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最終章「適当がいつの間にか愛に変わる時」

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 季節は冬だというのに、やけにむわっとした空気が流れ込んでくる。この廊下の向こう側には、旦那様の部屋がある。まさか自分がここを通る日が来ようとは、屋敷を訪れた初日には想像もしていなかった。
「それにしても、つくづくおもしろい発想よね。扉一枚じゃなくて、廊下で繋げようだなんて。旦那様のお祖父様以外には絶対に出来ないわ」
 夫婦の部屋が隣接している屋敷は珍しくないけれど、これだけの距離を内廊下にするのはきっと大変だっただろう。試しに一歩足を踏み出してみると、えもいわれぬ感情が私に襲いかかってきた。
 一筋の光すら差し込まない暗闇を、一歩ずつゆっくりと進んでいく。無意識のうちに歩くリズムがだんだんと早まり、目が慣れるよりも先にほとんど小走りのように駆けていた。部屋からランプを持ってくるという発想はなんてなくて、頭の中は彼のことしか考えられない。
 恥ずかしいのに、会いたいと思う。はしたないと分かっていても、足が勝手に前に出る。旦那様が今、私のことで頭をいっぱいにしているかもしれないと考えただけで、胸が詰まって上手く息が出来ない。

 ――少しでも早く、オズベルト様の顔が見たい。

 不意にふわりと甘い香りが鼻をくすぐったと思ったその瞬間、どん!と軽く体がぶつかる。このがちがちの胸筋には覚えがあって、自分が誰と鉢合わせたのかすぐに分かった。というか、ここを通れるのは私を含めてたった二人だけ。
「フィ、フィリア!大丈夫か!?」
 旦那様は上擦った声を上げながらも、その逞しい両腕でしっかりと私を受け止める。気付けば暗闇に目が慣れて、ぼんやりとしたシルエットがこちらを見下ろしているのが分かった。
「だ、旦那様……。すみません、勢いよくぶつかってしまって。お怪我はありませんか?」
 無我夢中で気付かなかった自分が恥ずかしくて、思わず一歩後退りをする。彼は首を左右に振りながら、私の腰元を優しい手付きで支えてくれた。
「君がいるかもしれないと思ったから、慎重に歩いていたんだ。そこまで激しくはなかったと思うが、君こそ平気か?」
「あれ、そういえば……」
 私はほとんど走っていたのに、さして衝撃を感じなかった。ぶつかったというより受け止められたといった方が正しいような気がするし、私がここにいることにも大して驚いていない雰囲気を感じる。
「……香りがしたんだ」
 腰元に添えられた彼の指先が、恥ずかしそうにぴくりと反応を示す。
「僕が君からずっと感じていた、甘い香りがしたから。その後足音に気付いて、声を掛けようか迷っていたところにちょうど君が飛び込んできた」
「そ、そうだったんですね……」
 足音に注視している余裕なんてなかったから、私はちっとも分からなかった。なんだか自分だけ余裕がないみたいで、さらに気恥ずかしい。
「ランプを持ってくればよかったです」
「ああ、僕もそう思う」
 そういえば、私と同じように旦那様も手ぶらだ。
「……そこまでの余裕がなかったんだ」
 再び彼の声が上擦って、あまりの可愛らしさに私の胸がきゅんきゅんと音を立てる。
「だが、フィリアの香りだけはすぐに感じられた」
「わ、私臭いですか?」
「まさか、そんなことあるはずがない」
 くいっと遠慮がちに腰を引かれ、ただでさえ視界が悪い中で彼と触れ合っている部分に意識が集中してしまう。
「君の方こそ、僕が気持ち悪くはないか?」
「まさか!そんなことあるはずありません!」
 二人で同じような台詞を連発して、お互いにふふっと噴き出した。
「先ほど顔を合わせたばかりなのに、もう会いたくてたまらなかった」
「わ、私も……です」
 ランプを忘れてよかったと、心底安堵する。今の私はきっと、全身真っ赤に染まっているはずだから。いくら恋愛のあれこれに疎くても、夫婦がどんな風に愛を伝え合うのか、知識としては心得ている。
 それを自分に置き換えて想像することはとても無理だけど、相手の顔だけは鮮明に浮かんだ。
「部屋を訪ねようとしてくれたのか?」
「居ても立っても居られなくて」
「ははっ、僕と同じだ」
 耳に心地良い笑い声と一緒に、私の左手が優しい温もりに包まれる。
「一緒に行こう、フィリア」
「……はい、オズベルト様」
 並んで歩くには少し狭い廊下を、私達はぴたりと身を寄せ合いながら彼の部屋に向かって歩みを進めたのだった。
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