上 下
2 / 52
第1章 1度目の婚約破棄

しおりを挟む
 とある日の昼下がり、エルテ公爵家の次女であるわたし、セフィリアは、お気に入りのカフェで婚約者と待ち合わせをしていた。

  空は雲一つない青空で、爽やかな風が時おり吹くような過ごしやすい気温の日だった。
 カフェの窓から見える外の景色は木々も青々としていて、その木の枝に止まる鳥たちもリラックスしているように見えた。

 カフェの一番奥の窓際の席で、約束した時間よりもかなり早くに着いたわたしは、背筋を伸ばし、緊張した面持ちで婚約者が来るのを待っていた。

 店内はカップルや女性だけのグループで満席だった。
 それでも、店内が静かに保たれているのは、公爵令嬢であるわたしが黙っていた座っているからだろう。

 約束の時間よりも少し遅れて、婚約者が店の中に入ってきたのが見えた時は、思わず顔がほころんだ。

 もしかして、来てくれないかもしれないと思っていたから、顔を見た瞬間、一気に安堵感が押し寄せてきた。

「先日のデートの時はごめんね。ソレーヌが躓いて足を痛めたっていう連絡が入ったんだ。居ても立っても居られなくなって君をあの場に置いて帰ってしまった。可愛い妹を持つと困るね」

 金色の長い髪を、瞳の色と同じ空色のリボンで後ろに一つにまとめたロイアン伯爵家の長男のデスタは、わたしの向かい側の席に着くなり、両手を合わせて謝ってきた。

 前回は劇場でお芝居が始まってすぐに、彼は誰かに呼ばれて出ていくと、そのまま席には戻らなかった。

 その時のことを思い出して、胸がずきりと痛む。
 でもすぐに、ダークブラウンの背中に垂らした長い髪を揺らして、首を横に振る。

「いいんです。家族を大事にする人は素敵だと思います。でも、できれば控えてもらえると嬉しいです。せめて、一緒に出席したパーティーで置いて帰るのはやめてください」

 本当はデートしていた場所に置いていかれて悲しかった。
 命の危険ならまだしも、躓いただけならば、一緒にお芝居を見て、約束していたディナーをキャンセルして、わたしを家に送り届けてから、自分の家に帰れば良かったのではないかと思ってしまう。

 彼が私を置いて帰るのことは、一度や二度のことではない。
 デートでは五回目。
 パーティーでは二回だった。
 まともなデートをしたことは記憶にない。

 正直な気持ちを伝えて、冷たい人だと思われてしまうかもしれないのは嫌だった。

 だから、笑顔を作って気にしていないふりをしてきた。

 幼い頃に母を亡くしたわたしは、家族はかけがえのないものだと理解している。

 だからこそ、妹ばかりを優先するのは悲しいだなんて言ってはいけないと思っていた。
 結婚するまでは、まだ、わたしとデスタは婚約者同士というだけで、家族ではない。
 だから、デスタが家族を優先してもしょうがないと思うようにしていた。

 でも、そろそろ限界に近づいてきたので、口に出してしまった。

「わかってる。普通は怒られて当然のことをしているからね。セフィリアは本当に優しい。そういうところ、本当に大好きだよ」

 デスタはそう言って、白いテーブルクロスが敷かれた丸テーブルに身を乗り出し、手を伸ばしてわたしの頬を優しく撫でた。

 それだけで胸が熱くなる。

 彼は妹を優先しすぎる気もするけれど、わたしにも優しかった。

 わたしの専属侍女や友人たちに言わせれば『デート中に婚約者を放りだして帰る人間を優しいとは言わない』らしい。

 それについて、わたしだって頭ではわかっていた。
 わかっているつもりだ。
 だけど、好きだから、その事実から目を逸らそうとしてしまう。

 私よりも妹を優先する以外に関しては、彼に特に文句はなく、好きという気持ちを抑えることができなかった。

 デート中に帰るという嫌な点はあっても、わたしにとって、デスタは王子様のような人だった。

 そして、恋愛感情としての『大好き』という言葉はわたしだけに言ってくれているものだと思いこんでいた。

「わたしは優しくなんかないわ」

 微笑んでから、わたしも大好きだと伝えようと思った時だった。

「お客様の中にロイアン様はいらっしゃいますでしょうか」

 エプロンドレスを着たカフェの店員が、店の出入り口付近で叫んだ。

 嫌な予感がしたと同時に、わたしが口を閉ざすと、デスタは立ち上がる。

「僕はデスタ・ロイアンだが?」
「あの、外でお客様がお待ちです」
「……誰なんだろう。今はそれどころじゃないんだけどな」
「あの、ソレーヌ様という御方です」
「ソレーヌが!?」

