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しおりを挟む「すみません、弟が失礼しました」
少年の背後から兄と見られる青年が困った顔で現れた。
銀髪に黄金色の瞳。
訛りもあるため、2人はオングラン人ではないようだ。
「ほら、ノア。謝りなさい」
「やだ! ライターを1分で直せるなんて嘘だから、嘘つきは詐欺師で間違いないだろ!」
「ノア!」
「相手が貴族だからって、アニキはビビりすぎ!」
ノアと呼ばれた少年は兄の手を振り払って、セシルを指差した。
「お上品な口調と身なりから分かってるからな! アンタらは近くのお貴族学校の人だろ? 魔法至上主義の! 変換装置をバカにするなんて、許さない!」
怒る少年に、セシルは残念そうな顔を見せた。
「……変換装置に対する熱は認めるけれど、一つも正しいことを言い当ててない。残念な子ね」
「は!? なにがーー」
「喧嘩するなら相手の言い分も聞きなさい」
セシルは前屈みになると、ノアの前に指を一本立たせた。
「一つ、私は貴族ではない。お金持ちの平民よ。二つ、一番大事なところね?」
指を2本に増やして、セシルが続けた。
「私は魔法が使えない。そして根っからの変換装置至上主義なの。あなたよりは詳しい自信があるわ」
「……は! じゃあ、ほんとにライターを1分で直せるんだ? とんでもない天才サマなんだな!」
「あら? ありがとう」
「褒めてないー!」
(皮肉も分からないのか、オングラン人は!)、とアルマン語でぼやくノアの頭を撫でて、その兄が再び頭を下げた。
「弟がすみません。しかし、もし貴女が本当に変換装置を熟知しているのならば、ぜひその腕前を拝見させていただきたい。もちろん、持参の壊れたライターでも構いません」
青年の口調は礼儀正しいけれど、視線は挑発的なものだった。
ライターの数式は単調とはいえ、行数がそれなりにある。
セシルが本当にライターを1分で直せたのならば、元々エラーを起こす箇所を知っていたからだろうと、青年は揶揄している。
それが正しく事実なので、セシルはやや硬い笑顔で、ふふ、と小さく笑った。
「弟に負けないくらい、変換装置に熱い想いを抱いているようですね」
想いだけです、と微笑む兄の前へ出て、ノアが高らかに言った。
「聞いて驚けよ! うちのアニキは16才にしてアルマンの期待の新星! 今度の発明大会を優勝する最有力候補なんだぜ!」
「ノア!」
「アニキは謙遜しすぎ! こんな二番煎じに舐められちゃうダメだって!」
「……あらあら。言葉が無慈悲だこと」
笑顔のままだが、セシルの額には青い筋がピクピクと立っている。
「よろしければ、私と勝負しませんか? ぜひ優勝最有力候補様の腕前を拝見させていただきたいです」
青年はやや驚いた顔になってから、優しく微笑んだ。
「……喜んで相手します」
□□□□□□
2人の勝負は簡単なものになるはずだった。
変換装置の教科書からアーサーが出題して、それを解く。
しかし、2人にとっては簡単すぎたようで、勝負がなかなかつかない。
「ラスト一問。空気を冷たくする変換装置の仕組みは?」
セシルと青年の手が同時に上がった。
「空気に圧力をかけて」
「熱だけを飛ばし」
「「冷気の減圧を行う!」」
息がぴったりだった。
2人は暫くお互いの顔を見つめ合うとーー
「ふ、ふふ、ふふふふっ!」
セシルが先に笑いだした。青年もつられて笑い出す。
勝負のことをすっかり忘れたかのように、2人はお互いに親密な笑顔を向けた。
「貴女なら本当に1分でライターを直せそうです」
「ええ、……持参のであれば、ですけれど」
自白するセシルの耳打ちに、青年が喉の奥で笑った。
「そういえば、自己紹介はまだでした」
「……ええ。私はセシル。お会いできて光栄ですわ。アルマンの新星、ハインリヒ・フォークトさん?」
