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第1話 託宣
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「――畏み畏み白す」
冗長な、あまりにも冗長な祝詞が、漸く終わった。
さっさと終われと願っていたから、やっとという気になった。
興味もない祝詞。中身もよく分からない。それを延々と聞かされのだから、堪ったものではない。
神主、――いや、ここでは預言者になるのだろうか、呪い言葉にはもううんざりだ。
疾うに日は暮れた。
冷たい月だけが、雲の切れ間から覗き込んでいる。
鬱蒼とする鎮守の森が、闇を深く纏う。その闇を払うように、入り口には煌々と火が焚かれている。
本堂に集まった数十名の男女が、正座し、頭を垂れている。
中央には祭壇と、幼げな巫女が一人。その奥に、この、どうでも良い集まりの主催者がいるのだ。
「さて、皆々様――」
振り返り、我々に神の御意志なるものを、語りかける。
神主の風体であるが、その実は神主でも何でもない。
私は知っている。元はただの一般市民だ。
何でも、元々いた類似宗教に嫌気がさし、最近になって独立、立ち上げたのが、この神道系類似宗教『神宝』だという。
教義は混沌としている。
元の類似宗教を基礎に、己の神秘体験を織り交ぜ、外堀を大陸の紅卍教、果てはプロテスタント、ユダヤ教まで取り入れて固め、内堀は世界と天皇を結びつけた歪んだ認識。
――独立ではない、破門の体だ。
それはそうだ。信徒でありながら、本人が直接神の言葉を聞き、全く異なる教えを主張したら、破門されるに決まっている。
曰くである。
ある日、天啓が降りた。
それは、文字という船に乗り、神意宿る言葉となって、身体に写った、という。
鏡に映るように、身体に文字が浮かび、この世の理を越えて遠くを見る、言葉。
――どうせ眉唾だ。
神秘体験なんて、本人にしか分からない。
――文字が身体に浮かぶ?
そんなのは筆でも何でも、身体に書けば良い。
――勝手に筆が動く?
持っているのは人間だ。神秘の捏造など、簡単にできる。
理由をそれらしくすれば、そして一人一人の心のポケットに嵌まるように説得すれば、人は安易に納得する。
だから、神器も天啓の子細も、頗るどうでもいい。
なんでも御神体は、十種神宝の沖津鏡。人目に付かぬよう、箱に入れられているらしい。人の頭で見えなかったが、祝詞の前後に、何かを手で弄くっていた。多分、それなんだろう。
どうせ適当な偽造玩具だ。
あるいは、本当に石上神宮からでも盗んできたのだろうか――。
いやいや、そんなことは本当にどうでも良い。私の目的は、この集まり自身にはない。
――偵察。
この『神宝』には、ちらほらと軍人が参加している。
陸海問わず――。それも佐官クラスだ。
誰が誰だかは、来てみないと分からない。名簿が手に入れば良いのだが、流石に上手くは行かなかった。
来所時に記帳することになったので、偽名を書いた。無論、件の連中も偽名の可能性が高い。ただ、顔までは隠せない。
かく言う私もカツラや髭を付けて変装しているが、そうそう表に出ない私なんぞは、誰も分かるまい。
一方、こっちは目星を付けて覚えている。
だから、軍務局第一軍事課のあいつ、陸大教官のあいつなど、見つけては内心驚いていた。
私からすれば、結構なお歴々である。
雁首揃えて、この団体で何をしたいのか。
――いや、それすらも目的ではない。
私の仕事は、あくまで確認なのだ。
特高や憲兵でない。ただ、かなりの食わせ者の上官に付いてしまったのが運の尽き。
かの人は、野心のために人を蹴落とす。
人事の要諦、大事なところで、弱みを握っておきたい。今のような流動的な時期であれば、尚更のことらしい。
その確認のためだけに、私が密偵になった。当該人物の参加が確認出来れば、それで良かった。
この類似宗教も、どうせ内務省に摘発される。
そもそも、元になったという類似宗教が昨年、不敬罪で摘発されたばかりだ。だから、ここに居る連中は、言わば残党。そんな所にいること自身が、彼らにとっては弱みとなると見込んだらしい。
