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しおりを挟む「妹を返せ、バケモノめ!」
見下ろせば、腹部に銀色の鋼が突き刺さっていた。痛みはない。
視線をあげると、成長したランスロットの必死な形相があった。かちあう碧眼がきらりと光って、そこから一筋の水滴がーー
「ーーめ、姫? 聞いてる?」
「ん? んぅ、……てる」
うわごとのような返事に、オイディが困った顔をした。
「またぼーっとしてる、あのランスロットって坊主と会ってから様子が変だよぉ?」
あれから2日がたった。
目を閉じればランスロットに刺される光景が浮かび、思考がぼんやりする。
「……め、姫!」
「あぇ?」
ゆらゆらと肩を揺さぶられて、見上げるとオイディが呆れたように息をついた。
「本当にどうしたんだい? ……まぁいいや、とにかく、お兄さんとの約束は守ってくれるよねぇ?」
「……やくそく?」
「明日エピカ姉を裏庭に連れてくること! これで3回目だからねぇ?」
がぁぁあ~! とオイディは紙に黒い線を走らせると、それを私に握らせてきた。
「明日、エピカ姉、裏庭、分かったねぇ?」
とりあえず頷くと、オイディは裏庭、明日ねぇ! とくり返してから部屋を後にした。
ソファによりかかって瞼をふせれば、またしてもランスロットの顔が浮かんできた。
苦しそうな、それでいて悲しそうな面持ち。
まるで記憶をみせられるような感覚に違和感しかない。
そもそも、ランスロットの妹が病気に苦しんでいた情報など、小説のどこにもなかった。
私が書いたはずなのに、どうしても思い出せないのだ。
リリトがいる場面なら全部細かく覚えているのに、それ以外はまるで知らない情報みたいに何も浮かんでこない。
何かが可笑しいーー
「ーーリト? リリト!」
はっと目を開けたら、視界いっぱいにサマエルの不安げな顔が入った。
「サマエル、さま……」
「顔色悪いぞ。気分が悪いのか?」
「ううん、だい、じょぶ……」
サマエルは私の額に手を当てると、温度を測るように自分の額にも手を当てた。
「熱はなさそうだが、……体調悪いなら、今日は魔力の注入を休め」
下を向けば、目の前にまだ眠っている白馬がいた。
あれ、いつの間に世界樹の跡地まで来たんだ……
「魔力は栄養源ですから、与えないと、可哀想です」
「無理するな。お前まで倒れたら元も子もないだろう? それにこれ」
白馬にふれる私の手を取って止めると、サマエルは近くで光っている角を指差した。
「昨日から光って可笑しいと思ったが、どうやら少しずつ減っているようだ」
「! たしかに、小さくなっていますね……!」
魔力を目に集中してみれば、白馬と角の下に魔法陣のような円が光っていた。
ゆっくりとだが、角は氷柱のように先端から溶けて光の鱗粉になり、ちらりちらりと白馬の中へと吸収されてゆく。
「それが代わりの餌になるだろうから、しばらくは大丈夫だ」
大丈夫どころか、昨日より白馬の血色が良くなっている気がする。
飢餓状態の人間が体脂肪をエネルギーに変換するのと同じ原理なのか……?
