上 下
22 / 356
第一章 獣人隠里

第十八話 裏切り

しおりを挟む
 診療所に着くと金剛と天藍もいて、孔雀と三人がかりで家具を外に出しているようだった。大掃除というよりも引っ越し作業にも見えるほどだ。薄珂は邪魔にならない辺りで車椅子を止めると、孔雀がこちらに気付いてにこりと微笑んだ。

「おはようございます。荷物が多いので気を付けて下さい」
「おはよう。急にどうしたの?」
「予防接種をするので清潔な場所を作ろうと思いまして」
「「よぼーせっしゅ?」」
「これでお薬を打つんですよ」

 聞いたことのない言葉に薄珂と立珂は首を傾げた。孔雀はくすっと笑うと、横に置いてあった机の上から箱を手に取り蓋を開けた。その中には医療器具が入っているようだったが、中身を見て立珂はぴょっと震えあがり薄珂にしがみ付いた。それは硝子の筒で先端には針が付いている。一見すれば武器のようにも見えた。

「人間の開発した器具で注射器といいます。腕に刺してお薬を入れるんです。でもこれは獣人用なので二人は必要ないですよ」
「……獣人が打たないとどうなるの?」
「打たないとどうというより、打てば病気にかかりにくくなるんです。打てば安心ですが打たなくても大丈夫、というところですね」
「じゃあ獣人以外が打ったらどうなるの?」
「拒否反応が出ます。身体が異物を排除しようとするので嘔吐や腹痛があるでしょう」

 薄珂はじっと注射器を観察した。獣人用なら薄珂も接種対象だ。だが正体を隠しているから立候補はできない。

(孔雀先生にも公佗児だって教えた方が良いかも。獣人に駄目な治療されたら困る)

 思っていた以上の話に薄珂は考え込み、つられて立珂もしょんぼりとしてしまった。怯えさせたと思ったのか、孔雀はそっと頭を撫でてくれる。

「危ないので鍵をかけてしまっておきます。大丈夫ですからね」
「んにゃ……」

 薄珂は苦笑いで返してしまったが、後ろでがしゃんと大きな音がした。見ると金剛と天藍が二人がかりで木箱を持っていたが、天藍がそれを落としてしまったようだった。

「しっかり持たんか。だらしのない」
「象と一緒にすんなよ筋肉馬鹿……」

 どれほど作業をしていたのか、天藍は汗だくで荒い呼吸を続けている。象の腕力を使える金剛と兎の天藍では力の差が歴然だ。天藍はこれ以上は言い返す余力もないようで座り込んだ。

「お前ら暇なら手伝ってくれよ。こんな綺麗な面して部屋はごみ溜めだぞ、この先生」
「よ、余計なことを教えないで下さい。そうだ。綿紗を小さく切ってくれませんか? 予防接種の準備が遅れていて」
「やる! ちょきちょきするの好きだよ!」
「おい。荷運びを手伝わせろ」
「子供に無茶をさせないで下さい。さ、残りをやりましょう」
「一番非力なあんたが仕切るなよ」
「兎も非力だろう」
「象は黙れ」

 天藍はぶつぶつ言いながらも荷運びに戻って行った。金剛は汗一つかかずに動き続け、孔雀は紙袋など軽い物を運んでいる。滅多に見ない大人達のやり合いは新鮮でのんきに眺めていると、薄珂は足元に置いてあった大きな鞄に足を取られて危うく転びかけてしまう。

「薄珂! 大丈夫!?」
「大丈夫。それより何か蹴った」

 薄珂がつまずいたのはやけに頑丈そうな革の鞄だった。縫製も精巧で、明らかに人間の高度な技術で作られた物だと一目でわかった。

「天藍の鞄だね」
「しまった。壊れてな――あれ?」

 鞄の無事を確かめようと手を伸ばしたが、薄珂はその手をぴたりと止めた。
 鞄の隙間から何かが飛び出ている。それも純白に輝く白い毛だ。これが何なのか、薄珂が見間違うはずもない。

(立珂の羽根だ……)

 薄珂は鞄を開けると、そこにはぎっしりと立珂の羽根が詰め込まれていた。
 立珂の羽根は日に数十枚は抜ける。たくさんあっても不思議ではない。だが今まで全て金剛が燃やしてくれていたし、枕にし始めてからはここまで溜まることはほぼない。それでも少なからず余り、それは溶かしてもらうために孔雀へ渡している。跡形も無くなっているはずだ。
 けれど鞄には抜けたままの羽根が詰め込まれている。不思議に思い羽根を掻き分けると、薄珂の指がつんっと何かに触れた。それは紙の束だった。何枚かの書類が束ねられていて、よく見れば以前立珂が作った枕も入っている。
 薄珂は不安に駆られて書類を見たがまだ読めない文字ばかりだった。内容は全く理解できないけれど、一つだけ分かった文字があった。

(有翼人売買証明書!?)