もっとも、当人達はそんな気は無いだろう。
しかし、いくら万世一系、皇統の隆盛を高らかに謳っていても、この新しい類似宗教では、言葉を聞くのは一人しかいない。
もはやただの不敬罪だ。
だから、この団体はいずれ消えゆく。
およそ類似宗教の類いは、この『非常時』で壊滅するのだろう。にもかかわらず、多くの軍人が類似宗教や神がかった右翼団体に名を連ねる。
――軍と宗教の関わりは目の上の瘤だ。満州で名を上げた石原完爾将軍も、日蓮宗系の田中某と昵懇の間柄なのは、あまりに有名である。
元の類似宗教は活動用に外郭団体を作っていたが、その結成式は九段の軍人会館で結成され、知名の軍人政治家も祝辞を述べていた。内田良平、後藤文夫、松岡洋右、頭山満、――三千人の大開会式であった。
この面々は、どういう思いでいるのだろう。一兵卒の私には、皆目見当も付かない。
だが、こういう出自だからこそ、残党達はまだ群れたいのだろう。
つい二月ほど前、帝都で大規模叛乱事件が起きたばかりである。
――人心の惑乱は、軍人も同じである。
だが、国の政に影響大なる職業である軍人が、しかも高位の人物が、背景も不確かな類似宗教に近づき、発言をするのは、どうにもいただけない。
挙げ句、テロやクーデターを標榜する右翼団体と接近し、政党化した日には、国家転覆の脅威と見られても仕方がない。実際、元になった類似宗教も、国家の脅威と判断されたから摘発されたのだろう。
――私以外にも、そう思う人は多い。
人事でその辺りが考慮されれば、物事は優位に運べるとの思惑。
だから、今ここに居るのだ。
やがて――。
「ご託宣」
その言葉と共に、中央祭壇に巫女が登壇する。
艶やかな朱、透き通る白。俄に巫女は胸をはだけ、乳房を露わにする。
揺らめく炎に照らされて、巫女の乳房が、艶やかに、怪しく揺れる。
破廉恥な――。
厳かな雰囲気を纏っていても、本当に身体に神意が現れることなんてあり得ない。
だから、これは儀式の体をした、ただのショウなのだ。
淫猥で不埒で邪な、ただの裸だ。
こんなことで、この世の理を越えて、遠く世界を見通す言葉が受けられるなら、すぐに裸になるね。
――ならば、お前が観よ。
耳元で、言葉が囁いた。
声ではない、声にもならない、言葉そのもの。
聞こえた刹那、胸に激痛が走る。
「うぅ……!」
自然と呻き、前屈みになる。
それだけではない。
胸が、熱い――!
焼き鏝を押しつけられるように、皮膚、四方二十糎ばかりが、極端に熱く、痛い――!
――観よ。
今度は、頭の中に、溢れる!
あぁ――、頭が詰まり、溢れ出る!
言葉が! 写真が! 絵が! 意志が!
次から次へと脳髄の奥の奥まで、耳をこじ開けるように、力尽くで入り込んでくる!
砲煙に霞む戦場が!
目も眩むような憎悪が!
聳え立つ摩天楼が!
猛然と涌き上がる茸雲が!
天地を覆い尽くす閃光が!
見渡す限りの黒焦げの遺体が!
溶けて歪んだビルヂングが!
耳を聾する歓呼の声が!
星空から降り立つ目映く神々しい光が――!
両手で塞いでも、――駄目だ!
情景だけじゃない、頭に注ぎ込むように、言葉が、言葉が雪崩を打って入り込んでくる!
「う、うわぁぁぁッ!」
居ても立ってもいられず、叫び、立ち上がる。
全員の視線が集まる。
だが、そんなものは意識に留め置けない。
文字が、言葉が、絵が、意志が――。
焼けるような胸の痛み。
もう脳味噌に入らないのに、力ずくに押し込まれ、割れる。
一刻も早く、ここから逃げよう――!
僅かばかりの理性が、身体を駆けさせた。
靴なぞ履けるか!
カツラも髭も邪魔だ!
熱い、苦しい!
駆ける、駆ける! どこまでも!
暗闇の中、森の中、脚から血が出ようと構わぬ。
月が笑っていようが、関係ない。
荒い呼吸をも乗り越えて、言葉が入り込む!
「やめてくれ……! もう嫌だ……」
いくら走ったか分からぬ。
静まりかえった闇の中、言葉だけ。
――観よ、観よ、観よ!
――胸に刻め!
――あぁ、口惜しや口惜しや!
――勝つのは我らぞ!
