7 / 42
第1章 戦争は終わったけれど
4 will(意志)――立川
しおりを挟む『それじゃあ、その時の感情と意志を再現してくれ』
そう簡単にできるもんじゃない。
言葉にならぬ愚痴を腹中に留めながら、私は椅子に座っている医師――、スティグラー博士を見つめた。この男も『神聖同盟』日本支部の隊員である。ただ、彼は軍属の医学博士なので、表立っての立場は私に近い。
それにしても――、ぶっきらぼうに要求する男である。
外見はハンサム。美しい銀髪なのにボサボサ頭。筋の通った鼻とキリッと目立つ眉は、精悍な武士のようでもある。しかし、その態度は冷徹と言うより無頼漢のそれに近い。
しかし、医者としての腕は立つのだろう。デービッドは頗る信頼している様子だ。
博士は顔の上面をすっぽりと覆うほど大きい、銀色に輝く全金属製ゴーグルを付けていた。溶接工が付ける保護面。私にはそういう形容しか出来ない。隣に立っているデービッドも同じ〝お面〟である。曰く、神聖化済みの対怪異用防具とのことだ。
――クラウディアに殴られて。
丸一日寝込んでいた私は、また以前と同じ医務室に寝かされていた。白い壁に白いベッド、ツンと鼻をつく医薬品の臭い。相変わらずの白亜の空間である。
怪我は大したことはない。そもそも、軽い怪我程度であれば、デービッドの異能である『治癒』で立ち所に治療してしまうらしく最初に担ぎ込まれた時も――、そして今もそうだったのだろう。
しかし、意識を回復してから私は博士から恐ろしいことを知らされた。
『君の眼にも、怪異、或いは対怪異の能力が備わっているようだ』
あの怪異――馬腹と『声なき声』が言ったが、アレを衰弱させ、苦しませた能力は隊長でもデービッドでも、クラウディアでもない。
――私だというのだ。
あの瞬間に、何が起き、何が怪異を死に至らしめたか。それを確認するべくの検診である。
クラウディアによると、遠目に見た私の眼は、――怪異と同じような眼をしていたという。
――黒く塗りつぶされた白目。
――血のように赤い瞳。
俄には信じられない。
しかし、私の眼を見てしまったクラウディアは、突然猛烈な怖気と悪寒、吐き気に襲われたため、急ぎ目を瞑って私を昏倒させた、と言う訳だ。
私の眼が、怪異と同じ――?
『どうして――、急に、こんな』
『ふむ。なんでだろうな』
スティグラー博士の、あまりに無愛想な相づちに、私は怒りよりも驚き、呆れてしまった。
『まぁ、眼に怪異の能力が宿るのだから、典型的な、いや、ちょっと珍しい邪眼だな』
『邪眼?』
『魔眼、邪視、オーバールックとも言うな』
――初めて聞く単語だらけである。
『どういうものですか、それは』
『世界中で信じられてる災いを呼ぶ「視線」のことだ。神でも動物でも人間でも、眼から投射した呪い、或いはエネルギーで相手を不運にしたり、場合によっては殺したりも出来る力だ。基本的には穢れや敵意に満ちたものとして認識される。バロル、バジリスク、アルゴスなど例は幾つもあるが、一番有名なのはメドゥーサだろう。流石に知ってるだろ?』
よくすらすらと出てくるものだと感心したが、最後の一言にカチンときた。
『知ってますよ、希臘神話でしょ。髪の毛が蛇の、見たものを石に変えてしまうとか』
――それしか知らなかった。
『まぁ、よく知ってるじゃないか。まぁ、見たものを石に変えるのか、見てしまったものが石になるのかは、何とも言えんがね。ただ、君の場合は多分前者だ』
一々上書きと補足を入れて、人を不快にさせる男である。
しかし、私の眼がメドゥーサのような人を殺す力を持っている。見るだけで、相手が死ぬ。そんな恐ろしい力、生まれてこの方持ったことなど無い。敗戦後に怪異の存在を感じても、感じるだけで、逃げるしかなかった。力が発現したとするなら――、あの時しかない。
スティグラー博士は、その力を再現したいのだ。今この瞬間、私の眼は普通であるらしい。差し出された鏡を見ても、日常通り、いつもの眼である。
『ふーむ、なんともないな。だがあの時、あの場所で、何か変わったことはなかったか?』
そもそも怪異が現れ、闘うこと自体が十分に”変わったこと”なのだが、そういうことではないのだろう。あの時――遭遇、銃撃、吹き飛ばされ――。
そうだ、あの声――。
『声? 誰の声だ』
『――それが、聞いたこともない声なんです。男でも女でもない、若くも年老いてもいない――不思議な声でした』
『デービッドは聞こえていたか?』
横で立っているデービッドは、静かに首を振る。
『私に聞こえたのは、ウラベの呪詛だけでしたよ』
――呪詛。そう、呪詛だ。
『ふむ。それが、鍵になるな。――どれ、ウラベ。その声を思い出しながらだ。この仮面をあの怪異と思い、呪い殺してみたまえ。デービッド、横から見ていてくれ』
『……分かりました』
相変わらず、ぶっきらぼうである。
本当に呪い殺したい訳ではないが、自分の力を試したい思いもあり、素直に従うことにした。
保護面の眼の部分は、真っ黒なガラスである。本当に溶接工のそれと同じような作りだが、その黒に馬腹の瞳を想起してみる。
――このまま殺されるくらいなら――
俄に背筋が寒くなり、毛が立つ。
――この眼で呪い殺してくれる――
汗がじんわりと浮き出る。
――死ね、果てろ――
まんじりと視線に力を込め、練り、突き刺す。
バリンッ――!
