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第一話 集まり始める金魚たち(一)

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「うわあああ!」
「うおお!?」
「……あれ? 隆志?」
「アキ! おま、もうちょい穏やかな目覚めで頼むよ」

 石動《いするぎ》秋葉《あきは》は叫びながら飛び起きた。寝ている秋葉を覗き込んでいたのか、友人の江藤隆志は動悸を収めるように胸に手を当て飛び退いた。
 秋葉は状況が分からずきょろきょろと首を回すと、そこは大学の医務室のようだった。

「俺また倒れた?」
「そうだよ。だから帽子被れっての、貧血持ち」
「あはは……」
「まだ先生いないんだと。医務室無人てどうなのよ」

 額には冷却シートが貼られ、サイドテーブルにはスポーツドリンクが置いてある。
 秋葉が倒れるのはこれが初めてではない。一年生のころは数えるほどだったが二年生になってからは月に一、二度という頻度だ。
 夏ということもあり暑さによる貧血だと思われているようだが、実際はそうではない。

(倒れるのと金魚になる夢がワンセットになってる……)

 隆志に気付かれないようにそっと下半身に手を伸ばすと、そこにはまだ人間の脚があった。
 今までは悪夢を見るだけだったが、ここ最近は夢を見る前に倒れるようになっている。それも何の前触れもなくぷつりと意識が途切れるのだ。貧血のように血の気が引くようなことがあれば対処のしようもあるのだがそれもできない。
 倒れた理由を聞かれても説明はできないので、暑さのせいだと誤魔化すためにあえて帽子をかぶらずにいる。
 冬になったらどうしようなどと考えてため息を吐いていると、隆志が気遣って団扇で扇いでくれた。

「やっぱ今日は無理かな」
「何かあるの?」
「御縁《みえにし》神社の夏祭り。参加してくれないか頼まれてんだよ」
「頼まれて? 神社の人に?」
「ううん。日舞サークル。浴衣の貸出始めたのに全然気付かれないからサクラやってくれって」

 隆志は一枚のチラシを見せてくれた。大きな提灯のイラストを背景に、見目の整った男子生徒が浴衣のモデルをしていて何ともアンバランスだ。
 チラシには大きく『浴衣レンタル一日五百円』と書かれている。

「サクラもお金は払うの?」
「そ。でもちょっと付き合いあるからやってやろうかなと思って。お祭りもまあ楽しいし」
「お祭りかあ。いいよ。行きたい」
「そう? 大丈夫?」
「平気平気。御縁神社って初めてだし」
「じゃあ決ーまり。あ、帽子被れよお前」
「分かった分かった。持ってないけど分かった」
「こんにゃろ」

 秋葉の大学生活は平和でごくごくありふれたものだった。授業を受け友人と遊び――……その繰り返しだ。
 金魚の悪夢に心を蝕まれる日々に終わりは来ないが、こうしている時はそれも忘れられた。
 隆志に連れられ日舞サークルへ行くと思いのほか生徒が集まっていた。サクラ必要ないじゃんと隆志は口を尖らせたが、それは無駄なことをさせられたことへの不服ではなく浴衣をすぐに着られないことに対してのようだった。
 夏祭りに浴衣というのは日常のようで非日常だ。目を奪われるもののある状況は悪夢を忘れられる。
 秋葉は黒地に縞の浴衣と献上柄の白い角帯、隆志はもっと派手な柄が良かったと言いながら濃紺の浴衣と同じく献上柄の黒い帯を着付けてもらった。
 まだ夕方に差し掛かったばかりで少し早いかと思われたが、隆志は見せたいものがあると言い早々に御縁神社へと向かうことにした。

