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第五章 多様変遷

第二十八話 先手必勝(三)

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 急激に恐怖を抱いた薄珂は、その夜立珂を美星に任せ響玄と二人きりで話をすることにした。

「先生。ちょっといい?」
「いいぞ。どうした」

 声をかけると、響玄は眼鏡をかけて文字がびっしりと並んでいる本を読んでいた。
 いつも通りにこやかに迎え入れてくれたが、薄珂は立ち止まると深く頭を下げる。

「欲しいものがあります。響玄先生から頂きたいものが」
「……ふむ」

 日常はかまわないが仕事の時は敬語を使え――響玄にはそう指導されている。
 立珂と共に過ごす時は美星と一緒に甘やかしてくれるが、仕事の時の響玄はとても険しい顔をする。

(怒られるかもしれない。でもどうしても今欲しい)

 薄珂はある重大な決心をしていた。そして響玄も話す薄珂の真剣な目からそれを感じ取ったようだった。

「聞こうか」
「有難うございます。俺は人間が敵になる可能性があると思っていますがどうでしょうか」
「……ないとは言えないな」

 人間というくくりで言うのなら響玄も人間だ。この言い方は気に障ったかもしれないが、響玄は大きく頷いていた。

「何か対策でも取るのか」
「はい。先手を打ちます」
「先手必勝を見逃さないのはお前の優れているところだ。どんな手だ」

 薄珂は頭を下げた。深く深く、莉雹が教えてくれた礼儀作法の全てを思い出し礼をした。

「俺を天一の後継者にして下さい」
「……理由は?」
「人間は気持ちより数字を重視する。そのために『天一』の名が欲しいんです」
「私欲で店を利用するか。それはいただけないな」
「確かにこれは立珂を思ってのことです。でも立珂は有翼人。これは有翼人全てに降りかかる問題です」
「……頭を上げなさい。問題とは何だ。有翼人保護区は順調に進んでいる」
「いいえ。有翼人保護区は遠からず崩れるでしょう」
「何故だ。水や食料品は金属を使わずとも作れるぞ」
「華理の歴史を知りました。有翼人保護区に該当する地区がありましたが、転換期があり今三種族が平等に暮らしている。でもその転換が成立したのはたまたま三種族の人口が平等で、華理の人間が優しい人たちだったからにすぎません」

 華理の公共設備や法は全て人間が考案したものだった。
 人間の卓越した頭脳や技術が三種族を支えたが、それは三種族を支えようと思う前向きで心根の良い人間だったからだ。普通なら内乱となり、だから世界中どこを見ても三種類の国はない。だからこそ天藍は中立国を成したと評価されたのだ。

「今の華理は森ばかりで開拓が非常に遅いんです。あれは人間が我関せずの姿勢でいるからで、その気になれば建築くらいいくらでもできるんです。ただその気がないだけ。その証拠に有翼人保護区内の事業は全て柳さんが提供してくれたものです。他国の人間である柳さんの」
「その通りだな。有翼人保護区は華理の経験と明恭の助力で成り立っている」
「人間が結束すれば敵わないこともあるでしょう。美星さんは生き証人のようなものだ」

 ぴくりと響玄の瞳が揺れた。
 美星は有翼人狩りを生き延びるために羽を切り落としたが、それが本意であったはずがない。だから立珂を愛し、商売目線の柳を非難した。
 そしてそういう状況から美星を助け出せなかったのは響玄の力不足もあっただろう。

「力があれば羽を落とす必要はなかったはずです。それこそ我関せずを決め込める人間のように」

 暗に、響玄は力不足だと、薄珂は言ってのけた。
 響玄は一瞬眉を顰め、すうっと息を吸い込み何かを言おうとしたがぐっと飲み込んだ。
 大きく肩を上下させてため息を吐くと、ようやく薄珂に向き直った。

「つまり、人間が第二の宋睿になると」
「いいえ。第一は人間で、宋睿はおこぼれに預かっただけです。獣人は人間の知恵の前では赤子同然だ」
「それはそうだろうな。明恭が最強の軍事国家となったのも人間の銃火器があったからだ」
「そうです。もはや立珂一人の問題じゃない。種族ごと守る必要があります。それには大きな後ろ盾と新事業が絶対に必要だ!」
「……それをお前がやると」
「はい。土台は華理で揃えてきました」

 響玄はしばらくの間目を閉じた。重い沈黙に薄珂は緊張したが、すっと響玄は立ち上がり窓から庭を見た。
 そこには天幕が張ってあり、立珂を寝かしつける美星の姿がある。

「天一は世襲だ。美星に継がせるつもりだったが、あの子の目的はとうにそれではない。後継者を育てようと試みたこともあったが、寄ってくるのは天一の名で楽をしたい者ばかりだった。みっともなく廃れるくらいなら私の代で終わりで良いと思っていた」

 響玄はゆっくりと振り向いた。そして薄珂の頭をぽんと優しく撫でてくれる。

「お前は頭の良い子だ。未来を切り開く行動力は最初から私を超えていた。何より原動力は深い愛情。私が最も求めるものだ」

 響玄はぎゅっと薄珂の両手を握りしめた。その手はとても大きくて温かい。
 これまで何度も薄珂と立珂を守ってくれた手だ。

「お前を天一の後継者に指名する。有翼人の未来のため、天一の名を活用しなさい」

 響玄はもう一度強く薄珂の手を握り、にこりと優しく微笑んだ。
 以前紅蘭に『響玄は薄珂を跡取りに指名せず、指名したのは護栄だ』と言われたことがあった。そして、薄珂は選択を間違えているとも教えてくれていた。
 その意味がようやく解り、薄珂は響玄の手を握り返した。

「はい!」

 後継者を名乗るのならこの大きな手と同じだけのことをやり続けけなくてはいけない。
 けれど立珂がいる限り薄珂は邁進する。それが薄珂の全てだ。
 そして、その夜は天幕で立珂を抱いて眠った。立珂が美星と選び、響玄が用意してくれた天幕だ。通気性の良い生地で、近くに氷を置いているのでとても涼しい。
 立珂はぷうぷうと寝息を立てて眠り、相変わらず薄珂の指をしゃぶっている。

(大丈夫。あとはあの・・問題だけだ)

 薄珂にはまだやらなければならないことがあった。
 そしてそれには協力者が必要で、明くる朝その人々の元へと足を運んだ。

「烙玲! 錐漣!」
「おー。どうした」
「ちょっと話したいことがあって」

 薄珂はにこりと微笑んだ。これは薄珂がする最後の選択になる。
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