 書類の表題には有翼人を売買することを意味する言葉と、その下には天藍の名前が記されていた。薄珂は慌てて全ての書類の内容を見た。やはり読めない文字ばかりだが、分かる物もあった。それは長老から優先的に習った有翼人にまつわる単語と数字だ。

(採取元立珂。総買取額金二!?)

 書類数枚に渡り羽根の価格に関することと、どの商品がいくらかという内容が記されているのだと分かった。細かな内容までは分からないが、契約主が天藍である事は確実に分かった。

(何だ。何だこれ。これまるで立珂の羽根を売ったみたいじゃないか)

 混乱し訳が分からなくなっていると、転んだ音を聞きつけて金剛と天藍がやって来た。

「凄い音したぞ。大丈夫か――っと、どうした。こんな一気に抜けたのか?」
「ぬ、ぬけてない。これは、その、天藍の鞄から……」
「俺の――!」

 薄珂と立珂がゆっくり天藍を見ると、天藍がしまった、という顔をしているのが見えた。薄珂は咄嗟に立珂を抱き上げ後ずさりして距離を取る。

「天藍、立珂の羽根売ったの?」
「それは……」

 薄珂の言葉を否定しない天藍を恐れたのか、立珂は震える手で薄珂にしがみ付いている。薄珂は全身を守るようにしっかりと抱きしめたが、守るように立ちはだかったのは金剛だ。

「そうか! 羽根を溶かすと言い出したのはこのためか! 自分が独占するために!」

 天藍は何も答えなかった。ただぎろりと睨み付け、何を企んでいるのかちらりと立珂に目をやった。薄珂は立珂の頭を隠すように抱えるが、硬直する空気に割って入ったのは孔雀だ。

「どうしたんです?」
「先生! あんた溶かしたんじゃないのか!」
「え?」

 金剛が指差した先にある天藍の鞄と立珂の羽根を見て、孔雀はぎょっとして目を見張った。慌てた様子で天藍を見ると、孔雀は舌打ちをして金剛を睨むと何故か天藍の隣に立った。

「先生……?」

 天藍と孔雀は何も言わなかった。ただ睨み付けじりじりと後ずさりをしているが、金剛はどすんと大きく足踏みをした。足は象のそれになり、今にも二人を踏みつぶさんとしている。天藍は目を細め悔しそうに唇を噛んだ。

「……象相手は分が悪いな」
「天藍……!」
「やはりか! 薄珂と立珂は里の子だ。お前たちの好きにはさせん! 敵だ! 捕まえろ!」

 金剛の足音で集まったのか、掛け声と同時に自警団がざざっと姿を現した。数名は武器を持ち、数名は獣化し獅子の姿になっていく。敵とみなしたら自警団は躊躇しない。
 天藍は腰に下げていた短刀を抜いたがその前には獅子が立ちはだかる。

「商人は商品を守る。肉食獣人との戦闘だって想定してるさ」
「そうだろうな。だがそれはお前の話だろう」

 金剛が自警団員に目で合図すると、一匹の獅子が孔雀に飛び掛かった。武器を持たない人間が相対するにはその牙と爪はあまりにも恐ろしいだろう。

「ぐっ!」
「孔雀!」

 孔雀は抵抗すらできずあっさりと捕らえられ天藍は明らかに焦った。その素早さと爪の鋭さは薄珂も背筋が震え、立珂に見せないようにしっかりと頭を抱え込んだ。その思いは同じなのか、金剛が両手を広げ天藍と孔雀の姿を薄珂の視界から隠してくれる。

「そいつらを縛り上げろ! 俺は薄珂と立珂を慶真の所へ連れて行く! 薄珂来い!」
「うん! 立珂! ぎゅーしてるんだぞ!」

 立珂は震えながら小さく頷き、震える手で薄珂にしがみ付いている。けれどそれはとても弱々しい。金剛は車椅子をひょいと拾うと、安心させるように立珂を撫でてくれた。
 家に戻ると慶真と慶都も帰って来ていた。慶都は震える立珂に駆け寄り抱きしめてくれて、金剛は怒り顕わに経緯を語った。

「天藍さんと孔雀先生が? 本当ですか?」
「ああ。警備を固める。お前は薄珂と立珂を守ってくれ。奴らのことはもう信用するな!」
「……分かりました。二人とも休みましょう」
「うん……」

 慶真に連れられて自室に戻ったが、立珂はやはり震えて離れようとしなかった。頭を撫で続けたが、それ以上どうしたら良いか分からないほどに混乱していた。

(何で天藍と孔雀先生が……)

 信じ始めていた孔雀と未来の可能性を広げてくれた天藍。二人はいつも優しくて立珂を可愛がってもくれた。とても楽しい日々が続いていた。それが一変した状況はそう簡単に飲み込めるものではなかった。
 それが伝わったのか、慶真は優しく背を撫でてくれる。

「今日は休みましょう。私も話を聞いてみますから」
「……金剛は信用しちゃ駄目だって」
「団長は二人を可愛がってますからね。でも誰を信じるかは自分で決めないといけない」
「俺は……」

 薄珂はその場で答えることはできなかった。慶真は苦笑いを浮かべると薄珂と立珂を横にして布団をかけてくれた。とんとんと優しく叩き続けてくれて、いつしか薄珂は現実から逃れるように目を瞑った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大きくなったら結婚しようと誓った幼馴染が幸せな家庭を築いていた

黒うさぎ
恋愛
「おおきくなったら、ぼくとけっこんしよう!」 幼い頃にした彼との約束。私は彼に相応しい強く、優しい女性になるために己を鍛え磨きぬいた。そして十六年たったある日。私は約束を果たそうと彼の家を訪れた。だが家の中から姿を現したのは、幼女とその母親らしき女性、そして優しく微笑む彼だった。 小説家になろう、カクヨム、ノベルアップ+にも投稿しています。

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

こういうのを書いてみたい(思案)

クマクマ
ファンタジー
設定だけ書いてみた

【完結】あなたの色に染める〜無色の私が聖女になるまで〜

白崎りか
恋愛
色なしのアリアには、従兄のギルベルトが全てだった。 「ギルベルト様は私の婚約者よ! 近づかないで。色なしのくせに!」 (お兄様の婚約者に嫌われてしまった。もう、お兄様には会えないの? 私はかわいそうな「妹」でしかないから) ギルベルトと距離を置こうとすると、彼は「一緒に暮らそう」と言いだした。 「婚約者に愛情などない。大切なのは、アリアだけだ」  色なしは魔力がないはずなのに、アリアは魔法が使えることが分かった。 糸を染める魔法だ。染めた糸で刺繍したハンカチは、不思議な力を持っていた。 「こんな魔法は初めてだ」 薔薇の迷路で出会った王子は、アリアに手を差し伸べる。 「今のままでいいの? これは君にとって良い機会だよ」 アリアは魔法の力で聖女になる。 ※小説家になろう様にも投稿しています。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした

今泉 香耶
恋愛
全37話。アメリア・ナーシェ・ヒルシュは子爵令嬢で、双子の妹だ。 ヒルシュ家には「双子が生まれれば片方は殺す」という習わしがあったもの、占い師の「その子はのちに金になるので生かしておいた方が良い」というアドバイスにより、離れに軟禁状態で飼い殺しにされていた。 子爵家であるが血統は国で唯一無二の歴史を誇るヒルシュ家。しかし、そのヒルシュ家の財力は衰えていた。 そんな折、姉のカミラがバルツァー侯爵であるアウグストから求婚をされ、身代わりに彼女が差し出される。 アウグストは商才に長けていたが先代の愛妾の息子で、人々にはその生まれを陰で笑われていた。 財力があるがゆえに近寄って来る女たちも多く、すっかり女嫌いになった彼は、金で「貴族の血統」を買おうと、ヒルシュ家に婚姻を迫ったのだ。 そんな彼の元に、カミラの代わりに差し出されたアメリアは……。 ※こちら、ベリーズカフェ様にも投稿しております。

噂好きのローレッタ

水谷繭
恋愛
公爵令嬢リディアの婚約者は、レフィオル王国の第一王子アデルバート殿下だ。しかし、彼はリディアに冷たく、最近は小動物のように愛らしい男爵令嬢フィオナのほうばかり気にかけている。 ついには殿下とフィオナがつき合っているのではないかという噂まで耳にしたリディアは、婚約解消を申し出ることに。しかし、アデルバートは全く納得していないようで……。 ※二部以降雰囲気が変わるので、ご注意ください。少し後味悪いかもしれません(主人公はハピエンです) ※小説家になろうにも掲載しています ◆表紙画像はGirly Dropさんからお借りしました (旧題:婚約者は愛らしい男爵令嬢さんのほうがお好きなようなので、婚約解消を申し出てみました)

処理中です...