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第19話 黒瀬翔太と黒瀬凛
しおりを挟む今日は天気が悪い。明け方からの集中豪雨で蛍宮の水位が上昇している。
兵が排水に駆け回る様子を雛はぼうっと眺めていた。
「裕貴君どうしたのかな……三カ月後には合流するって言ってたのに……」
裕貴が合流すると言った約束の三ヶ月から十日ほど過ぎて、今だ流司達の元には何の音沙汰も無かった。
指名手配に関して新しい動きも無く、日に日に雛の顔は曇っていく。
心配する気持ちは流司も結衣も同じだったけれど一緒に不安な顔をしていてはいけない。
「船移動は多少の前後はあるって。俺留学した時二週間ずれたぞ」
「こっちの世界の人って日付数える習慣無いしね。聞いた?年齢数えないんだって」
流司は「俺も正確に自分が何歳か良く分からないぞ」と話題をそらそうとするけれど、雛は小さく空返事をするだけだった。
メイリンがタイミング良くケーキと紅茶を運んできてくれたので結衣が女子会しよう!と盛り上げたけれどやはり笑顔は戻らない。
「流司。何か情報届いて無いかルイ様に聞いてきてよ」
「そうだな」
結衣に追い出され、流司はルイの元へ急いだ。
瑠璃宮に行くとルイは楪を膝に乗せて揺り椅子で揺れていた。
流司がやって来た事に気付いた楪は慌てて立ち上がり、ルイに流司が来た事を教えた。
「……悪いな邪魔して」
「全くだ。帰れ!」
この二人の関係はつくづく謎だった。
秘書だというが、おそらくただの秘書ではない。常にべったり傍にいるのは護衛も兼ねているのだろうが、こうした恋人のような接触をしている事が少なからずある。
男同士というのはヴァーレンハイト皇国では無かったので流司は戸惑ったが、この世界では珍しい事ではないと聞いた今そういうものなんだろうと飲み込む事にしていた。
楪は離れようとするけれど、ルイは楪を抱き寄せて放そうとしない。
流司は大きくため息を吐いてルイに向き直った。
「裕貴から何か連絡来てないか?ルーヴェンハイトの様子とか、何でもいいんだけど」
「無いよ。そろそろ難民輸送の次期だから大人しく待ってれば?」
楪にスパッと切って捨てられた。明らかにイラついている。いつも無表情で不機嫌に見える楪だが、これは確実に棘がある。
ルイと二人でいるところに割って入るといつもこうだが、当のルイは気にも留めていないようでそれが余計にイラつくようだ。
「取り込み中に図々しい相談して悪いんだけど、裕貴を瞬間移動で連れて来てもらう事ってのはできないか?」
「できない。あれは僕が座標を植えた場所に移動するだけでどこでも行けるわけじゃない」
「裕貴自身を座標にするってのは?」
「早乙女裕貴には座標植えてない」
「そっか……」
「何焦ってんだよ。まだ三か月経ったばっかだろ」
「どうせ雛がぐちぐち言ってるんでしょ」
そんな言い方しなくてもいいだろうと言い返そうとしたけれど、この国にいる限り楪に逆らうのは得策ではないのは分かっていた。
流司はぐっと言葉を呑み込んだ。
「でも嫌な予感がするんだ」
「根拠のない不安なら聞かないよ」
「あるよ。アイリス捕獲っていう重要案件の指揮官をホイホイ外に出さない気がするんだ。それに、確かに皇王を支持してりゃ殺されないかもしれないけど無意味に殺される可能性だってあるだろ」
「は?現場指揮って書いてあったから出てくるよ」
「無意味に殺すのも無いと思うぞ。裕貴を殺すってのはノアと敵対するって事だ。ルーヴェンハイトと完全敵対するなんて、跡取りもいないうえ老い先短い皇王にはできやしない」
「それは机上の空論だ。皇王がルーヴェンハイトを不要と判断したら国民全員殺すだろ」
「ルーヴェンハイトを討つってのは同盟結んでる蛍宮を敵に回すって事でもある。楪を敵にするなんてあり得ない」
鳥居で見たろと言われ思い出すと、確かにあの時皇王はあっさりと引き下がった。
それはあの鳥居が蛍宮の領域を示す物だからだ。いくら目の前に獲物がいると分かっていても引き下がらないわけにはいけないほど、ヴァーレンハイト皇国にとって蛍宮は脅威だったのだ。
