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第一章 プレイボール

このアプリ大丈夫なやつなのか?

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夜も遅かったのと、がっつき過ぎる自分を戒めるため、その日の返信は我慢した。お陰で睡眠不足になってしまったけれど。
待ちわびた夜明け。彼の朝は早いだろうか、7時過ぎていたら大丈夫だろうかと考えれば考えるほど、返信の送信ボタンが押せない。

メッセージありがとうございましました。是非、お時間頂けたら嬉しいです。

「よしっ、行けっ」

送信ボタンを押して「ふぅー」と息を吐く。送信済みのメッセージを見ていてら既読のサインが現れた。

(もう読んだの! 早くない?)

いつまた返事が来るかとドキドキしながら身支度をしたけれど、通知音はならなかった。

「返信が来るなんて思っちゃダメよ。あれに返信はしないよ。うん、ないない」

そう自分に言い聞かせて、大人の挨拶なんだからと諦める方向で気持ちを整える。
人間とはなんて我儘な生き物なのか。あの背中が見られただけで満足していたのに、またプレイしている姿が見たくなってしまう。電話番号もらっただけでラッキーなのに、声が聞きたくなったりする。
社交辞令のメールに返しただけなのに、更に返信が欲しくなるなんて欲出しすぎ。

そして、私はきっと一日をこうして悶々としながら過ごすのだろう。





月曜日。
俺はいつもと同じように少し早めに来て、デスクに溜まった書類のチェックを始めた。課長になってからは現場の指揮よりも、こう言った紙切れに判をつくことが増えた。

「おはようございます」
「おはよう」

河本健。コンテナ営業部主任。こいつは新入社員の時からの生え抜きだ。俺が信頼している部下の一人で、頭がキレる。売上予測、年間計画は全部こいつに任せている。俺と違ってお勉強のできる大学を出た理系の男だ。野球は高校の途中で辞めたらしいが、センスはいい。
なによりもこの頃は、表情が豊かになったのが面白い。

「おはようございますっ!」
「おはよう」

この女の影響が大きいのだろう。
原田羽七はな。コンテナ営業部主任補佐兼船便担当。明るくて何に対しても物怖じしない大胆で可愛い部下だ。本社でアジア線の運営をしていたのを俺が引き抜いてきた。
女の武器を使えない媚びない態度は、一時期ここの男たちを騒がせたな。本人はまったく気付いていなかったな。
何でも卒なくこなせる器用貧乏。それが羽七のコンプレックスだったらしい。仕事もソフトボールも、俺の指示通りに動けるのはこいつだけだ。

「おはようございます」
「おう。おはよう」

原田わたる。業務部主任エアー便担当。羽七の夫だ。
かつての会社一の色男。羽七と結婚するギリギリまでロジスティクスの玄関前に出待ちがいたと言う伝説を作った男だ。だからと言ってチャラチャラしているわけはなく、惚れた女一筋の熱くて何にでも一直線な男だ。
残念なのは野球のセンスがゼロ。柔道じゃあトップクラスだったのにな。

そんな事はどうだっていいんだよ!

「おい、羽七。ちょっと」
「なんでしょうか」

羽七は俺から朝一で呼び出されたのが気に食わないのか、妙な顔をしながら恐る恐るやって来る。
眉間にシワ寄せんじゃねえよ。相変わらず顔に出るやつだな。

「おまえ、土曜に小春で俺のスマホに何か落としてただろ」
「課長のスマホ? あぁ、あれがどうかしましたか」
「あのアプリ大丈夫なやつなのか? 勝手にお友だちとか言うのが増えてんだよ。気持ち悪いぞ」

俺が小声で言うと羽七は一瞬キョトンと首を傾げ、その後すぐに笑い出した。

「か、課長。うふふっ、んははは」

向かいの河本がギョッとした顔でこっちを見ている。羽七のこういうところを河本は毎回ドギマギして見てるんだよ。

「なんだよ。ちゃんと説明しろ」
「すみませんっ、ふふふ。えっと、課長が登録している電話帳から同じアプリを使っている人を探したんですよ。便利ですよ? 使い方も簡単で、直ぐに連絡取り合えるので」
「で、そのやり取り、他の奴らに見えたりしないのか」
「大丈夫です。個人個人のやりとりは第三者には見られませんから安心してください。これ、日本だけでなく海外でも使われています。どこにても、通信できる環境なら連絡が取れますよ」

ほら、な? こいつ人をばかにしたりしないんだよ。あれだけ笑った後なら、課長知らないんですかと言ってバカにしそうだろ?

「なるほどな。で、相手からメッセージ来たら直ぐに返した方がいいのか?」
「そうですね。返せるなら返した方がいいですし、大した内容でないならスタンプでの返事でもいいと思います。これ、相手がメッセージ読んだかどうか分かる仕組みなので。まあ、その仕組みが良いか悪いかはさておいてですけど」
「読んだかどうか分かるのか⁉︎」
「はい。……え?」
「いや、いい。助かった。何かあったらこいつで連絡する」
「はい。よろしくお願いします」

なんだと? 俺がメッセージを読んだ事を相手は知っている。じゃあ何か返さないとマズイんじゃないのか。
ってか、スタンプってなんだよ!

俺はメールでのやり取りが苦手だ。ちまちま打ってるより、電話した方が早いだろうってなるんだよな。

「ちっ……」

面倒臭えな。

確かに電話だと相手のタイミングもあるし、邪魔しないと言われればそうかもしれないな。
だんだんと、添田蒼子と言う名前が俺の脳内で繁殖しつつあった。
女にしてはわりと背が高く、色白の美人だった。柔らかい雰囲気を持ちつつも、頑固な一面を覗かせるバランスの取れた女だと思った。
しかも俺を現役時代から知っていると言っていた。確かにあの声には聞き覚えがある気がする。それよりも、なんで彼女が泣きそうになるんだ。

『どうして、現役を…在学中に辞めたんですか』

まるで俺が彼女の夢を打ち砕いたのかと思ってしまうような涙だった。

「はぁ」

全く、調子が狂う。

「羽七、このアプリ本当に大丈夫なんだな」
「大丈夫ですっ!」
「分かった。おまえを信用したからな」
「はあ?」

俺はそのアプリを起動させて言葉を打った。

返事、遅くなってすみません。週末、時間が合えば野球の試合を見に行きませんか。

ピコンッ♫ 

おわっ! なんだ!

ありがとうございます! スケジュール確認したら連絡します☺

「なんなんだこれ。いまの奴らはみんなコレでやってんのか」

言っておくが俺がオヤジだから躊躇った訳じゃない。スマホはそれなりに使いこなしているつもりだ。ナビだって、音楽だって、仕事のデータチェックだってスマホからアクセスしてるんだ。
ただ、こういうたぐいのやつが好きじゃないだけだ。
文字より声の方が信用できる。そう思うのはやっぱりオヤジになった証拠なんだろうか。
そんなくだらない事を考えながら、俺は稟議書に目を通した。





(きゃぁぁぁぁ‼︎)

安藤さんから返事がきた。しかも、野球の試合を見に行きませんかという誘いの文面。思わず速攻返事しちゃったけど、引かれてないかな。

私は朝から気分急上昇で仕事に向かった。

(何が何でも行くわ! 絶対にっ)
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