「『ワオッ!』」
突然、スティグラー博士の保護面が弾け飛ぶように割れ、大声が部屋に響き渡った。
全金属製の面は踊るように虚空を舞い、甲高い金属音を反復させながら床に墜ちる。見ると、面は綺麗に真っ二つ――、である。
『驚いたな……。これは結構強めに「神聖化」した防具だったのに』
スティグラー博士は私と眼を合わせることもなく、割れた面を拾いながら指示を出した。
『デービッド、どうだ?』
眼が合う――。
『大丈夫です。怪異症状はありません。普通の眼に戻っています』
『そうか、良かった』
――良かった、のだろうか。
この力は使いどころを誤れば、簡単に人を殺してしまうものだろう。あの怪異ですら極度に弱体化したのだ。人間など――。
『ウラベ。皆、誰しも同じだ。ここのチームや「神聖同盟」の皆も、同じ悩みを抱えている』
あまりに唐突に見透かされた。
ぶっきらぼうだが、良く人を見ているのだろう。
『皆――、同じ?』
『そうだ。皆、何かしら常人を超えた能力を持っていることに、最初は戸惑い、悩み、苦しむ。犯罪に走る奴もいれば、山に引きこもる奴もいる。だが、それぞれに艱難辛苦を乗り越えてきて、今があるのだ』
何事も端的に言う博士である。
理路整然と正論を述べる。
だが、そこに〝私〟という存在、〝私〟という悩みは、上手く投影出来ない。怪異と同じ能力など。
『自分以外の皆は、もっと神聖な能力を持っている、とでも思っているのか?』
『……違うんですか』
『あぁ、大間違いだ』
飄々としていた博士が語気を荒げた。
『……いいかね。名前や見え方が神聖に見えようとも、その力は人外だ。常人からしたら大して変わらん、奇妙で、気持ち悪い力だ。人を傷つける、悪用されることだってある。デービッドが過去を覗いて、詐欺や泥棒をするとも限らないだろう?』
酷い例に使われたデービッドが、苦虫を嚙み潰したような顔になった。
『そんなことはしませんよ』
『――分かってるよ。だが皆が皆、そうじゃない。怪力だって人を助けられるし、強盗も出来る。要は力の使い方だ』
何処までもこの人は冷静なのだな――。
きっと、今まで様々な怪異や異能を見てきただろう。その経験則が、最善かつ最短で物事の道理を説かせているのかもしれない。
ただ、譬え話は秀逸である。
格闘家だろうが銃の扱いが上手かろうが、悪いことに使ったら悪いのだ。人の役に立てるなら――、皆と同じなのだろう。
ふっと腑に落ちる感覚が、気を落ち着かせてくれた。
『分かりました。ただ、この力はあまり使わないようにしたいと思います』
『……いや、それは君の裁量で決めたまえ。邪眼を使いすぎで死んでしまう話は伝承も類例もない。君の体調と状況を見極めるんだ。その力を使わず殺されたり、怪異に取り込まれでもしたら、本末転倒だろう? ――それでも、危険と思ったら即座にやめるんだ』
決して使うな、という助言ではない。必要な時に使えなければ意味が無いのは、その通りである。
『心遣い感謝します、スティグラー博士』
意識に止めず発した言葉が、彼にとっては意外だったのか――、博士は片眉をつり上げて驚いた。
『そんな……、礼を言われるものでもない。さ、さぁ、問題が無ければ仕事に戻るぞ』
そう言うと、そそくさと道具を仕舞い、さっさと部屋を出て行ってしまった。白亜の医務室に残された私とデービッドは、眼を合わせて肩を竦ませた。
『照れ隠し、ですかね』
『そうだったら、意外な一面と言った所だな。ところでデービッド』
『何です?』
『戦い方を教えてくれないか――。人間じゃなく、怪異との戦い方を』
デービッドは深く頷き、了承してくれた。
私は、学ばねばならない、色々なことを。この戦争で荒廃した日本で、明日をも知れぬ命だとしても、生きるために――。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる