は我が国を選び、そして知らない方法で密入国を果たした。
ところが、追放された彼らはツテも金も持っていない。新しい生活を始めるのも苦労するはずなのに、彼らは短期間で地盤を固められた。
もしコンラッド家ではなければ、ストロング一家を助長したのは一体誰だ?
指を組み思考を巡らせる。
聖女はコンラッド家の息女。そんな彼女を聖女に祭り上げても、得するのは王国のみ。支援を行ったのは王国ではなければ、ほかの国からの思惑……という線は薄いか。
まさか、これは国内の仕業?
我が国の一部有力な貴族はこの戦争で大きな打撃を受けた。
ということは、ストロング一家を支援したのは生き残っている貴族。
宗教戦争で何かしらの利益を得ようとする、我が国の有力な貴族。
そんな者は……。
「ジョセフ殿下。余の情報が間違いではなければ、内戦によって弱体化した公爵家は皆、貴殿の王位継承権に異を唱えた者だ。これはただの偶然か?」
真剣な口調で、王子が確認してきた。
その顔へ視線を固定して、無言で睨みつく。
私は正室の王子ではない。
政治上の都合で、子供の頃から王の弟、クニヒト宰相の家に預けられ、密かに育てられたのだ。しかし、有力な公爵家の息女である正室はいつまで経っても息子を授けることはなかった。
お陰で子供の頃から公爵家の連中に命を狙われ、その都度イグに助けられたのだ。そうして10年前、私は18歳を迎えた。クニヒト宰相の後押しを受けて、やっとの思いで王位継承権を手に入れた。だが、それでも公爵家共は私を否定し続けたのだ。
「ジョセフ殿下。貴殿が反対を押し切って王位を継承すれば公爵家は間違いなく反乱を起こす。どの道テワダプドルは内戦を避けられない。……されど、偶々その前に宗教戦争が勃発し、貴殿を反対する公爵家のみが打撃を受けた。これはなんという幸運だ。貴殿もそう思わないか?」
淡々と王子が言葉をつづけた。
なんてあざとい言い方だ。私を試しているのか?
平然とする王子の顔を見て、嫌な胸騒ぎを覚える。
クニヒト宰相は王の弟。
公爵家以外でストロング一家を庇うことができるのは、恐らく宰相だけだ。
しかし、戦争を忌み嫌う私の気持ちを、宰相は誰よりも分かっている。だから、いくら私を王にしたくても、内戦を企むはずがない。
本当の父親よりも私を大事にしてきた宰相が、そんなことを……。
「ふむ。そうだな。信じがたい事実ではあるが、余が思うに、ストロング一家を支持したのは間違いなくクニヒト宰相だ」
落ち着いた王子の声が耳に刺さり、ぱっと頭が真っ白になった。
反乱が起きるくらいなら私は王位継承権を放棄する。
ずっと宰相にそう言い続けてきた。だから、宰相は絶対にこんなことをしない。そう、しないはずだ。
そうとわかっているのに、何だ、この胸騒ぎは……。
「戦争を望まないジョセフ殿下を配慮して、宰相は黙ってそうせざるを得なかった。それ以外の理由はなかろう?」
奥歯を噛みしめて、怒りで震え出す体をグッと抑えた。
いや待って、感情的になるな。冷静になって考えるんだ。
王子の話に信憑性はあっても、宰相がやったという証拠はない。
これはあくまでもニロ王子の推測。つまり事実無根の話だ。
それを真に受けてどうする?
私の知っている宰相はそんなことをしない。絶対にない。
戦争の責任から逃れたい王子のでたらめに振り回されるな。
私の気持ちを見透しているかのように、王子はイグに銀の視線を向けながら、つぶやく。
「ジョセフ殿下。眉唾物かどうかは、宰相の娘が一番わかっているはずだ」
やはりイグの情報を把握しているのか。
それでイグが一番わかっていると? ……ふん。笑わせてくれる。
仮に宰相がそんなことをやっていたとしても、イグはそれをわかっていて私から隠すことはない。
結局ただのでたらめか。そう確信して、イグのほうを振り向いたら、そこには真っ青な表情があった。
いつも冷静なイグが動揺している? ……まさか、私が王子の話を鵜呑みにして、イグを疑うとでも思っているのか?