意識が、急に遠のく――。
闇に墜ちる中、言葉だけが木霊する。
私は失い、得るのだろう。
役目を――。
冗長な、あまりにも冗長な祝詞が、漸く終わった。
さっさと終われと願っていたから、やっとという気になった。
興味もない祝詞。中身もよく分からない。それを延々と聞かされのだから、堪ったものではない。
神主、――いや、ここでは預言者になるのだろうか、呪い言葉にはもううんざりだ。
疾うに日は暮れた。
冷たい月だけが、雲の切れ間から覗き込んでいる。
鬱蒼とする鎮守の森が、闇を深く纏う。その闇を払うように、入り口には煌々と火が焚かれている。
本堂に集まった数十名の男女が、正座し、頭を垂れている。
中央には祭壇と、幼げな巫女が一人。その奥に、この、どうでも良い集まりの主催者がいるのだ。
「さて、皆々様――」
振り返り、我々に神の御意志なるものを、語りかける。
神主の風体であるが、その実は神主でも何でもない。
私は知っている。元はただの一般市民だ。
何でも、元々いた類似宗教に嫌気がさし、最近になって独立、立ち上げたのが、この神道系類似宗教『神宝』だという。
教義は混沌としている。
元の類似宗教を基礎に、己の神秘体験を織り交ぜ、外堀を大陸の紅卍教、果てはプロテスタント、ユダヤ教まで取り入れて固め、内堀は世界と天皇を結びつけた歪んだ認識。
――独立ではない、破門の体だ。
それはそうだ。信徒でありながら、本人が直接神の言葉を聞き、全く異なる教えを主張したら、破門されるに決まっている。
曰くである。
ある日、天啓が降りた。
それは、文字という船に乗り、神意宿る言葉となって、身体に写った、という。
鏡に映るように、身体に文字が浮かび、この世の理を越えて遠くを見る、言葉。
――どうせ眉唾だ。
神秘体験なんて、本人にしか分からない。
――文字が身体に浮かぶ?
そんなのは筆でも何でも、身体に書けば良い。
――勝手に筆が動く?
持っているのは人間だ。神秘の捏造など、簡単にできる。
理由をそれらしくすれば、そして一人一人の心のポケットに嵌まるように説得すれば、人は安易に納得する。
だから、神器も天啓の子細も、頗るどうでもいい。
なんでも御神体は、十種神宝の沖津鏡。人目に付かぬよう、箱に入れられているらしい。人の頭で見えなかったが、祝詞の前後に、何かを手で弄くっていた。多分、それなんだろう。
どうせ適当な偽造玩具だ。
あるいは、本当に石上神宮からでも盗んできたのだろうか――。
いやいや、そんなことは本当にどうでも良い。私の目的は、この集まり自身にはない。
――偵察。
この『神宝』には、ちらほらと軍人が参加している。
陸海問わず――。それも佐官クラスだ。
誰が誰だかは、来てみないと分からない。名簿が手に入れば良いのだが、流石に上手くは行かなかった。
来所時に記帳することになったので、偽名を書いた。無論、件の連中も偽名の可能性が高い。ただ、顔までは隠せない。
かく言う私もカツラや髭を付けて変装しているが、そうそう表に出ない私なんぞは、誰も分かるまい。
一方、こっちは目星を付けて覚えている。
だから、軍務局第一軍事課のあいつ、陸大教官のあいつなど、見つけては内心驚いていた。
私からすれば、結構なお歴々である。
雁首揃えて、この団体で何をしたいのか。
――いや、それすらも目的ではない。
私の仕事は、あくまで確認なのだ。
特高や憲兵でない。ただ、かなりの食わせ者の上官に付いてしまったのが運の尽き。
かの人は、野心のために人を蹴落とす。
人事の要諦、大事なところで、弱みを握っておきたい。今のような流動的な時期であれば、尚更のことらしい。
その確認のためだけに、私が密偵になった。当該人物の参加が確認出来れば、それで良かった。
この類似宗教も、どうせ内務省に摘発される。
そもそも、元になったという類似宗教が昨年、不敬罪で摘発されたばかりだ。だから、ここに居る連中は、言わば残党。そんな所にいること自身が、彼らにとっては弱みとなると見込んだらしい。
もっとも、当人達はそんな気は無いだろう。
しかし、いくら万世一系、皇統の隆盛を高らかに謳っていても、この新しい類似宗教では、言葉を聞くのは一人しかいない。
