79 / 99
特別編「フィリアとオズベルトは、理想の夫婦」
5
しおりを挟む
そして、翌朝。
「おはよう、マリッサ!見てよ、私早起きでしょう?」
「……おはようございます、フィリア様」
満面の笑顔で出迎えた私に、マリッサは相変わらずの無表情。だけど私は付き合いが長いから、彼女の眉が一瞬哀しげに下がったことに気付く。
ごめんなさいと心中で謝罪しながら、すでに着替えを済ませた姿でくるくるとおどけてみせた。
「このワンピース、とっても可愛いでしょう?」
「残念ながら、前後が逆です」
「えっ、嘘ぉ‼︎」
確認してみると、確かにマリッサの言う通りだった。さすがに自分で自分が信じられない。顔色の悪さと目の下のクマを見たくないからって、姿見を見なかったのが災いしたらしい。
「あっ、これはちょっとしたサプライズだからね?ワンピースを前後逆に着るなんて、まさかそんなこと本気でするはず……」
「フィリア様」
あはは、と誤魔化し笑いしてみせたけれど、彼女は無表情で私の肩をむんずと掴んだ。
「もう限界なのでは?」
「な、何が?」
「周囲に気を遣って気丈に振る舞うなど、まったく貴女らしくありませんよ」
確かにその通りではあるんだけれど、なんとなく言い方が引っ掛かるような引っ掛からないような。
「フィリア様に涙は似合いません」
「マリッサ……」
「いつだって心の底から楽しみ笑うことが出来るのが、貴女の最大の長所でしょう」
それに、と言葉を続ける彼女の掌は、珍しく熱を帯びていた。
「鉄仮面だの無愛想だのと謗られてきた私をいとも簡単に受け入れてくださった貴女は、生涯私の生きる糧です。たとえ仕方のない状況だとしても、悲しむ姿は見ていて辛いものがあります」
普段抑揚の少ない声が微かに震えている気がして、私まで鼻の奥がつんと痛み出す。マリッサはいつだって私を支えて助けてくれたけれど、まさかここまではっきりと口に出してくれるとは思わなかった。
「だけど、私……」
今になって、前後逆のワンピースが妙に窮屈に感じられる。どう言葉を紡いだら良いのか悩んで、口籠もることしか出来ない。
「フィリア様の望みはなんですか?」
「えっと……、外で思いっきり遊んだり、美味しいものをお腹いっぱい食べたり、ふかふかのベッドで好きなだけ眠ったり」
口に出してみて、改めて気付かされる。
「……そういうことを、旦那様と一緒にしたい」
私はもうとっくに、一人きりでは楽しめない体になってしまったのだと。
「やっと素直になりましたね、フィリア様」
マリッサの綺麗なアーモンドアイが、ふにゃりと下がる。貴重なこの笑顔を見たいが為、昔はどれだけ変顔や奇行に走っただろうと、ふいに懐かしく思った。
「あれは最悪でした、本当に」
「……はいごめんなさいもう二度といたしません」
どうやら彼女にとっては、封印したい思い出だったらしい。
「フィリア様はまだまだお子様気質ですが、もう立派なヴァンドーム家の女主人です」
「ええっ、それは嘘だぁ」
相変わらず貴婦人方との社交は苦手だし、王都に行く時は憂鬱だし、パーティーで愛想笑いしまくった次の日には知恵熱が出るしで、ちっとも奥様らしくないのに。
「最も重要な点を、貴女はクリアしています」
「最も重要な点?」
「夫を最優先に思うことかと」
淡々と口にするマリッサの表情は、すっかり普段のポーカーフェイス。だけどなぜだか、彼女から思いっきり背中を押されているような気がした。
笑った顔も大好きだけれど、私はいつものマリッサもとっても好きだ。
「……そうよね、全部まるっと貴女の言う通りだわ」
いつの間にか目尻に溜まっていた涙を、ぐいぐいと指で眼球に押し戻す。頬を伝って流れるまでは、泣いていないのと同じことだから。
「最近の私は私らしくないわよね!何事も心から楽しむのがフィリアだもん!」
「そうそう、その調子」
よっ、花のフィリア様!と抑揚のない合いの手が入り、私のボルテージは一層高みへと登っていく。
「旦那様と離れ離れなんて無理!だけどいつお帰りになられるか分からない、ということは!私から会いにいくしかないってことよね!」
どんなに著名な学者にも解き明かせなかった謎を、自らの手で解明してみせたような爽快感。喉に詰まった肉がすうっと流れた時と同じ快感が、びりびりと体中を駆け巡った。
「だけどそれって、気持ちだけの問題じゃないわよね。これでも一応留守を任された身だし、さすがの私も好き勝手に投げ出すわけには……」
「ご安心ください。すでに大旦那様からはご快諾いただいておりますので」
「わぁ、めちゃくちゃ話がすんなり」
スーパー侍女マリッサに頭が下がる思いで、私はびしっと敬礼の格好を取ってみせたのだった。