<大丈夫です。私は誰よりもイグを信じていますから>
肩を竦め、手話でそう伝えれば、耐え難そうな様子でイグは唇を噛みしめて、ポロポロ涙を零しはじめた。
「──どうしたのですか⁈」
慌ててソファから立ち上がり、イグの傍にかけよる。
「ごめんなさい、ジョセフ様。……くっ、わたし、……ごめん、なさい…っ」
「大丈夫ですよ、イグ。ゆっくり呼吸してください」
泣き出すイグの顔を隠すように抱きしめて、その背中をさする。
イグが感動しているのか? いやまさか。一体どうしたんだ……?
呆気にとられていると、後ろから王子の声が響いた。
「彼女は疲れているようだな。部屋に連れて、ゆっくり休ませるとよい」
ニロ王子はイグを気遣っているつもりか? 信じられない。
……まあいい。今はとりあえずイグを落ち着かせよう。
「失礼します」
軽く敬意を払って、さっそくイグを抱き上げた。
大粒の涙で頬を濡らすイグの顔を見て、不安が胸いっぱいに広がる。
……イグ。私が殺されかけたあの日からもう泣かないと宣言した君が、なぜ……。
「……大丈夫、大丈夫ですよ。イグ」
慰めの言葉を口にしながら、速足で客間へと急いだ。
イグと共に二階の部屋に入ると、そこには案の定ドナルドの姿があった。
厚みのある柔らかい絨毯を足で踏みながら、順序よく並ばれている豪華な書棚を通り過ぎる。
ソファに腰をおろすと、ガラステーブルの上に用意された上質な紅茶の香りがふわりと漂ってきた。
落ち着いた雰囲気で辺りを見渡せば、綺麗に収納されている数多くの書物が目に映った。書類で溢れ返る聖女のところと違って、整理整頓されているこの部屋は多分ドナルドの書斎だ。
「ジョセフ殿下。貴重な時間を感謝する」
「いいえ」
正面のソファに座っているニロ王子とドナルドに軽く頷き、
「それで、私と話したいことは何ですか?」
用件に入ることを促す。
この二人と同じ空間にいるだけで息が苦しい。
急な会話で何を狙っているのかわからないが、きっと私が得するような話ではないだろう。
「ふむ。そうだな。甘んじて単刀直入に言おう。ジョセフ殿、余は貴殿の誤解を解きたいのだ」
「私の……誤解?」
藪から棒の話にすかさず眉をしかめる。
「ふむ。まずはこれを読みたまえ」
そう言って王子は一枚の紙を差し出してきた。これは……令書? 紙の端に押された王国の印影が目に飛び込み、更に眉根を寄せてそれを手に取る。
「ストロング一家の追放令?」
忌々しいあの一家の名前を目にして、不愉快な口調で聞き返す。今更8年前に発布されたこの令状を見せてどうするつもりだ?
最初から我が国を苦しめた内戦の一部始終を企てたのは王国だ。そのことを私が把握していないとでも思っているのか?
「まあそう焦るな。ここを見たまえ」
不快に思いながら、王子が指差すところに目を落とす。
「追放先……プロテモロコ……?」
「そうだ。この通り当初の予定では貴殿の国、テワダプドルではなく、彼らの追放先は西に位置するプロテモロコと決めていたのだ」
「……即ち彼らは自らの意思で我が国を選んだ、王国とは関係ない、と言いたいのですか?」
「ふむ。そうさ。貴殿も存じの通り、そもそも事前連絡もなしに罪人を他国に送り出すことなど尋常ではない」
王子の言う通り、基本的に外交のない国の罪人を受け入れることはない。にも関わらず、ストロング一家はノコノコと我が国にやってきては何一つ不自由なく宗教活動に専念できた。それはなぜだ?
