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第十六話 提案
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グラスはあっという間に空となり、改めてホルスト卿は口を開く。
「さて、面倒な横やりが入ってしまったけれど、これでやっと私にも余裕が出来た訳だ」
「本当に、よくもやってくれましたよね」
俺が差しているのは政府からの依頼だ。死者をも陥れようとする彼等には反吐が出る。
「貴方の名誉がこれほどまでに損なわれるとは」
「おや、話が戻ったじゃあないか」
「それだけ俺が腹を立てているということですよ。友を愚弄されて誰が喜ぶとでも?」
「すまないけれど、どうにも私はそのあたりの感情の機微には疎くてね」
肩を竦めるホルスト卿の姿を見て、俺はそれ以上の言及を避けることにした。
「こちらの扇動に容易に流され、他でもないホルスト卿に嬉々として石を投げた衆愚に対しても、怒りが収まりませんよ。かつての恩を忘れ、虚言に呆気なく騙される彼等の低能さには救いようがない」
「それが君の憎しみの形なんだね」
「えぇ、そうです。理不尽でしょう? それで構いませんよ、もう開き直ることにしました。誰かを蔑むことはこれ程までに楽しい」
「君が楽しいのならば幸いだよ。ところで君は、今でも私のやりたいことに手を貸してもいいと思ってくれているのかな」
俺はその言葉を聞き、数カ月程前に交わされた会話を思い出す。それは彼から自殺偽装の手伝いを求められた時のことだ。そもそも彼は何故、政界どころかこの世界からの消失を選んだのか。それは彼を蹴落とそうとする彼の政敵が次第に手段を選ばなくなり、身の危険を感じたということだけが理由ではない。彼は自らの存在を抹消することで、時間的な余裕を得ようとしたのだ。その時間をジックリとかけることで彼が成し遂げようとしていることを、俺は何度も彼から語られている。また先程の彼の過去の話から、それこそが彼の根源を形成するものだと、俺は既に理解しているのだ。
「腐敗に塗れた独裁政権体勢を崩壊させ、社会をより良くすること。力になれるかは分かりませんが、俺でよければ幾らでもご協力しましょう」
「ありがとう。君が味方であることが本当に心強いんだ」
「ただ、その先にあるのが、俺が憎悪する民衆のより安定した生活だという点だけが、どうにも気に食わないですけれどね」
俺は己の言葉に顔を歪ませた。結局彼が求めるものは、俺の欲が望むものとは完全に異なるものなのだ。俺は彼等が地獄を味わうことを心待ちにしている。例えば、それこそ俺が過去に味わったように親を壊され、失い、飢え、渇き、生存のための闘争を強制され、寒さに凍え、ガラクタの中に眠り、人間としての尊厳を奪われることを望んでいる。そして、かつて見捨てられて死んでいった子供の様に、彼等も誰にも救いの手を差し出されない絶望に満ちた死の淵に沈んで欲しいと、俺は心の底から願っているのだ。呼吸も出来ぬ程に恐ろしい闇が、どうか彼等を揃って愛してやらぬものか。寒さに凍える俺の存在を、示し合わせたように見て見ぬ振りをした民衆に対する不幸への切望が、俺の根幹を形成している。ホルスト卿はそのようなことをぼやく俺に眉を上げた。
「それが、かつての君の絶望を生み出す原因を作った者達の断罪の先にあるものだとしても、気に食わないのかい?」
「そう理解しているからこそ、俺は貴方に手を貸すのです。俺とて、その者達に制裁が加えられる様を間近で見たいと思う程には、彼等の没落を心待ちにしていますからね」
「民衆の安寧が、かつての君達の様な浮浪児を救うことだとしても?」
「ですから理解はしているのです。そもそも垢に塗れて異臭を放つ浮浪児に対し、一切の躊躇なくその頭を撫でることが出来る程に彼等のことを思っていた貴方が、どうして彼等に決定的な支援をしなかったのか。貴方の屋敷は何人もの孤児を保護出来る程に広大で、大量の食事を用意出来る資金もあったというのに、貴方は時折しか貧民窟に顔を出さなかった」
「その心は?」
「浮浪児にその日のパンを与えたところで、彼等が得られる明日のパンはないということです。そして一人を保護することが出来ても、何百人と保護することは不可能です。貧民窟の者達を救うには、より根本的な解決策が必要だ。そしてそれが民衆を含めた国全体の社会秩序と治安の向上そのものであると、俺は理解はしているのです」
理性と感情は別物というだけのことだ。ホルスト卿の指摘通り、それが憎悪に関わるものである程その傾向が顕著になると、俺も自らの内を顧みることで知った。不機嫌な様子を隠しもしない俺にホルスト卿は面白がるような表情を浮べる。
