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第五章 多様変遷

第十二話 求めるもの(一)

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 薄珂は天藍に伴侶契約解約書類を突き付けた。しかし天藍は受け取らずぷいっと目を逸らす。

「閃里のことなら気にする必要は無い。大丈夫だ」
「でもあんまり良いことないよね、護栄様」
「良くもあり悪くもあるというところですね。でもどうとでもなる範囲です」
「何で護栄に聞くんだよ! 気にする必要はない!」
「……気にはするよ」

 薄珂はじっと契約書類を見つめた。そこには小さな文字で色々書いてあって、最初は意味が分からなかった。だが一つ一つ護栄が説明してくれたのでようやく内容を理解した。国として意味のあることだというのはよく分かっている。
 それでもまだ分からないことがあった。

「俺ね、この『書類』っていまだによく分からないんだ。この契約をしてから俺と天藍って何か変わった?」
「そりゃ変わったさ。ちゃんと伴侶って関係になった」
「それは他人の認識が変わったのであって、俺と天藍が変わったわけじゃないよ。実際会いやすくなったわけじゃないし」
「それはそうだが、契約は大事だ。お前も商談で書くだろう」
「それは揉めた時にどういう約束をしたかの証明に必要だからだよ。でも俺と天藍の場合は違う。俺は金剛を捕まえる時に立珂を囮にしたことも病気に追い込んだことも許してない。けど俺は天藍の傍にいたからまだここにいる。それはこの契約があるからじゃない。俺がそうしたいからだ。でも天藍の立場が悪くなるなら契約書なんていらないよ。こんなのなくても天藍の側にいる。立珂と同じだよ」
「……俺がそうしたいと思っていてもか」

 天藍にじっと見つめられ、薄珂は思わず目を逸らした。握ってくれる手は大きくて力強い。

(書類に意味があることは分かってる。こんな大事な契約をしてくれたのは嬉しいし、その証拠があるのは嬉しい。でも……)

 薄珂はここまで守られてばかりだった。蛍宮に来て色々なことを経験して、護栄から評価を得られたのはとても嬉しいことだった。
 けれどそれもまた守られているということで、対等に何かができているわけじゃない。

「それでも足を引っ張るだけの存在にはなりたくないんだ……」
「薄珂……」

 天藍はぎゅっと手を握ってくれたけれど、薄珂は耐え切れずその手を離した。悲し気な顔をしていたのは見えていたけれど、それすらも目をそらしてしまった。
 どことなく気まずい空気が流れたが、ふむ、と護栄は息をついてとんっと机を叩いた。

「立珂殿と並列になれた祝いとして殿下に助け舟を出しましょう」
「あん?」

 護栄は大きく頷き薄珂の持って来た解約書類を手に取った。
 その顔は自信ありげだけれど馬鹿にしているようにも見えて、目が合うと薄珂の心臓はびくりと震えた。

「焦っているのでしょう。目に見える形での成果が無いから形ある書類が怖い」

 薄珂はつい俯いた。けれどこれに不思議そうな顔をしたのは天藍だ。

「成果って、薄珂は多くのことを成してるじゃないか」
「そうですね。ですがそれは全て立珂殿の羽根ありき。独自の成果とはいえない。だから足を引っ張っている――と思ってしまう」
「……そうなのか、薄珂」

 今まで多くの人が認めて褒めてくれていた。その中で『お前は役立たずだ』などと言う人はいなかったし、馬鹿にされたこともなかった。
 けれどそれはどれも立珂がいてこそで、一番最初に願った自立とは程遠い。

「そうだよ。俺は響玄先生に頼ってるだけだ。護栄様がいなければここにいることもできなかった。結局自分の力で立珂を守れたわけじゃないんだ……」
「それはそうでしょうね。ですがあなたは一般的には学舎で学んでいる年齢です。他の子らと比較すれば群を抜いて優れている。これは誇って良い」
「……でもそれは立珂がいたからだ。偶然だよ」
「偶然をいかに利用するかが手腕というものです。あなたは私や響玄殿といった世界でも突出した者しか知らないから実力不足だと思ってしまう」

 護栄はぽんっと薄珂の頭に手を置くと、子供をあやすようによしよしと撫でた。

「気持ちは分かります。ですがまだ大人の手が必要です。大体、国を相手に取るなんて大人でも一人で対等にできはしない。周囲に手を借り認められ、ようやくできるようになるんです。ではどうしたら認められると思いますか?」
「どうって……」

 ふと護栄は解約書類に手を伸ばし、つんつんと突いた。
 それは法で認められるための絶対的な形だ。

「……書類を作る?」
「そうです。これによりあなたは『皇太子の伴侶』という肩書を国に認められました。これは周囲の協力を得るために必要なんですよ。例えば以前あなたと私が金剛に攫われた時、浩然を始め軍含め全員で助けに来ましたね。何故助けに来たと思います?」
「それは当然護栄様が――……!」
「そう。あれはあなたを助けたんじゃありません。私を助けたんです。書類上地位が認められている私を」
「俺は薄珂を助けたつもりだが」
「気持ちとしてはそうでしょう。でも実際貴方だけだったら軍は動かなかった。いいとこ刑部兵部の現場数名です。何故なら軍を動かして助けるに値すると証明することができないからです。けれどそれがもし法で認められた皇太子の伴侶だったら?」
「軍を動かせる……」
「そうです。有事の際にあなたが無関係の子供であるか伴侶であるかで発生する選択肢が違うんです。周りは書類を重視しますからね。この国で生きるなら周りに併せて法に則るのも大事なことなんですよ」
「それでも天藍が損をするよ。俺のせいでまた『少年狂い』って言われるかもしれない……」

 護栄の言葉を聞いても頷かない薄珂に、ふう、と天藍は小さく息を吐いて椅子にどっかりと腰かけた。
 呆れられたかとも思えたが、天藍はまだ手を握ってくれている。

「じゃあ少し損得の話をしよう。嫌だが」
「損得?」
「これは可能性の話だ。確証はないという前提で聞いてくれ」
「うん……?」
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