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第12話 二度目の殺害

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 女は店に戻るとゆっくりとした足取りで葬儀場へと向かった。
 その速度は身体がボロボロで這いずる事しかできない沙耶がこちらを見失わないためだ。
 そして女は相変わらず弟の手を引いているが、弟は相変わらず無表情で、けど姉の手をしっかりと握っている。
 とても金魚には見えない。
 まるで人間だ。
 ゾンビのようにふらつく沙耶とは全然違う。

 「弟さんはどうして身体、その、普通なんですか?沙耶はあんななのに」
 「弟は病死だから遺体が綺麗なんだよ。沙耶は崖から落ちたんだろう?」
 「ああ、死んだ状態が保持されるのか……」
 「そうだよ。沙耶を生かそうと思ったら弟よりもっともっとたくさんの金魚をたべなければいけないね」

 比べるのは間違っているかもしれないが、不平等だ。
 どうせならどの出目金も腐敗してくれればいいのに、なんて愚かな事を考えた。
 だがもし弟が沙耶のような状態だったら女は諦めただろうか。それでも共に暮らす事を選んだだろうか。
 ちらりと女の顔を見ると、弟を眺めながら幸せそうに微笑んでいる。

 (余計な事を考えるのはよそう)

 少年は握っていた最後の一匹をむしゃりと食べて食事を終わりにした。

 「金魚って食べさせていいんですか?その、いや、どうしようもないのは分かるんですけど……その、金魚も人だし……」
 「人間は牛や豚を食べるし、野生動物は狩りをする。それと同じだよ。共食いは道徳に反すると言うのならそれは価値観の違いにすぎない。ハムスターなんてあんな愛らしいのに母親が子を食べる。一部のサメとかクマとかもそうだろう。ヒトの場合はカニバリズムなんて言われるけど、行動の名称が違うだけでそれだけの話だよ。これを議題にするのなら動物保護法からほじくり返した方が良い。ついでに言うと、金魚保護法なんて物は無いよ」
 「でも輪廻転生させてあげるんでしょう?」
 「へぇ?まさか君は本当に輪廻転生とやらを信じているのかい?仮にそんな現象があったとして、君は前世を覚えているかい?覚えて無いだろう?結局生まれ変わったら死した個人とは認定されない。名前は記号に過ぎないけど、同一人物と認定されず関係性が保たれないのなら生まれ変わろうが消滅しようが同じだよ。天に上るというのは金魚屋の業務説明に過ぎない」

 女は急に饒舌になった。
 今まで輪廻転生がどうこう言っていたくせに、急にどうでも良さそうじゃないか。
 だったとしても、やはり金魚を食べるというのは許されないだろう。
 輪廻転生など無いから食べてもいいなのて、そんなのはあの子が金魚を食べる事を正当化するための言い訳だ。

 けど、正直言って少し羨ましい。
 心中などせず沙耶が病気で死ぬのを待っていればこの姉弟のように人目を忍んで生きていけたのだろうか。
 いや、そうなったら沙耶は金魚屋にこんな依頼などしなかっただろう。
 結局のところ沙耶を出目金にしたのは俺だ。

 「あの、弔いとか断罪とか、あれってどうやるんですか?俺特別な事できないんですけど」
 「別にあれは特殊能力じゃないよ。システムによって動的に行われる。君は電源をオンにすればいいだけだ。そのシステムを動かすためのセキュリティカードは金魚屋しか持ってないんだ。だから金魚屋しかできないというだけで、セキュリティ解除できれば誰でもいいよ」
 「シ、システム?セキュリティカードって、そんな、物理的な話なんですか?」
 「そうだよ。電気代がかかるから本当は月に一度なんだけど、今回は特別だ」

 何だそれは。
 じゃああのやたらミュージカルがかった身振りは単なる演出なのか。

 「金魚屋って妙なとこ現実的ですよね」
 「そうかい?かの有名な夢の国ディズニーランドだって夢を見せるための電気代がかかってるよ。その電気代で動くのがアトラクションか葬儀システムかの違いだよ」