*

 ここは秋葉の地元ではない。大学に入ってから引っ越してきたので、この付近の行事にはあまり詳しくはなかった。そのため隆志や友人はあちらこちらを紹介してくれる。
 今回も「見せたいものがある」「初見は絶対驚く」と含み笑いをしていたが、実を言えば少し困ってもいた。
 金魚が幽霊の類ならば神社や墓場には多いのではと考えている。実際そうかというとそうではないのだが、何となく近付かないようにしている。御縁神社に来たことがないのもそのせいだった。
 けれど、ここまで隆志が楽しそうにするのならさぞ地元の自慢となるものなのだろう。それに友人と遊べるのは楽しい。金魚なんて無視すればそれでいいと振り切って、着なれない浴衣と初めてのお祭りに胸を躍らせた。
 しかし案内された先にあったものは秋葉の脚を震え上がらせた。

「これ……」
「凄いだろ! 御縁神社ご自慢の大水槽!」

 そこにあったのは数えきれないほどの水槽だった。
 水槽群はぐるりと人間を見下ろすように取り囲んでいるが、その全てに金魚が入れられている。
 形状は立方体や円柱など様々だ。並びは子供が適当に積んだ積み木のようで、だがおそらく計算し尽くされた配置は美術館のように美しい。
 水槽の水には敷地内を彩る赤い提灯の光が差し込み、それを反射する金魚はまるで宝石のようだ。
 昼から夜へと移り行く空の色が透ける水槽群の美しさに人々は感嘆の声を上げているが、秋葉の脚はがくがくと震え出していた。

「……何で金魚なの」
「さあ。そういう演出?」
「そう、なんだ……」
「んで! もう一個名物あんだよ! こっちこっち!」

 秋葉は数多の金魚に圧倒され動けずにいたが、隆志が肩を組んで進行方向をぐるんと変えた。
 この自由奔放な強引さに振り回されることも多いが、今はその強さが頼もしい。秋葉は隆志の腕にしがみ付き、逃げるように水槽群を後にした。
 隆志が向かったのは屋台が立ち並ぶ大通りだった。綿飴やりんご飴など、お祭りでしか見ない屋台に目移りした。
 しかし隆志は名物とやらに向かってずんずんと進んでいく。

「いたいた! あそこ!」
「何あれ。名物屋台?」
「屋台っつーか、店のオッサンの方!」
「オッサン?」

 隆志の指差したのは一つの屋台だった。
 そこはなんの屋台だか分からないほど人が群がっているが、おそらく女性向けの店だろう。何しろ客は全て女性だ。十代の若い少女もいれば子供連れの母親もいて、きゃあきゃあと黄色い声が飛び交っている。

「おー、毎年恒例」
「何屋?」
「お! 気になっちゃった!」
「ならないでか」
「ははっ! よし! 行くぞ!」
「え? あの中に?」
「直に見なきゃ駄目なんだって!」
「わ、分かった分かった」

 女性ばかりの中に遠慮なく突っ込んでいく隆志に手を引かれ、人を掻き分け秋葉はぽんっと最前列へ顔を出した。
 視界に飛び込んできたのは黒地に色鮮やかな菊水が描かれた女性用の着物だった。しかし袖は通されておらず肩にかけて羽織られているだけだ。服はワイシャツに黒いベスト、ノータックで細身の黒いパンツを履いている。
 男だ。女性用の着物を羽織っているのは男だった。
 どういうつもりの服装か分からずちらりと顔を見ると、女性が歓声を上げている理由がすぐに分かった。
 隆志がオッサンと呼んだその男は同性でも目を奪われるほどの美貌だった。イケメンというよりは美人、格好良いというよりは綺麗。だが女に見えるわけではなく、しかし男と断定するには迷う。なんとも形容しがたいその美しさに秋葉は思わず息を呑んだ。
 肩につかない程度に長い髪をハーフアップにするという現代風の髪型だが、しかしとろりとした薄墨色をしているからか上品に見える。
 順番を守らず登場した秋葉に男は一瞬きょとんとしたが、たおやかに微笑むと白く細長い指で秋葉の頬を撫でた。

「ようこそ金魚屋へ。君が来るのを待っていたよ」
「……え?」
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