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第二章 蛍宮宮廷

第二十四話 師【後編】

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 毎日様子を見に来てくれている慶真に仲介を頼み、今日は護栄と対面していた。
 明恭とのやりとりで忙しいだろうから急がなくていいと言ったのだが、立珂の羽根が手に入るかどうかは明恭との契約にも影響が大きいとかで早々に時間を作ってくれたのだ。
 薄珂は焦らせたようで申し訳ないと思ったが、響玄は『これは好機だ』と笑った。
 こんなに良い機会は無いからしっかり見てるようにと言われたが、薄珂が気になったのは立珂の様子だ。
 護栄との対面は宮廷内だ。悪意の有無は別にして、立珂が体調を崩した場所に連れてくるのは気が引けた。護栄と話す間は孔雀の離宮で待たせてもらおうと思ったのだが、何故か立珂は付いてきたのだ。

「立珂。無理しなくていいんだぞ」
「してないよ。平気だよ。きちんとご挨拶するんだよ」

 しゃきっと背筋を伸ばして妙にきりりとした顔を作っている。
 あの後、美星と遊んでいるかと思ったが何やら話し込んでいるようだった。宮廷ではどうするこうすると難しい話をしていたようで、立珂なりに礼儀とは何かを考えたのかもしれない。
 そうしていると外から歩いてくる足音が聴こえてきて、こんこんと来訪を告げる音がした。
 相手が入って来るときは立って腕を組み頭を下げておくのが礼儀だと響玄に教えられた。教えどおり立とうとしたが、響玄よりも薄珂よりも先に立ち挨拶の姿勢を取ったのは立珂だった。
 立珂は見知った相手には飛びつく癖がある。今日はそれをしてはならないと教えたが、無理に立ったり頭を下げなくていいとも言っておいた。
 けれど立珂はとても綺麗な姿勢で礼をしていた。今まで見たことのない立珂の姿に倣い、薄珂も挨拶の姿勢を取った。

「お待たせしまし――おや?」
「本日はお時間くださり有難うございます。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いたま、いた、いたします」

 薄珂は響玄に教えて貰い暗唱した原稿通りに口上を述べ、立珂は噛んでしまったが自分なりの挨拶をした。

「どうしたんです、急に。顔を上げてください。それに、そちらは……」
「宮廷侍女美星様のお父上で私の師、響玄にございます。何卒同席をお許しください」
「師? 師とはまた……」
「薄珂に商売を教えております。薄珂はまだ契約の是非を弁えていないため僭越ながら私が口を添えさせて頂きます」
「そうでしたか。ええ、よろしくお願いします。ではまず立珂殿の専属契約ですが、ご意向はいかがです」
「申し訳ありません。専属契約は終わりにしたいと思っています。よろしいでしょうか」
「ええ。殿下からも引き留めないよう言われています」
「これまで良くして下さり感謝しています。必要なら羽根は都度お売りします」
「よかった。今日はそれをお願いしたかったんです。金額は決まっているんですか?」
「えっと……」

 響玄をちらりと見ると、護栄と視線を交わして嬉しそうに柔らかく微笑んでいた。
 護栄は何枚かの書類を並べられたが、何が書いてあるのか薄珂にはよく分からなかった。契約を結ぶ時も署名をしただけで内容まで読んでいない。
 慶真がどういう規則か教えてくれたので契約内容など気にしていなかったが、今思えばちゃんと読んでおくべきだったのだ。
 そうすれば立珂が自由に使う数枚くらいは許してもらえて、立珂も楽しく過ごせたかもしれない。

(それが契約内容を確認するってことなんだ。これは立珂を守るために必要なことだった)

 利益だ売上だと難しいことはあとにして、まずは立珂が楽しく過ごせる約束になっているかを読み解かなくてはいけない。
 契約書とは面倒なものだと思っていたけれど、立珂を守る内容になっているかを判断すると考えれば難しくないように思えた。
 その代わりか、響玄は解約するための書類をじっくりと読み始めた。

(違約金とか再契約をする場合に不利な条件を呑むよう仕向けている場合がある、だっけ。終わった後も立珂を守れる内容になってないといけない)