青年ーーハインリヒはパチパチと目を瞬かせてから、バツが悪そうに後頭部をさすった。
「ノアがお喋りですから……、ごほん。ボクこそ、グリーンウッド家のご令嬢とお会いできて光栄です」
今度はセシルが睫毛を羽ばたかせる番だ。
ハインリヒが小さく笑った。
「ほら、お金持ちの平民で変換装置に詳しいセシルというのは、その1人しかいませんから」
「あらあら……偽名を使うべきでしたわ」
「はは、貴女の珍しい誠実さに感謝を」
セシルは目を見開いてから、ふっと吹き出した。
「……無慈悲なお方ですね」
そうして2人が熱い握手を交わした直後ーー
「そろそろ修理をお願いできるかね?」
現れたお爺さんが待ちきれないように、パラパラとテーブルの上に数種類の変換装置を置いた。
いつの間にか、修理を待っている人々の列ができている。
ハインリヒはハッとして、気まずそうな顔をした。
「貴女の商売を邪魔したようです。すみません」
口コミが人々を掻き集めたのだろう。
予想以上の長列をみて、セシルが閃いたようにハインリヒを振り返った。
「よろしければ、勝負の決着をしませんか? 修理費の収入はしっかり配分します」
ハインリヒはすぐに合点したようで、面白げに笑うとセシルの手から工具を受け取った。
「勝敗の判定は?」
「難易度と数の総合的判断でいかが?」
「承知。お手柔らかに頼みます」
「ふふ、こちらのセリフですわ」
◾️□□□□□
変換装置に対する熱い想いとプライドを有する2人は、なによりも負けず嫌いなようで、お互いに全力で勝とうとする。
片方が少しでも余裕が出れば、すぐさま相手の装置を覗きみて、問題点を指摘する。そんな得点の奪い合いも平気で行う。
熾烈な争奪戦を弟のノアがせっせと記録していく。2人に負けないくらい彼もすごい熱を上げている。
受付と料金の清算を行うアーサーはそんな3人を遠い目で眺めながら、時折頭痛そうに眉間を揉んだ。
「できましたわ! 次!」
「ボクも!」
掃除機や扇風機といった大きな装置が入ると、2人が協力して修理することもあった。その場合、より多くのエラー箇所を直した人の得点となる。
競争し合っていくうちに、2人はお互いの特性を少しずつ分かってくる。
セシルは教科書通りの完璧さで、既存数式の盲点をぱぱっと発見できる。
一方のハインリヒは感覚派の天才で、問題点の発見まではやや時間がかかるが、クリエイティブな発想で簡単に直せる。
優秀な2人の間に微差が現れ始めたのは、修理品がいよいよ最後になるところだった。
「ここ! 数式の途切れがありますわ!」
セシルがハインリヒの手から変換装置を取り上げると、数字を書き換えて本体に戻した。そして起動ボタンを押すと、ピッとライトがついた。
「……1点差か。悔しいです」
ハインリヒが袖で額の汗を拭うと、セシルに悔しげな顔を向けた。
「いや! まだ店は閉まってないし、アニキは負けてない!」
ノアは横でパタパタとハンカチをふり、ハインリヒの顔に風を当てながら異論を唱えた。セシルはニッコリと笑った。
「ええ。感謝祭が終わるまであと5分はあります。フォークトさんの負けではありません。まだ」
記帳していたアーサーがため息をついて、3人を振り返った。
「2人とも良く頑張った。それで良くないか?」
「ないですね」
「ですわね」
「勝負舐めんな!」
なぜかノアにまで呆れられて、アーサーは黙って座り直した。
その時、ガタガタと音を立てて大きな乗り物が店の前に止まった。
「すまへん! 変換装置ならなぁんでも直せると聞いてぇん……」
古びたトラクターから降りた年配のオヤジが、帽子を取りながら店に入ってきた。
「(ほら来た! 逆転勝負のチャンス!)」
ノアが明るいアルマン語の口調で喜んだ。
◾️□□□□□
農作業用のトラクターは、あちらこちらに土草が詰まっており、錆びが目立っている。
