ディバイン・インキュベーター1946~東京天魔揺籃記~

月見里清流

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第2章 銃口の先

6-2 Ghost train(化灯籠)――東海道線

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 時計の針は19時を回り、日はすでに地に没している。
 空は夕暮れの残滓を湛えながら、夜の帳が深く降りてきている。吐く息白く、空気も乾燥、如何にも冬の夜寒である。
 私達は薄暗闇の東京駅で、隊長を待った。


 見渡すと、北口やプラットホームは焼け落ち、雨ざらしのホーム、焼け跡生々しい鉄骨、穿たれたコンクリートなど、未だ戦火の傷跡に苦しんでいるのが心に刺さる。今は丸の内駅舎を中心に復旧工事が進められており、駅全体を覆うように大量の足場が組まれ、物々しい様相である。


 大正時代にはなかった東京駅八重洲口は、駅舎は小さく、地方へ買い出しに行った市民がぞろぞろと吐き出されている。ついこの間までは、こういう空間に一緒に混ざって浮浪していたことを思い出す。
 えた匂いが漂い、戦災孤児達が物を強請ねだり、盗み、たむろする。傷痍軍人が声を上げたり俯いたり、――彼ら独自のルールに従って、日銭を稼ぐ。
 戦争の影が薄れる気配は、まだない――。


 振り返れば、戦争は色々な「モノ」「サービス」を駅から奪っていった。


 華々しき帝都東京は、昔日の残影。
 全国に先駆けて導入された自動券売機も、寝台列車も、食堂車も、急行列車さえダイヤ改正でほぼ消滅していた。


 全ては総力戦体制のために……!
 一億火の玉は、実際そうでなくとも社会を蝕み、生活の質を杵で押し潰すように引き下げた。電車に限って言えば、戦前の余裕は疾うの昔に消え失せ――、国民は相変わらずので苦行の長旅をするのだ。


 ――連合軍だけは別である。
 ありとあらゆるサービスが、最優先で最上のものが使える、与えられる。


 戦時で消滅した寝台列車も、食堂車も、連合軍は最優先で設定されている。一等客車クラスを誂えた連合軍専用列車など、新聞記事に踊るくらいだ。


 無論――、日本人は利用出来ない。
 下士官以下の米兵は日本人と同じ電車に乗ることもある。しかし、上級将校や将官クラスであれば専用列車が宛がわれる。さらに軍司令官にもなると『司令官専用列車』もあり、――天皇陛下のお召し列車と同様クラスのサービスを受けられるとのことだ。


 占領されている日本人は、遠くで指をくわえて見る事しか出来ない。
 羨望と畏怖の対象――。
 白帯一本の連合軍特急アライドリミテッド――。
 利用客として日本人が乗れない列車に、


『――急な話で悪かったな』
 丸の内、駅舎乗車口前。
 駅構内の人混みはやや和らぎ、雑然と閑散の境界にある。
 そんな中でも、電灯に照らされた隊長は筋骨隆々の陰影がより深く、いるだけで存在を主張しているようですぐに見つかった。


 連合軍は専用の乗車口があり、輸送事務所RTOを介して移動が図られる。
 見渡すと、輸送事務所RTOに向かって歩く米兵達は、いそいそと、それでいてニヤついている野郎もいる。彼らは慰安旅行――、文字通りのに、出かけるのだ。


 キャメラ片手に観光地巡り。
 本当にいい気なものだ。
 私はこれから京都、場合によっては怪異と戦うかも知れないのに――。


『いえ、それより挨拶の行き先は、やはり?』
 デービッドが神妙な面持ちで隊長に尋ねた。
『そうだ、「」だ。時間が掛かってしまったが、先方との協定がこの度交わされることになった。今回はその前準備といった所だ』


 ――ラセツ?
 私の聞いたことのない単語が出てきた。


『ははーん。それじゃあ、本当に挨拶回りだけらしいですなぁ。良かった良かった!』
『予備交渉も任務の内だが、道中――いや、向こうに行ってから何があるか分からん。我々のことを快く思ってない、そう思っていた方が良い。いつでも戦闘に対応出来るよう、準備はしておくんだぞ』


 マイクが意気揚々と髭を撫でニヤついている様を、訥訥と注意された。強面のお小言にマイクは『はい』とだけ呟き、ばつが悪そうに頭を掻いた。


『隊長……、その「ラセツ」とは?』
 ロバート隊長は片眉をつり上げ、咳払いをした。


『うーむ……、|こういう人がいる場所で話すのは良くない。万が一ということもある。どうせ時間はあるからな、車内で話すとしよう』


 きっぱりと話を切り、隊長はくるりと踵を返した。
 向かう先は、専用乗車口。我々3人は子ガモのようにぞろぞろ隊長について行くしかない。


 ――その道中。
 僅か数十メートルでしかないのだが、歩く方向が一緒になった親子連れの会話が耳に入った。僅かばかりに視線を流し、その様子を見た。
 戦災で焼け出されたような風情ではない。明らかに社会復帰が出来た、……つまり生活に余裕のある家族である。和服で坊主頭の小僧が、父と母の手にぶら下がって遊んでいるようだ。


「どうして日本人なのに進駐軍の服を着てるの? あの人」
「……本当、なんでかしら」
「日系のGI米兵じゃあないかな、軍服を着ているし」
「じゃあ、あの白帯の赤茶色列車に乗るんだ! いいなぁ」


 微かに聞こえる程度。
 視線を交えたのは子どもの羨望の眼差し。
 それからすぐに別れた。
 子どもに悪気はない。
 だが――。


『ウラベ……、気にしないでください』
『あぁ、大丈夫だ、心配ない』
 デービッドの親切心は身に染みる。
 だが私の言葉とは裏腹に、罪悪感は肩を重くするばかり。
 視界に入るすべて、ありとあらゆる日本の現実は敗戦の汚辱に塗れている。その現実を目にする度に、ついこの間までそこにいたはずなのに、今はひしひしと罪悪感が胸にこみ上げる。


 ――私は日本人でありながら、日本人ではない。同胞の収奪の上に、生存が許されている。


 気が重くならない訳がない。
 俄に傷心を癒やす間もなく、隊長が輸送事務所RTOでの手続きを終え、私は皆の後を着いていくように、とぼとぼとホームに上がった。


 暗闇の中、目に飛び込んでくる、強烈なヘッドライト。
 ホームの電灯が、鈍く車輌を照らす。
 機関車がずんずんと我々に向かってくる。だが、特徴があるのは列車の方である。


 赤茶色マルーンに白帯――。
 それは特別な色合い。
 子どもの羨望も頷ける、特別車輌。


 前方から貨車、一等客車、個室寝台、食堂車という車輌編成。日本人が使えない寝台列車が、悠々と目の前を通り過ぎていく……。ゆっくりと停車に向け、速度を落としていく列車を見送っていると、偶然近くにいた丸眼鏡の日本人車掌の会話が聞こえた。


「……おい、一輛多くないか?」
「11輛編成のはずだが……、食堂車の後ろに客車で12……、だな」
「連合軍側の事情があるかもしれんから、一応確認だけはしておこう」


 さて――、
 僅かな疑義を挟む間もなく、列車搭乗の時刻となり、隊長を先頭に我々は連合軍特急アライドリミテッドに足を踏み入れたのだった。
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