 護栄は悪いようにはしないだろうけれど、誰もが薄珂と立珂に好意的なわけではない。
 商売をするのならそれも見抜けるようにならなければいけない。そして利益を追求する商売をする以上は自分に有利な条件にしなくてはならない――ということらしい。
 だが薄珂にお金の話はまだ分からない。薄珂も立珂もそれなりに暮らせればいい程度にしか思っていないので、どれほどの金額を付ければいいのかなど分からないのだ。
 しかも羽根は人間の髪の毛と同様、一日に数枚は抜ける。その日の食料と交換できればそれでもいい。
 しかし人里で生きていくにはそれでは駄目で、今回はそれが分かるようになるための勉強だ。薄珂は背筋を伸ばした。

「ここからは薄珂に代わり私がご案内申し上げます。まず羽根は最低価格で銀一枚。以降、品質に応じて上がります」

 蛍宮の通貨は銅と銀、金の三種類だ。
 銅二十枚で銀一枚、銀十枚で金一枚となる。三人家族の生活費月平均が金一枚程度で、薄珂と立珂はあまり物を必要としないので家賃を除けば銀五枚もあれば足りる。

「高いですね。銅八枚が相場では?」
「立珂の羽根をその他一般と同じにされては困ります。私としては最低銀五を付けたいところですが、二人から護栄様にはお世話になったので多少の損失は構わないと言われています」
「それでも高すぎます。銅十枚」
「お嫌であれば他に売るまでです。明恭あたりは高く買ってくれそうですし」

 明恭と聞いて護栄の眉がぴくりと揺れた。
 愛憐から明恭は立珂の羽根を独占したいが護栄はそれを許してくれず困っていると聞いた。立珂は「ならあげる~」と笑っていたが、天藍との専属契約があるからできなかった。
 つまり専属契約が切れたら護栄は立珂の羽根を明恭への交渉材料にできなくなるということだ。
 しかも明恭が護栄の顔色を窺う必要もなくなるどころか、強く出られてしまうかもしれない。ならばなんとしても立珂から羽根を買わなければならず、だから多少高くても買ってくれるだろう――というのが響玄のいう『好機』だそうだ。

「まったく。嫌な人を師にしてくれましたね。では銀一からで。その代わり一般に売る前に宮廷に売ってください」
「それは優先売買契約となりますので、別途月額で金二枚頂きます」

 金二枚というのは、薄珂と立珂が贅沢をしても余裕ある生活のできる金額だ。
 慶都一家が三人で金一枚であることを考えれば相当な贅沢だが、立珂は服や装飾品で生活費がかさむ。ならば多めに見積もっておくのが良いだろうということでこの額になった。
 響玄は絶対に優先売買を持ちかけられるから、それを別契約にすれば納品できる立珂の羽根がどんな量と質であっても生活費が確保できるということだ。

「また高いですね。銀十枚」
「いいえ。交渉はなしです。ですが」

 厳しいなあと薄珂は他人事のように思っていると、響玄ちらりとこちらへ目配せをしてきた。
 何だか分からずにいたが、はっと思い出した。事前に響玄から言われていたことがあるのだ。

「薄珂が護栄様に相談したいことがあるのです。これの頼みを聞いていただけたら金一枚で承ります」
「頼みですか。なんでしょう」
「侍女の皆様に立珂の服の仕立てて頂きたいのです。そしてできれば今までのように立珂と遊んで頂ければと」

 最初は頑張っていたものの話が難しかったのか、すっかり眠そうにしていた立珂がばちっと目を覚まし身を乗り出した。はっと気づいて慌てて取り繕ったけれど、立珂の頬は緩んでその表情はわくわくとご褒美を待つ子供のようだった。
 無理して毅然とするよりこうして無邪気にいる方がうんと可愛くて、薄珂は立珂を笑顔にさせることができて嬉しくなった。
 護栄も嬉しそうに笑ってくれて、その顔だけでも立珂に悪いことはしないと分かった。

「もちろん良いですよ。とはいえ侍女も仕事なので離宮に限らせて下さい。離宮利用料と侍女の人件費、服の生地代を含めて優先売買契約を金一枚で呑みましょう」
「離宮は毎日使うわけではありません。そこも含むとなると、いささか足りませんね」
「では優先売買契約のみを金二枚で手を打ちましょう。ただし、侍女との交流は提供できません」
「えー!? いや!」

