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2 浮気をしているらしい ②
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その日の晩はほとんど眠ることができなかった。
浮気を認めた場合と認めなかった場合のシミュレーションを頭の中でしていると、気がついたら、朝日が昇り始めてしまっていたのだ。
ターチ様が帰ってくるのは、大体、朝の8時頃。今は朝の5時過ぎだから、少しは眠ろう。
そう思って目を閉じても、あまり意味はなかった。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
仮眠をとって出迎えたわたしに、ターチ様は心配そうな顔で駆け寄ってくると、顔を覗き込んできた。
髪からふわりと香る匂いが、家で使っているものと違うことに気がついた。
この匂い、以前も感じた気がする。こんなにも証拠があったのに、気づかなかったのね。
「体調は悪くないわ。それよりも、ターチ様に聞きたいことがあるんだけど」
「何かな?」
無邪気な笑みを浮かべて小首を傾げるターチ様に、単刀直入に尋ねる。
「浮気したりなんかしませんよね?」
「……は?」
柔らかい表情が一変して、今まで見たことがないくらいに不機嫌そうな顔になった。
これはどういう反応なのだろうか。どうして気づいたのかという焦りなのか、それとも、そんなことを言うなんて酷いというものなのか。
「ここ最近、ずっと朝帰りじゃないですか。収穫祭の準備の前から何かと理由をつけて視察に行っているわよね? 疑う気持ちを持ってもおかしくないと思うわ」
「僕のことが信じられないって言うのか? 毎日、視察に行って疲れてるのに酷いことを言うんだな」
ターチ様は顔を歪めて吐き捨てるように言った。
下手に警戒されても困る。ここは引き下がることにした。
「……悪かったわ。不安になったから確認しておきたかっただけなの」
「誰かに何か言われたのか?」
不機嫌そうな表情のまま聞いてくるターチ様に、笑顔を作って答える。
「いいえ。外に長時間いたのなら、汗をかいていてもおかしくないのに、とても良い匂いがしたものだから、おかしいなと思ったの」
「……あ、ああ。そういうことか。今日は酷く汗をかいたから、宿屋で風呂に入らせてもらったんだ」
嘘つき。今日だけじゃないでしょう?
口には出さず、笑顔を作って謝る。
「……そうだったの。疑ってしまってごめんなさいね」
「本当だよ。いきなり浮気を疑うなんてどうかしてる」
そうね。そうだわ。言い逃れできないような証拠を掴んでからじゃないと、有利に物事が運ばない。
それに、もしかしたら、本当に浮気していないかもしれない。
……そんなわけないか。希望を持つのはやめよう。
「そうね。どうかしていたわ」
「わかってくれれば良いんだ。悪いけど、疲れているから、少し休むよ。朝食は先にとっておいてくれ。あと、君が疑うようだから、今日は領地視察はやめておく」
「お疲れ様でした。わたしのことは気にしないで。約束しているのでしょう?」
ここのところ、毎日行っているのだから、明日も来るなんていう約束をしているのだと思った。案の定、ターチ様は頷く。
「まあね。わかった。じゃあ、明日はやめておくよ」
「……ありがとう」
頭を下げて見送り、ターチ様の姿が見えなくなったところでメイドが話しかけてくる。
「あの、どうかなさったのですか?」
「どういうこと?」
「あんな質問をされましたので……」
「……あなたはおかしいと思ったことはない?」
その言葉だけで何が言いたいか理解してくれたらしい。話しかけてきたメイドは、返答に困った顔をして他のメイドと顔を見合わせた。
彼女たちもおかしいと思っていたんだわ。呑気だったのはわたしだけ。
ため息を吐くのをこらえ、まずはターチ様様の言う通りに、朝食をとることにした。
******
わたしが住んでいる国、エターリン王国では、貴族の女性が嫁入りしたあとは、妻一人で出かけることはあまり良しとされていない。
だから、買い物に行く時は夫を連れて行くことが一般的だ。はっきりとした理由はわからないが、夫が妻に買い物をさせてやっているというシチュエーションを作りたいのではないかと思う。
レストランも同じくなのだが、カフェに行く場合は別だった。カフェは女性が行くものであり、紳士が行くものではないと蔑視されているからだ。
だからわたしは、カフェで友人と待ち合わせて、相談にのってもらうことにした。
カフェは貴族の女性にとって、男性優先の社会から解放される場所でもあったし、女性が男性について愚痴を言える場所でもあったからだ。
10年来の友人で侯爵令嬢のポーリーに話をしてみると、眉根を寄せて「怪しいわね」と言った。そして、わたしが動くと使用人からバレる可能性があるから、彼女のほうで動いてくれると言ってくれた。
