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第80話 来客

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 翌日の朝。

 俺は『彷徨える黒猫亭』の厨房で、レシピの書かれた紙片とにらめっこをしていた。


「ええと、ウコン、クミン、鷹の爪、それにコリアンダーも……と」

 俺は片手に持った紙片と見比べながら、厨房の棚から香辛料の入った小瓶をひょいひょいと取り出してゆく。
 キッチンカウンターに並べた小瓶は、かなりの数だ。

 小瓶から取り出した香辛料はすり鉢とすりこぎでゴリゴリと砕き粉状にしたり、フライパンで炒ったりして仕込み作業を進めてゆく。

 とはいえ、基本的には今までやってきた魔物肉の調理と大して変わらない。
 違いと言えば、使用する香辛料の数がずっと多いことと、毒抜きの工程が不要な点くらいか。

「ええと、あとはフライパンで溶かしたバターに小麦粉を混ぜて……と」

 そうこうしているうちに、『カリー』の『ルウ』が出来上がった。
 一応、味見してみる。

「……ふむ。さすがにオバチャンのものと比べるのは、まだ早いか」

 ……ごくわずかにだが、辛みが弱い。
 それに、昨日食べたものに比べると、味の深みも足りない気がする。
 香辛料粉末を炒る時間が足りなかったか?

 レシピに書かれている香辛料の配合バランスや炒める時間などは、かなりザックリした記述が多い。
 『鷹の爪、適量』とか書かれていると、ノウハウのない俺にはどうしようもないからな。
 だがまあ、魔物料理で培った勘や技術は『カリー』作りと共通点が多いのは助かった。
 どちらも、香辛料の使い方がキモだからな。

 だがまあ……ひとまず客に出せるくらいの出来にはなっているとは思う。
 なにより、これは初回だからな。
 おいおいオバチャンの味に近づけていけばいいだろう。
 
 店の壁にかけてある時計を見れば、開店までまだ時間がある。
 市場へ食材の買い付けに行ったペトラさんも、そろそろ帰ってくる頃合いだ。

 ここらで、一息つくか。
 俺は仕込みの終わったカリーの鍋に蓋をしてから厨房を出た。

「ふう……」

 一応、今日の『彷徨える黒猫亭』は昨日と同じ場所だ。
 これは料理人である俺まで初日に迷子にならないようにとの気遣いらしいのだが……

 店の窓から、外を覗いてみる。
 人ひとりが通れるかという細い路地には、人っ子ひとり見えないどころか、猫の一匹すら見かけない。というか、すでに午前も半ばに差し掛かろうとしているのにも関わらず、正面の路地は薄暗い。

 これ、今日人来るんだろーか……
 立地が立地なだけに一抹の不安が俺の胸をよぎる。

 さすがに仕込んだカリーが全部廃棄処分になるのは悲しいからな。
 そのときは屋敷で留守番をしているパレルモとビトラを呼んで全部食べてもらうか。
 二人には昼食も夕食も準備しておいたが、余裕だろう。

 パレルモなんかは『おいしいものは別腹だよー?』とかいって残さず全部食べそうな気がするし。



 しかし……

 昨日のオバチャンにはほとほと困った。
 あのあと、ペトラさんはオバチャンに事情を話したのだが……

 『やっぱり、お兄さんだったんだねえ。何でも、凄腕の料理人なんだって? なら、もう味は覚えただろう? じゃあ、明日からよろしく頼むねえ』

 などと、店主でもないのにものすごく気軽な様子で俺に丸投げしてきたのだ。
 それを当たり前のように了承する本物の店主ペトラさんもペトラさんだが……

 ただ、もちろん本当に適当に丸投げしてきたという訳ではないらしい。
 オバチャンによれば、俺が旦那に料理を振る舞うその大分前に、すでに目星を付けていたらしいのだ。
 詳しく話を聞くと、どうやら最近香辛料屋に出入りするようになった、冒険者と兼業で飲み屋をやっているヤツから俺の話を聞きつけたらしい。

 誰だ、それ? 心当たりがない。
 ギルドで噂でも出回っているのだろうか。

 自分の知らないところで、やたら高評価をされているというのは、正直なんともいえない妙な気分だ。



「ライノさん、ただいま戻りました。仕込みの方は順調ですか?」

 そんなことを考えていると、ペトラさんが買い付けから戻って来た。

「ああ。ルウの方はいましがた終わったとこだ」

「ええ? もうですか? ライノさん、カリーの仕込みって今日が初めてですよね!?」

 今日一日分の食材を厨房に運びこみつつルウの入った鍋を見て、「確かにもう終わってますね……」と目を丸くするペトラさん。

「確かに初めてだが、香辛料を扱うこと自体はそれなりに経験があるからな」

「そ、そうなんですか。でも、ソフィアさんより早いですよ……」

 ペトラさんが感心したようにそう言うが、そんなものだろうか。
 あまり実感がない。

 だがまあ、たしかに俺は魔物肉を美味しく調理するために、香辛料の適切な使い方や各種の調理法をさんざん研究したからな。
 カリーのルウを作るにあたっては、それらを応用したことは間違いない。
 家庭料理のみを作ってきたであろうオバチャンとの差は、その辺だろうか。

