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第三章 蛍宮室家

第十七話 予兆

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 護栄は苛立ちを押さえ、必死に笑顔を取り繕っていた。
 それは今、皇太子である天藍の前に並んでいる者たちの礼儀の無さだったのせいだ。
 そもそもだが、皇太子に謁見できるのは限られたごく一部だ。たとえ宮廷職員でも直接顔を合わせ語り合うようなことはまずない。ましてや勤務資格を持たない者ならなおさらだ。
 だが今謁見の間で天藍の前に並んでいるのは宮廷から生活保護や支援金を受けて生活を切り盛りする国民と、玲章が無計画に拾ってきた孤児だ。
 用件はもちろん薄珂が提案してきた装飾品制作と蛍石の採掘員として業務に就かせることだ。これを『高貴な仕事』とするべく、皇太子自ら全員に挨拶する場を設けたのだ。

(……莉雹殿に手を空けて頂きましょう)

 ぐっとこらえて咳ばらいをし、護栄は一歩前へ出た。

「あなた方に新たな仕事を担って頂きます。これにあたり殿下よりお言葉がございます」
「蛍石を見てくれ。こは先代皇が価値を見抜けず放置した石。これの正しい価値を知らしめるべく、採掘と装飾作りをやってもらいたい」

 全員手元に蛍石を持っており、おお、と目を輝かせて蛍石を撫でまわした。その顔を見れば薄珂の狙いが見事に当たっていることが分かる。
 今回護栄が薄珂の提案を受けたのには理由があった。
 あの商談は護栄もしてやられたと思ってはいるが、決して意表を突いた素晴らしい施策が提案されたからではない。

(あの一連は私がやろうとして後回しにしていたもの。あんな子供が私と同じことを考えているとは思わなかった)

 薄珂が提案は護栄にとって『こうなったらいいのに』と思い描いていた理想そのものだった。
 自分と同じ発想をできる人材が欲しいと常々思っていた護栄には衝撃だったのだ。
 けれど一度だけなら偶然かもしれない。だから護栄は薄珂の真価を確認するため、あえて反撃せず敗北を甘んじて受けたのだ。

「皆には離宮を家賃不要の宿舎として開放する。食堂も無料で使えるので食事の心配はいらない」
「え!? そ、それって、宮廷で生活できるってことですか!?」
「そうだ。だが強制ではない。希望しない者は自宅から通いで良い」

 その場の全員がわあ、と歓声を上げた。
 それはそうだろう。生活保護や支援金で生活する者の住居は必要最低限だ。悠々自適の広さがあるわけでもないし、調度品を増やして美味しい物を毎日食べるような贅沢はできないのだ。それが宮廷で過ごせるとなれば生活が格段に向上する。嬉しくないわけがない。
 全員が声をあげて喜んでいたが、天藍が話はまだだぞ、と手を叩いた。
 天藍は手元の台に置いてあった物を手に取り掲げて見せた。それは白く輝く美しい、立珂の羽根を使った首飾りだった。立珂が無償でくれた羽根を首飾りにしたのだ。
 目にするや否や、女性はきゃあと声を上げた。

「これはあの立珂殿の羽根飾りだ。皆のことを知った立珂殿が支援したいとこれを下さった。一人に一つを配布する」
「立珂殿手ずからの品は滅多に頂けません。それほどこの仕事は高貴なものなのですよ」
「この品に相応しい働きを期待している。皆業務に励んでくれ!」

 わあ、と特に女性は目を輝かせた。受け取るといそいそと首に掛け、髪に括りつけてみたりもしている。
 天藍と護栄はふうと一息つき、後は下官に任せて退室した。

 執務室へ戻ると、天藍は重たい上着を放り捨てて椅子にどかっと座り込んだ。

「離宮を宿舎にするのは良かったな。無駄だった維持費に意味が出る」
「以前から考えていたんですよ。離宮を住居にできれば生活保護制度予算が削減できますが、勤労できない者に職員同等の福利厚生を与えるわけにもいかず手が止まってたんです」
「じゃあ今回のは最高の言い訳だ」
「はい。おかげで年間白金十以上の費用削減です」
「ほ~……」

 白金とは一般ではほぼ扱われない硬貨だ。
 金百枚で白金一枚と高額なため、宮廷のように国家規模の経営や大きな取引をする商人の間でしか使われない。
 それを二十枚となると、額が高すぎていったいどれほどのものか想像するのも難しい。

「しかしまあ、薄珂はよく思いついたな」

 天藍は素直に感心しているようだったが、薄珂に関してもう一つ気になっていることがあった。

(驚くべきは商才よりも人脈だ。殿下に慶真殿、孔雀殿、麗亜皇子、愛憐姫、響玄殿、そして私。これを偶然の産物で済ませて良いものか……)

 護栄の聞いている限りでは、獣人の隠れ里へ辿り着いたのも天藍に出会ったのも響玄と知り合ったのも、それは全て偶然のようだった。
 けれど護栄に食らいついて来たのは間違いなく薄珂の意思で、まるで立珂を守るために必要な人間を着々と集めていたように見えるのだ。

(……偶然だろう。だがこれは解放戦争を率いた頃の天藍様を思い出す。天藍様も都合の良い偶然が多かった。気付けば数多の権力者から支持を得、だから戦争も三日で執着できた。そして終わって初めて、全ての偶然は天藍様の作る渦の必然だったと分かった)

 天藍が勝利できたのは護栄がいたからだと言われることは少なくない。ほぼそれだと言っても良いだろう。
 けれど護栄は自分こそ天藍の手のひらで踊らされていたように思っている。
 だがそれは外から見ている者には分からないのだ。けれど中にいても、気付くのは戦乱の渦が治まった後だ。

(私が今ここにいるのは偶然かそれとも――……)

 護栄は再び何かの渦に巻き込まれているような気がしていた。

「おーい! 護栄! 聞いてるか!」
「え? あ、聞いてませんでした。何でしょう」
「麗亜殿から手紙が来たとか言ってたろ。あれ何だった?」
「ああ、そうそう。何でも明恭に慶真殿を狙う輩がいるそうです」
「なんだ。またか」
「一応把握はしておいた方が良いでしょうね。読みますか?」
「ああ」

 内容はさしたるものではない。護栄が気になったのはそれではなかった。

(麗亜殿が動いた。薄珂殿が動いたと同時に)

 ちらりと外を見ると、先程業務を指示した面々が離宮へ移動するのが見えた。
 ――渦がある。何かの渦が。
 護栄はちりちりと胸の奥が焼けているような気がした。
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