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第15話 金魚屋の弟

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 俺は久しぶりに金魚屋の中に入ると、本棚や食器棚などのインテリアが増えていた。前までは古い日本の家具だったが、今度は全く新しいロココ調の物に入れ替わっている。
 和服姿に大正テイストな店内でロココ調は相当浮いているが、もしや本格的にカフェへシフトチェンジするんだろうか。
 そして女は雑な手つきでコーヒーを淹れてくれたが、温くて苦くて粉っぽかった。
 粉末を溶かす事すらできないのならカフェは確実に無理だろう。

 「で?なぁんで君が来るんだい?沙耶はもういないよ」
 「それは俺にもよく分からないんですけど。あなたが俺を呼んだんじゃないんですか?」
 「金魚屋は人間なんて呼ばないよ。人間は勝手に憑かれて勝手に来るんだ」
 「ああそっか。けど俺また金魚が見えるんですよ」
 「うわあ。そりゃまあ憑かれたんだろうね。君を恨んでる誰かが死んだんじゃないかい?」

 恨まれるほど深い人付き合いなどできていない。むしろ遠巻きに見られて接近は許されていない。
 いや、接近した人間もいる。大学でキレて殴ったあの生徒だ。
 いやいや殺すな。あいつは生きてる。歯が折れたとか聞いたけど生きてる。

 「まあ考えても分からないね。さっさと犯人を見つけておいで」
 「見つけてってどうしたらいいんですか。てか、そもそも憑くってどういう事なんですか?金魚が張り付いてるならともかく何にも無いし」
 「知らないよ。そんなのはあの子に聞いておくれ」

 女はくいっと顎でキッチンにいる弟を指示した。
 弟は四六時中姉の傍にいるわけじゃない。こうして近くにいる事もあれば、一日中姿を見ない日もある。
 姉に対して特別変わった行動をするわけでもなくて、ただ一緒に暮らしているだけだ。
 となると、憑くというのはおそらく物理的な行動ではないのだろう。

 「精神攻撃みたいな……?」
 「知らんよ。まあ放っておくわけにもいかないし。とりあえずここでバイトするがいいよ。君に恨みがあるなら頼まなくてもあっちからやってくる」
 「でも現時点じわじわ魂減ってるんですよね?先に俺が死んだらどうするんですか」 
 「それは無いよ。魂というのは心だと言ったろう。生きてる限り人の心は無くならない。食われたって人生を感情豊かに生きてさえいれば心はどんどん生まれるんだ。ただ憑かれる人間はえてして感情の起伏が乏しく、生きる意味を見失ってるケースが多い。だから死んでしまうのであって、言ってみれば結果論なのさ。でも今の君は何だか楽しそうじゃないか」
 「それはまあそれなりに。友達できなくて寂しいですけど」
 「寂しいと感じるのは楽しい時があるからさ。そんな浮き沈みのある人生を遅れてるのなら魂ひと欠片食われても死にはしない。業を煮やした金魚の方からユラユラとやってくるだろうよ」
 「けど出目金て物理的に襲ってくるじゃないですか……」

 どちらかというと問題はそっちだ。
 目を合わせない事はできても、金魚と違って触れてしまう。
 もしすれ違いざまにぶつかりでもしたらバレる。

 「逃げるのにも限界あるんですよ。てか怖いですし、普通に」
 「そうだねえ。それじゃあ君が外を歩く時はこの子を連れて行くといいよ」

 女はちょろちょろと走り回っていた弟をひょいと抱き上げた。
 弟はじたばたと暴れて必死に戸棚に手を伸ばしている。
 おやつでも盗み取ろうとする微笑ましい光景に見えるが、弟の取ろうとしてるのは金魚鉢だ。
 食事をしたばかりだろう、と姉に額を小突かれているがほのぼのとは言い難いものがある。
 けど対出目金となれば百人力だ。この子はいつも俺を助けてくれた。

 「いいんですか?それは有難いですけど、お前は?いいの?」

 少年はいつも無表情で一言も喋らない。
 自我が無いという説が正しいのなら、特別嫌われているわけでは無いのだろうけれど、それは大切に想ってくれているわけでも無いという事だ。
 護衛にするにしては不安ではある。
 多少なりとも意思疎通が図れればいいのだが、そんな事ができるのだろうか。
 試しに頭を撫でてみようと手を伸ばしてみると、逃げられる事はなく大人しく撫でられてくれた。
 それどころかすりすりと頬を摺り寄せてくれた。

 「おお……」

 可愛い。
 俺は妙な達成感と感動で震えた。
 弟は俺を気に入ってくれたのか、姉の手を降りぴょんと俺に飛びついてきた。
 相変わらず表情は無いが、ぺたぺたと俺の顔を触ってくるあたり興味は持ってくれたようだ。

 「おやおや。人に懐くなんて珍しい事もあるものだ」
 「そうなんですか?」
 「そりゃそうさ。普通は君のように長居しないし何度も来ない。この子と遊ぶほど心の余裕は無いんだよ」

 確かに。
 という事はこの子も友達がいなくて寂しいのかもしれない。

 「よし。じゃあ今日から友達だな。なあ、名前何て言うんだよ」

 だがこれには答えてくれなかった。
 もう少し仲良くならないと駄目なのか。

 「無駄だよ。この子にとって生者は金魚(えさ)を生み出す自動餌やり機みたいなものだから」
 「あ、そういう感じ……」

 まさかそんな理由ですり寄ってくれていたとは思わなかった。浮かれた自分がちょっと恥ずかしい。
 けれど、腕の中にすっぽり収まる様子は沙耶の小さな頃を思い出して悪い気はしなかった。

 「うーん。とりあえず噛むの止めてくれる?」

 一体何を食おうというのか、俺の右肩をがじがじと噛んでいた。
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