「それくらいお前だって分かるだろ。どうしたんだよ」
「……裕貴は蛍宮に向かってないかもしれない」
「そりゃまたどっから来た話だよ。根拠は」
「翔太さんからシウテクトリの話を聞いたんだ。酷い目に遭ってる地球人がいるって」
「いるけど、それと何の関係あるのさ」
「こっちに来る前裕貴が言ってたんだ」
亡命をするにあたり、裕貴とは綿密な打ち合わせをしていた。
その時に聞いた裕貴の考えは流司の中ではかなりの不安要素だった。
「裕貴。亡命って本当にできるのか?」
「できるよ。けど亡命はする事よりもその後の方が問題だ。一生狙われ続ける事になる」
「それはそうだけど、楪ってのは相当凄いんだろ?」
「ルイ様に庇護され安寧を得るというのは支配者が皇王からルイ様へ変わったに過ぎない。切り捨てられたら終わりなんだ。なら俺達は俺達が支配する自国が必要だ。だから俺はそれをやる」
「やるって、国を作るのか?そんなのうまくいくわけないだろ」
「できるかどうかじゃない。やるんだよ。それにUNCLAMPは拷問を受けてた人間だっている。こっちで苦しむ地球人は相当数いるんだ。そんなの放っておけないだろ!」
「まさか地球人全てを救うつもりなのか」
「俺達の国が手に入れば地球人を受け入れて、そうすれば平和に暮らせるようになる。そのために出来る事があるなら俺はやる」
「……本気で言ってるのかお前」
「ああ。恐らく俺はお前達とは別行動になる。その時は迷わず俺を捨てていけ。その代わり結衣と雛を頼む」
逃げ出す考えていなかった流司は何も返せなかった。
ヴァーレンハイト皇国しか知らない流司にはそれが現実的な話なのかそうじゃないのかも分からなかったけど、この時は裕貴が大丈夫だと言うならそれを信じると決めた。
けれど奴隷扱いをし殺戮をも厭わないシウテクトリという存在が流司を不安に突き落としていた。
「裕貴は地球人を助けるつもりだ。もしかしたらシウテクトリに行ったのかもしれない」
「行くってどうやって?あそこも結構辺鄙な場所だよ」
「けどノアがいるから無理ではないだろ。あいつは全国歩き回ってた」
できれば、それはあり得ない、と二人に否定して欲しかった。
ノアが可能なら裕貴はやるだろう。幼い頃の記憶を掘り起こしても裕貴は正義感が強くて行動力もある男だった。そんな裕貴が格好良くて羨ましくて、悔しくもあった。それだけに不安が募る。
「まあそれなら少し調べてやるからお前は大人しくしてロ。突っ走らないって翔太と約束したんだろ」
それでも生死不明で死ぬ可能性がある状況で落ち着いてはいられない。
気持ちは焦る一方だったけれど、その時コンコンと誰かが柱を叩いた。そこにいたのはいつもとは違う、まるで軍服のような服を纏った凛だった。
「凛さん?その格好してどうしたんですか」
「制服だよ。僕は宮廷務めだからね」
「え?そうなんですか?研究者かと思ってた」
「ふふ。僕はこれでもこの国で一番強いんだよ」
「一番?強いって、まさかその腰にぶら下げてる剣を使っての戦闘、ですか?」
「凛は魔法無しの単純戦闘なら負けなしだ。気晴らしに少しやってみるか?」
ルイは剣を一振り流司に与えると凛と向き合わせた。
すると、凛はまるで舞うように剣を操った。軽やかな身のこなしは美しく、流司の身を裂く数ミリ手前を振りぬいた。計算尽くされたその剣技は芸術のようで、わずか数分で流司は膝を付き首筋に剣を突きつけられた。
にっこりと微笑む姿は美しく、同時に寒気がした。どくどくと心臓が跳ねる緊張で動けずにいると、ルイがうわぁ、と残念だと言わんばかりの声を出した。
「流司。お前さては戦った事ないだろ」
「……あるわけないだろ。ヴァーレンハイトは剣の実戦なんてほとんど無いんだよ」
「はあ?じゃあお前ヴァーレンハイト皇国では何を評価されて城にいたの?」
「コネと顔」
「はあ?」
「俺は城で偉い人の孫なんだよ。それに皇女は城から出ないから親衛隊も外に出ない。城には護衛騎士がいるから親衛隊が戦う必要は無い。ようするに皇女が連れ歩く装飾品。だから顔採用で、俺の仕事は魔法研究だ」