「気持ちは嬉しいけれど、あなたに迷惑をかけるのは良くないわ。わたしのことだもの。自分でなんとかしてみる」
「何を言ってるのよ。友人のために動くことを迷惑だなんて思わないわ。それに、私は情報を集めるように手配するだけ。そこからはあなたがやることよ。腕が良くて口の固い情報屋を知っているの。彼を紹介するわ」
「ありがとう、ポーリー」
幼い頃に仲良くなったことや、ポーリーの正義感の強い性格、そして彼女の両親が寛大だったためか、格下である子爵令嬢のわたしにも昔から優しかった。
彼女に相談にのってもらったことで、心が軽くなったわたしは、とりあえずは夫を泳がせつつ、浮気の調査報告を待つことにした。
そして、数日後、わたしの元にポーリーの名前で書類が届いた。侯爵家の封蝋が押されていたので、メイドが中身を確認することなく、目の前で封を切って渡してくれた。
仕事をしていた時だったので、鍵付きの引き出しに入れて、何事もなかったかのように仕事を再開し、夜になり、一人になったところで報告書に目を通す。
やはり、夫は浮気をしていた。しかも、複数人の女性の家を渡り歩いているらしい。
ターチ様が女性の家にいる間、御者や護衛はどうしているのかというと、ただ単に気づいていないだけだった。
ターチ様は毎晩のように酒場に行き、御者や護衛を外で待たせている。そして、彼は護衛たちに気づかれないように裏口から抜け出し、予約していた馬車に乗って女性の元に通う。そして、酒場が閉まる前に裏口から戻るのだという。
今回はお近づきの印ということで、無料にしてくれるらしく、もっと詳しく調べてほしければ、名刺の場所に連絡してほしいと締めくくられていた。
調べてくれたのは探偵ではなく、ポーリーが言っていたように情報屋で封筒の中には住所が書かれた名刺も入っていた。
場所はポーリーのお父様が管理しているローズ侯爵領にあり、わたしが行っても目立つことはなさそうだ。
依頼のお金の相場がわからないけれど、ポーリーの紹介だから、ぼったくられることはないはず。値段交渉しつつ、もっと詳しい調査をお願いしてみよう。
ターチ様は収穫祭が終われば、なんと言い訳をして出ていくのか。今までのように夜の治安の確認だとでも言い出すのだろうか。
浮気が確実だとわかった今、自棄糞な気持ちになっているのか、そんなことを考えた。
ターチ様はわたしに疑われていることに気がついた数日間は大人しくしていた。でも、我慢できなくなったのか、2日後にはまた視察に行くと言い出した。
わたしは寂しがる妻を演じながらも、彼を送り出した。
そして、数日後、浮気の調査を本格的に開始してもらうために、わたしは名刺に書かれている場所に行くことにした。
浮気を認めた場合と認めなかった場合のシミュレーションを頭の中でしていると、気がついたら、朝日が昇り始めてしまっていたのだ。
ターチ様が帰ってくるのは、大体、朝の8時頃。今は朝の5時過ぎだから、少しは眠ろう。
そう思って目を閉じても、あまり意味はなかった。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
仮眠をとって出迎えたわたしに、ターチ様は心配そうな顔で駆け寄ってくると、顔を覗き込んできた。
髪からふわりと香る匂いが、家で使っているものと違うことに気がついた。
この匂い、以前も感じた気がする。こんなにも証拠があったのに、気づかなかったのね。
「体調は悪くないわ。それよりも、ターチ様に聞きたいことがあるんだけど」
「何かな?」
無邪気な笑みを浮かべて小首を傾げるターチ様に、単刀直入に尋ねる。
「浮気したりなんかしませんよね?」
「……は?」
柔らかい表情が一変して、今まで見たことがないくらいに不機嫌そうな顔になった。
これはどういう反応なのだろうか。どうして気づいたのかという焦りなのか、それとも、そんなことを言うなんて酷いというものなのか。
「ここ最近、ずっと朝帰りじゃないですか。収穫祭の準備の前から何かと理由をつけて視察に行っているわよね? 疑う気持ちを持ってもおかしくないと思うわ」
「僕のことが信じられないって言うのか? 毎日、視察に行って疲れてるのに酷いことを言うんだな」
ターチ様は顔を歪めて吐き捨てるように言った。
下手に警戒されても困る。ここは引き下がることにした。
「……悪かったわ。不安になったから確認しておきたかっただけなの」
「誰かに何か言われたのか?」
不機嫌そうな表情のまま聞いてくるターチ様に、笑顔を作って答える。
「いいえ。外に長時間いたのなら、汗をかいていてもおかしくないのに、とても良い匂いがしたものだから、おかしいなと思ったの」
「……あ、ああ。そういうことか。今日は酷く汗をかいたから、宿屋で風呂に入らせてもらったんだ」
嘘つき。今日だけじゃないでしょう?
