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9   それぞれの思い

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「ど、どうしたんだよ」

 イルナ子爵令嬢の婚約者にはキリュウ様の言ったことが聞こえなかったらしい。

 隣にしゃがみ、座り込んで震える彼女に話しかけると、イルナ子爵令嬢は彼にすがりついた。

「た、助けて!」
「だから、何があったって言うんだよ!?」
「わかるでしょう! ねぇ、あなたは私を助けてくれるわよね!? 裏切ったりしないわよね!?」
「だから、何なのか教えてくれよ」

 言い合いを始めた二人の横で、メイナーはただ、焦った表情でわたしを見つめている。

 見つめ返しても何か言ってくる様子ではないので、彼女からキリュウ様に視線を移します。

「ありがとうございます、キリュウ様」

 隣に戻ってきたキリュウ様にお礼を言うと、眉間のシワを深くしたまま応える。

「別に。礼を言われることじゃない」
「お礼を言いたいと思ったんです。お許しくださいませ」
「好きにしろ」
「はい。必要な時や言いたい時に言います」

 微笑んで言うと、キリュウ様『変な奴』とでも言いたげな顔で口元に笑みを浮かべた。

 味方が一人でもいてくれると思うだけで、どれだけ心が強くなれるのか、再確認することができました。
 それって、お礼を言うべき時ですよね。

 裏切られることが怖くて、もう人を信じないなんてことを思った時期もありましたが、きっと、キリュウ様たちのことは信じても良いんですよね? 
 
 だって、神様が巡り合わせてくれたんですもの。

 わたしの周りには悪い人ばかり集まってしまっていました。

 でも、外に飛び出た、これからのわたしは違います。

 これから出会う人を信じる信じないかは、自分でちゃんと選んでいきたいと思います。

「あ、あの」

 わたしのことを嘘つき呼ばわりしていたのは、イルナ子爵令嬢だけではありません。

 それはメイナーもわかっているようで、少しずつキリュウ様に近づきながら尋ねる。

「私は本当にアーシャに嘘をつかれていたんです。証人もいます。ですから、お咎めはありませんよね?」
「今はな」
「……え?」
「アーシャが嘘をついていなかったと証明された場合は、お前も俺の敵だ」
「そ……、そんな、物騒なことは言わないでくださいませ」

 メイナーの実家もレディシト様も、地位はキリュウ様よりも下になります。

 キリュウ様は表舞台に出ないだけで、ちゃんと人付き合いはしています。
 だから、高位貴族の知り合いが多いんですよね。

 でも、手紙でのやり取りですから、他の人は知りません。

 メイナーはたかが辺境伯一人で、伯爵家が潰せるわけがないと高をくくっているのでしょう。

 焦りの表情ではありますが、切羽詰まったようには見えません。

「アーシャ、リブトラル伯爵に忠告し終えたら、とっとと帰るぞ」
「はい」
 
 頷いて、この場を離れようとすると、メイナーがキリュウ様に話しかける。

「レディシト様に何の用事があるというのですか?」
「俺が彼と話すことに、何か問題でもあるのか」
「……ありませんわ。ですが、レディシト様は体調が悪いんです。話せる状態ではないと思います」
「その体調不良の件で話がある。危害を加えるつもりはないから安心しろ」
「……わかりました」

 メイナーは頷くと、笑顔のわたしを見て悔しそうな顔をした。

 そして、わたしたちに背を向けて歩き出した。

 レディシト様がいる場所は、キリュウ様のお友達から確認しています。

 わたしも一緒に行こうとすると、キリュウ様は首を横に振る。

「アーシャは馬車で待っていてくれ」
「……よろしいのですか?」
「ああ。確認したいことがある」

 その確認したいことは、わたしに聞かれたくない話なんですね。

 理解したわたしは、それ以上は何も言わず、会場の外で待ってくれていたエルザと合流し、一度、キリュウ様と別れたのでした。



◇◆◇◆◇◆
(レディシト視点)


 休憩室の扉がノックされた。

 やっと、メイナーが来てくれたのか。

 ゆっくりと体を起こすと、咳が止まらなくなった。
 辛い。
 本当に辛い。

 
 今日は近くの宿に泊まる予定だったが、このまま、ここで寝かせてもらおうか。

 そう思った時、返事もしていないのに部屋の扉が開いた。

「……メイナー、悪いけど、今日はここで休ませてもらえないか……ゲホッ、聞いてもらえないか」
「悪いが、セイブル伯爵令嬢じゃない」

 部屋の中に入ってきたのは、正装姿のトイズ辺境伯だった。

 僕に一体、なんの用事なんだろう。
 アーシャのことで何か言われるんだろうか。

 彼女を雇ったのは彼なんだから、彼女のことでどうこう言われる筋合いはないんだけどな。

「トイズ辺境伯、申し訳ございませんが、もう、僕とアーシャは無関係なんです」
「そうかもしれないが、あんたの病気に関係はある」
「ど、どういうこと」

 興奮したからか、小さな咳が止まらなくなった。

 トイズ辺境伯は黙って、僕の咳が止まるのを待っている。

 咳がおさまったところで、僕は彼に尋ねる。

「どういうことなんですか」
「お前に説明してやる義理はない。ただ、ドイシン病を再発したくなければ、セイブル伯爵令嬢に真実を話させろ」
「……真実?」
「彼女はアーシャに殺意を抱いていた。だが、嘘をつけば良い方向に転ぶとわかったので、彼女は殺意を失くして嘘をついた」
「嘘? しかも殺意だなんて……」

 そこで僕は気がついた。

「僕がドイシン病にかかったのは、何も悪くないアーシャの死を願ったからなのか?」

 思わず口に出してしまい、慌てて口を押さえた。

 すると、トイズ辺境伯は鼻で笑う。

「……そういうことか。おかしいと思っていたんだ」
「……そういうことって、どういうことなんですか?」

 まるで、僕とトイズ辺境伯の話を邪魔しないようにしているみたいに咳が止まった。

 ……ということは、トイズ辺境伯の言う通りにすれば、僕はドイシン病にかからなくて良いかもしれない。

 希望が持てた僕は、彼の話に集中する。

「とにかく、お前がアーシャの死を願った理由を言え。正直な話をしないと、お前は助からないぞ」
「……わかりました」

 僕はくだらないことで、アーシャの死を願ってしまったこと。
 軽い気持ちで思ったことなので反省していて、二度と思うことはないということを伝えた。

「くだらねぇ。なんで、それくらいのことでいなくなれなんて思うんだ。しかも、二度と思うことはないなんて、今の状況なら当たり前の話じゃねぇか」

 まるで汚物を見るような目で僕を見ながら、トイズ辺境伯が言った。

「それだけ真剣に考えていたんです! 彼女の心を傷つけたくなかったから」
「いなくなってほしいと思われたほうが傷つくだろ」
「だから、彼女には言わないでください」
「言わねぇよ。俺よりも偉い人が口にしないんだからな」

 俺よりも偉い人というのは誰のことなんだろうか?

「……トイズ辺境伯、あなたは何を知っているんですか」
「お前に答える義理はないって言ってるだろ。言えるのはアーシャはお前の死を望んだことなんて一度もないってことだ。だから、もう一度言う。死にたくなければ、セイブル伯爵令嬢に真実を話させろ。お前が生きる道はそれしかない」

 トイズ辺境伯はそう言うと、僕に質問を与える隙など与えずに部屋から出ていった。

 慌てて追いかけようとしたけれど、突然、咳が出始めて、それどころではなくなってしまった。

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