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 課題の提出日が週明けであることが不幸中の幸いで、セシルは図書室から参考文献を集めると、二度と盗まれないようにと寮の自室に籠り、無我夢中で数式を書き直していた。

 研究者気質なセシルの集中力は言うまでもなく、いざ始めたら飲食を忘れて書き続けられる。

 夜通しで書いて、目が霞み始めた頃に窓の外を見やったら、空は黄金色に染まっていた。そろそろ一日が経つのか。そう思ったところ、正門付近で歩き回るアーサーの姿が目をひいた。

 アーサーは風紀委員の羽織をはおった数人の生徒に指示を出しては、せわしく寮の周辺を確認している。よく見ればウォルターもいる。一緒になって設計図を探しているのか。ありがたい話だが、あまりにも目立ちすぎる。犯人に見られたら、逆にやぶ蛇だろう。

 アーサーの行動に矛盾を感じた時、ふと彼に言われた最後の言葉が脳裏に浮かび、セシルは内心でモヤモヤする。

 元を言えば、設計図を盗まれたセシルが一番の被害者だ。
 慰めて同情してほしいなど、セシルのプライドが許さないし、アーサーの人柄からして期待すらしていない。それにしても、なぜ物を無碍にする悪人のように怒られなければならなかったのか、何度考えてもやはり腑に落ちない。

 アーサーは悪い人ではないことくらい、セシルも頭の中では理解している。理解しているからこそ、なぜいつもセシルに食ってかかるような言動ばかりをするのか、納得できないのだ。

 セシルとてアーサーと喧嘩したいわけではない。
 確かに彼に後悔してほしい気持ちは今だってあるけれど、本音を言えば一度は仲良く話してみたい。そうすればきっと、アーサーもセシルは悪い人ではないと分かってもらえ……

 そこまで考えて、セシルはふるふると頭を振った。
 まだ彼に好かれたいなんてあり得ない。アーサーのことは嫌いだ。どんな理由があっても許さない。そう決めたじゃない。

 セシルは情けない思考を振り払うように、羽ペンを強く握りしめて数式の計算を再開した。



★☆☆☆☆☆



 ざぁざぁと窓を叩く大粒の雨音に、セシルの目が覚めた。
 いつの間にか寝てしまったようで、窓ガラスに映るセシルの顔は疲れ切っていて、机に突っ伏していた額が赤くなっている。

 時計は夜中の1時を指していた。
 紆余曲折あったが、2日ぶっ通しで書いた設計図はあと少しで完成できそうだ。本当はもう少し凝ったものにしたかったが、贅沢は言ってられない。

 セシルは顔を洗おうと水盆に触れたが、数日も引き籠ったせいで水は冷め切っていて、不純物が浮いていた。そう言えば、風呂も入ってなかった。セシルが思い出す様に腕を持ち上げて、衣の匂いを嗅いだ。

 熱い夏日が続いたせいで、普段あまり汗をかかないセシルの身体にも多少汗の滲む匂いがした。今更ながら不衛生極まりない。

 セシルはその足で浴場へ向かったが、木製の扉には四角い板が吊るされていて、その上に『湯切れ』との文字が彫られてあった。

 どうやらボイラー室に何かの支障があるらしく、昨日から閉鎖されていた。
 ならば談話室の暖炉で湯を沸かすかと思ったが、なぜか鍵がかかって入れない。

「……ついてないわね」

 セシルは舌打ちの代わりに長いため息を落として、ケープを羽織ると寮を出た。



★☆☆☆☆☆



 教室棟の談話室だと少し遠いし、何より誰にも会いたくないセシルは、林公園にある物置部屋に向かっていく。

 前に使った時は、煙をみたアーサーがやってきたけど、今の時間はさすがに寝ているか。なんて無意味に彼のことばかりを思い出す自分に嫌気がさす。そんな時、木々の間から逞しい腕が伸びてきて、セシルの手首を掴んだ。

「……っ!」

 セシルは反射的に飛び退いて、持っている水盆を振り上げた。水盆は大男の横顔に直撃する。ガーンという大きな音を響かせたが、大男は怯むことなくセシルに体重をかけて動きを封じる。大きな手がセシルの口を覆う。

「ひゃめ! ひゃなひて!」

「シーッ! 声を出すな」

「へぁ?」

 目の前には何故かアーサーの顔がある。
 セシルは疲れているが、幻をみるほどではない。

 アーサーは固まるセシルをじぃと見つめたまま、声を出すな、いいな? と小声で念を押してから、セシルの口元から手を離した。

「……なぜ君がここにいる?」

 アーサーはセシルを木に押し付けたまま、自然な口調で聞いてくる。
 セシルは顔を顰めると、上半身を小さく跳ねさせた。それでようやく2人の身体が密着していることに気づいたのか、アーサーは急いでセシルから離れた。

