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第一章 獣人隠里

第三話 立珂の目覚め

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 朝になり静かに窓を開けた。心地良い風が吹き込むと、何かが薄珂の口に入り込んだ。

「あ。また羽根食べた」

 室内には立珂の羽根から抜けた繊維が舞っている。ぴょいと口に入り込んでくることがあるのだが、立珂が新陳代謝してる証と思えば繊維の一本も愛しく感じる。
 間仕切りの無い部屋の中央に目をやると、立珂がぷうぷうと寝息を立てている。この小屋は元々倉庫だったとかで個室は無いが、立珂が常に見えるのでとても気に入っている。
 洗濯物を畳み終えて部屋の隅に置くと、窓を開けて立珂の傍に腰を下ろした。

「朝だぞ。そろそろ起きろ」

 窓から差し込む朝日を眩しそうにしていたが、立珂はゆっくりと瞼を開けた。

「おはよ~……」
「おはよう。汗かいてるな。水浴びと拭くだけ、どっちがいい?」
「拭くだけ~……」
「分かった。じゃあ布取るぞ」

 薄珂は立珂に巻き付いている布を摘まむ。
 立珂の服は腕を通す服ではない。ただの布を巻いているだけだ。羽があるので服を頭から被ることができないのだ。
 加えて一人で着替え――布を取り換える事もできない。布を巻こうとすると羽根を巻き込み、避けて巻こうとしても身体より大きな羽からは逃げられない。
 何をするにも羽に振り回され、真っ直ぐ座るだけでも一苦労なのだ。
 だが立珂の世話をできる事は薄珂にとって至福のひと時だ。寝ぼけ眼で身体を預けてくれる姿が可愛くてしかたがない。
 ぽやぽやしてる立珂を抱き起すと流れるようにきゅうっと抱き着いてくれる。これがとても嬉しくて、薄珂は思わず頬ずりで返す。

「寝起きの立珂も可愛いな。すぐ身体拭いてやるからちょっと待ってろ」

 薄珂は小屋から出てすぐ傍にある井戸で水を汲んで桶に注ぎ、それを持ってうきうきと立珂の傍に膝をついた。立珂の大きな羽を紐で結い、背を顕わにすると桶に手拭いを浸して絞る。

「拭くぞ。冷たいぞ~」
「んにゃ……」
「えいっ! 水攻撃だ!」
「んにゃっ! ちべたい!」

 まだぽやぽやしていた立珂の背にぺたりと布を当てた。立珂は水の冷たさに驚いて、ぴょっと跳ねるように震えた。

「もっかいだ! 水攻撃!」
「うひゃあ! 気持ちいい!」

 ようやく目が覚めた立珂はきゃっきゃと笑って、水の冷たさにまた震えた。じゃれながら立珂の身体を拭くのは朝限定のご褒美だ。

「水攻撃終わり。次は薬攻撃だ」
「もうかゆくないよ。治ったよ」
「でも塗っておかないとぶり返すんだって。皮膚炎って」

 毎朝の身体拭きは単に汗をかいたからではない。立珂が慢性的に苦しんだ汗疹と皮膚炎を予防するためだ。
 羽は通気性が悪く保温性が高い。少し動くだけで熱が籠って汗疹になり、掻きむしれば皮膚炎が広がっていく。羽の接触と衣擦れで炎症を起こす事も少なくない。だから立珂はあまり動きたがらず水辺を好む。
 しかし孔雀が皮膚炎の薬をくれてすっかり鳴りを潜めた。それでも常に羽を背負っているため再発は目に見えていて、少しでも目に付いたら薬を塗っている。
 立珂の身体に薬を塗っていくと、くふっと立珂は嬉しそうに口元を抑えた。

「薄珂の手きもちいい」
「立珂のお腹もぷにぷにで気持ち良いぞ」

 立珂はくすぐったそうにきゃあきゃあと笑った。そんな風にじゃれあってていると、こんこんと玄関扉を叩く音が聞こえてきた。

「薄珂君、立珂君。少しいいですか?」
「孔雀先生だ。はーい!」

 立珂の頭をぽんっと撫で、薬瓶を置いて扉へ向かうと鍵を開けた。そこには孔雀と、その後ろには昨日救助された兎獣人が男いた。

「あんた昨日の」
「出血のわりに浅い傷でした。それで二人にお詫びをしたいと」

 孔雀が一歩横にずれると兎獣人の男が一歩前に出て来た。白い髪の毛は青空に漂う雲のようにふわりと漂い、陽の光をきらりと跳ね返している。その美しさは魅入らずにはいられない。

天藍てんらんという。昨日はすまなかった」
「いいよ。気持ち分かるし」
「だが服を駄目にした。詫びをさせてくれ」

 天藍は手に持っていた物を差し出し中に入ろうとした。けれど横目に立珂がびくりと驚いたのが見えて、薄珂は思わずその手を払いのけた。

「入るって来るな!」
「うおっ」

 薄珂は天藍の手を叩き除け立珂に駆け寄った。
 森を追われて以来、立珂はちょっとしたことで不安を覚えるようになっていた。金剛と孔雀にも小屋へ入るのは遠慮してもらっている。立珂が歓迎するのは唯一慶都だけだ。
 天藍は吃驚して持っていた物を落としてしまいったようだったが、すぐに何か悟ったのか、天藍は膝を付き薄珂と立珂に目線を合わせて頭を下げた。

「驚かせてすまない。服が気になったんだ。有翼人用の服を知らないんじゃないか?」

 天藍は孔雀を見上げると、孔雀が床に散らばった物を拾い持って来てくれる。

「天藍さんは商人だそうです。私も見せてもらいましたがとても良い物ですよ」

 それでも立珂は手に取らず、代わりに薄珂がおそるおそる受け取り広げた。
 それは袖の無い子供用の服だった。しかしぽっかりと大きな穴が開いていて服とは言い難い。見た事の無い形状に薄珂と立珂は首を傾げた。

「変な形。それに布が薄い」
「それが有翼人用だ。通気性が良くて羽接触による皮膚炎も予防してくれる」
「え!? そうなの!? 何で!?」
「伸縮性があるから身体に沿うんだ。衣擦れしないから痒くならない。着てみてくれ」

 聞く限りでは興味惹かれたがやはり迷い、しかし孔雀は微笑み頷いている。薄珂はじっと服を見つめてから立珂を見ると、興味深そうに見つめていた。

「立珂。着てみるか?」
「けど穴あいてる。おなか出ちゃうよ」
「そっちが背中。そこから羽出すんだよ」
「う?」

 立珂はしばらくはじろじろと訝しげにしていたが、とうとう服を手に取り弄り始めた。

「釦いっぱい付いてる」
「肩と脇を外せば前後二枚に分かれるぞ。他のは飾り釦だから外さなくていい」
「う? かざりぼたん?」

 立珂はくるくると服を回して調べた。釦は片肩に二個ずつで両肩合計四個、片脇には縦に三個で両脇で合計六個が付いている。それを全て外すと確かに二枚に分かれていく。

「着ながら釦を止めていくんだ」
「う? う?」
「あ、分かった分かった。こっち来い立珂。やってやる」

 立珂は分からないようで首を傾げているが、薄珂は着方を理解し着付けを始めた。
 ようするに、頭から被らず羽を避けて布を当てるのだ。分解された布を再び立珂の肩と脇で釦を止めると、伸縮する生地はぴったりと立珂の肌に沿った。布を巻くだけでは隙間もあり羽とも布とも擦れてしまっていたが、これなら肌は全て隠される。

「袖も付けられる。脇に差し込んで紐を肩で結べ。腕にも釦がある」
「う!?」

 天藍は台形の布を二つ取り出して広げた。上部の両端に紐が付いていて、それを肩で結ぶとぺろりと布が垂れた。けれど縦一列にまた釦が縫い付けられていて、それを全て止めると袖が完成した。見たことも無い服に目を丸くし、ぷるぷると震えた立珂はばっと両手を広げた。

「すてき! すてきぃぃ!」
「可愛い! 可愛いぞ立珂!」
「この生地ひんやりする! どうして!?」
「接触冷感の吸汗速乾ってやつだな」
「おなかのとこ模様が掘ってある! どうなってるの!?」
「地模様だな。そういう生地なんだ。立珂はお洒落が好きなのか? 装飾品もあるぞ」
「どれ!?」

 立珂はしゃかしゃかと這って天藍に詰め寄った。天藍は鞄から服や装飾品を取り出すとたくさん並べて、立珂は一つずつ手に取り説明を求めている。

「飾り釦にこの石くっつけたら可愛いよ!」
「ああ、いいじゃないか。やってみるか?」
「いいの!? じゃあこのちっちゃいとげとげのも! お月さまとお星さまみたいでしょ!」
「ほー。いいじゃないか。洒落てる」
「お洒落!? 僕お洒落!?」
「ああ。凄くお洒落だ」

 これとこれ、こっちも、と立珂は次々に装飾品を手に取った。この服とはこれが合う、色の組み合わせはこっちが良いなど、これまでの人生で一度も見たことのない眩しい笑顔だった。

(お洒落が好きなのか。全然知らなかった)

 慶都と遊ぶ時でさえ見せないはしゃぎように薄珂は呆然と立ち尽くした。
 どんどん笑顔が増していく姿に呑み込まれていると、立珂がぱっと振り返りぶんぶんと両手を振ってくる。

「薄珂! こっちきて!」

 呼ばれて慌てて駆け寄ると、手を伸ばして来たのは立珂ではなく天藍だ。つつっと耳たぶをなぞられ、ぞわりとして身を引いた。

「何! 止めてよ気持ち悪い!」
「怪我してるぞ」
「人間に撃たれたんだ。もう治ってるよ」
「へえ。潰れなくてよかったな。揃いの耳飾りが付けられないところだった」

 天藍の手には金色の耳飾りがあった。慣れた手つきでそれを耳に付けてくれたが、立珂がにゅっと顔を覗き込んでくる。

「お揃い! お揃いだよ! くれるって!」
「え? こんな高そうなのを?」
「安物だよ。怖がらせた詫びに貰ってくれ」

 物を貰い慣れていない薄珂は素直に受け取って良いかどうか分からず、孔雀の顔を見るがにこりと微笑み頷いてくれた。構わないということだろう。
 それに立珂は真ん丸のほっぺをさらに丸くして、その微笑みは向日葵が咲いたようだ。それだけで『いらない』と言う選択肢は消滅した。

「有難う。さっきはごめん。立珂の事になると駄目なんだ、俺」
「俺も不躾だった。それに攻撃は最大の防御だ。間違ってない。けどこれは覚えとけ」

 とんっと喉元を突つかれた。見えている表情は笑顔だが、何かが突き刺さるような鋭さを感じて背筋が伸びる。

「殺られる前に殺れば確実に守れる。だがそれは全人類滅ぼすまで終わらない。殺る前に信頼できる相手かどうか見極めろ」

 言われた言葉が何なのかすぐには理解できず、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 天藍は挑戦的な笑みを浮かべると薄珂の頬を撫でた。その手は金剛ほど大きくないが何故か力強く安心できる気がした。

「味方を増やせ。そうすれば弟を守る手段も増える」

 薄珂は流されるがままに頷いた。天藍はぽんっと軽く肩を叩くと、立珂の大好きな辛い腸詰を置いて孔雀と共に帰って行った。
 診療所にいるのだから当然だけれど、それを妙に寂しく感じていた。
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