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第一章 獣人隠里

第二十五話 解放と進化

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 目を開けると腕の中に立珂がいた。立珂はぷうぷう寝息を立てているけれど、寝ているとは思えないほど強い力で抱きしめてくれている。
 何が起きているのか分からずゆっくりと身体を起こす。

「……立珂? どうしたんだ?」
「んにゃあ~……う? あ! 薄珂起きた! 三日も経ったんだよ! よかった。よかったよお」
「三日? 何から?」
「う? 覚えてないの? 金剛捕まえた後にきぃーってなっちゃったんだよ」

 金剛が捕まってからの記憶がなかったが、言われるとじわりじわりと記憶がよみがえってきた。
 立珂が血だらけで、その血の温もりに意識を奪われていたのだ。薄珂はようやく記憶が鮮明になり頭を抱えた。

「立珂、立珂を、俺が立珂を!」
「薄珂! 大丈夫だよ! 大したこと無かったんだ。もうほとんど治ってるの」

 立珂にぎゅうっと抱きしめられると里へ辿り着いた時のことを思い出す。
 あの時も薄珂の爪が立珂に食い込み立珂の身体から血が流れていた。守ろうとした後はいつも立珂を傷つけている。

「ごめんね。また僕のせいで」
「立珂は悪くない! 俺がおかしいせいで立珂が!」
「おかしくないわよ。猛禽獣人はみんな意識を制御するのが難しいのよ」

 包み込むように抱きしめてくれたのは白那だった。穏やかな微笑みはいつも通りで、その後ろでは慶真も微笑んでいる。

「薄珂ちゃんの年頃は獣化制御が大変なのよ。成長期だから」
「成長期、って何……?」
「体が変わってる最中ってことよ。慶都もそうよ。朝起こすと私のこと食べようとするの」
「寝ぼけると周りの人を噛むんです。見てたでしょう?」

 慶真は自分の手をひらひらと振って見せた。
 そこにはくっきりと歯形が付いている。立珂と昼寝をしていた時に腸詰と叫んで慶真の手に齧り付いた痕だ。

「これは本能です。肉食獣人もですが、肉を食べたいという本能がある。無意識になると本能に従ってしまうんですよ」

 薄珂は体から力が抜け、頭を掻きむしっていた腕をぽとりと落とした。
 すかさず立珂はその腕にしがみついてぐりぐりと頬を摺り寄せてくれる。

「薄珂はもう一つ理由があるだろうな。お前立珂の羽根を呑み込んだことはないか」
「ある。部屋中に舞ってるし」
「それだ。原因は解明されていないが、有翼人の羽根を過剰摂取すると獣人に何かしらの影響を与えるんだ」
「羽根麻薬とかいうやつ?」
「そうそう。お前は常用してるようなものだからそれだろう。対策として希望する全獣人に無料で獣化安定予防接種を提供してる」
「予防接種って」

 それはつい最近も聞いた言葉だ。里で偽の有翼人売買証明書を見つける時にやっていた大掃除は予防接種のためだった。

「有翼人迫害が迫害される理由の一つがこれだ。健康被害」
「でも蛍宮は予防接種があるから迫害もありません」
「じゃあ俺がおかしくなるのは」
「よくある獣化異常だ。こんなの鳥獣人には一般的な知識だぞ」

 天藍は本を一冊差し出してきた。表題は『獣人医療基礎知識』と書いてある。
 ぱらりと捲るとどれも簡単な文字で薄珂でも読めた。内容は獣人がやらなければいけないこと、生活上注意することなどが書いてある。しかし絵が多いので分かりやすく明らかに子供向けの本だった。そこには鳥獣人が人に噛みつく絵が描いてあった。

「無知は恐ろしいだろう」
「……うん。これ借りて良い?」
「やるよ。それにお前達は有翼人についても学ばなきゃならんだろ」
「本があるの!?」
「無い。だから直接教えて貰おう」

 天藍はにやりと笑って扉の方を見た。いつからいたのか、そこには老齢の小柄な男性がちょこんと座っていた。
 見る限りは特徴は無いが、気になるのは背だ。ほんの少し盛り上がっていて、中に何か詰め込んでいるようだった。
 天藍がぺこりと軽く頭を下げると、老人はにこりと微笑み薄珂と立珂の傍までやって来た。見るからに人が良さそうだが、ふんふんと立珂の羽をじろじろと見ていて思わず薄珂は立珂を抱き寄せる。

「何? 何してんの? あんた誰?」
「おお、こりゃすまんね」
「薄珂、立珂。こちらは芳明先生。有翼人専門医だ」
「「え!?」」
「ほっほっほ」

 薄珂と立珂はぐりんと孔雀を見ると、孔雀は嬉しそうに微笑み大きく頷いた。

「私がお会いしたのが芳明先生です。羽を小さくして下さると」
「これほど見事だと惜しい気もするね」
「惜しくない! どうしたらいいの!? 僕がんばるから教えて!」
「ほ? 頑張ることなんかありゃせんよ。ちょっと失礼」

 芳明は立珂の羽にずぼっと手を突っ込むと、わさわさと掻き分け何かを探しているようだった。なかなか見つからないようで、ちょいとごめんよ、と自分まで羽に入ってしまう。

「お、おじいちゃん。大丈夫?」
「おお、あったあった。ふんっ」
「ふやぁぁぁ!」
「立珂!? りっ、わ、わあ!」

 芳明が何かしたようで、立珂は叫んで薄珂にしがみ付いた。震える立珂を抱きとめたが、しかし薄珂の目線は立珂の羽に釘付けになっていた。

「んにゃ~。ぞわぞわするぅ」
「立珂。見てみろ。足元。床」
「ん、なんかこちょこちょする……う!?」

 薄珂と立珂は一緒に床を見た。そこは一面立珂の羽根だったが背中に生えている物では無い。背中からごっそり抜け落ちた羽根だった。
 訳の分からないその状況に、立珂は目を丸くして首を傾げた。