にしても
「50億円の餌……」
「おくえん?」
何を言っているのだという顔でサマエルが私をみた。
「疲れているようだな。とりあえず帰って休め……ん? 手に何を握っているのだ、リリト?」
「あ、そういえば……!」
オイディの書き置きをみせると、サマエルは険しげに金瞳を細めた。
「……賢そうで愚かな男だ」
「愚かは言いすぎですよ~? オイディ様はただ綺麗なお姉さんに目がないだけですから」
「フッ、……厄介なことになりそうだが、王族として約束は守るものだ」
「エピカ先生はオイディ様に興味なさそうなので、気まずくなるかも知れませんね」
「気まずい程度で済むならいいのだが、……まあ良い。エピカ嬢には俺からうまく誘導しておく」
「?」
私の手をひっぱって、サマエルは歩きだした。
談話室にエピカ先生が現れると、前言どおりサマエルが適当な言い訳でエピカ先生に約束をとりつけ、時間になるとオイディのいるところまで連れていった。
「……リリト様の秘密のお茶会とお聞きしましたが、どうしてオイディ様がいらっしゃるのでしょう?」
さすがに嘘がバレたようで、エピカ先生は非難めいた眼差しを私たちに向けてくる。
えっと、と私が発言できる前に、
「エピカ姉が俺を避けるからだよ」
オイディが小さくつぶやいた。
いつものように語尾を伸ばさなかったその声色は、ひんやりと冷たくひびいた。
「……オイディ様を避けた覚えはございませんが、今日は時間も遅いので、また改めてーー」
「もう逃さないよ、エピカ姉」
オイディはエピカ先生の手を捕まえると、すごい気勢で迫った。
「いつまでそうやってシラを切るつもり? 俺はもうガキじゃない。本気だって分かってるだろ?」
「何のことかしら……それより、紳士らしくない言動は感心いたしません。手を離してくださいまし」
「だからもう逃さないって言っただろ?」
手を離すそぶりのないオイディに、エピカ先生は困惑の色を濃くした。
オイディは決して悪い人ではないと、この数週間の付き合いで分かっている。
それでも、あまりの剣幕に思わず止めに入ろうとしたが、人のあだ事に関わるなとサマエルに止められた。
ややあって、エピカ先生の凛とした声が聞こえた。
「オイディ様はまだお若い。親情と恋愛感情の区別ができていらーー」
「その言い訳は聞き飽きた!」
突然の怒声に、私までびっくりと竦み上がった。
「俺はエピカ姉が好きだ。愛している。昔からずっとだ! 姉としてみたことは一度もない! 俺は兄貴の代わりにはなれない、分かってる。だから断るならはっきりと断ってくれよっ、こうして俺の気持ちから目を背けて、蔑ろにするな……っ」
ポロポロと涙をこぼし始めたオイディの顔を、エピカ先生は慌てたように指先でぬぐった。それから心痛げに目をそばめて、ぽつりとつぶやいた。
「曖昧な態度であなたを苦しめてしまいましたね。申し訳、ございません……」
「やっぱ断るんだ? だったらさ、せめて俺の目をみていって」
「…………」
エピカ先生は暫し躊躇してから、オイディを仰ぎみた。
「オイディ様のお気持ちには、お応え……」
「待て、その前にもう一度言わせて。ちゃんと聞いてほしい」
オイディは自分の顔に触れているエピカ先生の手を包み込むと、真剣な口調で言った。
「俺はエピカ姉が好きだ。子どもの時から、ずっと……愛してる」
傍からでもオイディの真摯な気持ちが伝わってきた。
2人の間に何があったのか分からないが、オイディは長い間エピカ先生を想ってきたのがわかる。
私の思考を遮るように、エピカ先生の掠れた声が聞こえてきた。
「オイディさま。わたくしは、あなたのお気持ちに、お応え、……ぅっ、お応え、することがっ、……ひぅ、できない、のです……」
必死に堪えていたエピカ先生だったが、途中でポロリと涙があふれて、その弾みに烈しく嗚咽しはじめた。
「ゎっ、……わたくしは、オイディ様が思うような、んぅ、人ではございません。……お願い、です、ひっ、これ以上、わたくしを追いつめないで、うぅ、追いつめないで、くださいまし……」