 デスタは大きな声を上げると、わたしのほうを振り返って、眉尻を下げて申し訳無さそうな顔をする。

「少しだけ席を外しても良いかな。ソレーヌが来ているみたいだから」
「はい。待っています。でも、ここに戻ってきてくださいね?」
「もちろんだよ」

 笑顔で頷き、デスタは店の外へ出て行った。

 今日こそはデートを成功させたい。

 そう思って、この後の予定を考えながら、彼が席に戻ってくるのを静かに待った。

 お茶が冷めきってしまっても、デスタは戻ってこなかった。
 おかしいと思ったわたしの侍女が様子を見に行ってくれた。
 でも、すぐに浮かない顔で戻ってきて、外にはデスタもソレーヌ様もいなかったと教えてくれた。

「……帰ったほうが良いわよね」

 諦めきれずに少しだけ待っていたところ、デスタから、わたし宛の手紙が遣いの者から届けられた。

 封を開けてもらって手渡されたのは、ソレーヌ様の好きそうな可愛いピンク色の花がらの便箋だった。

『何も言わずに帰って本当にごめん。ソレーヌが今すぐ一緒に家に帰って遊んでほしいって言うんだ。お詫びに花を家に送っておくね』

「そんなのいらないわ」

 目に涙が一瞬のうちに溜まり、ぽろりと手紙の上にこぼれ落ちた。

 手紙には次々と丸い染みが出来ていく。
 涙のせいで、髪と同じ色のダークブラウンの瞳が見せる世界は、どんどんぼやけていく。

 わたしがほしいのは花束なんかじゃない。

「今日のデートも無理になったって、そんなことさえも自分で伝えられないほど、わたしに時間を割くことができないの?」

 ソレーヌ様はわたしと同じ18歳だ。
 二つ年上の兄に遊んでほしいと駄々をこねる年齢ではない。

 ソレーヌ様は、デスタのことが好きなのだ。
 そして、デスタもソレーヌ様のことを大事に思っている。

「お嬢様、今日は美味しいケーキを買って帰りましょう」

 専属侍女であり、幼馴染みのエルファが私の背中を撫でて、優しく促してくれた。

「伯爵令息が公爵令嬢にこんな仕打ちをするだなんて信じられない。当主様に報告しましょう」

 同じく幼馴染みのマディアスは、わたしの専属の騎士だ。

 そんな彼は整った顔を歪めて口をへの字に曲げた。

「お父様にも報告はするわ。心配してくれてありがとう、エルファ、マディアス」

 二人にお礼を言った後に立ち上がる。

「もう帰りましょう」

 ここにいても、デスタはわたしの所には来てくれない。

 どんな状況になれば、デスタはソレーヌ様ではなく、わたしを優先してくれるのかしら?
 考えるだけ悲しくなって、わたしは悲しい気持ちを振り払い、どんなケーキを買って帰ろうかと、楽しいことを考えることにした。
しおりを挟む
感想 145

あなたにおすすめの小説

【完結】もう結構ですわ!

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
 どこぞの物語のように、夜会で婚約破棄を告げられる。結構ですわ、お受けしますと返答し、私シャルリーヌ・リン・ル・フォールは微笑み返した。  愚かな王子を擁するヴァロワ王家は、あっという間に追い詰められていく。逆に、ル・フォール公国は独立し、豊かさを享受し始めた。シャルリーヌは、豊かな国と愛する人、両方を手に入れられるのか!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/11/29……完結 2024/09/12……小説家になろう 異世界日間連載 7位 恋愛日間連載 11位 2024/09/12……エブリスタ、恋愛ファンタジー 1位 2024/09/12……カクヨム恋愛日間 4位、週間 65位 2024/09/12……アルファポリス、女性向けHOT 42位 2024/09/11……連載開始