 思わず立珂はいつもの立珂に戻ってしまった。
 立珂もしまったと慌てて姿勢を正したが、やはり薄珂には気の向くまま素直なままでいて欲しい。薄珂は礼儀を正すことを忘れ、立珂を抱き寄せ頭を撫でてしまった。立珂も限界だったのか、きゅっと薄珂にしがみ付く。
 何も知らない相手であれば不愉快にさせたかもしれないが、今までを知っている護栄と響玄はにこやかに受けてくれた。

「立珂が嫌なら仕方がない。ではせめて離宮は立珂専用として頂けますか?」
「もちろんです。生地の収納や仕立てもにおいの籠らないところでさせましょう」
「ほんと!? わあい! 有難う!」
「よかったな、立珂」
「うん! 彩寧さんにも会いたい!」
「では立珂殿付きは彩寧殿にしましょう。三日後に来てください。優先売買は月額金一枚で契約書の用意しておきます」
「分かりました」

 実を言えば、金一枚が響玄の狙う着地価格だった。何しろ金二枚というのは立珂の遊興費込みで、それを宮廷が持ってくれるのなら生活費は金一枚で余りある。
 ここまで全て響玄の考えていた通りに進み、薄珂はため息を付いた。
 契約書がどうこうと難しい話を響玄と護栄がし始めたが、薄珂には全く分からなかった。
 まったく分からないであろう立珂は窓から見える中央庭園にちらちらと視線をやっている。いつも侍女が集まっていて、立珂とも遊んでくれていた場所だ。
 その様子に全員が気付き、響玄がぽんっと薄珂の背を叩いた。

「薄珂。あとは俺が話を聞いておく。立珂と遊びに行って来い」
「そうですね。慶都殿もそろそろ帰って来るでしょう」
「慶都! 遊びたい! 薄珂遊ぼう!」

 さすがに最後まできちんと聞くべきだろうとは思ったが、立珂はもう遊ぶ気になっている。きっと慶都も待っているのだろう。
 しかし今回は薄珂が仕事として頼んだのだ。さすがに迷うものがあったが、響玄はそっと頭を撫でてくれる。

「最初から全てを完全にやる必要はない。二人とも今日はよく頑張った」
「けど商談は仕事です。それも俺がお願いしたことですし」
「立珂殿の仕事は元気でいること。ならあなたの仕事は立珂殿を楽しませることですよ、薄珂殿」
「そういうことだ。さあ、遊んでこい」
「……はい。有難うございます。立珂、お礼言って」
「有難うございます!」
「こちらこそ。慶都殿の部屋は前と同じですよ」
「はあい!」

 行こう、と薄珂は立珂に手を貸しゆっくりと立たせた。座りっぱなしや寝起きといった、あまり脚を動かしていない状態から歩き始めるには少々かかる。
 だからこういう時は室内であっても車椅子を使うのだが、宮廷の中には車椅子を持ち込まないことにしたのだ。
 実はこれは立珂が言い出したことだった。宮廷の中で車椅子を控えるようにと言われた時は腹が立ったけれど、薄珂が立珂を傷つけられたら許せないのと同じように、宮廷を大事にする人からすればあちこちを汚す立珂の車椅子は嫌な物に違いない。
 きっと立珂もそれを理解して、だから自分の脚で歩くという礼儀の示し方を選んだのだろう。ならば薄珂のやるべきはそれを手伝うことだ。
 しかし慌てたのは護栄だった。立珂に駆け寄り薄珂と共に身体を支えてくれる。

「立珂殿。無理はしなくて良いのですよ。車椅子は外ですか?」
「いいの。歩くの。だって信用を得るには礼儀ができなきゃ!」
「それはそうですが。身を削ってまでして周りに合わせる必要はありません」
「これくらいは大丈夫だよ。だって僕が歩きたいんだもの」

 立珂がにっこりと笑うと、護栄は少しだけ唇を震わせて泣きそうな顔をした。

「護栄様。俺たちのこと守ってくれて有難う」
「……無理をしてはいけませんよ」

 護栄は立珂の頬を撫でて、立珂も嬉しそうにくふふと笑って頬をすり寄せていた。
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