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俺のためのお前のこれまで

第15話 姉の事情(6)

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 約束の時間になったものの、二人が帰ってこない。
 それ自体は別に珍しいことでもなく、いつもなら適当に待つところだが、今日は客がいるからそうもいかない。
「ずっと仕事一筋なんて驚きだ。レジーナ嬢ほどの美人なら、男がほっとかないだろうに」
「まさか。二十五も過ぎれば話が来なくなりますわ」
 断わる面倒がなくなって清々したという本音は、もちろん口には出さない。
 つい三年ほど前まで死ぬつもりだったから、特別な相手を作る気なんてさらさらなかった。不幸な人を増やすだけだ。残される側の悲しみは、忘れもしないあの日に痛いほど――。
 そういう心配のなくなった今は……やはり性交渉が厳しく思える。わかっていたことだが、あの造形美をもってしても気分が悪かったのに、どんな男であれば気分よく抱かれることができるというのか。性格がよければ許容できるのか? でも別にイオニスの性格が嫌いなわけでは……ないよなあ? 仄暗さは否めないが、祝いの場みたいな必要時に言動を取り繕えるなら、他人に迷惑をかけるわけでもなし。
「もったいねえなあ」
 ……それにしても。
「都ならきっと引く手数多だぞ。興味ないか?」
 再会したラバルトは変わらず気さくな口調で話しかけてくるが、俺はその変化に気が付いていた。
 ――目が笑っていない。先ほど会った時は普通だったのに、今はわずかな敵意さえ感じる。
 原因は想像がつく。あれを見られ、そして気付かれてしまったのだろう。俺の仲間に卑猥なものを食べさせやがってといったところか。見かけによらず堅い男のようだ。痴女と認定されているかもしれない。辛い。
 でもイオニスなんて俺の原物を縦横無尽に揉みしだいたし……なんなら舐めたし吸ったし。それに比べれば、あれくらいはちょっとした悪戯だろう。
 あいつ最近ずっと暗い顔ばかりしているから、違う顔を見たくなって……そのイオニスはといえば、ラバルトを置いてさっさと帰ってしまったわけだが。
 てっきり一緒に茶を飲むものと思って、あいつが好きそうな茶を用意しておいたのに。
 イオニスめえ……と念じながらどうにか居心地の悪い時間をやりすごしていれば、玄関の方から扉の開閉音がした。
 ラバルトも気付いたようで言葉を止める。
「失礼いたします」
 ようやく解放されると胸を撫で下ろして廊下へ出れば、レティを抱えたハンスが歩いてくる。
 健やかな寝息を立てるレティは、はしゃぎすぎて出先で力尽きたあたりだろう。これもまた珍しい姿ではない。
「あなたにお会いしたいと、聖騎士のザオベルグさんがいらっしゃってますよ」
「そうか」
 ハンスは短く答えると、レティの部屋へ入っていった。 
「やっぱり勇者様でしたわ」
 用意しておいたカップのひとつに茶を注ぐ。あと少しの辛抱だ。
 ――そして注いだ茶がすっかり冷めた頃、一向に現れない待ち人の様子を窺えば、眠るレティと並んでベッドに寝転がっていた。ご丁寧にシーツまで被っている。
「行くとは言ってない。そっちが勝手に勘違いしただけだろ」
「うふふふふふふふふ?」
「……むう、ん……?」
 俺がシーツを引っ剥がす直前で、レティが目を覚ましてくれた。
「……ごはん?」
 レティは寝そべったまま、寝ぼけ眼で俺の方を見る。
「まだ早い」
「でも美味しいお茶とお菓子ならあるわ。食べるでしょう?」
「たべりゅう」
 レティがのったりと起き上がる。
「はんしゅは?」
 ハンスはすでに身体を起こしていた。
「行く」
「わぁい」
 素早くベッドから降り立ったハンスへ、いまだ座ったままゆらゆら揺れるレティは腕を伸ばした。

