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特別編「フィリアとオズベルトは、理想の夫婦」

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 そして、翌朝。

「おはよう、マリッサ!見てよ、私早起きでしょう?」
「……おはようございます、フィリア様」
 満面の笑顔で出迎えた私に、マリッサは相変わらずの無表情。だけど私は付き合いが長いから、彼女の眉が一瞬哀しげに下がったことに気付く。
 ごめんなさいと心中で謝罪しながら、すでに着替えを済ませた姿でくるくるとおどけてみせた。
「このワンピース、とっても可愛いでしょう?」
「残念ながら、前後が逆です」
「えっ、嘘ぉ‼︎」
 確認してみると、確かにマリッサの言う通りだった。さすがに自分で自分が信じられない。顔色の悪さと目の下のクマを見たくないからって、姿見を見なかったのが災いしたらしい。
「あっ、これはちょっとしたサプライズだからね?ワンピースを前後逆に着るなんて、まさかそんなこと本気でするはず……」
「フィリア様」
 あはは、と誤魔化し笑いしてみせたけれど、彼女は無表情で私の肩をむんずと掴んだ。
「もう限界なのでは?」
「な、何が?」
「周囲に気を遣って気丈に振る舞うなど、まったく貴女らしくありませんよ」
 確かにその通りではあるんだけれど、なんとなく言い方が引っ掛かるような引っ掛からないような。
「フィリア様に涙は似合いません」
「マリッサ……」
「いつだって心の底から楽しみ笑うことが出来るのが、貴女の最大の長所でしょう」
 それに、と言葉を続ける彼女の掌は、珍しく熱を帯びていた。
「鉄仮面だの無愛想だのと謗られてきた私をいとも簡単に受け入れてくださった貴女は、生涯私の生きる糧です。たとえ仕方のない状況だとしても、悲しむ姿は見ていて辛いものがあります」
 普段抑揚の少ない声が微かに震えている気がして、私まで鼻の奥がつんと痛み出す。マリッサはいつだって私を支えて助けてくれたけれど、まさかここまではっきりと口に出してくれるとは思わなかった。
「だけど、私……」
 今になって、前後逆のワンピースが妙に窮屈に感じられる。どう言葉を紡いだら良いのか悩んで、口籠もることしか出来ない。
「フィリア様の望みはなんですか?」
「えっと……、外で思いっきり遊んだり、美味しいものをお腹いっぱい食べたり、ふかふかのベッドで好きなだけ眠ったり」
 口に出してみて、改めて気付かされる。
「……そういうことを、旦那様と一緒にしたい」
 私はもうとっくに、一人きりでは楽しめない体になってしまったのだと。
「やっと素直になりましたね、フィリア様」
 マリッサの綺麗なアーモンドアイが、ふにゃりと下がる。貴重なこの笑顔を見たいが為、昔はどれだけ変顔や奇行に走っただろうと、ふいに懐かしく思った。
「あれは最悪でした、本当に」
「……はいごめんなさいもう二度といたしません」
 どうやら彼女にとっては、封印したい思い出だったらしい。
「フィリア様はまだまだお子様気質ですが、もう立派なヴァンドーム家の女主人です」
「ええっ、それは嘘だぁ」
 相変わらず貴婦人方との社交は苦手だし、王都に行く時は憂鬱だし、パーティーで愛想笑いしまくった次の日には知恵熱が出るしで、ちっとも奥様らしくないのに。
「最も重要な点を、貴女はクリアしています」
「最も重要な点?」
「夫を最優先に思うことかと」
 淡々と口にするマリッサの表情は、すっかり普段のポーカーフェイス。だけどなぜだか、彼女から思いっきり背中を押されているような気がした。
 笑った顔も大好きだけれど、私はいつものマリッサもとっても好きだ。
「……そうよね、全部まるっと貴女の言う通りだわ」
 いつの間にか目尻に溜まっていた涙を、ぐいぐいと指で眼球に押し戻す。頬を伝って流れるまでは、泣いていないのと同じことだから。
「最近の私は私らしくないわよね!何事も心から楽しむのがフィリアだもん!」
「そうそう、その調子」
 よっ、花のフィリア様!と抑揚のない合いの手が入り、私のボルテージは一層高みへと登っていく。
「旦那様と離れ離れなんて無理!だけどいつお帰りになられるか分からない、ということは!私から会いにいくしかないってことよね!」
 どんなに著名な学者にも解き明かせなかった謎を、自らの手で解明してみせたような爽快感。喉に詰まった肉がすうっと流れた時と同じ快感が、びりびりと体中を駆け巡った。
「だけどそれって、気持ちだけの問題じゃないわよね。これでも一応留守を任された身だし、さすがの私も好き勝手に投げ出すわけには……」
「ご安心ください。すでに大旦那様からはご快諾いただいておりますので」
「わぁ、めちゃくちゃ話がすんなり」
 スーパー侍女マリッサに頭が下がる思いで、私はびしっと敬礼の格好を取ってみせたのだった。

 ――こうしてとんとん拍子に話は進み、マリッサに本音を打ち明けた翌日には万全の旅支度で送り出された。彼女の言葉通り、大旦那様は大賛成といった雰囲気で「オズベルトによろしく」と微笑んでいた。
 執事長バルバさんはロマンスグレーの名に相応しいきりりとした決め顔で親指を上に立て、他の使用人や領民にいたるまでみんなが私の旅立ちに心からの祝福を送ってくれた。
 特にお屋敷の面々は旦那様の暗黒時代を知っているからか、ぼろぼろと涙を流す人も一人や二人じゃなかった。彼は本当に愛されているなと思いながら、マリッサや護衛(大旦那様が選りすぐりの精鋭をつけてくれた)と共に、愛しい旦那様に向かって大きな愛の一歩を踏み出したのだった。
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