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第五章 多様変遷
第三話 浩然の焦燥(一)
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浩然は自信ありげに笑む薄珂を見て過去の自分を思い出していた。
あまり知られていないが、浩然は有翼人である。美星同様に羽を切り落としているだけで、生まれた頃は羽があった。
しかし有翼人を迫害する土地だったため親に捨てられたらしく、物心ついた時は他人しかいない隊商の中で暮らしていた。だが隊商は無給でこき使われる場所だった。今でこそあれが違法労働だったことが分かったが、当時は食事を与えてもらえるだけで有難いと思っていた。
それでも高い薬を使わせてはくれなくて、羽根接触による皮膚炎はひどくなるばかりだった。気が付けば動くことができないくらいに悪化し、ついに浩然は自ら羽を切り落とした。
だが羽を失った代償は大きかった。どういう生態なのかは未だ自分でも分からないが、羽を切ったと同時に意識が途切れた。
その後のことは浩然自身あまり覚えていない。ただ朦朧としていて、何かを考えていたのかも覚えていない。皮膚炎は変わらず身を切り裂くような痛みと痒みで、それだけしか思い出せない。覚えているのは『使い物にならないから捨てていけ』と隊商を放り出されたことだけだ。
しかし浩然は突如回復した。目を覚ました場所はふかふかの寝台の上だった。うつぶせになっていて、見知らぬ青年が冷たい布で背中を拭いてくれていた。ぺとぺとと何かを塗っていて、飛び起きると何故か髪が伸びていた。そこでようやく、突如回復したのではなく青年がずっと治療をしてくれていたのだと気が付いた。
「……あんた誰」
「護栄。まだ横になってた方が良いよ、浩然」
「な、何で俺の名前知ってんだ」
「知らない。ほら、横になって」
護栄は意味の分からないことしか言わない男だった。しかし見るからに育ちの良い風で、豪華な食事や上質な服を与えてくれた。数日で完治する凄い薬も使ってくれた。
浩然は初めて人の優しさを知った。しかし返せるものなど何もない。どうしたら恩を返せるかと聞いたが、これが人生の転機だった。
護栄はそれまでとは打って変わって不穏な笑みを見せ、山のように本を積み上げ帳面を突き付け、絶え間ない猛勉強が始まった。
文字の読み書きなどまったく知らなかったが三日で全て習得させられ、金回りのことは専門用語も覚えさせらえれた。政治経済につても叩きこまれ、気が付けば宮廷で護栄付きの文官となり、部下を持つ立場にまで上り詰めていた。
*
護栄の指導は厳しいと誰もが言うけれど、浩然にとっては全てが幸せなことだった。人から「浩然は護栄様の右腕だ」と言われるのは最高の賛辞だ。
だがこれまでの努力も全て無駄だったのではと思う出来事が起きた。それが今目の前で弟を撫でまわし、だらしなくにやついている薄珂の出現だった。
(僕が今の地位を得るまで五年はかかった。でも薄珂はまだ一年足らず)
浩然は悔しかった。あれだけの苦労をしてようやく認められたというのに、薄珂は出会って数か月で護栄の信頼を勝ち取り教育したいとまで思わせたのだ。それは難癖をつけて追い出したいと、愚かなことを考えてしまうほどの悔しさだった。
けれど今や宮廷の大半を味方に付け国民の信頼も厚い。護栄ですら成しえなかった有翼人保護区まで完成に導いた。
(立珂は光だ。でも光が立珂じゃなくても薄珂さえいれば有翼人保護区は作れただろう。原動力がたまたま立珂だっただけの話)
その活躍ぶりは目覚ましく、悔しさを引きずることができないくらいだった。
だがそれ以上に恐ろしさも感じていた。何しろ薄珂はいつも弟を抱きしめ微笑んでいるだけなのだ。その笑顔の裏で暗躍する機転の良さは護栄さながらだった。
浩然は隣に座っている護栄をちらりと見ると、どこか緊張感がある顔をしている。護栄はどんな相手でも手のひらで転がしてきた。自信に満ちた護栄しか知らない浩然にとっては信じられないことだった。
「では聞かせて下さい。どんな削減をするんです?」
その場に緊張が走った。各自業務をしているはずの戸部職員も聞き耳を立てている。普通ならこの圧力に心が挫けるものだ。実際そうして去って行く職員は多い。
だが薄珂は毛ほども感じていないようで、にこりといつものように微笑んでいる。
一体どんな削減案が出て来るか息を呑んだが、発せられた言葉は全くの予想外だった。
「削減はしません。使います」
「え?」
「目的は『立珂の贈呈品制作にこの額を使うべき』という説得ですよね。何も他を削減する必要はないんです」
薄珂は美星とじゃれていた立珂を抱き上げた。それだけで立珂はぱあっと笑顔になり、きゅむっと薄珂へ頬を押し当てた。
「立珂は歴史を表す物がいいんだよな」
「うん! 有翼人はこんな年でしたってわかるのがいい!」
「具体的にはどんなことだ?」
「いろんなひとがたすけてくれるようになったこと! ごえーさまにみほしさんにみつきちゃんに、あとあいれんちゃん!」
ぴくりと机の下で護栄の指が揺れた。浩然も息を呑み、かつて罪人の烙印を押されたが立珂に救われた少女を思い出す。
愛憐とは立珂の友人だが、それ以前に明恭国第一皇女だ。
「さてはあなた」
護栄は思わず身を乗り出したけれど、薄珂はただ当然のように弟を撫でにっこりと微笑むだけだった。
あまり知られていないが、浩然は有翼人である。美星同様に羽を切り落としているだけで、生まれた頃は羽があった。
しかし有翼人を迫害する土地だったため親に捨てられたらしく、物心ついた時は他人しかいない隊商の中で暮らしていた。だが隊商は無給でこき使われる場所だった。今でこそあれが違法労働だったことが分かったが、当時は食事を与えてもらえるだけで有難いと思っていた。
それでも高い薬を使わせてはくれなくて、羽根接触による皮膚炎はひどくなるばかりだった。気が付けば動くことができないくらいに悪化し、ついに浩然は自ら羽を切り落とした。
だが羽を失った代償は大きかった。どういう生態なのかは未だ自分でも分からないが、羽を切ったと同時に意識が途切れた。
その後のことは浩然自身あまり覚えていない。ただ朦朧としていて、何かを考えていたのかも覚えていない。皮膚炎は変わらず身を切り裂くような痛みと痒みで、それだけしか思い出せない。覚えているのは『使い物にならないから捨てていけ』と隊商を放り出されたことだけだ。
しかし浩然は突如回復した。目を覚ました場所はふかふかの寝台の上だった。うつぶせになっていて、見知らぬ青年が冷たい布で背中を拭いてくれていた。ぺとぺとと何かを塗っていて、飛び起きると何故か髪が伸びていた。そこでようやく、突如回復したのではなく青年がずっと治療をしてくれていたのだと気が付いた。
「……あんた誰」
「護栄。まだ横になってた方が良いよ、浩然」
「な、何で俺の名前知ってんだ」
「知らない。ほら、横になって」
護栄は意味の分からないことしか言わない男だった。しかし見るからに育ちの良い風で、豪華な食事や上質な服を与えてくれた。数日で完治する凄い薬も使ってくれた。
浩然は初めて人の優しさを知った。しかし返せるものなど何もない。どうしたら恩を返せるかと聞いたが、これが人生の転機だった。
護栄はそれまでとは打って変わって不穏な笑みを見せ、山のように本を積み上げ帳面を突き付け、絶え間ない猛勉強が始まった。
文字の読み書きなどまったく知らなかったが三日で全て習得させられ、金回りのことは専門用語も覚えさせらえれた。政治経済につても叩きこまれ、気が付けば宮廷で護栄付きの文官となり、部下を持つ立場にまで上り詰めていた。
*
護栄の指導は厳しいと誰もが言うけれど、浩然にとっては全てが幸せなことだった。人から「浩然は護栄様の右腕だ」と言われるのは最高の賛辞だ。
だがこれまでの努力も全て無駄だったのではと思う出来事が起きた。それが今目の前で弟を撫でまわし、だらしなくにやついている薄珂の出現だった。
(僕が今の地位を得るまで五年はかかった。でも薄珂はまだ一年足らず)
浩然は悔しかった。あれだけの苦労をしてようやく認められたというのに、薄珂は出会って数か月で護栄の信頼を勝ち取り教育したいとまで思わせたのだ。それは難癖をつけて追い出したいと、愚かなことを考えてしまうほどの悔しさだった。
けれど今や宮廷の大半を味方に付け国民の信頼も厚い。護栄ですら成しえなかった有翼人保護区まで完成に導いた。
(立珂は光だ。でも光が立珂じゃなくても薄珂さえいれば有翼人保護区は作れただろう。原動力がたまたま立珂だっただけの話)
その活躍ぶりは目覚ましく、悔しさを引きずることができないくらいだった。
だがそれ以上に恐ろしさも感じていた。何しろ薄珂はいつも弟を抱きしめ微笑んでいるだけなのだ。その笑顔の裏で暗躍する機転の良さは護栄さながらだった。
浩然は隣に座っている護栄をちらりと見ると、どこか緊張感がある顔をしている。護栄はどんな相手でも手のひらで転がしてきた。自信に満ちた護栄しか知らない浩然にとっては信じられないことだった。
「では聞かせて下さい。どんな削減をするんです?」
その場に緊張が走った。各自業務をしているはずの戸部職員も聞き耳を立てている。普通ならこの圧力に心が挫けるものだ。実際そうして去って行く職員は多い。
だが薄珂は毛ほども感じていないようで、にこりといつものように微笑んでいる。
一体どんな削減案が出て来るか息を呑んだが、発せられた言葉は全くの予想外だった。
「削減はしません。使います」
「え?」
「目的は『立珂の贈呈品制作にこの額を使うべき』という説得ですよね。何も他を削減する必要はないんです」
薄珂は美星とじゃれていた立珂を抱き上げた。それだけで立珂はぱあっと笑顔になり、きゅむっと薄珂へ頬を押し当てた。
「立珂は歴史を表す物がいいんだよな」
「うん! 有翼人はこんな年でしたってわかるのがいい!」
「具体的にはどんなことだ?」
「いろんなひとがたすけてくれるようになったこと! ごえーさまにみほしさんにみつきちゃんに、あとあいれんちゃん!」
ぴくりと机の下で護栄の指が揺れた。浩然も息を呑み、かつて罪人の烙印を押されたが立珂に救われた少女を思い出す。
愛憐とは立珂の友人だが、それ以前に明恭国第一皇女だ。
「さてはあなた」
護栄は思わず身を乗り出したけれど、薄珂はただ当然のように弟を撫でにっこりと微笑むだけだった。
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