うわあ、とルイは再びため息を吐いた。
「それでよくそれで亡命しようと思ったな」
「メイリンがいるからな。皇女を護衛する真の親衛隊は彼女一人を指す」
「へえ?彼女はそんな逸材なのか」
「ああ。皇女付き侍女は国で最も魔法に秀でた女性が就任する」
ふうん、とルイは驚いたような顔をしてからなるほどな、と何かに大きく頷いた。
「けど困ったな。裕貴が来たら戦いになるだろうし、結衣一人くらいは守ってほしかったんだけど」
「何でだよ。あいつは合流するから戦うことなんてないだろ」
「アホ。皇子代理が一人で来るわけないだろ。その場にいる人間は全て捕らえないと裕貴一人残るなんて無理だ」
「……そうか。そうだった」
「これは全員足手まといだな。楪、お前一人で相手できるか?」
「いいよ。その方が僕もやりやすい」
「一人って、軍を一人でなんて無理だろ」
確かに珍しい魔法を使うようだが、いくらなんでも訓練を積んだ大勢の兵士を一人でなんて無茶だろう。
もしアルフィードが付いて来ていたらちょっと魔法が使える程度では相手にもされないというのを流司は身をもって知っている。アルフィードは剣士であると同時に強力な魔法も使うのだ。
けれど、凛は流司の慌てぶりを見て、ふふ、と笑った。
「この島は大樹で埋め尽くされていたんだ。それを全部伐採して森を切り開き水を引いたんのは楪君なんだよ」
「は?え?」
「この島が不可侵を保てるのは楪が結界を作ったからだ。たかだか人間の十人や二十人、楪にとっては蟻以下だよ」
「……けど一人で軍の前に立つなんて無茶だ」
「別に危険じゃないよ。宮廷の中からやるし」
「え?ここからできるのか?」
「当たり前でしょ」
視界に入ってくれれば瞬間移動で裕貴だけ連れて戻って来て、それで軍を潰せば問題無いよ、と暢気にお茶をすすりながら言ってのけた。
不可侵の聖樹蛍宮。その謎は楪一人による物だったのだ。
「けど、それは蛍宮にかなりの迷惑をかけることになる」
「ルイが決めたならそれが僕の意志だ。気にする必要はないよ。それよりその戦闘能力の低さを気にして」
「う……」
いつもながら鋭い突き刺しだ。
凛はくすくすと笑っている。
「八つ当たりはそれくらいにしておあげよ。ルイ君も、いくら嫉妬する楪君が可愛いからってやりすぎると嫌われてしまうよ」
やっぱりこれは当て馬にされていたのかと流司はため息を吐いた。
「流司君は服を変えた方が良い気もするね。その服動きにくいんじゃないのかい?」
「ああ、はい。実は。下半身がヒラヒラしてるのがどうも……」
「ヴァーレンハイト皇国はスリムな服が多いからね。ちょっと僕の家においで。シンプルなパンツがあるからそれをあげるよ」
「いいんですか?ぜひお願いしたいです」
というかこれ以上この二人の痴話喧嘩に巻き込まれたくない。
*
凛が案内してくれたのは研究所ではなく宮廷内にある小さな離宮だった。
「家って研究所じゃなかったんですね。けど二人で暮らすには狭くないですか?」
「父は研究所が家だよ。ここは僕の家なんだ」
「別々に住んでるんですか?仲良いから一緒に住んでるものと思ってました」
「さて。それはどうだろうね」
「え?」
凛は、ふふ、と意味ありげに笑った。
そしてそれ以上は何も答えずこっちにおいで、と部屋の奥へと入って行く。
そこにはおびただしい数の棚が並び、ぎっしりと服が詰められている。カレンの店も相当だったが、ここも負けてない。
「す、ごい量ですね」
「好きな物を着ていいよ。これとかどうだい?」
好きな物と言われてもどこに何があるのか分からない。
うろうろしていると、凛がパンツやシャツ、ジャケットなどを幾つか取り出してくれた。それは飾り気のないシンプルな服で、軽くて非常に動きやすそうだった。
さっそく試着すると、柔軟性もありどれだけ動いても引きつる事も無い。肌触りも良く、おそらく高級品なのだろう。
「どうだい?」
「動きやすいです。本当に貰っていいんですか?」
「いいよ。こんなにあっても着ないから」
「服が好きなんですか?凄い量ですよね」
「父が僕にあれこれ着せるのが好きなんだよ。僕はなんでもいいかな」
「ああ、なるほど。翔太さんは地球のもこっちのも男物も女物も何でも着そうですけどね」
翔太は女性のような容貌と振る舞いをするが、骨格は男性だ。それに凛の美しい中性的な顔は翔太譲りのものだ。おそらく男性らしい服装をさせたら見栄えが良いだろうと思った。
よく見ればドレスやスカートも並んでいる。ヴァーレンハイト皇国でも蛍宮でも見ない奇抜な服も多数あり、それらは地球を思い出させた。
きっとどこ産で何用の服かなど問わないだろう。
「父は性別が無いから何でも着れるんだよ」
「はは……」
「おや、信じていないね」
「そりゃまあ」
「どうしてだい?実は母かもしれないよ。僕だって実は娘かもしれない。凛て可愛い名前だろう?」
急に真面目な顔をする凛の言葉に一瞬固まってしまった。
凛は脱がせてみるかい、と流司の手を自分の胸元に当てさせて含み笑いをする。
「……これ何の実験ですか?」
「君の素直さを図る実験さ」
「男性ですよね?」
「ふふ」
あの親にしてこの子あり、という言葉が流司の頭に浮かんだ。
凛から手を放そうとしたけれど、一体いつどこから入って来たのか、翔太が流司を突き飛ばしてた。
その勢いに負けて床に倒れ込む。
「な、何ですか!?」
「凛に触るなぁぁぁ!!」
「痛ッ!」
翔太はこちらの話は聞きもせず、思い切り流司の顔面を殴った。
「凛に触ったな!!腕ごと斬り落としてやる!!」
「ちょ、ちょっと!何なんですか急に!凛さん!止めて下さいよ!」
にこにこしながら見ている凛に助けを求めると、ふふ、と穏やかにほほ笑みながら翔太を抱き上げた。
「父。落ち着いて」
「凛!凛!」
「よしよし。大丈夫だよ」
「凛、凛、凛、凛」
「よしよし。凛はここにいるよ」
凛がぎゅっと抱きしめると翔太は声を上げて泣きだした。
一体何が起こったのか理解できず呆然と黒瀬親子を眺めていた。
「流司君。気にしないで。帰っていいよ」
「け、けど」
「駄目だ!殺す!凛に触った奴は殺す!近付く奴は殺す!」
「少しが触れただけだよ」
「駄目だ!凛の家を知ったんだ!殺す!」
「じゃあまたお引越しするね。今度はどこにしようか」
「駄目だ!行くな!行かないでくれ!行かないでくれっ…!!」
「どこにも行かないよ。大丈夫だよ。僕はここにいるからね」
「お前は僕のものだ……誰にも渡すものか……」
「よしよし。よしよし」
もはや二人は流司の事など空気としていたので、流司は逃げるように凛の家を出た。
(何だったんだ……)
「うわ。お前どうしたの、その怪我」
翔太に殴られた痕は痣になりあちこち擦りむいていた。
この怪我のまま帰ったら結衣に心配されそうだったので宮廷の医務室で手当てしてもらっていると、どこから聞きつけたのかルイと楪が現れた。
今ルイと楪の痴話喧嘩に付き合う気力は無い、と流司はがくりと肩を落とす。
「凛さんに服貰ってたら翔太さんが来て。それでちょっと」
「ああ、そりゃ災難だったな。いつもの事だから気にするな」
「気にするなって言われても……殺すって言われたんだけど……」
「僕もしょっちゅう言われてるから大丈夫だよ」
「だから最初に言ったろ。殺されないように気を付けろって」
そういえば、と初めて研究所に案内された時の事を思い出す。
あの時は何の事だか分からなかったが、こういう事か、と流司はようやく理解した。
「気を付けろよ。あいつら本当に一人殺してるから」
「っこ、ろした!?誰を!?」
「凛の母親だ。翔太は凛に振れる事を許されてるってのが許せなくて、凛は翔太の妻ってのが許せなかったとかなんとか」
「だ、だって、そりゃ、そうでしょう。意味が分からない」
「理解する必要無いよ。異常なんだ、あの親子は」
「翔太より凛のほうがキてるから気を付けろよ。腕が立つ分厄介だ」
凛が生まれたからこの世界が自分の世界になったというのは流司の胸を打っていたが、それを聞くと感動して良い事かどうか分からなくなった。
流司は蛍宮に来て今が一番頭が痛かった。
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