硬いボンネットに苦戦するセシルに近づくと、ハインリヒは手を貸して2人で開けた。
「まだ熱いですから、手袋をつけて」
「あ、確かに……」
グリーンウッド家は変換装置のパイオニアなので、当然セシルはトラクターの仕組みを知っている。
しかし、地方にあまり行かないため、使い古びたトラクターを見るのは初めてだ。
ハインリヒのほうが詳しいようで、彼の主導で2人は中から大きなコアを取り出すと、水をかけて数式部分を拭いた。
そして2人はお互いに困惑した顔を見せた。
「すぐに直せそうにありませんわ」
「ああ。検査だけでも朝方までかかりそうです」
持ち主のオヤジがのろのろと2人に近寄った。
「春から調子が悪うて、石に引っかかるとすぐ止まるんや。せめて秋の整地までに直しておきてぇんやが、どこもかしこも直せね言うて、困っとるん」
「修理より買い換えが速いのですが……」
「かなり前のモデルですから、部品の在庫はもう無さそうです」
首を振るセシルとハインリヒ。
オヤジは眉を八の字に下げた。
「本体を買い換える金もねぇんで、農地を売るしかねぇんか……」
「パーツ別の数式を見直せば直せるかもしれませんが、数週間はかかります」
「ホンマか!」
「ええ。しかし、残念ながら受け付けられませんわ……」
学校が始まるとセシルは街に出かけられなくなる。
そして夏休みが終わるまであと12日ほどしかないので、どう考えても間に合わない。
「ボクも手伝いますので、勝負は一旦お預けにして、10日間だけ一緒に試してみませんか?」
「フォークトさん……。そうですね、10日なら、しかし……」
躊躇するセシルから、ハインリヒはオヤジに視線を向けた。
「10日経ったら修理を辞めます。直せる保証はしません。それでもいいですか?」
「もちろんさ! 試してくれるだけで有り難てぇ!」
ハインリヒは微笑んだ。
「これは貴重な経験になります。それに……」
言いながらハインリヒがハンマーでコアを開けると、中から小さくて丸いコアがたくさん現れた。それぞれ全て複雑に繋がっている。
「問題が子コアの数なら、もっと早く直せます」
「と言いますと?」
「まずこれらを全て分解して、ボクと貴女でエラー部分を洗い出します。数式は纏めて書き直せば時短になりましょう」
「確かに。親コアのほうは後回しでいいのかしら」
やる気が出たのか、セシルは聞きながらコアの分解作業に入った。
ハインリヒもそれに続く。
「ノアも簡単なものなら分かるので、そこを任せます」
「うい!」
(アルマン次世代の希望の星にお任せあれ!)、とアルマン語でふんぞり返るノアに、ハインリヒは苦笑いした。
それをみて、セシルも小さく笑った。
◾️□□□□□
アーサーもオヤジもやり方を教えてもらいながら、できることを手伝った。
それでも、一晩では分解作業すら終わらせないでいた。
5人は小休止してから午後に再び集合し、感謝祭の喧騒から解放された広場の端っこで、黙々と修理にあたる。
セシルとハインリヒは問題点を紙に書き出して、最善の解決法について議論した。
やがて紙では足りなくなり、黒板代わりに広場の砂を使い始めた。
細い枝で書いては談論し、足で消してまた書き直す。
アーサーとオヤジにはよく分からないので、2人の様子を見守った。
ノアは何やら目を光らせて、自分の蠟板にたくさん殴り書きした。
「子コアを合体……? そんなことができるんか?」
「あの兄ちゃんのアイデアだがな、あの嬢ちゃんが数式を書き出したんや。こことここをこうして……」
「ほほぉ!」
トラクターの噂を聞いて伺いにきた近場の職人たちが、横聞きしたことを語り合う。
セシルとハインリヒは何やら革新的なことをやろうとしているようで、噂が噂を呼び、日に日に職人の見物客が増えていく。
気づけば職人たちが毎日やってきては、講義を受講するような姿勢で2人の議論を聞き入った。