「僕どっかおかしいの?」
「普通だよ。有翼人の羽は一本が連なってるんだね。大元を抜けば一斉に抜ける」
「これが普通なの!? こんな抜けたのに!?」
「普通だね。大きくなる前に間引くもんだが、親が有翼人じゃないと知らん子が多い。これは誰かがやってやらんといけないね」
「俺やる! 教えて! どうすればいいの!?」
「そんな気合入れるこっちゃないよ。付け根を触ってごらん。ぷっくりしてるとこがある」

 薄珂は芳明と同じように立珂の羽に腕を突っ込み掻き分けた。根元の辺りを擦ると、くすぐったいのか立珂は身をよじった。じゃれるようにしながら探すと、薄珂の指先がぷくりとした物に辿り着いた。

「あ、あった。ぽこぽこしたのが並んでる。これ?」
「そうそう。そこのを抜く。抜いてみい」
「まってー! またぞわぞわする!?」
「するね。お前さん随分ため込んでるから」
「んにゃ~……」
「抜くぞ、立珂。ちょっとだけ我慢しろよ」

 立珂はぐっと身構えて、薄珂は一枚引き抜いた。すると羽根は一列ずるんと抜け落ち、立珂の足元はさらに羽根が積み上がる。

「んにゃー! にゅるにゅるする! ぞわぞわする!」
「我慢せえ。歩けない方が困るだろうに」
「う!」

 言われて立珂はしゃきっと背を伸ばし。ぐっと拳を握りした。

「薄珂抜いて! どんどん抜いて!」
「ああ! 芳明先生。どのくらい抜けばいいの?」
「好きなだけ。抜けるとこ全部抜いたら儂くらいになるよ」
「でも血液みたいに無くなりすぎると困るんじゃないの?」
「それは嘘だ」
「は? 失血死とか言ってたじゃないか」
「しょうがないだろ。抜き放題なんて密売し放題だ。ああ言っとけば抜かないだろ?」
「それに抜くとまた生やすのが大変だ。売るなら多めに残した方が良いね」
「んにゃっ! 腸詰買う! お洒落する! 専門店行く!」
「とりあえず歩ける程度にしようか。下から抜いた方がいいかな」
「全体的にしんしゃい。下だけ抜いたら上に重心が偏り歩きにくい」
「じゃあ二段重なってるところを抜くのがいい?」
「そうそう。形が変わらないように抜くと美人さんのまんまだ」
「美人? あ、そっか。立珂が可愛くなるようにすればいいんだ。なら簡単だ」

 重心だの偏りだのは分からないが立珂の可愛さは分かるし、立珂がどこの羽を鬱陶しいと感じていたかもずっと見てきた。
 立珂は脇に羽根先が触れるのを嫌う。夏は脇辺りに出ている羽根を持ち上げて羽の上で無理くり結っている。
 できるだけ立珂の身体に触れないように、ぴょんぴょんと四方八方に跳ねる羽根先が無くなるように抜く場所を選んでいく。
 しばらく羽の中に埋まってごそごそ探ると、立珂の脇をくすぐる羽根の大本を捕まえた。

「立珂、抜いていくからぎゅってしてるんだぞ」
「ぎゅー! 慶都こっち来て! 捕まらせて!」
「いいぞ! ぎゅーってしてくれ!」

 なんだか面白くない会話が聞こえてきたが、薄珂は目当ての羽根を引き抜いた。抜く度に立珂は震えて悲鳴をあげ、ぎゅうぎゅうと慶都にしがみ付いている。
 そうして騒ぎながら一頻り抜き終わると、立珂は目を真ん丸に開き口も真ん丸に大きく開けている。

「かるーい! こちょこちょしなーい!」
「ちょっと立ってみろ。長さ見たい」
「うん!」

 立珂は慶真に支えられ立ち上がろうとしたが、こけっとつんのめった。それも予想していたのか慶真はぽすんと立珂を抱き留めてくれる。

「今までほど力を入れなくても立てますよ」
「……立つのってこんな簡単なんだね。でも足ぐらぐらする」
「座りっぱなしなら歩く筋肉が無いんだろうね。これからは歩く練習せんといかんね」
「そうだね。大丈夫だぞ立珂。俺が」
「俺が歩き方教えてやる!」
「えっ」

 薄珂と立珂の間に入ってきたのは慶都だ。立珂も喜んで抱き着いてしまい、一瞬にして立珂を奪われた薄珂の手は行き場を失った。
 大人たちは面白そうに小さく笑い、天藍はぽんぽんと薄珂の頭を叩いた。

「取られたな」
「俺、俺が立珂の世話する……一緒に歩く……」
「そろそろ弟離れの時期ですねえ」
「嫌だ! 立珂は俺の立珂だ! 立珂を返せ!」

 薄珂は大人げなく慶都から立珂を奪い返して慶都を威嚇した。けれど慶都も譲らず立珂に抱きついて、当の立珂はきゃっきゃと笑っている。今度はその笑顔をどちらが一人占めするかの争いになった。
 この争いはなかなか終結を見せず、結局幼い慶都の体力が先に尽きて眠ったことでやっと幕を引いたのだった。
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