水面下で我が国の貴族と交流を持っているコンラッド家が後ろで糸を引いているから可能になった。それしか方法はないだろう? そして当たり前だが、金が無ければ戦争には勝てない。
6年に及ぶ宗教戦争で聖女教が負けずに耐えられたのも恐らくコンラッド家からの金銭的な支援があったからだろう。
新しい国教を迎え入れて混乱する我が国をどう利用するつもりかは不明だが、すべては王国が企てたことに違いない。
「ジョセフ殿下。貴殿はどうやらまだ勘違いをしているようだからはっきりと言わせて貰おう。王国は貴殿の国で起きた内戦とは一切関与していないのだ」
「……ああ、そうですか。それが誤解ですか」
追放令をテーブルに戻して軽く鼻先で笑う。
王国との外交関係が悪化しても自力で経済の復興をどうにか図ることはできる。しかし、既に国教となった聖女教とうまく付き合っていかなければ我が国はいつまで経っても安定しないだろう。
だから当然ながら次期国王である私は聖女、ひいてはその背後にあるコンラッド家と良い関係を結ぶ必要がある。王子はそれをわかった上であくまでも善人を演じたいのか? 何が誤解だ、馬鹿馬鹿しい。
異論を唱えることなく、もうわかったから話をささっと終わらせてくれというつもりで二人を見つめる。
「ジョセフ殿下、冷静になって話を聞きたまえ。王国もコンラッド家もストロング一家を支援していない、これは紛れもなく事実だ」
誠実さに満ちた王子の面持ちに呆れ果てて、到頭心の奥底でくすぶっていた感情を抑えられなくなった。
「ここまで言うなら私も率直に言わせてもらいます。ニロ王子。何の支援もなしにストロング一家が我が国に堂々と入国して宗教戦争に勝つことはまず有り得ません。それをわかった上で関与を否定しているのですか? そもそも聖女教が国教となることで一番得しているのは誰ですか? 王国ではないとでも言いたいのですか? コンラッド家は聖女の影響力を使えばある程度我が国を束縛できるのですよ? わざわざ自分の娘を聖女に祭り上げて無知な──」
「──ジョセフ様!」
勢いで語気が強くなったところ、背後からイグに肩を掴まれた。
あ、やってしまった。
王子とドナルドの前で素直な心情を漏らしてしまった……。これはとんでもない失態だ。
戦争で苦しむ人々のことを思うと、つい冷静でいられなくなってしまう。これは、もはやただの悪い癖だ。
ぎゅっと拳を握って、静かに息を整える。
イグの言うとおり、国民にとって聖女の存在は大きい。
聖女教を国教とした時点で我が国の負けだ。ここで戦争の責任を追及しても仕方がない。
落ち着きを取り戻し姿勢を整えると、
「娘の影響力で束縛ね……。ええ、確かに利益の面で考えると、興味をそそられる話です。しかし、残念ながら、それでもあの一家を支援しようとは思えませんね」
一口紅茶をすすり、はすむかいのドナルドが柔らかい笑みを浮かべて見せた。
「……それは何故ですか?」
訝しげにそう訊ねると、ドナルドはカップで口元を隠して、言った。
「そうですね。……なぜなら、娘に怖い思いをさせた彼らに豊かな暮らしをさせるほど、私は寛大ではないからです」
温厚な語調だが、激しい怒気を帯びていた。
……ドナルドが、激怒している?
娘の話になると案外感情的になるんだな。
どうやら、ストロング一家が不純な動機で聖女を誘拐したというのは本当だった模様。
そしていまのドナルドの反応からすると、即座に死刑を実行しようとしたのもまた事実か。
なるほど。それで聖女の許しを得てあの一家は命拾いをした。ただの噂だと思ったのだが……。
全ての罪を許す救いの手、まさか聖女教の謳い文句にもある程度の真実を含んでいるとは。
しかし命を救われたとはいえ、最終的には爵位を剥奪され、彼らは国外に追放された。全ての罪が許されたわけではないのに、それでもストロング一家は彼女を崇拝して聖女に喩えたというのか? ……それだけで?
ちらりと2人の様子を確認すると、私の視線に気づいたニロ王子はおもむろに唇を開いた。
「実を言うと、いかなる経緯で彼らがフェーリを聖女にしたのか、余もよく分からない。ただし一つだけは断言できる。それは我々とは関係ないことだ」
誠意の込めた口調だった。
もしこの2人が偽りを語っていないのであれば、何だかの理由でストロング一家は我が国を選び、そして知らない方法で密入国を果たした。
ところが、追放された彼らはツテも金も持っていない。新しい生活を始めるのも苦労するはずなのに、彼らは短期間で地盤を固められた。
もしコンラッド家ではなければ、ストロング一家を助長したのは一体誰だ?
指を組み思考を巡らせる。
聖女はコンラッド家の息女。そんな彼女を聖女に祭り上げても、得するのは王国のみ。支援を行ったのは王国ではなければ、ほかの国からの思惑……という線は薄いか。
まさか、これは国内の仕業?
