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第95話 招かれざる客

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「……馳走になった」

 カタン、とスプーンをテーブルに置くと、コウガイは静かに手を合わせ、そう言った。その所作は両手の指を組み合わせる王国式のものとは少し違うものの、どこか神秘的で、美しい。

「お粗末様。どうだ、人心地ついたか?」

「うむ。実はここのところずっと旅の空で、小動物を捕まえるか野草を食むのが精一杯だったのだ。昨日も料理に手を付けず店を出てしまったし、胃の腑に食い物が収まっているということは、こんなにも満ち足りた気分なのだな。いや、重ね重ねすまなかった」

 コウガイがテーブルに両手をついて、深く頭を下げた。
 顔を上げたコウガイの目には理性の光が戻っており、頬の血色も良くなっているように見える。
 やはり昨夜はメシを食いそびれていたらしい。

「気にすんな。とりあえず刀は返しておくぞ」

 俺は厨房の棚から妖刀を取り出して、コウガイに渡した。
 今のコイツになら、別に返しても大丈夫だろう。

「おおライノ殿、かたじけない。ネネや……寂しい思いをさせたな。もう離さぬからな」

 途端、コウガイの表情がグニャリと崩れ、妖刀をほおずりしはじめた。
 さすがに鞘から刀を抜くことはなかったが、それを差し引いてもその光景はかなり気色悪い。
 というか、今にも妖刀を舐め回し始めそうな様子だ。

 うわぁ……妖刀怖ぇなオイ……

 さっきまで真面目な顔をしていた男が一瞬にして、猫溜りにダイブするときのパレルモみたいな表情になるんだからな。精神を汚染されているってレベルじゃねーぞ。完全に妖刀に魅入られているようだ。

 ……今後ダンジョンでうち捨てられた武器や防具を見つけても、うかつに触らないようにしよう。パレルモやビトラにもよーく言い含めておかねば。



 ◇



 コウガイは、食事の合間に自分のことをぽつりぽつりと話してくれた。
 どうやら話せない部分も多いようで、肝心なところはぼかしていたようだが。


 コウガイは東国の出だ。

 東国は文字通り王国の東にあり、いくつかの国をまたいだその先にある。
 王国とはまた異なる封建制を敷いており、辺境国のひとつではあるものの独自の文化を持っている。
 特に冒険者や軍人の間では、太刀や小太刀といった細く湾曲した片刃剣の生産地としてよく知られた存在だ。

 で、コウガイは地元でその刀を造って暮らしていたそうだ。
 要するに、刀鍛冶だな。
 すでに妻もおり、それなりに幸せに暮らしていたようだ。

 だがその慎ましくも幸せな暮らしは、一人の男によって脆くも崩れ去ってしまう。コウガイの幼なじみで、同じく刀鍛冶だったナンタイという男が、どういう経緯か魔王の力を得、その強大な力で里を滅ぼしたあげく、コウガイの妻を奪い姿をくらませたのだ。

 当然コウガイは妻を奪還すべく、魔王ナンタイの後を追った。
 だが魔王ナンタイの行方はようとして知れず、方々の国を彷徨ったあげくここに流れ着いたということらしい。


 ちなみに妖刀『ネネ』はもともと里に封印されていたものだそうだが……そのへんの経緯はあまり思い出したくないようで、口を濁していた。

 まあ、それも無理はない。
 この妖刀『ネネ』、力を解き放てば身体は異形化して戦闘力は爆発的に増加するうえ強力な技を放つことができるが、その代償として宿主の血肉は喰らうわ精神は蝕ばむわで、まるで割に合わない武器だからな。

 しかし……なかなか壮絶な人生を歩んでいるな、コイツ。

 だがまあ、メシを食わせるほかに、俺が彼にしてやれることは特にない。
 魔王ナンタイとやらも、俺やパレルモ、それにビトラに害を及ぼす存在でないかぎり知ったことではないからな。
 というか、迂闊に首を突っ込んでトラブルに巻き込まれたくない。

 だが、事情が事情なだけに、彼の今後の動向だけは確認しておいたほうが良いだろう。こちらから近づかなくても、トラブルの方から俺たちに忍び寄ってくることだってあるからな。

「それで、コウガイ。あんたこれからどうするんだ? その魔王ナンタイとやらを追っていくのか?」

「しばらくこの街に滞在して彼奴の痕跡を調べるつもりだ」

「心当たりはあるのか?」

「ああ。聞くところによると、この街は周囲に存在する数多のダンジョンによって発展した街なのであろう? ならば、ナンタイがこの街に潜伏している可能性は充分にある。彼奴はひたすらに力を求めておるからな。ダンジョンから出土する武具や魔術、それに群がる高位の冒険者など、ここには彼奴の求めるものが全て揃っておる。もっとも、一番有力なアテは見事に外れてしまったわけだが」

 そう言って苦笑するコウガイ。

「ライノ殿は、いかがか? あれだけの魔の力を持つお主のことだ、何か知っていることもあるだろう」

 ちなみに彼の身の上を聞く過程で、俺のことも話せる範囲で話してある。

「うーん……悪いが、今のところ心当たりはないな」

 他の魔王の力を持つヤツといえばペッコとかいう男がいた。
 あとは、ウチの屋敷の地下深くに霊魂の状態で留まっていた大魔導マクイルトゥス……とかいうのだな。
 だが、そのどちらももうすでにいない。