「そういえばね、そのことについてだけれど、私は一つ良いことを思いついたんだよ」
「さて、面倒な横やりが入ってしまったけれど、これでやっと私にも余裕が出来た訳だ」
「本当に、よくもやってくれましたよね」
俺が差しているのは政府からの依頼だ。死者をも陥れようとする彼等には反吐が出る。
「貴方の名誉がこれほどまでに損なわれるとは」
「おや、話が戻ったじゃあないか」
「それだけ俺が腹を立てているということですよ。友を愚弄されて誰が喜ぶとでも?」
「すまないけれど、どうにも私はそのあたりの感情の機微には疎くてね」
肩を竦めるホルスト卿の姿を見て、俺はそれ以上の言及を避けることにした。
「こちらの扇動に容易に流され、他でもないホルスト卿に嬉々として石を投げた衆愚に対しても、怒りが収まりませんよ。かつての恩を忘れ、虚言に呆気なく騙される彼等の低能さには救いようがない」
「それが君の憎しみの形なんだね」
「えぇ、そうです。理不尽でしょう? それで構いませんよ、もう開き直ることにしました。誰かを蔑むことはこれ程までに楽しい」
「君が楽しいのならば幸いだよ。ところで君は、今でも私のやりたいことに手を貸してもいいと思ってくれているのかな」
俺はその言葉を聞き、数カ月程前に交わされた会話を思い出す。それは彼から自殺偽装の手伝いを求められた時のことだ。そもそも彼は何故、政界どころかこの世界からの消失を選んだのか。それは彼を蹴落とそうとする彼の政敵が次第に手段を選ばなくなり、身の危険を感じたということだけが理由ではない。彼は自らの存在を抹消することで、時間的な余裕を得ようとしたのだ。その時間をジックリとかけることで彼が成し遂げようとしていることを、俺は何度も彼から語られている。また先程の彼の過去の話から、それこそが彼の根源を形成するものだと、俺は既に理解しているのだ。
「腐敗に塗れた独裁政権体勢を崩壊させ、社会をより良くすること。力になれるかは分かりませんが、俺でよければ幾らでもご協力しましょう」
「ありがとう。君が味方であることが本当に心強いんだ」
「ただ、その先にあるのが、俺が憎悪する民衆のより安定した生活だという点だけが、どうにも気に食わないですけれどね」
俺は己の言葉に顔を歪ませた。結局彼が求めるものは、俺の欲が望むものとは完全に異なるものなのだ。俺は彼等が地獄を味わうことを心待ちにしている。例えば、それこそ俺が過去に味わったように親を壊され、失い、飢え、渇き、生存のための闘争を強制され、寒さに凍え、ガラクタの中に眠り、人間としての尊厳を奪われることを望んでいる。そして、かつて見捨てられて死んでいった子供の様に、彼等も誰にも救いの手を差し出されない絶望に満ちた死の淵に沈んで欲しいと、俺は心の底から願っているのだ。呼吸も出来ぬ程に恐ろしい闇が、どうか彼等を揃って愛してやらぬものか。寒さに凍える俺の存在を、示し合わせたように見て見ぬ振りをした民衆に対する不幸への切望が、俺の根幹を形成している。ホルスト卿はそのようなことをぼやく俺に眉を上げた。
「それが、かつての君の絶望を生み出す原因を作った者達の断罪の先にあるものだとしても、気に食わないのかい?」
「そう理解しているからこそ、俺は貴方に手を貸すのです。俺とて、その者達に制裁が加えられる様を間近で見たいと思う程には、彼等の没落を心待ちにしていますからね」
「民衆の安寧が、かつての君達の様な浮浪児を救うことだとしても?」
「ですから理解はしているのです。そもそも垢に塗れて異臭を放つ浮浪児に対し、一切の躊躇なくその頭を撫でることが出来る程に彼等のことを思っていた貴方が、どうして彼等に決定的な支援をしなかったのか。貴方の屋敷は何人もの孤児を保護出来る程に広大で、大量の食事を用意出来る資金もあったというのに、貴方は時折しか貧民窟に顔を出さなかった」
「その心は?」
「浮浪児にその日のパンを与えたところで、彼等が得られる明日のパンはないということです。そして一人を保護することが出来ても、何百人と保護することは不可能です。貧民窟の者達を救うには、より根本的な解決策が必要だ。そしてそれが民衆を含めた国全体の社会秩序と治安の向上そのものであると、俺は理解はしているのです」
理性と感情は別物というだけのことだ。ホルスト卿の指摘通り、それが憎悪に関わるものである程その傾向が顕著になると、俺も自らの内を顧みることで知った。不機嫌な様子を隠しもしない俺にホルスト卿は面白がるような表情を浮べる。
「そういえばね、そのことについてだけれど、私は一つ良いことを思いついたんだよ」
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