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episode23-2

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 それはアンドロイド開発専門誌と女性向け週刊誌で、日付は五十年ばかり前の物だった。

「久世大河議員と藤堂裕子博士電撃結婚……そっか。藤堂って旧姓ですね」 
「そう。おそらくあの家は実家で小夜子は母親か身内だろう」
「そうだったんだ。でも、あの豪邸生活をよくコラムの収入で賄ってますね。コラムってそんなにお金になるんですか?」
「まさか。生活費に色がつく程度だ。他に何か収入があるはずだ。たとえばマンションの家賃とか」
「あ、それで家賃の入金先が――……」

 美咲ははたと不思議に思い首を傾げた。
 何故追い出した妻の実家に入金をするのだろうか。
 誰を入金先にしようがそれは自由だが、それでも追い出した人間にプレゼントなどしないだろう。
 おかしい、と思い漆原を見るとやはり漆原は笑っていた。

「あのマンション、二十年前急にアンドロイド対応に改修されましたね」
 漆原はまた鞄から何かを取り出した。
 一体どれだけ何を用意してるんだと呆れるような感心するような、複雑な感情で漆原の手元を覗き込む。

「古い写真ですね。どこですか、これ」
「お前のマンションだよ」
「え!? これ!? 嘘、全然違う……ていうかどうやって調べたんですか? どこから持って来たんです、この写真」
「商店街の片隅で創業百年を迎えた煙草屋のばあちゃんに借りた」

 どこだよ、と美咲は思わず呟いた。
 近所に住んでいる美咲だって知らないのに、よくも見つけて来たものだと呆れつつも感心した。
 わざわざ写真という物証を用意して逃げ道を無くすやり口は詐欺師さながらだ。

「木造からアンドロイド対応なんて相当の費用が掛かるはずです。この改修を決めたのはお母様ですか?」
「いいえ~。お義父様が良い収入になるからやるぞ~! って」
「収入ですか……」

 ふうん、と漆原はわざとらしく驚いたような顔をして見せた。
 そしてまたわざとらしく、それは妙だな、と首を傾げて美咲の父を見た。

「あのマンションの改築手配もお母様が?」
「いいえ~。お父さんの会社よね~」
「ああ。当時はアンドロイド対応マンションを拡大するプロジェクトもあったからそのサンプルも兼ねて」
「これは私よりお父様にご解説頂いた方がよさそうですね。対人マンションを取り壊してアンドロイド対応に改築すると儲かるんですか?」
「いや、黒字になるまでに三十年はかかります。アンドロイド対応マンションは色々とリスクが多くて推奨してません」
「そうですよね。じゃあ久世、小テスト。一般家庭のアンドロイド所有率と購入者はどんな人間だ?」
「え!? えっと、三十パーセント未満。その九割が別荘を複数持つような富裕層が占めている」
「正解。つまり異常な金持ちがほとんどなんですよ。借りるくらいなら専用の部屋を作るし、実際その需要に応える開発はオーダーメイド部門で年間売上の七割を占める。確か北條はこれと提携を考えていた記憶がありますが」
「よくご存知ですね。普通のマンションを新築する方がよっぽど利益が良いので自社開発はしません。それにアンドロイド対応は維持費が高いから販管費で赤なんですよ」
「え!? じゃああのマンションって建ってるだけで借金てことですか!?」
「そういうこと。でも目先の収入にはなるだろ。赤字を負担するのは経営者だ」

 祖父は鬱陶しそうな顔で舌打ちをした。
 美咲は祖父の怒りが爆発するのではとハラハラする事もなく、言い包められる様子を哀れに思うだけだった。

「アンドロイド前提のマンションは少ない。どのくらいあると思う? はい、久世」
「え!? し、知らない! お父さんどれくらい!?」
「日本全国で十九棟、都内は四棟だ。ただ企業が事前に入居契約してくれてる場合がほとんどだな」
「そんな少ないの? 何でお祖父ちゃんそんな物作ったの。あ、計算できなかった?」
「アンドロイドのコストカットは国会の議題にもなるのに元議員が知らないわけあるか。この人には赤字を背負ってでもやりたい理由があったんだ」

 祖父は何を言っても無駄だと悟ったのか、そうでしょう、と言う漆原の呼びかけには答えなかった。けれど否定もしない。
 漆原はコンコンッとノートパソコンをノックするように叩いて祖父の目を惹きつける。

「あのマンションは裕子さんのための物ですね」
「それは、何でそうなるんですか」

 聞き返したのは美咲の父だった。
 美咲にとって祖母は全く知らない人間だったが、父にとっては母親だ。誰よりも真相を知りたいのはきっと父なのだ。
 美咲は漆原が答えをくれるのを大人しく待った。

「久世。もし彼女が藤堂の家を手放さなければならなくなったらどうすると思う?」
「……アンドロイド入居可の家を探す?」
「そうだな。けどそれは国内で十九棟しかない。しかも久世の家に脚を運ぶなら都内から離れたくはないだろう。となると四棟に絞られるが、豪邸を手放さざるをえなくなった高齢者を高額家賃のマンションが受け入れるかどうか。お父様如何でしょう」
「無理です。あれは保証人も最低二人必要ですし」

 アンドロイドはアンドロイドを使わない人間に嫌がられる傾向にある。
 それはアンドロイド依存症のような病気のせいではなく、建物を傷つけるからだ。柔らかい石や金属なら少しつまずいただけで傷がつく。それが自立してるならまだしも、力のない情勢が一人で抱えて歩くなどできるわけが無い。できたとしても、想像しやすいのは転んで傷を付ける様子だ。自分のマンションを傷つける可能性の高い入居者を歓迎はしないだろう。さらに修繕費を払えるかどうかも怪しいとなれば、受け入れる人間はいないだろう。
 しかも高齢者のアンドロイド持ちは高確率でアンドロイド依存症だ。つまり、アンドロイド所有者本人には何の謂れも責任も無く周囲が嫌がるのだ。

「もう一つ俺が気になったのは管理人がご子息ではなくその嫁という点です。お母様は裕子さんと面識がおありですか?」
「ないです~。亡くなったって聞いてましたし~」
「旧姓が藤堂だった事は?」
「初耳です~」
「ではお母様が管理人であれば、裕子さんがあのマンションに帰って来ても久世家にバレる可能性は低いですね」
「だったら何だと言うんだ!!」

 ここまで黙っていた祖父が、ガンッと机を叩いて叫び声をあげながら立ち上がった。
 ふうふうと呼吸を荒くする姿はいつになく焦っていて、美咲も両親も固まってしまう。
 けれど漆原はけろりとしていて、それどころかにっこりと微笑む始末だ。

「何もありません。ただあのマンションさえあれば裕子さんは収入に困らず、実家が無くなってもアンドロイドと生活でき、かつあなたは奥様の状況を把握できる状態が整っているなと思います。他意はありませんよ」

 何て嫌な男だ、と美咲は思った。
 言っている事は分かるが、それにしても単純にイライラするやり方だ。まるで子供の様に手のひらで転がされ、高みから見下ろされているような気分だ。見ている美咲がそう思うのだから言われている本人はもっとイラつくだろう。
 しかし祖父はいつものように力づくでやり返したり理不尽に言い返す事もできないほど漆原の言葉に揺さぶられていた。
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