もはやただの不敬罪だ。
だから、この団体はいずれ消えゆく。
およそ類似宗教の類いは、この『非常時』で壊滅するのだろう。にもかかわらず、多くの軍人が類似宗教や神がかった右翼団体に名を連ねる。
――軍と宗教の関わりは目の上の瘤だ。満州で名を上げた石原完爾将軍も、日蓮宗系の田中某と昵懇の間柄なのは、あまりに有名である。
元の類似宗教は活動用に外郭団体を作っていたが、その結成式は九段の軍人会館で結成され、知名の軍人政治家も祝辞を述べていた。内田良平、後藤文夫、松岡洋右、頭山満、――三千人の大開会式であった。
この面々は、どういう思いでいるのだろう。一兵卒の私には、皆目見当も付かない。
だが、こういう出自だからこそ、残党達はまだ群れたいのだろう。
つい二月ほど前、帝都で大規模叛乱事件が起きたばかりである。
――人心の惑乱は、軍人も同じである。
だが、国の政に影響大なる職業である軍人が、しかも高位の人物が、背景も不確かな類似宗教に近づき、発言をするのは、どうにもいただけない。
挙げ句、テロやクーデターを標榜する右翼団体と接近し、政党化した日には、国家転覆の脅威と見られても仕方がない。実際、元になった類似宗教も、国家の脅威と判断されたから摘発されたのだろう。
――私以外にも、そう思う人は多い。
人事でその辺りが考慮されれば、物事は優位に運べるとの思惑。
だから、今ここに居るのだ。
やがて――。
「ご託宣」
その言葉と共に、中央祭壇に巫女が登壇する。
艶やかな朱、透き通る白。俄に巫女は胸をはだけ、乳房を露わにする。
揺らめく炎に照らされて、巫女の乳房が、艶やかに、怪しく揺れる。
破廉恥な――。
厳かな雰囲気を纏っていても、本当に身体に神意が現れることなんてあり得ない。
だから、これは儀式の体をした、ただのショウなのだ。
淫猥で不埒で邪な、ただの裸だ。
こんなことで、この世の理を越えて、遠く世界を見通す言葉が受けられるなら、すぐに裸になるね。
――ならば、お前が観よ。
耳元で、言葉が囁いた。
声ではない、声にもならない、言葉そのもの。
聞こえた刹那、胸に激痛が走る。
「うぅ……!」
自然と呻き、前屈みになる。
それだけではない。
胸が、熱い――!
焼き鏝を押しつけられるように、皮膚、四方二十糎ばかりが、極端に熱く、痛い――!
――観よ。
今度は、頭の中に、溢れる!
あぁ――、頭が詰まり、溢れ出る!
言葉が! 写真が! 絵が! 意志が!
次から次へと脳髄の奥の奥まで、耳をこじ開けるように、力尽くで入り込んでくる!
砲煙に霞む戦場が!
目も眩むような憎悪が!
聳え立つ摩天楼が!
猛然と涌き上がる茸雲が!
天地を覆い尽くす閃光が!
見渡す限りの黒焦げの遺体が!
溶けて歪んだビルヂングが!
耳を聾する歓呼の声が!
星空から降り立つ目映く神々しい光が――!
両手で塞いでも、――駄目だ!
情景だけじゃない、頭に注ぎ込むように、言葉が、言葉が雪崩を打って入り込んでくる!
「う、うわぁぁぁッ!」
居ても立ってもいられず、叫び、立ち上がる。
全員の視線が集まる。
だが、そんなものは意識に留め置けない。
文字が、言葉が、絵が、意志が――。
焼けるような胸の痛み。
もう脳味噌に入らないのに、力ずくに押し込まれ、割れる。
一刻も早く、ここから逃げよう――!
僅かばかりの理性が、身体を駆けさせた。
靴なぞ履けるか!
カツラも髭も邪魔だ!
熱い、苦しい!
駆ける、駆ける! どこまでも!
暗闇の中、森の中、脚から血が出ようと構わぬ。
月が笑っていようが、関係ない。
荒い呼吸をも乗り越えて、言葉が入り込む!
「やめてくれ……! もう嫌だ……」
いくら走ったか分からぬ。
静まりかえった闇の中、言葉だけ。
――観よ、観よ、観よ!
――胸に刻め!
――あぁ、口惜しや口惜しや!
――勝つのは我らぞ!
意識が、急に遠のく――。
闇に墜ちる中、言葉だけが木霊する。
私は失い、得るのだろう。
役目を――。
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