我が国の一部有力な貴族はこの戦争で大きな打撃を受けた。
ということは、ストロング一家を支援したのは生き残っている貴族。
宗教戦争で何かしらの利益を得ようとする、我が国の有力な貴族。
そんな者は……。
「ジョセフ殿下。余の情報が間違いではなければ、内戦によって弱体化した公爵家は皆、貴殿の王位継承権に異を唱えた者だ。これはただの偶然か?」
真剣な口調で、王子が確認してきた。
その顔へ視線を固定して、無言で睨みつく。
私は正室の王子ではない。
政治上の都合で、子供の頃から王の弟、クニヒト宰相の家に預けられ、密かに育てられたのだ。しかし、有力な公爵家の息女である正室はいつまで経っても息子を授けることはなかった。
お陰で子供の頃から公爵家の連中に命を狙われ、その都度イグに助けられたのだ。そうして10年前、私は18歳を迎えた。クニヒト宰相の後押しを受けて、やっとの思いで王位継承権を手に入れた。だが、それでも公爵家共は私を否定し続けたのだ。
「ジョセフ殿下。貴殿が反対を押し切って王位を継承すれば公爵家は間違いなく反乱を起こす。どの道テワダプドルは内戦を避けられない。……されど、偶々その前に宗教戦争が勃発し、貴殿を反対する公爵家のみが打撃を受けた。これはなんという幸運だ。貴殿もそう思わないか?」
淡々と王子が言葉をつづけた。
なんてあざとい言い方だ。私を試しているのか?
平然とする王子の顔を見て、嫌な胸騒ぎを覚える。
クニヒト宰相は王の弟。
公爵家以外でストロング一家を庇うことができるのは、恐らく宰相だけだ。
しかし、戦争を忌み嫌う私の気持ちを、宰相は誰よりも分かっている。だから、いくら私を王にしたくても、内戦を企むはずがない。
本当の父親よりも私を大事にしてきた宰相が、そんなことを……。
「ふむ。そうだな。信じがたい事実ではあるが、余が思うに、ストロング一家を支持したのは間違いなくクニヒト宰相だ」
落ち着いた王子の声が耳に刺さり、ぱっと頭が真っ白になった。
反乱が起きるくらいなら私は王位継承権を放棄する。
ずっと宰相にそう言い続けてきた。だから、宰相は絶対にこんなことをしない。そう、しないはずだ。
そうとわかっているのに、何だ、この胸騒ぎは……。
「戦争を望まないジョセフ殿下を配慮して、宰相は黙ってそうせざるを得なかった。それ以外の理由はなかろう?」
奥歯を噛みしめて、怒りで震え出す体をグッと抑えた。
いや待って、感情的になるな。冷静になって考えるんだ。
王子の話に信憑性はあっても、宰相がやったという証拠はない。
これはあくまでもニロ王子の推測。つまり事実無根の話だ。
それを真に受けてどうする?
私の知っている宰相はそんなことをしない。絶対にない。
戦争の責任から逃れたい王子のでたらめに振り回されるな。
私の気持ちを見透しているかのように、王子はイグに銀の視線を向けながら、つぶやく。
「ジョセフ殿下。眉唾物かどうかは、宰相の娘が一番わかっているはずだ」
やはりイグの情報を把握しているのか。
それでイグが一番わかっていると? ……ふん。笑わせてくれる。
仮に宰相がそんなことをやっていたとしても、イグはそれをわかっていて私から隠すことはない。
結局ただのでたらめか。そう確信して、イグのほうを振り向いたら、そこには真っ青な表情があった。
いつも冷静なイグが動揺している? ……まさか、私が王子の話を鵜呑みにして、イグを疑うとでも思っているのか?
<大丈夫です。私は誰よりもイグを信じていますから>
肩を竦め、手話でそう伝えれば、耐え難そうな様子でイグは唇を噛みしめて、ポロポロ涙を零しはじめた。
「──どうしたのですか⁈」
慌ててソファから立ち上がり、イグの傍にかけよる。
「ごめんなさい、ジョセフ様。……くっ、わたし、……ごめん、なさい…っ」
「大丈夫ですよ、イグ。ゆっくり呼吸してください」
泣き出すイグの顔を隠すように抱きしめて、その背中をさする。
イグが感動しているのか? いやまさか。一体どうしたんだ……?
呆気にとられていると、後ろから王子の声が響いた。
「彼女は疲れているようだな。部屋に連れて、ゆっくり休ませるとよい」
ニロ王子はイグを気遣っているつもりか? 信じられない。
……まあいい。今はとりあえずイグを落ち着かせよう。
「失礼します」
軽く敬意を払って、さっそくイグを抱き上げた。
大粒の涙で頬を濡らすイグの顔を見て、不安が胸いっぱいに広がる。
……イグ。私が殺されかけたあの日からもう泣かないと宣言した君が、なぜ……。
「……大丈夫、大丈夫ですよ。イグ」
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