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第2章 銃口の先
6-1 Ghost train(化灯籠)――東海道線
しおりを挟む昭和21年12月20日――。
今日の東京は冷え込みが強かった。
空気は澄み、雲は天高く、空は見事に晴れ渡っていた。
ここ立川基地から見上げる空も、当たり前であるが同じで、実に清々しい快晴である。
しかし、私は怠惰とも弛緩とも言えぬ、複雑な心境にあった。
横浜の一件が終わり――、大して日にちは経っていないにも関わらず、まるで遠い過去のように感ぜられる年の瀬である。
理由は至って単純。
――出撃がないのだ。
加えて、八つ時を迎えた立川基地の執務室は、窓から麗らかな陽気が差し込む、非常にまったりとした空気に包まれており、コーヒーの良い香りが漂う中、気を張って仕事をするというのは、――頗る難しいものである。
『あーあ、今日も出撃はなさそうねぇ……』
本当につまらなそうにキャサリンが呟く。可愛らしい溜め息だけは耳から聞こえた。
この『神聖同盟』日本支部は、状況の統制が任務である。緊急時や調査に出かける『出撃』がなければ、いつも机仕事である。
山積みの資料。
継ぎ足される報告書。
その現実に、嘆息を吐くのは無理もない。
ここは日本。進駐軍から上がってくる情報だけならまだしも、列島に住んでいるのは日本人である。日本語を読み書きできる――しかも古語まで扱えるデービッドは、嬉々として日本側怪異関連資料や報告を読み漁れる。
適材適所。
隊長の指示の下、私とデービッドが日本側怪異資料を担当し、精査、整理するのが業務になる。
言い換えれば――、他の隊員は英語文献しか読めないし、得意でない者も多い。
『……そうだなぁ、この間みたいな大物が来たら面白いんだけどな』
クラウディアが冗句交じりに繋ぐ。
この戦闘に特化した――、悪く言えば戦闘狂の彼女は、いつも嘆息を吐いている。余程の戦いが好きなのだろう。
ただ、実際にフォカロルとの戦闘に参加、或いは見ていた者は、そんな呑気には構えていられなかった。
『こっちはヒヤヒヤしてたのよ~! デービッドさんだって掴まれて大変だったじゃない、ねぇ?』
『危うく死にかけるところだったんですよ、クラウディア』
デービッドが肩を竦めながら眉も口角も勢いよく下げる。しかし、クラウディアはなおも巫山戯ている。
『へっ――、そんなんいつもの事だし、結果的に倒せたんだから良いじゃねぇか。協力して追い込んで、一発ぶん殴ってやりゃ大方の怪異は昇天よ。人型だったら、尚更殴りやすいしな!』
――蛮勇此処に極まれり。
馬腹戦で見たクラウディアの跳躍、一撃は、確かに常人離れしている。刺突剣の一撃も、見ているこっちが身構えるほど強烈だった。だが、フォカロルのように屋上へ逃げられたのでは、手も足も出なかっただろう。
『結局弱らせることが出来たのは、ウラベさんのお陰だしねぇ……』
キャサリンがチラリと視線を向ける。前回の闘いの功労者は私、と言いたいのだろう。
『そうでもないですよ。隊長以下皆の協力があったからです』
『謙虚だなぁ――、まったく日本人らしいぜ』
会話がふざけ過ぎているのか――、或いはクラウディアの不躾な感想に角が立ったのか、黙々と書類整理とタイピングをしていたバーナードが、意外にも口を開いた。
『そんなに暇なら、この「怪異報告書」の山を分けてやろう。1945年8月以来の未整理事件一覧だ。要統制、要鎮圧、経過観察のタグ付けを徹夜でして貰おう。ここだけじゃない、倉庫の一時保管室にもたっぷりあるぞ。……さぁ、好きなのを選べ。なんならここにいる全員で手分けしても良いぞ』
噴き出したのはマイクである。
『おいおい! 今ある報告書の整理と検討だけで精一杯だぜ、バーナード。俺はデスクワークは苦手なんだ』
『パリにいた頃から聞き飽きたぞ、マイク。不得意でも少しはやれ』
バーナードの無慈悲な命令に、マイクではなくクラウディアが眉を顰めてから突っ伏した。
『あー、早く出撃したいぃ……』
怪異討伐――、それは紛れもない、命の駆け引き。
敵怪異によっては、明日をも知れぬ運命だというのに、クラウディアは髀肉を嘆じている。
少なくとも日本軍にいた時には――、決して感じることの出来ない、自由と畏怖の混じり合う不可思議でどうしようもない雰囲気である。
食うや食わず、生きるか死ぬかの時とは比べられないが――、私はこのどうしようもなさに、何処か居心地の良さを少しずつ感じ始めていた。夢と現の端境に微睡みかけていると、突然、バーナードの前にある電話が鳴った。
「『もしもし…?』」
基地内の電話交換手から受けた電話の主は隊長だった。
バーナードが英語で会話するが、念話で聞こえるのは相槌くらいのもので、何を言ってるのかサッパリ分からない。僅かな応答の後、バーナードは受話器を置いた。
『デービッド、ウラベ、マイク、お前達に旅行命令だ』
『えっ……?』
『お前達は、今から東京駅を経由して、専用列車で京都へ向かって貰う』
その命令に、クラウディアが立ち上がり、絶叫にも似た声を上げる。
「『なんでその3人なんだよ! 私は?!』」
『諦めろ、目的は日本側霊会組織への挨拶回りだ。怪異討伐じゃない』
『日本側霊会組織、……ですか』
デービッドが何か思うところあるように、静かに考え込む。私は事態が良く飲み込めず、視線が泳ぐばかりである。一方でマイクはふん――、と鼻を鳴らして髭を撫でつけている。口角が露骨に上がっているのが見えた。
『まぁ――、挨拶だけなら行き帰りで三泊程度の寝台列車旅行だろうなぁ。ははッ! 良い気分転換になるな!』
『うぅ、あたしが一番気分転換したいぃ……』
『私はいつも留守番だけど、たまには旅行に行きたいなぁ。クリスマスも近いんだし、こう、パーっとさ……』
髪を靡かせて崩れ落ちるクラウディア。
弱々しい愚痴に、キャサリンも続け様に零した。
しかし。
『――残念、諦めろ』
よくもまぁ残酷な男である。無碍にぴしゃりと突っぱねる。その一言に、二人は揃って机に突っ伏し、溜息を漏らすばかりだった。
『実際の宿泊日数はまだ分からない。京都で怪異と戦闘になることも想定される。着替えと戦闘用準備、資金を持って19時までに東京駅へ向かってくれ。……マイク、観光気分で行くんじゃないぞ』
『へいへい』
『デービッド、先方の幹部には粗相がないように頼む』
『分かりました』
『ウラベ』
『は、はい……!』
僅かな間があった。
『――気をつけてな』
助言らしい助言もなく、私達は基地を出立し、立川駅から東京駅へと向かったのであった。
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