それから泣き崩れるエピカ先生を、オイディはただ無気力に眺めた。
夜空に浮かぶ月が2人を淡く照りつづけた。
一夜明けて、私はルキフェルの書斎に呼び出された。
言わずとも理由はわかっている。
後ろめたさからソワソワしていると、ルキフェルはため息をついて私に目線を合わせるようにしゃがんだ。
「エピカ嬢は失神するまで泣いたそうだな?」
ぎっくりと固まる私にもう一度ため息をこぼして、ルキフェルが言った。
「王族として、自分の行為が招いた結果を自分で始末しなければならぬ。やるべきことは分かっておるな?」
こくこく頷いた。
「エピカ先生にはちゃんと謝ります……陛下にもご迷惑をおかけしました。ごめんなさい」
「はぁ、そうだな。ただ、エピカ嬢のところへ行くのは数日後にしろ。彼女は昔から自分の気持ちを人に触れられたくないのでな、そっとしておけ」
「昔から? 陛下はエピカ先生と親しかったのですか?」
「ああ、彼女の婚約者が私の側近で親友だったからな。幼いオイディとともに宴会でよく会った」
「エピカ先生の婚約者って、10年前に病死した人……?」
「病死……」
ルキフェルはそう言い淀むと、目を伏せて私に背中をみせた。
「彼は私の命の恩人だ。残されたエピカ嬢を見守るのが私の責務。いつもなら近づくなと警告できるのだが、オイディは彼の弟だ。強く言えないゆえ、この件はもう触れないようにする。良いな?」
「わかりまし……て、弟!?」
私の驚いた声は廊下まで反響した。
兄の代わりにはなれないというオイディの言葉を思い出して、改めてなんてことをしでかしたのだと頭を抱えた。
死別した婚約者の弟の告白を正面から断らないといけないなんて、いじめにも程がある。
これからどんな顔してエピカ先生に会えば良いのか分からない。
先生は大人だから口では何も言わないだろうけど、うぅ、自業自得だが胃が痛い……
サマエルは知っていたのかな?
というか、今日は遅いな……
早朝。いつもの散歩にサマエルを待っていたが、なかなか来ない。
寝坊するような性格ではないし、急用ができたなら連絡くらいはくれるはず。
心配しはじめたところで、ゆるりとサマエルが現れた。
「サマエル様、寝室まで探しに行くところ……あれ、どうしましたの、その顔……」
みれば、サマエルの片頬がはれていた。
口角が切れたのか青いあざまでできている。
そっと頬に触れると、サマエルは痛そうに目を細めた。
「鍛錬の時に打っただけだ、心配するな」
昨日の午後。
エピカ先生の一件でサマエルもルキフェルに呼び出されたから、鍛錬を休んだと聞いた。
どう見てもぶたれた痕に、コンコンと怒りが湧いてくる。
「陛下にされたのですか……」
否定しても無意味と分かったのか、サマエルは私から顔を背けた。
「お前を城外まで連れ出して危険な目に晒した。当然の戒めだ。気にするな」
「そんな! オイディ様と約束を交わしたのは私です。サマエル様が叩かれるなんて可笑しい! 当然の戒めなら、私が受けるべきです」
「可笑しくはない。もう良い。散歩する時間がなくなるぞ」
「よくないです! アザができるまで叩くなんて、サマエル様はまだ9才なのに、こんなの間違ってます!」
ルキフェルのところへ駆けつけても、また後でサマエルが叱られるだけだろう。どうしようもない怒りに震えていると、サマエルはそっと私の頭を撫でてきた。
「お前が案じてくれるだけで十分だ、リリト」
無理して笑うサマエルの笑顔をみて、じぃんと眦が熱くなった。
否定したくてもしきれないくらい、ルキフェルは私にとっての理想な父親であり、国民からしても敬愛すべき賢帝である。
それなのに、どうしてサマエルにだけ、こんな理不尽な仕打ちをするのだ。
サマエルは気難しいところがあるけど、本当は健気で、優しくて、皇太子に相応しくあろうと、誰よりも努力してきたのに……
おのれの拳を握りしめて、私はサマエルを力いっぱいに抱きしめた。
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