口には出さず、笑顔を作って謝る。
「……そうだったの。疑ってしまってごめんなさいね」
「本当だよ。いきなり浮気を疑うなんてどうかしてる」
そうね。そうだわ。言い逃れできないような証拠を掴んでからじゃないと、有利に物事が運ばない。
それに、もしかしたら、本当に浮気していないかもしれない。
……そんなわけないか。希望を持つのはやめよう。
「そうね。どうかしていたわ」
「わかってくれれば良いんだ。悪いけど、疲れているから、少し休むよ。朝食は先にとっておいてくれ。あと、君が疑うようだから、今日は領地視察はやめておく」
「お疲れ様でした。わたしのことは気にしないで。約束しているのでしょう?」
ここのところ、毎日行っているのだから、明日も来るなんていう約束をしているのだと思った。案の定、ターチ様は頷く。
「まあね。わかった。じゃあ、明日はやめておくよ」
「……ありがとう」
頭を下げて見送り、ターチ様の姿が見えなくなったところでメイドが話しかけてくる。
「あの、どうかなさったのですか?」
「どういうこと?」
「あんな質問をされましたので……」
「……あなたはおかしいと思ったことはない?」
その言葉だけで何が言いたいか理解してくれたらしい。話しかけてきたメイドは、返答に困った顔をして他のメイドと顔を見合わせた。
彼女たちもおかしいと思っていたんだわ。呑気だったのはわたしだけ。
ため息を吐くのをこらえ、まずはターチ様様の言う通りに、朝食をとることにした。
******
わたしが住んでいる国、エターリン王国では、貴族の女性が嫁入りしたあとは、妻一人で出かけることはあまり良しとされていない。
だから、買い物に行く時は夫を連れて行くことが一般的だ。はっきりとした理由はわからないが、夫が妻に買い物をさせてやっているというシチュエーションを作りたいのではないかと思う。
レストランも同じくなのだが、カフェに行く場合は別だった。カフェは女性が行くものであり、紳士が行くものではないと蔑視されているからだ。
だからわたしは、カフェで友人と待ち合わせて、相談にのってもらうことにした。
カフェは貴族の女性にとって、男性優先の社会から解放される場所でもあったし、女性が男性について愚痴を言える場所でもあったからだ。
10年来の友人で侯爵令嬢のポーリーに話をしてみると、眉根を寄せて「怪しいわね」と言った。そして、わたしが動くと使用人からバレる可能性があるから、彼女のほうで動いてくれると言ってくれた。
「気持ちは嬉しいけれど、あなたに迷惑をかけるのは良くないわ。わたしのことだもの。自分でなんとかしてみる」
「何を言ってるのよ。友人のために動くことを迷惑だなんて思わないわ。それに、私は情報を集めるように手配するだけ。そこからはあなたがやることよ。腕が良くて口の固い情報屋を知っているの。彼を紹介するわ」
「ありがとう、ポーリー」
幼い頃に仲良くなったことや、ポーリーの正義感の強い性格、そして彼女の両親が寛大だったためか、格下である子爵令嬢のわたしにも昔から優しかった。
彼女に相談にのってもらったことで、心が軽くなったわたしは、とりあえずは夫を泳がせつつ、浮気の調査報告を待つことにした。
そして、数日後、わたしの元にポーリーの名前で書類が届いた。侯爵家の封蝋が押されていたので、メイドが中身を確認することなく、目の前で封を切って渡してくれた。
仕事をしていた時だったので、鍵付きの引き出しに入れて、何事もなかったかのように仕事を再開し、夜になり、一人になったところで報告書に目を通す。
やはり、夫は浮気をしていた。しかも、複数人の女性の家を渡り歩いているらしい。
ターチ様が女性の家にいる間、御者や護衛はどうしているのかというと、ただ単に気づいていないだけだった。
ターチ様は毎晩のように酒場に行き、御者や護衛を外で待たせている。そして、彼は護衛たちに気づかれないように裏口から抜け出し、予約していた馬車に乗って女性の元に通う。そして、酒場が閉まる前に裏口から戻るのだという。
今回はお近づきの印ということで、無料にしてくれるらしく、もっと詳しく調べてほしければ、名刺の場所に連絡してほしいと締めくくられていた。
調べてくれたのは探偵ではなく、ポーリーが言っていたように情報屋で封筒の中には住所が書かれた名刺も入っていた。
場所はポーリーのお父様が管理しているローズ侯爵領にあり、わたしが行っても目立つことはなさそうだ。
依頼のお金の相場がわからないけれど、ポーリーの紹介だから、ぼったくられることはないはず。値段交渉しつつ、もっと詳しい調査をお願いしてみよう。
ターチ様は収穫祭が終われば、なんと言い訳をして出ていくのか。今までのように夜の治安の確認だとでも言い出すのだろうか。
浮気が確実だとわかった今、自棄糞な気持ちになっているのか、そんなことを考えた。
ターチ様はわたしに疑われていることに気がついた数日間は大人しくしていた。でも、我慢できなくなったのか、2日後にはまた視察に行くと言い出した。
わたしは寂しがる妻を演じながらも、彼を送り出した。
そして、数日後、浮気の調査を本格的に開始してもらうために、わたしは名刺に書かれている場所に行くことにした。
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