「とにかく、他の仕込みもさっさと済ませてしまおう」

 俺はペトラさんが仕入れてきた食材を厨房に並べると、レシピどおりに処理してゆく。
 大きさなどはかなりざっくりした指定だったが、ここは自分の判断でも問題なかろう。

「わ、私も手伝います!」

 自分も何かすべきだと思ったのか、ペトラさんも厨房に入り俺の隣で根菜の皮をむき始めた。

 手際は……正直いいとは言えない。
 というか、かなりたどたどしい。

「ふ、ふー。だ、大丈夫。落ち着くのよペトラ。私だって包丁の扱いくらい、お手の物なんだから……」

 そんなことを自分に言い聞かせているが、手元がプルプルしている。
 見ているこっちがハラハラしてくるぞ……

 そういえば彼女はこの店の主だが、全部を引き継いだのは最近で料理の方は素人同然なんだっけ。

「あの、あとの仕込みは俺が全部やっとくから、ペトラさんは……」

「だ、大丈夫です! 私はここの店主ですから。いくらライノさんが料理上手でも、任せっきりは悪いですっ!」

 そう言って、半笑いのような引きつった顔をこちらに向けてくるペトラさん。
 つーか汗ダラダラだし、完全に瞳孔が開いているんだが。
 完全にテンパってるときのやつだコレ!

「そ、そうか。なら頼むが……」

 責任感が強いのはおおいに結構だ。
 だが、そんなガチガチで包丁握って手を切らないか……心配だ。


 そんなこんなしているうちに、ついに開店の時間がやってきた。
 



 ◇




 結論から言うと、営業時間内の来客はゼロだった。

「ま、まあ、ここのところはいつも、こんな感じなんですけどね……はあ」

 壁に掛かった時計で営業終了を確認したペトラさんが、悲しそうにそう呟く。

「まあ、俺は初日だからな。また明日に期待するよ。食材が無駄になってしまったのは残念だが」

 ペトラさんによると、先代のヘルッコ爺さんが厨房に立っていたときは毎日のように来客があったそうだが、それも今は昔。
 現在は、数日に一度来客があれば良い方だそうだ。

 一応常連はいるらしく、店を畳むつもりはないそうだが……

「……まあ、明日はパレルモとビトラを呼んで、ここで昼食を食べさせるつもりだ。もちろん、二人分の金は払う」


 ちょっとしたフォローのつもりでそう言った……刹那。


「ほんとー!? やったービトラちゃん、『カリー』食べ放題だよ!」

「む。ライノは食べ放題とは言っていない。さすがに自重すべき」


 バン! と勢いよく扉が開かれ、パレルモとビトラが店内になだれ込んできた。


 ……えっ。


「い、いらっしゃいませ!?」

「おいお前ら、なんでここまで来たんだ!? 夕食は用意しておいただろ」

 確かに残った料理は二人を呼んで食べさせてやろうかとは思ったが、それは明日からの話だ。それに、その話は帰ってからするつもりだった。
 つーか、なぜ二人がここにいる?

 まさかこいつら、今までこの店の外で張っていたのか……!?

「久しいな、ライノ殿。まさか貴方がこんなところで働いているとはな」

 戦慄する俺だったが、聞き覚えのある声が聞こえ我に返った。
 半開きになった扉から、見知った顔が覗いている。

「……イリナか。お前もこの店のウワサを聞きつけたのか? 目ざといな」

 思わぬ来客だ。
 まさかこんな場所で彼女に出会うとは。

「そこにいるパレルモ嬢とビトラ嬢に案内してもらってな。それと、確かに空腹には違いないのだが……残念だが、今はそんな余裕はない」

「そ、そうですか……」

 客ではないと判明した途端、ペトラさんがちょっと残念な顔をする。
 俺はパレルモとビトラが暇をもてあました末奇行に走ったわけではないと知り、ほっと胸をなで下ろす。

「で? 用事ってなんだ」

 しかし、イリナだけで俺を訪ねてくるというのは妙な話だ。
 肝心なヤツが、ひとり足りない。

 イリナはちらりとペトラさんを一瞥してから、逡巡した様子を見せ……意を決したように口を開いた。

「それは直接見て貰った方が早いだろう。……ライノ殿、外で話せるか」

 ペトラさんにいったん断ってから、俺は店を出た。
 店に面した細い路地には、所在なさげに佇む小柄な影があった。
 フードを目深に被り、厚手のローブを羽織った少女だ。

「ひ、ひさしぶり、にいさま」

 イリナと一緒にいるのが誰か?
 分からないハズがない。

「おう久しぶりだな、アイラ。治癒魔術の研究は順調か?」

「ええ、おかげさまで。でも、今日はその話をしにきたわけじゃないの。……これを見てもらえるかしら?」

 そう言って、アイラは警戒するように何度か辺りを見回したあと……目深に被ったフードをとめくり上げた。

「……! これは……!?」

 アイラの白磁のような首元から頬にかけて生える、滑らかな竜鱗。
 ふわふわの金髪から突き出した、拗くれた角。

 よく見れば、ローブの裾からは尻尾のようなものが見え隠れしている。

「にいさま……これ、どうしよう!?」

 涙目のアイラが、そう言ってペタンと地面に崩れ落ちた。




 アイラは、半竜半人の――『眷属』状態になっていた。
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