――こうしてとんとん拍子に話は進み、マリッサに本音を打ち明けた翌日には万全の旅支度で送り出された。彼女の言葉通り、大旦那様は大賛成といった雰囲気で「オズベルトによろしく」と微笑んでいた。
執事長バルバさんはロマンスグレーの名に相応しいきりりとした決め顔で親指を上に立て、他の使用人や領民にいたるまでみんなが私の旅立ちに心からの祝福を送ってくれた。
特にお屋敷の面々は旦那様の暗黒時代を知っているからか、ぼろぼろと涙を流す人も一人や二人じゃなかった。彼は本当に愛されているなと思いながら、マリッサや護衛(大旦那様が選りすぐりの精鋭をつけてくれた)と共に、愛しい旦那様に向かって大きな愛の一歩を踏み出したのだった。
「おはよう、マリッサ!見てよ、私早起きでしょう?」
「……おはようございます、フィリア様」
満面の笑顔で出迎えた私に、マリッサは相変わらずの無表情。だけど私は付き合いが長いから、彼女の眉が一瞬哀しげに下がったことに気付く。
ごめんなさいと心中で謝罪しながら、すでに着替えを済ませた姿でくるくるとおどけてみせた。
「このワンピース、とっても可愛いでしょう?」
「残念ながら、前後が逆です」
「えっ、嘘ぉ‼︎」
確認してみると、確かにマリッサの言う通りだった。さすがに自分で自分が信じられない。顔色の悪さと目の下のクマを見たくないからって、姿見を見なかったのが災いしたらしい。
「あっ、これはちょっとしたサプライズだからね?ワンピースを前後逆に着るなんて、まさかそんなこと本気でするはず……」
「フィリア様」
あはは、と誤魔化し笑いしてみせたけれど、彼女は無表情で私の肩をむんずと掴んだ。
「もう限界なのでは?」
「な、何が?」
「周囲に気を遣って気丈に振る舞うなど、まったく貴女らしくありませんよ」
確かにその通りではあるんだけれど、なんとなく言い方が引っ掛かるような引っ掛からないような。
「フィリア様に涙は似合いません」
「マリッサ……」
「いつだって心の底から楽しみ笑うことが出来るのが、貴女の最大の長所でしょう」
それに、と言葉を続ける彼女の掌は、珍しく熱を帯びていた。
「鉄仮面だの無愛想だのと謗られてきた私をいとも簡単に受け入れてくださった貴女は、生涯私の生きる糧です。たとえ仕方のない状況だとしても、悲しむ姿は見ていて辛いものがあります」
普段抑揚の少ない声が微かに震えている気がして、私まで鼻の奥がつんと痛み出す。マリッサはいつだって私を支えて助けてくれたけれど、まさかここまではっきりと口に出してくれるとは思わなかった。
「だけど、私……」
今になって、前後逆のワンピースが妙に窮屈に感じられる。どう言葉を紡いだら良いのか悩んで、口籠もることしか出来ない。
「フィリア様の望みはなんですか?」
「えっと……、外で思いっきり遊んだり、美味しいものをお腹いっぱい食べたり、ふかふかのベッドで好きなだけ眠ったり」
口に出してみて、改めて気付かされる。
「……そういうことを、旦那様と一緒にしたい」
私はもうとっくに、一人きりでは楽しめない体になってしまったのだと。
「やっと素直になりましたね、フィリア様」
マリッサの綺麗なアーモンドアイが、ふにゃりと下がる。貴重なこの笑顔を見たいが為、昔はどれだけ変顔や奇行に走っただろうと、ふいに懐かしく思った。
「あれは最悪でした、本当に」
「……はいごめんなさいもう二度といたしません」
どうやら彼女にとっては、封印したい思い出だったらしい。
「フィリア様はまだまだお子様気質ですが、もう立派なヴァンドーム家の女主人です」
「ええっ、それは嘘だぁ」
相変わらず貴婦人方との社交は苦手だし、王都に行く時は憂鬱だし、パーティーで愛想笑いしまくった次の日には知恵熱が出るしで、ちっとも奥様らしくないのに。
「最も重要な点を、貴女はクリアしています」
「最も重要な点?」
「夫を最優先に思うことかと」
淡々と口にするマリッサの表情は、すっかり普段のポーカーフェイス。だけどなぜだか、彼女から思いっきり背中を押されているような気がした。
笑った顔も大好きだけれど、私はいつものマリッサもとっても好きだ。
「……そうよね、全部まるっと貴女の言う通りだわ」
いつの間にか目尻に溜まっていた涙を、ぐいぐいと指で眼球に押し戻す。頬を伝って流れるまでは、泣いていないのと同じことだから。
「最近の私は私らしくないわよね!何事も心から楽しむのがフィリアだもん!」
「そうそう、その調子」
よっ、花のフィリア様!と抑揚のない合いの手が入り、私のボルテージは一層高みへと登っていく。
「旦那様と離れ離れなんて無理!だけどいつお帰りになられるか分からない、ということは!私から会いにいくしかないってことよね!」