「ハンスと目が合っただけで、こんなでっかい熊が逃げて行ったんです!」
「いくら冬眠前でも、さすがにこれを食おうとは思わねえよな」
 ラバルトは標的を俺からレティに変えたらしい。あれこれとハンスについて訊ねているが、ハンス自身の話を聞きたいというよりは、ハンスについて話すレティの方を品定めしていると見て間違いなさそうだ。
 しかし相手はレティである。面倒くさいあれこれなど勘ぐるわけもなく、よーし任せろと張り切ってハンスの話を聞かせた。石で鳥を落としたとか、沼の主を釣ったとか、野菜の皮を向こう側が透けるほど薄く剥けるとか、最近編み物を始めたとか、田舎を満喫するハンスの暮らしぶりについて延々と。
「あのハンスが……編み物かよ……っ」
 三杯目を飲み干し、空のカップを手に震える。すっかり毒抜きの済んだラバルトがそこにいた。
「一方的に訊いてばかりじゃ悪いな。嬢ちゃんも俺に訊きたいこととかあるか?」
 ラバルトの申し出にレティが目を輝かせる。
「あります! ラバルトさんは何が出せますか?」
「うん?」
「そいつはイオニスと違って地味だぞ」
 ハンスが口を挟めば、ラバルトはレティが抜いてしまった主語を理解したようだった。
「地味で悪かったな。イオニスより派手なんて団長くらいだろ」
 性格は結構地味なのに。地味というか、裏方向きというか。明るいか暗いかで言えば、間違いなく暗い方だ。
「イオニスさんすごいんだ」
「……ああ。あいつはすごいよ。聖騎士は今十六人いるが、五番目くらいに強いんじゃないか?」
 目を輝かせるレティに、ラバルトが目を細める。
「あいつは剣だけじゃなく、聖則も偏りなく使える。主に愛されてるよ」
「すごいね、姉さん」
「え……ええ。そうね」
 最近の情けない姿ばかり思い浮かんで反応に困る。
「神の加護は、ろくでもない役目と引き換えだ。仕事の報酬と同じ。それを愛なんてよく呼べるな」
「不敬だぞ」
 ハンスの野次をラバルトは厳しい声で咎めるが、そのくらいでハンスが反省するわけもない。
 レティが手にしていた焼き菓子をそっと皿へ置いた。そして神妙な顔で告げる。
「ごめんなさいラバルトさん。ハンスは反抗期だから」
「っぶ!」
 レティとしては大真面目な弁明だったのだろうが、ラバルトは今度こそ噴き出した。
「っ……そうか。反抗期じゃあ、仕方ねえな」
 声を絞り出すラバルト。
 ハンスはラバルトを一度睨んだ後、すっと表情を和らげてレティを見た。
「そんな言葉を知ってるなんて、賢いなレティ」
「へへぇ、テオが教えてくれて――あ」
 しまったという顔をするレティ。さては口止めされていたな?
「あの野郎か……」
 ハンスは一転して忌々しげに吐き捨てた。
 俺はそれとなく向けられたラバルトの視線に応える。
「私達の幼なじみです」
 テオはリタの旦那だが、レティとリタがそうであるように、レティとテオも幼なじみの間柄で仲がいい。
 俺も一応は幼なじみの枠組みに入るものの、真っ直ぐ突っ込んでいく下の子二人と違って一歩引いて接してきたせいだろう、俺とテオは少し距離があるように思う。
「沼に沈めてやる……ッ」
「わああ駄目だって!」
 自分より付き合いの長い幼なじみ、ましてや親しい異性なんて受け入れがたかったらしく、ハンスはテオへの当たりがかなりきつい。
 せめてもの救いはテオがあまり気にしていないことだった。しかし、そうか。反抗期と捉えていたのか。
 ……ハンスはもう三十歳なのだが、いくつになったら終わるのかなあ?

「今日の夕飯は何がいいかしら?」
 茶を飲み終え、夕飯の準備に取りかかる。
「久しぶりにマモフフ食べたいな」
 このあたりでは代表的な郷土料理だし、客へ振る舞うには丁度いいか。でも今から皮と具を作り、さらに包んでスープ作りとなれば時間がかかりすぎる。しかも大方の下ごしらえを任せられるハンスは、茶を飲み終えたラバルトに連れて行かれてしまい今はいない。
「……手伝ってくれる?」
「うん! ラバルトさんいっぱい食べそうだよね。頑張っていっぱい包むよ!」
 レティがむんと気合いを入れた直後――突如、轟音が鳴り響いた。
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