 時系列や力を得た場所から考えても二人が魔王ナンタイである可能性は限りなく低いし、あえて話す必要はないだろう。

「……そうか。吾輩はしばらくこの街に滞在するから、何か気づいたことがあれば、教えて欲しい。宿の場所は、ここだ」

「ああ、何かあれば連絡する」

 コウガイが宿の場所を書いた紙片をカウンターに置いた。

「さて。ライノ殿には迷惑を掛けてしまった。此度のことは試作料理を食べることによりチャラにすると申したが、それで借りが返せたとは思っておらぬ。もし困りごとがあれば、吾輩に声を掛けて欲しい。この街に滞在する間ならば、いつでも力になると約束しよう」

「ああ、そのときは頼むよ」

「では――」

 コウガイが軽く頭を下げ、席を立った……そのとき。
 バンッ!と勢いよく店の扉が開き、誰かがもんどりうって駆け込んできた。

「ライノさんッ! 営業中にすいませんが、しばらく匿ってもらえませんかっ!?」

「……ペトラさん? 今日は休みじゃなかったのか?」

「はあ、はあ……いえ、せっかくの休日なので、はあ、新メニューに加える食材を探しに……はあ、はあ……市場に出かけたんですけど……」

 ここまで全力で走ってきたのだろうか。
 私服姿のペトラさんが、膝に手を当て全身で息をしている。

 今日の彼女は肩出しのニットに薄い上着を羽織り、下はショートパンツとニーハイブーツという、女性らしい格好だ。
 暗色で統一したクールでペトラさんらしいファッションだが、それだけにショートパンツとニーハイブーツの隙間からのぞく脚の白さが、目にまぶしい。

 ふむ……普段は制服姿しか見かけないからか、なかなかどうして眼ぷ……新鮮みがあるな。

 というかペトラさん、休日にもかかわらず店の食材選びに出ていたのか……
 仕事熱心ににもほどがあるだろ。

 しかし、「匿ってくれ」とは、穏やかじゃないな。

「一体何があったんだ。ほら、水だ」

「あっ、すいません」

 少し休んで息が整ったペトラさんは俺からコップを受け取ると、カウンターにどかっと腰を掛け、一気に水を飲み干した。

「んくっ、んくっ……ぷはぁっ。はあ、生き返ったあぁ……。いえ、実は市場でガラの悪いお兄さん方に絡まれてしまいまして。何度断ってもしつこくつきまとってくるし、人混みの中を走って逃げても追いかけてくるしで、大変だったんですよ~。あ、もう一杯水もらえますか」

「はいよ。それは大変だったな」

 ペトラさんはさらに渡した水を一気に飲み干すとカウンターに身体を預け、人目をはばからず「はあ~~」と大きなため息を吐いた。かなりお疲れのご様子だ。まあ、市場のある大通りからここまで逃げてきたのならば、無理もないが。

 そういえば、お客コウガイが店内にいるというのに、ペトラさんが気づいている様子はない。
 オフだから、気が抜けているのだろうか。

 ……と思ったら、コウガイが昨夜のように隠密スキルを発動していた。

 早速「困りごと」の匂いでも嗅ぎつけたようだ。
 どうやらこのまま俺たちのやりとりを見物するつもりらしい。

 隠密状態のまま、なにやら意味ありげに片目をつぶって合図をしてくるが……苦み走った男の顔でそれをやられても、「ウゼェ」以外の感想が出てこない。

 衝動的に追い払いたくなったが……やめておいた。
 せっかく味方になってくれると言っているのだ。
 今コイツとそんなつまらないことでモメてもあまりメリットがないからな。

 ……もっともペトラさんに妙なマネをする素振りでもあれば、問答無用で店から蹴り出すつもりだが。

「で、ですね、聞いて下さいよライノさん~。実は、その男の人たちって……」

 ペトラさんが先を続けようとした、そのとき。

「オイ、こんなところに店あるじゃねーか!」

「マジで? ここ、旧市街の奥だろ? 廃屋じゃねーのか?」

「いや、ダクトからメシの匂いがしてるだろ。間違いねえ」

 店の外で、なにやら騒がしい声が聞こえた。
 ガラの悪い、男たちの声だ。

「ひいっ!? あ、あの人たちですっ! 撒いたと思ったのに……」

 とたん、ペトラさんがビクンと肩を震わせ、小さな声で言ってくる。

「……分かった。とりあえずペトラさんは厨房の中で隠れといてくれ。あとは俺が対応する」

「は、はいっ」

 慌てて厨房に入り、棚の下の空間に身を滑り込ませるペトラさん。

「おい、邪魔するぜ」

「おお、ホントに店じゃねーか!」

「うわっ、狭っ! それになんだこの匂いは!?」

 それと同時に、扉が乱暴に開けられる。
 ガラの悪い冒険者風の男が三人、ズカズカと店に入ってきた。
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