 別に夢を見ているわけではない。
 夢が見れるのなら沙耶のあのぼろぼろに腐った身体はもっと美しいはずだ。
 その沙耶はべちゃべちゃと音を立ててゆっくりと歩いている。
 いや、走ろうにもその筋肉が無いから走れないし、走った衝撃で脚の骨がぽきりと折れそうだ。
 ただお兄様お兄様とぶつぶつ呟いているが、最初は不気味で気持ち悪かったあの姿も沙耶だと受け入れてしまえば怖い物では無い――無くはないが、沙耶の皮を被った化け物だと思うことはできなくなっていた。
 出目金も金魚の一種なんだから見た目が違うだけで嫌ってはいけない、という金魚屋の言葉はそういう意味だったのだろう。

 「さあ着いた。やり方を説明しよう」

 到着したそこにはいつも通り円柱水槽が聳え立っていた。
 いつも通りだ。

 「沙耶の肉体から出目金を全部取り出したら葬儀システムの電源を入れる。電源はその床にある、それ、そのパネルだよ。そこを踏めばいい。ただ葬儀が終わったかどうかが分かりにくいから金魚鉢を一つ持ってるといいよ。何しろ葬儀システム入れるとやたらと風が出るんだよ。それで水がぐるぐる回っちゃうんだけど、逆に水が止まったら終わりっていう目安だよ。ああ、システムの仕組みは僕もよく分からないから聞かないでくれよ。僕が作ったわけじゃないからね」

 電源だというパネルは以前弔いの時に女が立っていた場所だ。
 これだけなのか。
 あの金魚鉢が特殊な物だとかこの女の特殊能力とか、そういうファンタジックな超常現象かと思っていた。
 魂だという金魚にはひどく不釣り合いで、俺は何が非現実なのかの境目が分からなくなってきていた。

 「弔いと断罪って、あの、どっちをやるんですか……できれば断罪ってのは、あれは……」
 「そんなのどっちでも同じだよ。断罪は実体を持ってしまった出目金の肉を引っぺがしてるだけで、葬儀システムのやってる事は同じだよ」
 「……でも、輪廻転生するかしないかって違うじゃないですか」
 「だから、それは葬儀後の話だよ。金魚屋がやるのは葬儀自体で、この子は金魚でした、この子は出目金でした、って印をつけるだけなんだ。その後の行方は閻魔様とかそういう連中がやるんじゃないのかい?」
 「ああ、そう……そんなのがいるんですね……」
 「まあ知らないけどねそんなのは。だから断罪が嫌なら君があの沙耶の肉体を壊さないといけない」
 「それはどうしたらいいんですか。もう死んでるんだし、刺せばいいわけではないんでしょう?」

 俺は妙に冷静だった。

 「簡単だよ。沙耶の体内にある出目金を全部取り出せばいい」
 「沙耶の身体を千切ればいいんですね」
 「そうだよ。できるかい?ほら、来たよ」

 のろのろと歩いていた沙耶は、もうすぐ目の前にいた。

 「オにいサま」

 ――沙耶だ。これは沙耶だ。

 「沙耶。おいで」

 俺は沙耶が近づいて来るのを待った。
 いつもは沙耶が待つ方だった。
 病院で寝てるか俺におぶられるしかできなかった沙耶が歩いて近づいて来た。

 「オにいサま」

 沙耶は殆ど骨になっている手を俺に伸ばしてきた。
 きっと出目金の本能に従ってこのまま俺を食べようとしてるのだろう。
 ああ、ほら見ろ。齧られた。

 沙耶は俺の首筋に齧りついて、けど既に顎の肉が無い沙耶は噛み切れないようだった。
 がりがりと爪を立てて俺の背中を引っかいているが、それもくすぐったいだけだ。
 俺は心中した時ぶりに沙耶を抱きしめた。
 あの時も痩せこけて骨ばった身体だったが、今度はまさに骨だ。抱き心地はかなり悪い。

 「ずっと……お前さえいなけりゃって思ってよ。だからお前を助けなかった……」

 俺は沙耶の首の後ろに右手を突っ込んだ。
 その肉を引きちぎるとそれは出目金だった。
 びちびちとまだ動いているそれを放り捨てると、ぴょんと弟が飛び掛かって捕獲していた。

