星降る夜に

さいころ

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1890/07/05/11:00遊馬黎明

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「はあ、はあ、」
__大丈夫だ、落ち着け。
そう自分に言い聞かすも、頭の奥で声が響く。
「黎明」「ほら、早くおいで、黎明」「誰と話しているんだ、黎明」「どこ行くんだ、黎明」
耳に纏わり付くような、ねっとりとしたあの声が、舐め回すようなあの視線が蘇る。
「は、はあっ、う、ゲホ、ゴホッ」
「黎明!?」
体の中をかき混ぜられる、あの感覚。逆らえない絶望感。
気持ち悪い、怖い、苦しい、息が吸えない。目の前が、歪み、チカチカと黒く点滅する。
「黎明、落ち着け、大丈夫だ、側にいる」
ぐ、と力強く抱きしめられる。時折、「大丈夫」「もうあいつはいない」「俺が守るから」と啓修は背中をさすっていてくれた。どのくらいそうしていたかはわからない。漸く落ち着きを取り戻した時、啓修が眉を潜めて私の手を見ているのに気がついた。
「…お前、やっぱり」
手を見ると、鮮やかな血液がべったりと付いていて、慌てて啓修から離れると、着物にはところどころ赤黒いしみができている。
「やっぱりということは、気づいていたんだね」
「…薄々な。お前の口から聞きたいと思って」
「ちょうど今日、話そうと思っていたんだ」
今日、啓修を呼んだのは元々この話をするためだった。
「二年、いや、もう少し前かな。結核になってね」
私が彼に話したのは、私の死後の話である。私の代わりに實くんの支援をして欲しいということ、私の家や遺産は彼の学費や、結婚のための資金にすること。執筆途中の私の小説は、燃やすか啓修が書き上げること。啓修は二つ返事で了承してくれた。
「ありがとう、啓修。もうひとつ、頼みがあるんだ」
実を言うと死後の話は遺書に残してある為、言わずとも良い話だ。本当に頼みたいのは、この事である。
「七夕の夜、私は死ぬ。実くんを翌日まで預かってくれないか」
そして、翌朝、君が私を見つけてくれ。そう言うと啓修はしばらく黙り込んでいた。少し説明が足りなかったのだろうか。
「人の死に際は辛いものだ。實くんにそんなことは経験させたくない」
「…だから、潮くんがいない間に死のうと?」
首を縦に降ると、啓修はバンと机を叩いた。振動でカチャリと食器が音を立てる。
「ふざけるなよ!お前の自殺の手伝いなんかできるか!」
そういえば、以前も1度死のうと思ったことがあったが、その時も啓修は私を止めてくれた。あの時は「お前が死ねば俺も死ぬ」と泣く彼に救われたが、今回は、本当にどうしようもないのだ。自分の命が残り僅かなのは日に日に不自由が増える体に痛感させられる。遅かれ、早かれ、もうすぐ私は死ぬのだ。
「いつ死ぬか分からず怯えているくらいなら、自分の手で死んでしまった方が楽だと思ってね」
「…だからって、生きていれば、その間一緒に過ごせるだろう?!」
「過ごせば過ごすだけ、別れは辛くなる。彼には、私のことなど気にせず、幸せに生きて欲しいんだ」
怒りだろうか。小刻みに震える啓修の拳にそっと手を重ねる。啓修が顔を上げ、ばちりと視線がぶつかった。
「啓修にしか、頼めない」
啓修は少しだけ目元を赤くしながら、眉をひそめていた。断られたら、どうしようか。實くんが学校にいっている間に川にでも飛び込もうか。ぎゅ、と重ねている手を握ると啓修は「ああ!」と声を上げた。
「……仕方ない、今回は止められなそうだ」
「ありがとう、苦労をかけるね」
「ほんとうに全くだ」
しかし、どうやって一晩、實くんを啓修の元に止めさせられるだろうか。啓修は理学部で、實くんは文学部だ。あまり接点は無い。
「どうやって引き止めるかか?」
「うん。實くん、友人との誘いを断っても帰って来るからね、どうすれば…」
「何か頼み事をすればいいんじゃないか」
「頼み事…」
うーんと頭を悩ませると、ふと昨年の会話を思い出す。
「啓修は流星の研究をしている、といったよね」
「ああ」
「それを彼に手伝わせてくれないか?」
去年、流星の話と、それを題材に物語を考えるという話をした。それの参考のためだとか言えばきっと實くんも手伝ってくれるだろう。
ちょうど話がまとまったところでがらがらと網戸を開ける音がした。
「ただいま戻りました」
「おかえり、實くん」
「はい、先生…と東雲先生。いらして居たんですね」
扉からひょっこりと顔を出すと、啓修に丁寧にお礼すると、きょろきょろと辺りを見回した。割れた皿は放置している上に、いつもは原稿用紙を2人で広げているがそれもない。一体何をしていたのかと不審に思っているのだろう。
「2人で執筆をしていた_というわけではなさそうですが、何を?」
「二人で話を」
「秘密、かな」
話をしていたとごまかそうと思っていたところを啓修の声で遮られる。まったく此奴は、何故啓修は誤解を生むような言動をするのだろう。「啓修」と諭すと余計に誤解させてしまったようで、實くんは唇をわなわなと震えさせていた。
「ま、まさか、東雲先生、先生に」
「何もしていない。全く、お前たちは俺に対する信用がなさすぎやしないか」
「本当に?何も?」
實くんはぐいと啓修に近づき、まるで拷問官のように問い質す。こうなると長いから、誤解を生まないようにと思っていたのに。呆れながら、私は啓修に助け船を出してやることにした。
「大丈夫だよ、實くん。確認するかい?」
「確っ!?」
こうやって揶揄うと實くんは大抵静かになる。案の定、両の手を広げ、首をかしげてみせると實くんは「いや、あの、その」と真っ赤な顔を地面に向け、啓修への尋問は止まった。「そうだ、潮くん、明後日研究室に来てくれないか?」
「明後日…七日ですか?」
「ああ。手伝ってほしい研究があるんだ。泊まりになると思うが__ああ!安心してくれ、別に手を出そうなんて思ってない」
ちらりと私の顔色を伺うように實くんの視線が動く。
「私のことは気にしなくてもいい」
「で、でも」
「啓修は理学部だからね。私の教えとは違う発見があると思うよ」
實くんに話す隙を与えず、「行っておいで」と笑いかければ、彼はキュッと口を噤み、静かに頷いた。
「じゃあ私は部屋で休んでいるよ。啓修は好きなだけくつろいでくれて構わない。實くん、啓修が呼びに来る時呼びに来てくれないかな」
「はい、先生。部屋まで」
私の手を取ろうとした實くんを首振って静止する。
「いや、大丈夫だよ。實くんは啓修をもてなしてやってくれ」
「…わかり、ました」
少しだけ不満げに頷くと、實くんは台所の方へと歩いていった。
明後日以降、實くんは啓修と一緒に過ごすことになる。二人きりの時、彼らはどんな会話をするのだろう。少し想像して、胸がざわめいた、気がした。
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