今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです) hotランキング1位入りしました。ありがとうございます

全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。

彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。

釣り合わないと言われても、婚約者と別れる予定はありません

しろねこ。
恋愛
幼馴染と婚約を結んでいるラズリーは、学園に入学してから他の令嬢達によく絡まれていた。 曰く、婚約者と釣り合っていない、身分不相応だと。 ラズリーの婚約者であるファルク=トワレ伯爵令息は、第二王子の側近で、将来護衛騎士予定の有望株だ。背も高く、見目も良いと言う事で注目を浴びている。 対してラズリー=コランダム子爵令嬢は薬草学を専攻していて、外に出る事も少なく地味な見た目で華々しさもない。 そんな二人を周囲は好奇の目で見ており、時にはラズリーから婚約者を奪おうとするものも出てくる。 おっとり令嬢ラズリーはそんな周囲の圧力に屈することはない。 「釣り合わない? そうですか。でも彼は私が良いって言ってますし」 時に優しく、時に豪胆なラズリー、平穏な日々はいつ来るやら。 ハッピーエンド、両思い、ご都合主義なストーリーです。 ゆっくり更新予定です(*´ω`*) 小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿中。

真実の愛を見つけた婚約者(殿下)を尊敬申し上げます、婚約破棄致しましょう

さこの
恋愛
「真実の愛を見つけた」 殿下にそう告げられる 「応援いたします」 だって真実の愛ですのよ? 見つける方が奇跡です! 婚約破棄の書類ご用意いたします。 わたくしはお先にサインをしました、殿下こちらにフルネームでお書き下さいね。 さぁ早く!わたくしは真実の愛の前では霞んでしまうような存在…身を引きます! なぜ婚約破棄後の元婚約者殿が、こんなに美しく写るのか… 私の真実の愛とは誠の愛であったのか… 気の迷いであったのでは… 葛藤するが、すでに時遅し…

【完結済】次こそは愛されるかもしれないと、期待した私が愚かでした。

こゆき
恋愛
リーゼッヒ王国、王太子アレン。 彼の婚約者として、清く正しく生きてきたヴィオラ・ライラック。 皆に祝福されたその婚約は、とてもとても幸せなものだった。 だが、学園にとあるご令嬢が転入してきたことにより、彼女の生活は一変してしまう。 何もしていないのに、『ヴィオラがそのご令嬢をいじめている』とみんなが言うのだ。 どれだけ違うと訴えても、誰も信じてはくれなかった。 絶望と悲しみにくれるヴィオラは、そのまま隣国の王太子──ハイル帝国の王太子、レオへと『同盟の証』という名の厄介払いとして嫁がされてしまう。 聡明な王子としてリーゼッヒ王国でも有名だったレオならば、己の無罪を信じてくれるかと期待したヴィオラだったが──…… ※在り来りなご都合主義設定です ※『悪役令嬢は自分磨きに忙しい!』の合間の息抜き小説です ※つまりは行き当たりばったり ※不定期掲載な上に雰囲気小説です。ご了承ください 4/1 HOT女性向け2位に入りました。ありがとうございます!

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

井藤 美樹
恋愛
常々、社交を苦手としていましたが、今回ばかりは仕方なく出席しておりましたの。婚約者と一緒にね。 その席で、突然始まった婚約破棄という名の茶番劇。 頭がお花畑の方々の発言が続きます。 すると、なぜが、私の名前が…… もちろん、火の粉はその場で消しましたよ。 ついでに、独立宣言もしちゃいました。 主人公、めちゃくちゃ口悪いです。 成り立てホヤホヤのミネリア王女殿下の溺愛&奮闘記。ちょっとだけ、冒険譚もあります。

王太子殿下から婚約破棄されたのは冷たい私のせいですか?

ねーさん
恋愛
 公爵令嬢であるアリシアは王太子殿下と婚約してから十年、王太子妃教育に勤しんで来た。  なのに王太子殿下は男爵令嬢とイチャイチャ…諫めるアリシアを悪者扱い。「アリシア様は殿下に冷たい」なんて男爵令嬢に言われ、結果、婚約は破棄。    王太子妃になるため自由な時間もなく頑張って来たのに、私は駒じゃありません!

処理中です...