「す、すまないっ。君が犯人だと勘違いしてな……」

 どうやらアーサーは犯人の目星はついているらしく、証拠を掴むために罠を張っていたという。

「……女性寮の周りをくるくる回っていたのは、犯人を焦らせるためでしたの?」

「見ていたのか」

「ええ。まあ……」

 犯人が設計図を盗んですぐに燃やしていない限り、まだ自室に隠しているということだろう。

 アーサーはアンナと寮母に協力してもらい、寮内の火が使えるところを全て封鎖。火も起こせない状態にした。
 それで週明けに寮の捜査に入るという情報を広めたから、慌てる犯人はどうにかして設計図を処分しようと動き出すのだろう。魔法による処分を警戒していないと言うことは、犯人は平民か。

「それでこの物置小屋ですの?」

「ほとんど人気がないからな。念のためウォルターとアンナ嬢は教室棟の周辺を見張ってくれている」

「ウォルターも?」

「ああ。君のために憤慨していたし、君が部屋から出なくなって心配もしていた」

「そう、ですの……」

 セシルはアーサーの顔を見上げた。彼は昨日からここを見張っていたらしい。昼間も犯人を焦らせるために動き回っていたから、この2日間はあまり休めていなかったのだろう。

「顔が少し疲れているように見えますわ」

 アーサーは困った様にセシルをみた。

「僕のことを言う前に、君は鏡を一度見た方がいい」

「風呂に入って寝ようとしましたわ。どなた様のおかげでここまでくる羽目になったのですけれど」

 お湯を出す魔素変換装置は設置型のため、さすがに寮に持ち込めない。
 アーサーはセシルが持っている銀の水盆を改めてみて、湯が欲しいなら温めてやろうかと言ってくれたが、セシルは首を横に振ると彼の隣に座った。

「僕のことなら、気にしなくてもいい」

「気にしますわ! あなたね、私をとんだ薄情な人間だとお思いで?」

「そういうつもりはない。ただ、君が寝ようとしているということは、もう新しい設計図を完成させたのだろう?」

 最初は課題を提出しなければという焦りと怒りで考えが回らなかったが、アーサーはセシルがもう要らないと宣言した設計図を、寝ないで探し回っている。

 風紀委員としての責任からかもしれないが、おそらくアーサーは本当にものを大切にしている人なのだろう。
 思えば、設計図を簡単に諦めたから、アーサーが怒った。別に説明しなければいけないわけではないが、セシルは唇を尖らせながらアーサーに言った。

「モノを大切にしないわけではありません。設計図は自分で作ったモノですから、いくらでも作り直せます。他の人からもらったものでしたら、もっと必死になっていますわ」

「…………」

 アーサーはやや意外そうな顔になった。
 そして暫しセシルをみて、確かに、と小さく呟いた。

「……少し感情的になってしまったな。君は商人の娘だから、モノなど金で買える物体でしか思っていないだろう、そう思っていた」

「それはひどい偏見ですわね」

「……ふっ。本当にな」

 アーサーは呆れたように小さく笑うと、セシルの顔をじぃと見つめた。
 雨が滴る中、濡れたエメラルドグリーンの瞳がうらうらと光っている。

「雨が、なかなか止みませんね……」

「ああ」

 急に気恥ずかしくなって、セシルが目を逸らした。
 アーサーは所在なげに自分のケープから水滴を落とすと、すぅっと大きく息を吸い込んだ。

「セシル嬢。……その、昔、君に酷いことを言った。すまない」

「な、なんですの、藪から棒に……」

「ずっと謝りたかったんだ。ただ、君は商人の娘だから、素直に言えなかった」

「……商人がお嫌いで?」

「色々あってな」

 セシルは数秒ほど黙りこくってから、思い切った様にアーサーに顔を近づけた。

「もう醜く……ありません?」

「は?」

「私の、顔」

「…………っ」

 アーサーは狼狽した。
 しかし、逃げてはダメだと思い直したのか、絞り出すように言葉をつぶやいた。

「外見のことなら、……醜く、ない」

「本当に?」

「……ああ。昔から、とても、可愛いと、思った……」

 アーサーは自分の顔を手で隠しながら、ぽつりぽつりと言った。
 ちらりと見える耳が真っ赤かに染まっており、それに釣られてセシルの顔にも一気に血が駆け上がってきた。

「………………」

「………………」

 アーサーを籠絡してギャフンと言わせてやると意気込んだ割には、チョロすぎる。セシルは熱くなった頬を隠すように、濡れたケープのフードを深々と被り直した。
 アーサーも自分のフードを微調整すると黙りこくった。そのまま数十分以上は座ったのだろう。奥の方からカサカサという音が聞こえて、2人が飛び上がる。

 暗闇の中から1人の女子生徒が現れた。ケープの中から羊皮紙らしきものが見える。間違いなく犯人だ。しかし、セシルは喜びの感情よりも、驚愕のほうが大きかった。

「そんな、この子は……」
 
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