2人はこの状況に慣れているのか、まったく気にするそぶりはない。それどころか、偶に短い質問応答もした。
そうしてある夕方。
「これでパーツ別のコアを共通の数式で動かせるようになりますわ。あとは親コアに繋げれば……」
「待った」
砂に線を引くセシルの枝を自分の枝で止めさせると、ハインリヒは黙って熟考した。
そうして目で数式を数回ほど見回すと、ハインリヒは足である数式の一部を消した。
「親コアに繋げなくていけそう」
「……え?」
ハインリヒは欠けた数式を書き足していく。
そして埋めたところでーーピッタリと動きを止めた。その数式を見て、セシルが目を見張る。
そのまま2人がお互いの顔をみて、興奮したように笑い出した。
「子コアだけで動かせますわ!」
「モデルの縛りもなくなるから、メインコアだけ買い換えれば新品同然!」
「おおぉぉぉぉおお!」
どっと喝采が沸き起こった。
職人たちはセシルとハインリヒの側に駆けつけると、ためつすがめつ数式を眺めた。その口々には賞賛の言葉が溢れ出る。
「これがうまくいけば、コアモデルの縛りがなくなるぞ!」
「子コアも纏めて修理できるから、手間がだいぶ省ける!」
「これがアルマンの天才技師の実力か!」
「グリーンウッド家の令嬢が子コア合体の数式を書いたのが大きいな!」
「変換装置の未来が明るいぞ!!」
中央に囲まれた2人はどこか恥ずかしそうにしながらも、顔には満面の笑みがあった。
「7日で成し遂げましたわ、フォークトさん!」
「ああ! 7日! 世界記録ですよ、絶対!」
「うふふ、世界初ですもの! 新しい数式の正式登録もしないと。家名ではなく、2人の名前で!」
「ああ! ハインリヒとセシルで!」
2人は固い握手をして、拍手音が響く中で熱い抱擁を交わした。
◾️◾️◾️□□□
昼間、オングレの港。
埠頭にアルマン行きの豪華客船がゆったりと構えている。
セシルは事前に聞かされたハインリヒの客室の前にいた。
部屋は壁から天井、床まで高級木材で統一されており、品の良い家具の上には、職人組合から送られた贅沢な花束がぎっしりと飾ってある。
それをみたセシルは苦笑いしながら、ハインリヒにフラワーバスケットを差し出した。
「置く場所がないのなら、乗務員に相談なさると見計らってくださいますわ」
「そうですね……、このバスケットだけは室内で飾っておきます」
「あら、お目が高い。この中で一番価値がありますもの」
「さすがはお金持ちの平民ですね」
「うふふ」
2人が一頻り笑いあうと、改めるように握手を交わした。
「とても有意義な経験をありがとうございました。ハインリヒさん、と呼んでも?」
「ハインでいいです、セシル。こちらこそ、会えて本当によかった。次は発明大会でいいですか?」
「あら、それをどうして……」
「変換装置を愛するお金持ちの平民が出店する理由は、それくらいしかないですから」
「うふふ、あなたには敵いませんわ」
「それはどうでしょう。とりあえず、勝負の決着時だけは決まりましたね。ボクは今回で負けていませんから」
「……まだ」
セシルは声を出さずに、口の動きだけで強調した。横で見たノアが不満げに口を尖らせた。
「(発明大会でボコボコにされろ)」
「あら、ここぞというところばかりアルマン語で喋るのね」
「大事なことは敵に知らさない主義だから」
セシルは悪戯げに笑った。
「アルマン次世代の希望の星は眩しいですね」
「ふあっ!? あああ、アンタ! アルマン語ができてたのか!」
「(6才まで住んでいたわ)」
「あわ、あわわわ……」
かあぁぁぁあとノアは耳まで赤くなった。
ハインリヒも少し恥ずかしそうに鼻の下を擦ると、そのまま小さく肩を揺らして笑った。
しばらくして船が出港する合図が鳴ると、セシルは2人に手を振り、暫しの別れを告げた。
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