どんなに著名な学者にも解き明かせなかった謎を、自らの手で解明してみせたような爽快感。喉に詰まった肉がすうっと流れた時と同じ快感が、びりびりと体中を駆け巡った。
「だけどそれって、気持ちだけの問題じゃないわよね。これでも一応留守を任された身だし、さすがの私も好き勝手に投げ出すわけには……」
「ご安心ください。すでに大旦那様からはご快諾いただいておりますので」
「わぁ、めちゃくちゃ話がすんなり」
スーパー侍女マリッサに頭が下がる思いで、私はびしっと敬礼の格好を取ってみせたのだった。
――こうしてとんとん拍子に話は進み、マリッサに本音を打ち明けた翌日には万全の旅支度で送り出された。彼女の言葉通り、大旦那様は大賛成といった雰囲気で「オズベルトによろしく」と微笑んでいた。
執事長バルバさんはロマンスグレーの名に相応しいきりりとした決め顔で親指を上に立て、他の使用人や領民にいたるまでみんなが私の旅立ちに心からの祝福を送ってくれた。
特にお屋敷の面々は旦那様の暗黒時代を知っているからか、ぼろぼろと涙を流す人も一人や二人じゃなかった。彼は本当に愛されているなと思いながら、マリッサや護衛(大旦那様が選りすぐりの精鋭をつけてくれた)と共に、愛しい旦那様に向かって大きな愛の一歩を踏み出したのだった。
43
お気に入りに追加
2,761
あなたにおすすめの小説
雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
竜帝の花嫁 誰にも愛されずに死んだと思ってたのに、生まれ変わったら溺愛されてました
みゅー
恋愛
シーディーは竜帝の寵姫となったが、病気でその人生を終えた。
気づくと、同じ世界に生まれ変わっており、今度は幸せに暮らそうと竜帝に関わらないようにしたが、何故か生まれ変わったことが竜帝にばれ……
すごく短くて、切ない話が書きたくて書きました。
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
大嫌いな女
ざっく
恋愛
すごく上手くいっていた仕事が、一人の女性が入ってきたことで、思った通りに行かなくなってしまう。
そのことにイライラを募らせてしまう。そのことで、さらにコンビを組んでいた彼からも責められてしまい――?
婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた
cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。
お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。
婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。
過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。
ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。
婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。
明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。
「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。
そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。
茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。
幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。
「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?!
★↑例の如く恐ろしく省略してます。
★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
わ、私がやりました
mios
恋愛
悪役令嬢の断罪中申し訳ありません。
それ、やったの私です。
聖女様を池に落としたり、階段から突き落としたフリをしたり、虐められたフリをした聖女様の演出は、全て私がやりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる