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第三章 蛍宮室家

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 今日は立珂の羽根の納品がてら立珂の離宮で食事をすることになっていた。
 集まったのは薄珂と立珂、響玄、護栄、孔雀、そして天藍だ。慶都はまだ学舎の時間なので、慶都一家はまた今度となった。

「立珂あーん」
「あーん」
「……そろそろ兄離れ弟離れしたらどうだ」
「「やだ」」

 薄珂は今日も立珂の苦手な葱を口移しで食べさせてやっていた。
 おいしー、と頬を丸くする立珂を撫でて幸せを感じていたが、隣では不穏な空気が漂っている。

「教えてください」
「駄目です」

 護栄と響玄は顔を突き合わせ攻防を続けている。
 護栄は悔しそうに顔を歪め、響玄は余裕いっぱいに微笑んでいる。

「飽きないね」
「護栄はどうしても羽を美しくする方法を知りたいらしい。薄珂は分かったのか?」
「分かんない。本当に洗って乾かすだけなんだよ」

 議題は有翼人の羽を美しく保つ方法だ。
 けれど薄珂は本当に特別なことはしていないのだ。変わった道具を使うわけじゃないし不思議な術を使えるわけでもない。
 けれど何かあると信じている護栄と口を割らない響玄は攻防を続けている。

「どっちが勝つかなぁ」
「俺としては護栄に勝ってほしいけどな」
「別に勝ち負けじゃないと思うけど。あ、いっそ取引きにしたら? 響玄先生は羽美化事業をやって護栄様は羽根買取促進」
「ああ、いいじゃないか。なら響玄の事業には俺が出資してやる」
「ほほう。殿下詳しく」
「ちょっと待ちなさい」
「おやおや! 護栄様は国民の生活改善に待ったをかけるんですか!?」
「ぐっ……」

 ここぞとばかりに響玄は胸を張った。護栄がここまで抑え込まれているのは珍しくてつい見守ってしまう。

「その代わり俺には方法を明かせよ。それが条件だ」
「もちろんです。ただ事業としてやるのなら広い場所が必要になるかと」
「構わんさ。未開拓の土地はまだまだある」
「殿下! 軽率に頷かな」
「さて! 殿下のご了承も頂けたところで発表いたしましょう!」
「お待ちなさい。宮廷の財布を握ってるのは私です。私も聞きますよ」
「ということは殿下と護栄様を後ろ盾に頂いたうえで事業開始ということでよろしいですね?」
「……分かりました。ただし、宮廷が手掛けるに見合わなければ殿下の個人資産でお願いします」
「分かった分かった。それでその方法とやらは?」

 響玄は準備が整ったとでも言いたそうだった。
 にっこりと裏のありそうな笑みを見せ、くるりと薄珂と立珂の方を向いた。

「ではお見せしましょう。薄珂。もう一度その葱を食べさせてあげなさい」
「え? これ?」
「葱に秘密が!?」
「ご覧になれば分かります。さあ薄珂」
「普通に? いつも通りに?」
「そうだ。お前のいつもの方法だ」
「……じゃあまあ。立珂あーん」
「あーん!」
「ん」

 いつも通りに葱をたべさせてやった。ついさっきもやっていた口移しだ。
 立珂はおいしー、とまたにこにこ微笑んでいるが、別段変わったことは起きない。当然だ。いつも通りで特別なことなど薄珂はしていないのだ。

「で?」
「以上です」
「え? これ? 口移し?」
「ちゅってすると羽きれいになるの? 僕いっつもしてもらってるよ」
「葱そのままは食べれないもんな」
「うん。でも薄珂がちゅってしてくれれば食べれる」
「もしかして! 食事の仕方ですか!?」
「そうです。これは親鳥が雛に食事を与えるやり方。雛がこころ落ち着くやり方です」
「俺は鳥だけど立珂は有翼人だよ」
「そうだ。だが有翼人は元を辿れば鳥なんだ」
「「「「え?」」」」
「さて。これは孔雀先生の領域」

 全員が一斉にぐるりと孔雀を見た。
 孔雀は待ってましたとばかりにきらりと眼鏡を光らせ立ち上がる。

「先日薄珂くんと立珂くん、慶真さん一家、その他数名の有翼人の血液検査をしました。有翼人と鳥獣人は血中の獣化細胞が酷似しています」
「獣化細胞ってなあに?」
「獣化するための細胞です。種族固有ですが、薄珂くんと立珂くんは非常に似た獣化細胞を持っていました」
「姿形は異なるが成り立ちは同種ということか?」
「おそらく。有翼人の羽は獣化の一種なんでしょう。きっと彼らの先祖には鳥がいたはず。鳥獣人が少ないのは有翼人に転化したからなのかもしれません」
「じゃあ食事の仕方が羽を美しくするというのは?」
「口移しは親鳥と雛の食事方法。いわば雛の本能と安心感を満たす行動なんです。そして立珂くんが親と認識しているのは薄珂くん」

 今度は全員が薄珂を見た。薄珂はいつも通り立珂を抱きしめて、腕の中にはそうされるのが当然のように微笑む立珂がいる。

「口移しも羽を撫でるのも、すべて本能と安心感を満たす行為。薄珂くんは常に立珂くんの本能を満たし安心させているんです」
「食事を共にした有翼人が口移しを見て急にうずうずし出したんです。自分もそれがいい、と走って帰る子もいた」
「それは褞袍を作ったあの?」
「ええ。親が薄珂と同じようにしたらあのとおり」
「本当に? たったそれだけのことで?」
「そうです。ですが口移しや四六時中べったりしているのは人間社会では恥ずかしい行為と思われます。例えば兄離れ弟離れしろ、と」
「あー……」
「他種族とは価値観が違いすぎて『たったそれだけのこと』ができないんです。なので――」

 孔雀と響玄は目を合わせて大きく頷いた。

「殿下。羽美化事業の後ろ盾になって下さるとおっしゃいましたね」
「……ああ」
「では有翼人の羽を美しく保つため、彼らの価値観で過ごせる『有翼人保護区』の設立に着手させて頂きたい!」

 んにゃっ、と立珂がぶるりと震えた。
 全員が息を呑んだが、真っ先に声を上げて笑ったのは護栄だった。

「そうきましたか!」
「今しかありません。護栄様も、いえ、多くの者が感じているでしょう。有翼人の求心力である立珂と立珂を幸せにする薄珂。この子らこそ種族の架け橋。ならば私は殿下の御名のもと、それを形にしてまいりましょう」

 架け橋というのはもう何度か繰り返し耳にした言葉だ。
 その言葉は、何故か薄珂に大きく刻み込まれている。ずっとずっと、何かが自分の中に突き刺さっているのだ。
 天藍はちらりと薄珂を見て、少しだけ考えるとすっくと立ちあがった。

「良いだろう。だが条件がある。事業及び有識者代表は響玄の名で行え。この子らを政治の表に立たせることはまかりならん」
「もちろんそのつもりです」
「有翼人保護区区長となり有翼人の生活改善に尽くせ。そこまでを事業に含める。やれるか」
「身に余る光栄。謹んでお受けいたします」

 立珂がぷるぷると震えているのが薄珂にも伝わってきた。
 天藍は薄珂と立珂の前に膝を付き、そっと二人の頬を撫でてくれる。

「お前達はただ日々を楽しくわがままにすごせ。それが有翼人の未来を切り開く。協力してくれるか」

 薄珂には分からない。
 未来を切り開くとどうなるのか、架け橋になるには何をしたらいいのか。
 それができたとして、それは本当に良いことなのか。悪いことが起きる可能性はないのか。
 立珂を幸せにするその裏で、誰かを不幸にすることになりはしないのか。

(……そうか。これが護栄様の言う『人を狂わせる覚悟』か)

 きっと天藍が皇太子になったことで多くの人が助かったのだろう。
 けれど先代皇を支持していた人は未だに天藍を良く持っていない。兎ごときがと罵る声は宮廷で耳にしたこともあった。彼らがそうなってしまったのは天藍が彼らにとって悪いことをしたからだ。
 ただ良いものを得た人が多かったから天藍は英雄としてこの国の頂点に立つことができた。

(蛍宮は良い国だ。だってみんな立珂を大切にしてくれる。でもこの先それだけではすまない。これはそういう話だ)

 護栄を見ると、何も言ってはくれないけれど何故か嬉しそうに笑っている。
 一体いつからこうなることを予見していたのだろうか。
 ぐっと薄珂は拳を握った。ここで頷いたら護栄の元で働く薄珂にはそれなりの責任が出てくる。協力だけでは終わらないのは明らかだ。
 けれど――

「薄珂! 有翼人保護区だって! みんなしあわせになるよ!」

 立珂は涙を流しながら喜んでいた。やった、やった、と無垢に喜び飛び跳ねている。
 計算もなく難しいことなど考えていない。ただ嬉しいのだ。

「みんなしあわせがいいよな。他の有翼人もみんな」
「うん! 僕みんな大好き!」

 薄珂は物心ついた時には立珂が大好きだった。
 可愛くて可愛くて、ずっと守ってやるんだと当然のように思っていた。

(立珂さえ幸せならそれでいい。でも立珂はみんなの幸せを望んでる)

 立珂は服を作るのが好きだ。
 最初は自分のお洒落ばかりだったが、今はどういう服が快適なのか、お洒落と機能性を両立させるためにはどうしたらいいのかを考えている。
 けれどそれは儲けたいなんていうことではなく、ただただみんなに幸せになってほしいからなのだ。

(立珂の羽が綺麗なのは心が綺麗だからだ。きっとみんな、本当はこうありたいんだ)

 だが薄珂は立珂しか大切にできない。立珂のように純粋ではいられない。
 けれど、それでも、だから。

「立珂の望みは俺が叶える。人でも国でも、天藍を狂わせてもね」
「できるものならやってみろ」

 天藍はにやりと不敵に笑み、薄珂はそれに背を向け立珂を高く抱き上げた。
 大きな羽が薄珂を包み、手のひらから立珂の体温が伝わってくる。それは昔から変わらない――

「立珂は俺の宝物だ!」
「んにゃぁ!」

 立珂の眩しい笑顔に喜びの涙がこぼれた。
 それはまるで、遠くない未来を祝う宝石のようだった。
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