 「お前が邪魔だった。俺の全てを奪うお前が。だから俺は……」

 今度は肩甲骨の下あたりに左手を突っ込んだ。
 そこにはうごうごと何匹もの出目金が蠢いていた。
 一匹、二匹、三匹、四匹、五匹、六匹、七匹――……手探りで掴める限り全て取り出した。
 すると沙耶の右半身は大きく穴が開き、下半身がだらりと骨だけでなんとか繋がっているだけになった。

 「俺はお前を愛しているうちに一緒に死にたかったんだ」

 脇腹辺りの出目金を全て取り払うと、沙耶はもう体を保てず床に転がった。
 それはもう七割骨だった。肉はほとんどが出目金だったのだ。
 これが崖から落ちた沙耶の現状なのだろう。
 もう顔だけじゃ誰だかも分からない。
 金魚のようなワンピースだけが沙耶の証だった。

 俺は沙耶の心臓に手を当てた。
 心臓があった場所から巨大な出目金を掴み出すと、沙耶は完全に動かなくなった。
 だけど沙耶は最初から死んでいた。
 別に今俺がここで殺したわけじゃない。

 女は沙耶の身体から骨をひと欠片摘まむとそれを大きな金魚鉢に入れた。
 そして部屋の隅に置いてある小さな机に乗っているノートパソコンを起動させ、金魚鉢とパソコンをUSBケーブルで繋いだ。
 よく見ると金魚鉢の分厚い底には幾つか穴が空いていて、それはHDMIやSDカードスロットだった。
 女はカチカチと素早いタイピングでキーボードを打ち続けた。
 それは着物姿には似合わず、一分間で三百文字は打っていそうなスピードだ。
 そしてピピッという音を聞いてから外付けのカードリーダースロットに金魚の模様が描かれたカードを差し込んだ。
 作業を追えたらしい女にいいよ、と合図され、俺はほとんど骨しかない沙耶の身体を部屋の中心部に置いた。
 そして女はその金魚鉢を俺に差し出し、ほら、とにっこり微笑みかけてくれた。

 「さあ。沙耶を弔っておあげ」

 葬儀はシステムで動的に行われると言っていた。
 まさかパソコンで準備されたこれが葬儀なのだろうか。なんと無機質な事か。
 俺はなみなみと水の注がれた金魚鉢を受け取って、しかしそれはあまりにも重くてあわや落としそうになってしまう。

 「それが命の重みだと思うがいいだろう。良い記念になる」

 俺には女の謎かけのような話は分からない。感性が違いすぎる。
 けど俺は金魚鉢を抱きかかえ、葬儀システムとやらの電源パネルをじっと見降ろした。
 光り輝いているわけでも美しい模様が彫られているわけでもない。
 他のタイルと材質が違うだけで、全てを終わりにするにしては何とも質素なものだ。

 「そこを踏んでごらん。カチッとへこむからね。それで終わるよ。さあさあ」

 まるで早くお風呂にはいりなさい、程度のノリで言ってくれるじゃないか。
 いや、きっとこれは金魚屋にとって特別な事ではない単なる日常なんだろう。
 何しろ葬儀はシステムで動的に行われるのだから。

 「そんなに気負う事はない。大丈夫。痛くも痒くもないよ。あ、風が吹くから寒いかもね」

 特別な事ではない。人はいずれ死ぬものだ。
 ただ、ちょっと普通の人より長く動けただけだ。
 だからこうして俺の手で葬儀を行える。

 俺は葬儀システムの電源パネルに足を乗せた。
 特別な事は何もない。
 ただ少しだけ力を入れるとカチッと音がした。
 すると、フイイイイイ、と換気扇が回るような音がした。
 どこからか風が吹いてきて、それが円柱水槽の中で竜巻になっていく。
 風はぐるぐると俺の身体も取り囲む。

 ぐるぐる

 ぐるぐる

 ぐるぐる

 ぐるぐる

 ぐるぐる

 沙耶だったそれの中に残されていた出目金はその渦に呑み込まれて姿を消した。
 そしてその水がぱたたと俺の顔に飛んできたが、それは水ではなく血だった。
 それが沙耶の血かどうか俺にはもう分からない。

 「沙耶、俺は生きるよ」
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